破綻経緯とは? わかりやすく解説

破綻経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 04:54 UTC 版)

栗太銀行」の記事における「破綻経緯」の解説

好況期における放漫な貸出姿勢役員関係会社事業への運転資金補填利用され加えて1920年大正9年)春以降貸出先における急激な業績不振明らかになり、栗太銀行業績以降著しく悪化していった。栗太銀行では、固定化資金整理つとめたが長引く不況から好転兆し見えず、また役員による不正貸出風評生じて同行株価1920年大正9年年初150円か半年後には87円まで急落する状況となっていた。このため1921年大正10年上半期資本金500千円から1,000千円に倍化させた。 栗太銀行では、新たに江南商事株式会社設立し同行役員責任者として不良貸付先との交渉担保整理貸付保有不動産売買などを行い不良債権処理努めた。しかし東京渡辺銀行に始まる取り付け騒ぎ巻き込まれ1927年昭和2年4月15日より帳簿整理名目2週間臨時休業発表したが、整理がつかず再度3週間休業発表した4月16日滋賀県知事等が日本銀行京都支店出向し栗太銀行救済につき要請行ない栗太銀行も翌17日預金者らの要求により整理方針公表した。この結果4月19日には「二週間休業発表している栗太銀行では、十七日各重役本社鳩首協議凝らし善後策考究し結果、各重役私財一時投げ出し不動産担保債権全部譲渡して、同銀行の現在金に有価発券等の一切合せて五十万円資金出来るので、貸付回収確実な五十万円合せ預金総額五百六十万円のうち産業組合その他の大口預金この際保留して、現在急を要する支払金三三十万円支払となっておるが従来からの銀行休業経過を辿ると預金額の三分の一あれば十分対策講じられるとなっているので、三百三十万円支払に対して同行では約半分の百五十万円準備資金があるため、確実に整理目鼻がつくものと見られている。」との新聞報道が行われた。 同年5月16日本支店とも一斉営業再開した開業後の新聞では、「金融界動揺の際取付にあって休業した栗太銀行は、その後開業して整理であったが、整理案もほぼ完成し日銀京都支店諒解得て政府救済を受ける見込みもついたので里内頭取等は十六日出県今村知事報告した同行では十八株主総会開き整理案を発表する。」と一応の落ち着きを一旦得た第一次整理案は想定通り、「整理すべき総額は1,006,875円(内990,197円が回収困難な貸金)で、この償却のため減資払込資本金半額切捨てにより40万円)及び諸積立金繰入れ役員私財提供600,687円を充当すること」を骨子したものであった。しかしこの第一次整理案の実行進捗せず、加えて日銀査定により新たに400千円上の不良債権明らかになった結果日銀は「当行整理案ノ実行二依リ内容改善図りタルト同時貸出金回収整理努力来りタルモ其成績意ノ如リ挙ラサルニ預金払戻請求依然トシテマス本行ヨリ、特別融通二依リ辛ウシテ六二応シ来レルモ、依然トシテ危急ノ状態ヲ脱スルコト能ハス当行自立見込益々困難トナレルヲ以テ重役ハ其窮状当局二念へ之力救済ヲ仰ク所アリ二放テ当局ハ県下有力銀行タル八幡及百三十三ノ両銀行ノ内何レカニ合併条件トシテ当行整理斡旋スル所アリタレトモ、既二第一次整理断行セルニモ拘ラス本行査定スル所二依レバ少クトモ猶四十万円以上二達スル欠損存在セルコト判明セル為メ、前記銀行共演当行整理引受ヲ肯セサルニ至リタルヲ以テ当行二全ク自力ヲ以テ単独整理敢行スルノ外野ナキ状態二立到レリ」との発表行ったその後同行1928年昭和3年)に入り第二次整理案「それによると同年3月1日現在400千円欠損があり、これについては払込資本金全額切捨てにより補填し、また預金支払いについては一口金額百円未満場合全額即時支払い百円上の場合は、1928年昭和3年3月25日より4年3月25日まで1力年全額据置1929年昭和4年)から1931年昭和6年3月まで6カ月一回全額の2割を払戻し前後五回で全額払い戻す」を提示した同年3月3日この整理案に対す臨時株主総会開催され併せて栗太銀行役員退任した預金払い戻し結果一回目を行ったのみでその後払い戻し不可能となり、さらに整理過程中に役員らによる不良貸付事実明かとなり、新旧役員対立、そして株主預金者との対立深刻化して栗太銀行整理問題は文字通り泥沼化するに至っている。1929年昭和4年8月28日株主総会では、旧役員らが誠意ある整理を行なわなかったことを株主らが激しく糾弾し、また同月栗太郡野洲郡一部産業組合では、旧役員相手どり補償債務確認請求訴訟提起するなど、旧役員対す非難の声が高められていった。とくに同年10月至り役員らによる不良貸付事実判明し新聞により栗太銀行不正事件として大きく取り上げられるに及び事態はさらに深刻化することとなった結果的に1930年昭和5年1月28日銀は大蔵省から新規取引停止を命ぜられ、営業継続見込み絶たれることとなった新聞では整理直前の状況報道している。「整理中の栗太銀行既報如く…路解散決定し数日来田中支配人ち東上大蔵省報告し解散諒解得たので、来る三十一日定時株主総会附議することになり、総会招集状は一両日中発送される。」、「同行昭和二年四月財界パニック鯨波を受け休業して以来三年ケ月その間新旧重役をめぐる争ひは、銀行奪守争ひ或は訴訟競争手段限りを鑑され、群島被告人として前支配人らを煉獄の下に繋ぎ社会耳目を餐動せしめたのである」との報道が行われ、1930年昭和5年7月31日栗太銀行解散株主総会附議され決定された。なお残った債務をみると、日銀対す債務48,700円、近江信託44,000円、信用組合47,000円、未支払預金57,000円などのほか、580千円不良貸付金残しており、同行整理その後難渋きわめることとなった結果的に1940年昭和15年大蔵省指導による統合方針のもとに、同年11月滋賀銀行営業譲渡され解散する至った1927年昭和2年4月臨時休業発表から1940年昭和15年11月までの13年7ヵ月掛け漸く栗太銀行整理終了した

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