階級制度の導入(1955年~65年)
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「軍服 (中華人民共和国)」の記事における「階級制度の導入(1955年~65年)」の解説
1955年、人民解放軍ではソ連軍に範をとった階級制度が導入され、これに伴って軍服にも階級章や礼服・勤務服・戦闘服の区別が取り入れられた。この軍服を通称「五五式」と呼び、1958年の若干の改正を経て65年の階級制度廃止まで、若干の変更を含みながら踏襲された。 大別すると次の2種が用いられた。 「礼服」。陸・海・空軍将官と、元帥が着用。制帽は、胴部は軍種色、帽章の周りに金の葉模様がつき、あご紐は金モール、またクラウン部に軍種色の縁取りが付く。上着はダブル開襟ネクタイ式で、襟部に軍種色(海軍は金)の縁取りと太い金線の刺繍、また葉と星を組み合わせた襟章が付く。また袖の折り返しにも軍種色の縁取り、袖口に太い金線と葉の刺繍が付く。元帥はその上に、大きな星の刺繍が付く。階級は肩章で表される。 「常服」戦闘服を兼ねる。「人民帽(解放帽ともいわれる)」スタイルの略帽に折襟の上着を着用。 1955年では将校・将官の場合は常服では制帽を被り、ソ連軍式の肩章を用いるが1958年以降は肩章と肩章は基本的に用いられず、襟章によって軍種・兵科・階級を表す。兵下士官は1955年から襟章式であったが、1955年の時点では将官・将校の場合は肩章で階級、襟章で兵科を区別していた。兵下士官の襟章は階級と兵科が同時に表されるように、後部に兵科章が取り付けられる。将校・将官の襟章の場合は台座の襟章の兵科色と中心部についた兵科章で示される。海軍兵・下士官は世界共通の水兵服を用い、階級は肩章(黒地に黄色の横線の数)で表す。以上の2種が明確に区別されていたのは将官・元帥や軍官級の高級幹部が中心であり、特に兵・下士官や尉官級の軍人は、襟章のみの軍服に制帽を被ったスタイルが常服と礼服も兼ねていた。常服に勲章やメダルを沢山付けた軍人も当時は多く見られる。生地色は、陸軍・空軍礼服がダークグリーンまたはカーキー色、同常服がオリーブグリーンまたはカーキー色、海軍が濃紺(冬服)または白(夏服の上着)が用いられた。 なお略帽としては人民帽の他に、短期間だがソ連軍の影響を受けた略帽である「ピロートカ」タイプのものも1958年まで用いられ、また女性用にソ連軍の女性用軍帽と同じベレー帽に似たつばなしの略帽も用いられた。またソ連軍に倣って騎兵や戦車兵などの一部兵科などを中心にブーツや乗馬型のズボンも導入されたが一般兵科では布製や日本軍の物に似た革製短靴が主に用いられた。 空軍では、1959年に59式飛行服が採用され、以後、半世紀近くにわたって使用されることになる。59式飛行服には夏布飛行服、上下とも山羊革製の夏飛行皮服、中綿が入って毛皮の襟がついた冬飛行皮服があった。59式飛行皮服は民間でも非常に人気が高く、北京、天津など北方大都市や東北地方で、若者がオートバイに乗るときなどの防寒衣料として広く用いられた。 「五五式」元帥用礼服の着用例。右から順に、葉剣英、彭徳懐。1958年のソ連訪問時。右端フルシチョフ、右から2人目ブルガーニン。 同(林彪) 五五式、海軍将官服,蕭勁光。 五五式将官常服(折襟)。1960年。 五五式将官常服。朱徳の着用していたもの。 五五式将官常服外套。彭徳懐の着用していたもの。 五五式海軍将官夏季常服(左、蕭勁光、1957年8月) 五五式夏季空軍軍官常服(軍医中尉) 陸軍兵、1959年。 海軍兵、1959年。 プロパガンダに描かれた陸軍兵士(中央)。ソ連の「ピロートカ」型の略帽を被っている。1958年。 雷鋒 中華人民共和国元帥肩章
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