最近、語源など昔の話を述べるときに、「諸説あります」という言葉を添えるパターンが多くなったと思う。
ここで疑問に思うのは、一般的な歴史的事物は「諸説あります」の対象にならないのだろうかということである。
テレビで扱うような小ネタは「諸説あります」とされ、学問的権威が述べるような歴史は「諸説あります」とされないのは、なぜなのだろうか。
特に、一定の時期以前の歴史的事物は証拠もほとんど無いので、教科書に載るような事項も全て「諸説あります」として、断定を避けたほうが良いのではないだろうか。
いくつかの事物で相互に正しさを確かめたから「正しい」っていうのは、理系的(論理的)に正しいこととは根本的に異なる気がするし。
そして、そもそも、そんな不確定な事物を「歴史」として、小中学校で教えるべきなんだろうか。
複数の物理的証拠によって確定できないものは学問的に扱われずに小ネタになって諸説ありますになるわけ