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自問自答しながら自分の遺したい作品作りを目指すブログ。
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■京田辺・父殺害、二女を家裁送致…「刑事処分相当」と
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20071005p203.htm

京都府警南署の巡査部長(45)が同府京田辺市の自宅で殺害された事件で、
京都地検は5日、専修学校生の二女(16)について、
「計画的で残虐な犯行。結果も重大」として「刑事処分相当」の意見を付け、
殺人の非行事実で京都家裁に送致した。
家裁は同日、観護措置を決定、二女を少年鑑別所に収容した。
二女は犯行の動機を「お父さんの浮気が許せなかった」と供述する一方、
「申し訳ない」と、初めて父親への謝罪の言葉も口にしたという。
しかし、殺害に至った理由の核心部分は未解明のままで、
今後は家裁の調査に委ねられる。

非行事実によると、二女は9月18日午前4時ごろ、自宅2階の寝室で、
1人で寝ていた父親の首を、手おの(刃渡り約11センチ)で数回切りつけて
殺害した。

府警の調べに対し、二女は数年前、母親(41)から父親の女性問題に
ついて聞かされたとし、「父親が嫌いで、憎んでいた」と供述。
犯行直前に黒いワンピース(ゴスロリ)に着替えたり、
事件の5日前に手おのを購入して凶器に用いたりした点については、
ゲームやアニメの影響もあったと説明した。

一方で、殺害に至った心情について詳細に追及されると、
「もういいです」「関係ない」とあいまいな供述に終始。
父親への謝罪の言葉は、3日の府警の最後の取り調べの際に初めて話したが、
その際も取り乱すことなく、淡々とした様子だったという。

地検は、二女の刑事責任能力については問題なく、精神鑑定は不要としている。
これに対し、二女の付添人を務める弁護士は「刑事処分が相当とは思わない。
家裁には慎重な調査を求めたい」とコメントした。

家裁は最長8週間の観護措置期間中に二女の成育環境などを調べ、
少年審判で検察官送致(逆送)か、少年院送致などの保護処分とするかを決定する。
(2007年10月5日 読売新聞)


<事件の5日前に手おのを購入して凶器に用いたりした点については、
ゲームやアニメの影響もあったと説明した。

  ■ もうゴミ売り新聞!!!!!! 本当にええ加減にせえや(怨)!!!! 

 ■毎度のことだが、いっつも政府に都合の良い偏見報道しかしない。
もう ただの暴力シーンのある漫画やゲームよりも ゴミ売り新聞の偏見報道こそが、有害情報と言えるな。


 暴力ゲームさえなければ、16歳少女は、殺人を起こさなかったといいそうだが、何度も言うように、今みたいに、暴力描写のリアルなゲームのなかった昭和30年代の方が、少年犯罪が凶悪だった。

 当然、ゴミ売りをはじめとする御用マスゴミは、そんなことは、報道しないけど

  新聞やテレビなどでは、最近の子供はキレやすくなったとしか、報道しないけど インターネットで調べてみると、過去にも、類似した事件があったことが分かる。
 
 (引用)

16歳少女、警官の父殺害=まさかりで首切る?-京都ということで、未成年女子の親殺しをまとめてみました。
少年犯罪データベースの少女の殺人事件と肉親に対する犯行も参照してください。
昭和24年以前の年齢表記は数え年のため、満年齢にすると1~2歳低くなります。


昭和2年(1927).3.5〔19歳女子(満17~18歳)ら母子が父親殺人〕
 茨城県結城郡の自宅で、長女(19)、母親(37)、祖母(75)が父親(42)をナタで殺害、3.5に起訴された。長男(13)も取り調べを受けている。

昭和8年(1933).1.22〔20歳女子(満18~19歳)ら兄妹が父親毒殺〕
 三重県宇治山田市の青物問屋宅で、次女(20)と次男(23)が実の父親(55)を毒殺、2月に母親の違う長男(29)にも薬を飲ませて重体としたが未遂に終わり、6.13に逮捕された。
 高等女学校を卒業している長女が、中学を神経衰弱で中退してぶらぶらしている次男に家を継がせようと大阪で薬品を買って風邪薬として飲ませ、重体となった父に看護する親類の目を盗んでさらに何度も毒薬を口に無理やり入れたもの。それまでも薬品入りの酒を繰り返し飲ませており、昨年7月に次男が就寝中の父親の頭をカナヅチで殴って重体としたが、医者が脳出血と誤診したので殺害してもわからないと考えていた。
 2人とも成績優秀で薬物や犯罪の専門書を熱心に読んで研究、妹は次男を神だと信じており、「神に代わって父を滅ぼした」「いまやっと父を殺したのは悪かったとハッキリ理屈ではわかりました。しかし私の心中には罪を悲しもうとする本当の涙は湧きません。神様、本当に父殺しの大罪を悲しむ涙を湧き出させて下さい」などと話す。
 次男はノイローゼとなり、近所の人に殺害したことを話したり大阪の教会で懺悔したところから発覚。かなりの資産家で、母親は父親に内緒で次男に5千円のこづかいを与えたりしていた。この年の銀行員大卒初任給70円。

昭和15年(1940).3.24〔19歳女子(満17~18歳)が母親毒殺未遂〕
 兵庫県武庫郡の農家で、女中(19)が母親(39)を殺害しようとネコイラズ入りの紅白まんじゅうを「おばさん一人でおあがりください」という手紙と共に無記名で郵送、4女(12)と長男(9)が食べて腹痛を起こし、逮捕された。命に別状はない。神戸市の家に住み込んで働いているが、未亡人の母親に悪い噂があることを知って毒殺を計画したもの。

昭和23年(1948).12.6〔中2女子(満13~14歳)が厳しい母親に反発し一家皆殺し〕
 福岡県大牟田市の自宅で、中学2年生の三女(15)が、夕食の大根雑炊に殺虫剤のアヒ酸を入れ、父母、祖母、姉、妹の家族7人皆殺しを謀る。たまたま食べなかった祖母以外の6人が苦しみ出して、五女(10)と六女(6)が死亡、ほかの4人は寝込んだが命に別状はない。三女も食べずに元気だったので疑われてすぐに自供した。
 三女は成績も良くバレー部の選手をしていたが、部活で遅くなると遊んでいたのだろうと厳しい母親にたびたび叱られ殴られた。こんなことでは一家皆殺しにしたほうがよいと考えたと、取り調べにも笑顔で話す。バレー部顧問の教師は、ずるい生徒でよくケンカをしており、皆には好かれていなかったと語る。


昭和26年(1951).7.1〔娘、凶暴な父親を殺す〕
 新潟県で娘、凶暴な父親を殺す。

昭和26年(1951).10.28〔19歳女子が一家皆殺し〕
 北海道勇払郡の農家で、次女(19)が朝食のみそ汁にヒ素剤殺虫剤ホトナートを入れ、食べた一家5人が苦しみだし、長女の婿(33)は死亡、母親(50)と長女(23)は重体、父親(55)と長女の長男(2)も重傷とした。次女だけがなんともなかったので追及すると、翌年1.16に一家全員を毒殺しようとしたことを自供した。この次女が母親の連れ子で家族のいざこざが絶えなかったため。

昭和27年(1952).5.19〔高3女子が父親を毒殺未遂〕
 福岡県八女郡の麦畑で、高校3年生女子(18)が父親(53)にネコイラズ入りのまんじゅうを食べさせて、父親を殺したと自首した。父親は手当を受けて重傷だが命に別状はない。5年前に母子4人が家を追い出されたため復讐の機会を窺い、嘘をついて呼び出して風呂敷で絞殺しようとしたが隙がないので、ネコイラズとまんじゅうを買ってきて毒殺しようとしたもの。「私は決して悪いことをしたとは思っていません。死んだほうが父は幸福です」と語る。

昭和29年(1954).9.1〔18歳女子同性愛の恋人が父親殺害〕
 青森県青森市の自宅で、無職の二女(20)と無職の少女(18)が父親(54)を殺害した。少女が「金が欲しい」と言うと、二女が「それならうちの親父を殺せばいい」と国鉄を退職したばかりの父親の退職金30万円を奪うことに話がまとまった。二女が父親に出刃包丁を突きつけて口論している隙に少女が後ろから紐で首を絞め殺した。二女も大勢の犯行に見せかけるため死体をめった刺しにして石炭箱に投げ込んで、懐中時計と5百円を奪って逃げた。退職金は長女が保管していたので見つけられなかった。発見されるまで数度家に戻って死体に手を合わせて詫びたが、4日に逮捕。翌日、留置所で少女はネコイラズ自殺を図ったが命を取り留めた。青森地裁で、二女は尊属殺と強盗で懲役15年、少女は5~10年の不定期刑判決。
 二女は中学3年生のとき強盗殺人で、少女は強盗未遂で少年院に入ってそこで知り合って同性愛関係となった。退院後も男装して2人で遊び歩き、遊興費が必要になったもの。この年の銀行員大卒初任給5,600円。

昭和31年(1956).3.9〔19歳女が結婚に邪魔な家族4人を皆殺し〕
 東京都江戸川区で、家族が一家心中したと女(19)が隣家に駆け込んだ。母親と小学校1年生の三男はすでに死亡。工員の長男(17)と中学2年生の次男が苦しんでおり、間もなく病院で死亡した。
 「おまえは飲まなくていいよ」と母親が言ってから弟たちとジュースを飲んだと女は証言したが、追及すると勤め先の工場から拾ってきた青酸ソーダをジュースに入れて殺害したことを自白した。
 昨年の夏に母親の勤め先の理髪店で知り合った青年に結婚を申し込んだが、「扶養家族が多いのは嫌だ」と断られた。そこで一家皆殺しを計画、家族でケンカをしたとき三男がジュースを飲みたいと言ったので、「それじゃ、ケンカの仲直りに」と毒入りジュースを飲ませたもの。
 女は犯行が発覚しても顔色ひとつ変えず、留置されるとわかってはじめて泣き出した。父親は5年前に病死していた。
 無期懲役が求刑されたが、母親とケンカしての発作的犯行であり、未成年であるため、東京地裁は懲役15年の判決を出した。

昭和33年(1958).6.15〔姉妹が酒乱の父を絞殺〕
 東京都足立区の自宅で、長女(16)と次女(13)が廃品回収業の父親(44)をヘコ帯で絞殺、弟(5)は足を押さえていた。仕事もせずに酒を飲んで乱暴するので母親は家出していた。減刑運動が起こり、異例の保護処分となった。

昭和33年(1958).6.22〔17歳ら兄妹3人が父親殺人〕
 福島県安積郡の農家で、長男(21)、次男(19)、長女(17)の3人が父親(45)の首を絞めて殺害、尊属殺人で逮捕された。父親は愛人宅に住んで畑仕事は子供たちにさせて収穫代金だけ巻き上げており、この日も押し掛けてののしったため思いあまって殺害したもの。地裁は事情を考えて死刑か無期しかない尊属殺人ではなく傷害罪で懲役3年執行猶予付きの判決を長男に出した。

昭和34年(1959).9.26〔15歳ニート女子が叔母を殺害未遂〕
 東京都渋谷区の自宅で、無職女子(15)が同居している叔母(33)の首を絞め、ナイフで腹を刺して重体とした。この姪の父親は戦病死し、母親も7歳の時に死んだため小学6年生から会社員の叔父夫婦に引き取られていたが、やがてグレだし不良仲間と遊び歩くようになったために1年間保護施設に入れられ、その後も女工や店員の仕事を1週間で辞めてぶらぶらしていた。「食事のあとかたづけくらい手伝いなさい」と叱られたのを怨んで殺人計画を立てていたと自供。

昭和38年(1963).12.〔19歳女子が父親毒殺〕
 熊本県の自宅で、無職の4女(19)が煮込みに農薬ポリドールを混入し父親(52)を殺害、北九州市に逃走したが逮捕された。中卒後はパチンコ店などで住み込みで働いていたが病気のため11月に辞職して実家に戻っていた。家の米を持ち出して金にしたり、姉の結婚資金2万円を盗んだりしており、バレると父親に叱られ、家出しても連れ戻されるので殺人を計画したもの。まったく罪の意識がない。

昭和39年(1964).8.4〔高3女が祖父殺害〕
 宮城県桃生町の農家で、高校3年生女子(17)が祖父(79)を殺害した。夏休みの旅行のために無断で祖父の貯金から4万3千円を引き出したが、見つかってしまったため遺書を書かせてから祖父の首を手ぬぐいで絞め殺し、自殺に見せかけたもの。

昭和40年(1965).4.1〔17歳女子と母親が義理の父親殺害〕
 東京都足立区の自宅で深夜0時、母親(45)と次女(17)が内縁の夫の工員(47)を殺害して自首した。7年前に2人の子供を連れて同棲するようになったが、籍は入っていなかった。酒を飲んで暴れたため帯で絞殺したもの。

昭和45年(1970).11.26〔16歳女子が父親を絞殺〕
 埼玉県児玉郡の自宅で、二女(16)が酔って寝ていた無職の父親(58)を殺害した。二女は23日に少年(18)と泊まりがけでドライブに行ったが、「娘が傷ものにされた」と怒って20万円の慰謝料を要求した。10ヶ月の月賦で払うことになったが、怒りのおさまらぬ父親が二女の晴着を焼いたため、腹を立てて首を絞めたもの。

昭和46年(1971).4.〔ボーイフレンドと実家に押入り実母を殺害して金品を強奪した事件〕
 被害者の2女(19歳)は、不良交友、窃盗を重ね中等少年院に収容されたが退院後も素行が改まらず、バンドマン(18歳)と不純交遊を重ね遊興費に窮したことから、被害者(実母)方に両名で押入り帯ヒモで絞殺の上現金、衣類等を強奪した。(札幌4月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。

昭和46年(1971).5.26〔中2女子が酒乱の父を絞殺〕
 兵庫県神戸市の自宅で、中学2年生女子(13)が、父親(36)を殺害した。働かずに酒を飲んでは暴れ、この日も朝から飲んで酒を買ってこいと言ったためケンカとなり、祖父(71)の首を麻縄で絞めようとしたため女子が取り上げたが、さらに手で締めようとしたため、麻縄を三重にまいて祖父と2人で絞殺したもの。母親は幼い時に離婚。生活保護を受けていた。

昭和48年(1973).10.15〔中3女が叔母を刺殺〕
 静岡県富士市の自宅で、中学3年生の女子(14)が養母(42)を殺害した。1日に家出し14日に保護されて帰宅したが、説教にカッとして台所の庖丁で15カ所をめった刺しにしたもの。
 生まれてすぐに母親が亡くなり父親も行方不明となって3歳から叔父夫婦に育てられていた。これまでも二度の家出と自殺未遂をしている。「説教してうるさいから消した。これで意見する者がいなくなってせいせいした」と平然としている。

昭和50年(1975).3.29〔高2女子が父親に頼まれ殺害〕
 香川県綾歌郡の自宅で、高校2年生の長女(17)が父親(49)を殺害した。父親は胃潰瘍で療養中だったが胃ガンで長くないと思っており「2,3日の命だ。早く楽にしてくれと父親に頼まれたため、日頃から勉強中も用事を言いつけられてうるさく思っていたこともあってとっさに殺そうと決意した」と自供。手斧で頭を数回殴ってストッキングで首を絞めたもの。目立たないおとなしい性格だった。

昭和50年(1975).12.29〔18歳孫娘が祖母を殺害して死体と2ヶ月同棲〕
 北海道河西郡で一人暮らしの老女が行方不明となり、その家に孫娘(18)と元自衛官の男(21)が同棲して老女の預金を引き出すようになったことに不審を抱き捜査したところ、12.29に押入からカチカチに凍った老女の遺体が発見された。
 10.30に2人は老女宅を訪ねて金を貸して欲しいと頼んだが断られたため、寝ているところを縛り上げて金を奪おうとしたが抵抗したので、また結婚を反対されていたこともあって、孫娘がまな板で頭を殴り、男にナタで殺害させたもの。
 孫娘は幼いときに両親が亡くなり叔父の養女となったが叔父も死に、10年前に祖母に引き取られていた。家を出て男と同棲していたが2人とも仕事をやめたため金に困っていた。

昭和54年(1979).2.13〔高1女子が母親を刺す〕
 東京都港区の自宅で、高校1年生の二女(16)が寝ていた母親(47)をナイフで7カ所刺し1ヶ月のケガを負わせた。両親は10年前に離婚、二女は父親と継母に育てられていたが、父親が事業に失敗して蒸発、実母に引き取られた。「今度のお母さんは異性のことにうるさい。話のわかる前のお母さんのところに帰りたい。それにはいまのお母さんが生きていたら邪魔だ」と自供。成績は中くらいで性格は明るかった。

昭和58年(1983).5.6〔働きなさいと祖母に叱られ、15歳少女が絞殺〕
 大阪府で働きなさいと祖母に叱られ、15歳少女が絞殺。

昭和59年(1984).2.〔高1女子が母親に暴行〕
 一人娘で両親の過保護下で育った女子高校1年生(15歳)は、不良グループと交際するうち知り合った18歳の無職少年と同棲を始め高校も中退し、その後、生活費が無くなる度に自宅に戻り母親に無心ていたが、母親が注意したり、無心を断わると大声で罵声をあげながら髪を引っぱるなどの暴力を加え、次第にエスカレートしていき、ついには母親に殴る、蹴る等の暴力を加え、肋骨骨折させたうえ、沸騰した湯を浴せて火傷させるなどの暴力を振った。(山形、2月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。

昭和59年(1984).10.11〔高3女子が酒乱の父親殺害〕
 東京都小平市の自宅で、高校3年生女子が酒乱の父親をビンで殴って殺害。母親に暴行を加えるため。

昭和60年(1985).2.1〔16歳女子が家出のため母と姪を絞殺〕
 愛知県春日井市の自宅で、会社員をしている二女(16)が母親(45)と姪(生後3ヶ月)の2人の首を絞めて殺害した。家出を繰り返してそのたびに母親に連れ戻されていた。「家出するため母を殺した。姪を残すと父が苦労するので一緒に殺した」と自供。長女(19)は未婚のまま赤ちゃんを産み、家出して行方不明。父親は建築作業員。

昭和60年(1985).5.14〔女高生、母への乱暴見かね、酒乱の父殺す〕
 大阪府で女高生、母への乱暴見かね、酒乱の父殺す。

昭和61年(1986).3.6〔中3長女が母親絞殺〕
 宮城県仙台市原町の自宅で、中学3年生の長女(15)と友達の中学2年生女子(14)が、就寝中の母親(39)をコードで絞殺した。離婚し病気中、長女は非行を重ね、生活態度についてうるさく云われることから、殺害しようと決意。

昭和61年(1986).6.23〔17歳女子が父親殺害〕
 東京都八王子市の自宅で、アルバイト女子(17)が父親(45)を殺害、すぐに逮捕された。酔った父親が早朝にテレビを大音量にしたため起こされた女子とケンカとなり、「死んだほうがいい」と言うと父親が「やってみろ」と言ったのでタオルで絞殺したもの。二人暮らしで、父親は建設作業員だったが1か月前から仕事をせずに酒びたりになっていた。

昭和62年(1987).8.28〔女高生、暴力ふるい厳しく監視する父を殺す〕
 群馬県で女高生、暴力ふるい厳しく監視する父を殺す。

昭和63年(1988).4.22〔16歳女子が父親毒殺未遂〕
 栃木県真岡市の自宅で朝5時、長女の無職女子(16)が就寝中の父親(45)の口に農薬を流し込んで殺害しようとし、重傷となった。会社員の父は日頃から家族に暴力を振るっていたが、住み込みで働きたいと相談すると殴る蹴るの暴行を受けて殺人を計画、数日前に農薬を買って隠していた。

昭和63年(1988).7.17〔中3女子生徒、母を刃物で刺す〕
 山梨県で中3女子生徒、母を刃物で刺す。

(引用終了)

  <昭和50年(1975).3.29〔高2女子が父親に頼まれ殺害〕
 香川県綾歌郡の自宅で、高校2年生の長女(17)が父親(49)を殺害した。父親は胃潰瘍で療養中だったが胃ガンで長くないと思っており「2,3日の命だ。早く楽にしてくれと父親に頼まれたため、日頃から勉強中も用事を言いつけられてうるさく思っていたこともあってとっさに殺そうと決意した」と自供。手斧で頭を数回殴ってストッキングで首を絞めたもの。目立たないおとなしい性格だった。

 ■大人しくて目立たない少女が親を殺す事件というものは、昔から、あった。
 ゲームさえなければ、大人しくて目立たない子が親を殺す事件がなくなるなんていうことは、成り立たない。

 最近 いっつも思うけど  クソマスゴミがあ(怨)!!!!! 
 (憎)過去を美化するなや クソボケが(怨)!!!!!!!
■正直な話、僕も少年時代、親を殺したいと思ったことがあった。
もちろん実行に移さなくて良かったと思っている。

 ■僕の親も一時期、テレビゲームにうるさかった。
小学、中学時代は、僕の親も勉強せえ とかうるさかった。

 一時期は、ゲームを隠されたこともあって、あのときは、親を刺し殺したいとも思った。

 夜、ファミコンしただけで怒られたこともある。
小学時代は、土曜日の夜ならファミコンさせてくれたけど、中一の終わりごろ、もうこれからは、土曜日も夜はしたらいかん と言われてしまった。

 ゲームで遊ぶことを制限することは、僕のためにならなかった。
親がゲームしたらいかんと言おうが、僕の ファイナルファンタジーをやりたいという本心は、微塵も変わらなかった。
 
 親に勉強させられようが、ファイナルファンタジーやりたいとファイファンのことばかり気になり、 勉強に集中出来なかったし、勉強やっても頭に入らなかった。

 ■ゲームのことばかり気になり、勉強が実に入らなかった。
結局、友達からゲームボーイを借りて、親がいない間にこっそり、ゲームをやったりもした。
 
 ゲームで遊ぶことを、とがめようが、子供のゲームしたいという気持ちが変わらないのであれば、子供にゲームさせて、満足させてあげたほうが、勉強にも集中できると思う。
 しかし、親によるゲームさせてくれる時間が短くなったからといって、学校の成績が良くなることはなかった。 塾に勝手に入れられたこともあるけど、成績は上がらず、人間関係も良くなかったので結局塾も何回かやめたりした。
 

 ■僕は、自分の経験からして、 子供から無闇にゲームを取り上げることには反対だ。

 子供に勉強させることを 「お母さんはあんたのためを思って」という類の意見がかなり憎い!!!!!

 あんたのためではなく自分のためだ

自分がいい思いをしたいだけの親の自己満足に過ぎない。

 もちろんゲームばかりやる子供も寂しいと思うけど、都会の子供に外で遊ばせることは、難しい場合もあると思う。

 近くに公園がなかったり、空き地で遊んでも地主に怒られたことのある人もいるだろう。

 ■勉強を押し付けた親は、問題視せず、ただ 親を殺した少女だけを悪者扱いする クソマスゴミや 勇者国民ども!!!!!

 お前らは、ただ 少年を悪者扱いして、厳罰化を唱えたり、少年を叩いて 勇者の気分を味わいたいだけだろ!!!!

 ■本当にクソマスゴミが子供のことを考えているとは、全く思えない。

 ■斧で父親を殺害したのは、やりすぎだとしても、なぜこうなったのか少しは、考えろや!!!!!

 アニメやゲームの影響?

それしか言えない奴は思考停止であり、 あるいはただ自分の気に入らないものを悪者扱いして叩きたいだけだ。 そういう奴は、問題の本質を見誤っている 
 
 今みたいに、暴力描写のリアルなテレビゲームやアニメがない時代から、理由なき少年犯罪は、あったので、漫画、ゲームさえ権力で規制して描いた人を牢屋に入れる法律をつくれば、少年たちは、みんなおとなしくて よいこちゃんばかりになるなんて言うことはありえないので、それこそ 広い視点で、物事を考える必要があるのに

 相変わらずマスゴミは、偏見報道しかしない。

 これを改めないのなら、ゴミ売り新聞は、本当につぶれるべきである。

 ■子供を遊ばせることも大事である。
 勉強だけが、人生でない。

 ■高校生活をただの大学に入るための我慢するための時期で終わらせるではなく、遊んでいろんな思い出をつくる高校時代を送ってもいいはずだ。

 父親が警官だから、当然夜遊びとかは、非行呼ばわりしそうである。
僕は、この事件で、殺された父親にも非がある と主張する。
  マスゴミが冷静な報道をするのであれば、ただアニメ、ゲームを叩くだけでなく、勉強を押し付けたことも 問題視するような報道をすべきである。

 
 ■当然、大学なんか行かなくてもいい。
2chでは、高卒低学歴として見下す傾向があるけど、大学いけばそんなに偉いのか!!!!!
 僕は、中卒や高卒を見下す、大卒や院卒の高学歴が大嫌いである。
もちろん、大卒全員が、高卒以下を馬鹿にする人でないことは、分かっている。 大卒でも三流大卒の人は、一流大卒や大学院卒に見下されることがあると思う。


良い大学にいっても、留年する人もいるし、仮に大学に行くにしてもなにも 18歳であわてて入る必要はない。
 一応 下手な記事だけど こちらも読んでいただきたい。
勉強だけが人生ではない。

http://zinruisaimetsubou.blog45.fc2.com/blog-entry-423.html 

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プロフィール

死入道峠 しにゅうどうとうげ  別名、420

Author:死入道峠 しにゅうどうとうげ  別名、420
年齢:ブログ休止中に歳を取って40代前半
現住所:四国地方在住

 嫌いなもの:原発推進派、(自称脱原発派)の自然エネルギー推進派、(自称規制反対派)の実写表現規制推進派、コロナ脳、ワクチン工作員、 ネトウヨ、 日本共産党
その他

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