自分自身、子供は好きでも嫌いでもない。可愛がる対象としてはともかく、庇護対象と見た途端、面倒臭いと思ってしまったのが正直なところ。妻にはずっと「自分はどちらでもいいけど、望むなら作ってもいいよ」くらいの、消極的同意スタンスを伝えていた。単純に気持ちいいことをした結果として、妻が妊娠した、ただそれだけくらいの気持ちだった。
今現在、妻はものすごい勢いでつわりに苦しんでいる。食べたら吐くの繰り返し。妻は近所でバイトをしている。体調悪いならバイト辞めたほうがいいんじゃないか、と声をかけたものの、動いている方が気が紛れるそうなので、やんわりと僕の心配は固辞された。
今のところ、子供に対して、生まれてくるのが楽しみとかいう感情が全くない。かといって後悔もしていないが、妻の体調不良の原因になっている、と思うと「困ったなぁ」という気持ちになってくるばかりで。こんな自分が父親になる。それがただただ恐怖でしかない。
妻は妻で、二人の時間が近い将来に終わりとなることを考えると、複雑らしい。妻は、結婚前から「自分もどちらでもいいけど、できるなら子供は欲しい」と言っていた。子供が欲しかった理由は、よくある「好きな人の子供が欲しかった」だったそうだ。少なくとも、今の彼女も、本当に自分が望んだことなのかわからなくなってきているようで。
ところで、最近……というか、ずいぶんまえから子供の名前を考えている。男の子ならこう、女の子ならこう、といったぐあいで。響きだったり、字の意味だったり、姓名判断だったりを組み合わせて、名前の候補を少しずつ上げている。さんざ子供に対しては何の感情も、と書いたものの、こうして名前を考えたりするってことは、自分の中でも子に対する何かが芽生えてきているんだろうか。
結局どうしたいのか、自分でもわからない。どう向かえばいいのか。お世辞にも裕福ではない我が家で、子を立派に育てられるのか。遠く先の出産予定日を思えば思うほど、不安感ばかりが募ってくる。
未来はときに選択するものではなく襲いかかってくる。自然現象と同じように。おれたちも自然現象のように生まれていつの間にか育った。そういう風に受け入れられるといいね。