輸送任務
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「愛国丸 (特設巡洋艦)」の記事における「輸送任務」の解説
11月20日付で第五師団(司令官山本務陸軍中将)は第8方面軍(司令官今村均陸軍中将)に編入され、その南東方面輸送を海軍艦艇が担当した。愛国丸、清澄丸、山彦丸(特設工作艦)、護国丸(愛国丸姉妹船、大阪商船、10,438トン)は、第5師団の工兵第5連隊や歩兵三個大隊や飛行場設営隊など合計3,724名を輸送する。12月2日、輸送船団は駆逐艦朝風に護衛されてシンガポールを出発。12月12日にラバウルに到着した。その頃、大本営ではブナ・ゴナの戦いの切迫を考慮し、パプアニューギニアの要所(マダン、ウェワク)に飛行場を設営して制空権と後方補給線の確立を目指す方針を固めていた。陸海軍中央協定により、3隻(愛国丸、護国丸、清澄丸)乗船中の兵力をマダンとウェワク攻略作戦(「ム」号作戦)に転用する。12月13日付で愛国丸以下各艦・各部隊は南東方面部隊に編入され、その隷下にある第八艦隊の指揮下に入った。 「ム」号作戦の兵力部署(区分、指揮官、兵力)は以下の通り。 主 隊:第八艦隊司令長官:重巡鳥海 支援隊:第七戦隊司令官西村祥治少将:第七戦隊(熊野、鈴谷) 東部ニューギニア方面護衛隊:第十八戦隊司令官松山光治少将:第十八戦隊(天龍) ウェワク攻略部隊:第10駆逐隊司令阿部俊雄大佐:第10駆逐隊(夕雲、巻雲、風雲)および清澄丸 マダン攻略部隊:愛国丸艦長大石保大佐:駆逐艦4隻(荒潮、涼風、磯波、電)および輸送船2隻(愛国丸、護国丸) 母艦航空部隊:第二航空戦隊司令官角田覚治少将:二航戦(隼鷹)および第十戦隊(阿賀野)と駆逐艦3隻(磯風、浜風、村雨) 第十八戦隊司令官(旗艦天龍)直率のマダン攻略部隊は、12月16日1800にラバウルを出撃した。12月18日に連合軍大型爆撃機の数波におよぶ分散攻撃をうけて、護国丸が損傷した。さらに泊地侵入直前の20時25分に旗艦天龍がアメリカ潜水艦アルバコア (USS Albacore, SS-218) の雷撃を受けて航行不能になり、やがて沈没した。マダン攻略部隊は22時より上陸作戦を開始、12月19日午前4時に荷役作業を打ち切って帰途についた。帰路でも連合軍爆撃機の空襲に遭ったが被害なく切り抜け、12月20日ラバウルに戻った後、清澄丸とともに12月29日に呉に帰投した。 1943年(昭和18年)に入って早々、南東方面において日本軍は新たな輸送作戦を実施する。ニューギニアの戦いに投入される第二十師団と第四十一師団を輸送する丙一号輸送において、第二〇九飛行場大隊と第十四野戦航空修理廠を釜山からラバウルまで急送する。1月14日にラバウルに到着後、青島に向かう。1月25日に青島に到着後、丙三号輸送のため1月29日に出港してパラオに向かう。2月2日にセブに寄港の後、パラオに到着。ここで輸送部隊の編成替えが行われ、護国丸とともに第二輸送隊(朝雲、五月雨、愛国丸、護国丸、清澄丸)に加わる。2月19日、第二輸送隊(朝雲、五月雨、高速船3隻)はパラオを出港してウェワクに向かう。ところが環礁外に出たところでアメリカ潜水艦ランナー (USS Runner, SS-275) の攻撃を受ける。五月雨が魚雷3本を回避、なおも船団を攻撃しようとしたランナーを、第902航空隊の零式水上偵察機の対潜攻撃により撃退して事なきを得た。第二輸送隊は2月22日にウェワクに到着し、物件を陸揚げして任務を完了した。2月27日、愛国丸などは丙号輸送部隊から除かれた。 その後も輸送任務に従事した。7月6日、航空機輸送任務を帯びた空母雲鷹とともに横須賀を出発、トラック泊地にむかう。トラック泊地到着前日にあたる7月10日、アメリカ潜水艦ハリバット (USS Halibut, SS-232) の雷撃を受ける。愛国丸に魚雷1本が命中して損傷したが、14ノットで航行可能だった。10月1日付で特設巡洋艦の任を解かれて特設運送船となり、10月6日から12月31日までの間、特設運送船としての艤装工事を行った。
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輸送任務
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「ヒ81船団」も参照 11月、昨月に勃発したフィリピン防衛戦のため、精鋭第23師団を緊急輸送する任務が門司-釜山間で輸送・哨戒任務を行っていた「あきつ丸」に与えられた(任を解かれ急遽9日に日本へ帰還)。この軍隊輸送任務は「あきつ丸」のほか「神州丸」・「摩耶山丸」(甲型)・「吉備津丸」(甲型)の各特種船が受け持ち、これらルソン島行き特種船団は本来のシンガポール行きタンカー船団とともにヒ81船団を編成している。ヒ81船団は優秀な特種船と高速タンカーが主体となり、護衛には海軍の大鷹型航空母艦「神鷹」・松型駆逐艦「樫」および海防艦7隻(択捉、対馬、大東、昭南、久米、第9号、第61号)が就く日本軍としては極めて豪華な編制だった。輸送部隊指揮官は第八護衛船団司令官佐藤勉少将で、「聖川丸」に座乗する。空母「神鷹」には対潜飛行部隊として第九三一海軍航空隊の九七式艦上攻撃機14機が搭載されていた。 護衛にはその「神鷹」と九三一空がある事と大規模な軍隊輸送に専念するため、「あきつ丸」は宇品にて1Fcsと三式連絡機を吉島陸軍飛行場に陸揚げ、そののち歩兵第62連隊・海上挺進第20戦隊・海上挺進基地大隊の将兵・軍馬・物資と、四式肉薄攻撃艇(マルレ)104隻・三式連絡機およびカ号観測機数機(この三連とカ号は在フィリピン部隊用であり「あきつ丸」固有装備の対潜哨戒機ではない)を航空機格納庫や飛行甲板等に満載している。対潜哨戒機を運用しないため輸送物件である肉薄攻撃艇は飛行甲板に積載しているほか、火力強化のためさらに高射砲4基・高射機関砲4基が増設されている。乗員数2576名。 積載作業を完了した「あきつ丸」は11月13日に伊万里へ移動し合流、翌14日6時、ヒ81船団は伊万里湾を出港した。目視が可能な昼間には「神鷹」九三一空の九七艦攻2機が常時飛行し哨戒、また護衛各艦と「あきつ丸」・「神州丸」は水中聴音機を使用し敵潜の接近を警戒していた。だが「あきつ丸」の水中聴音器は故障しがちで、被雷当時は目視監視だったという。 しかし15日正午頃、五島列島沖において護衛艦艇および「神鷹」九三一空機の哨戒の隙を突き、アメリカ海軍の潜水艦クイーンフィッシュ(USS Queenfish, SS/AGSS-393)の発射した2本の魚雷が11時53分、「あきつ丸」の左舷船尾に命中。後部弾薬庫に誘爆、船尾楼部分が吹き飛び、船体の後部1/3は沈下した。飛行甲板に繋留されていた攻撃艇の一部は海に滑り落ち、救助活動に役立ったという。急速に左に傾斜し始めた「あきつ丸」はボイラーが爆発し船橋付近では火災も発生、舟艇ドックにも浸水して転覆、沈没した。ほぼ轟沈だった。沈没地点は五島列島の福江島北西約40km.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度17分 東経128度11分 / 北緯33.283度 東経128.183度 / 33.283; 128.183。または北緯33度05分 東経128度38分 / 北緯33.083度 東経128.633度 / 33.083; 128.633。戦死者は船員93名・船砲隊140名・乗船部隊2,093名に上る。 一部の漂流者は駆逐艦「樫」に救助されたのち、避難先の木浦にて「神州丸」に移乗した。なお、「神州丸」は「吉備津丸」とともに高雄を経て北サンフェルナンド(当初のマニラから変更)へ到着している。
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