すいちゅうよく‐せん【水中翼船】
【水中翼船】(すいちゅうよくせん)
Hydrofoil(ハイドロフォイル)
船艇の一種で、船首部と船尾部の船底に水中翼と呼ばれるフィンを装備し、船体が水面から浮き上がって航行するもの。
停船時や低速航行中は通常の船艇と同様に船体の浮力で水面に浮く。これをハルボーン(艇走)という。
速度が上がると水中翼が揚力を発生し、船体が水面から飛び上がる。これをフォイルボーン(翼走)といい、水中翼以外は水に触れないため抗力が小さく、高速の航行を可能とする。
浮力ではなく揚力で飛び上がるため、「海の飛行機」とも呼ばれる。
初期のものは半没型と呼ばれるスタイルを取っており、水中翼の両端に大きな上反角を備え、水面から翼端がはみ出していた。
船体が不意にロールした際には翼端が水中に沈んで揚力を発生し、ロールの偏りを復元し、転覆を防ぐ働きを持つ。
しかしこの方法では、ある程度ロールしてからでないと復元力が働かないため、揺動を抑制することは出来ず、乗り心地も悪かった。
また、翼端が船腹よりも横へはみ出すため、通常の岸壁に接舷することができず、ボーディングブリッジを用意したりするなどの手間がかかる。
かわって登場したのが全没型水中翼船である。
船体のわずかな傾きや波などを自動的に検知し、フラップと呼ばれる動翼を能動的に制御するため、揺動を抑えることができ、乗り心地も良い。
この制御システムをACS(Automatic Control System)といい、仕組みが飛行機にかなり近いため、飛行機と同様に頻繁なメンテナンスを必要とする。
(後述のように、アメリカの水中翼艇は航空機メーカー、もしくはその関連企業により建造されたものが多い)
変針するときも舵を切るのではなく、やはり飛行機と同様に少しロールして旋回する。
また、水中翼のウィングスパンを短く設計することが可能で、通常の岸壁などに接舷することもできる。
さらに水中翼を折り畳み式にすることも可能であり、水深の浅い港へ入ることもできる。
軍用としてはアメリカのペガサス級水中翼型ミサイル艇が存在し、そこからイタリアのスパルヴィエロ級、さらに海上自衛隊の1号型が派生している。
船体サイズが小さいものの、全没型のため大きなうねりには強いが、波長の短い三角波には比較的弱く、外洋での実用性は低いとされる。
一方でペガサス級を幅広・低重心化した民間船「ジェットフォイル」は、日本を中心に多数の航路がある。
主な軍用水中翼船
水中翼船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/30 02:57 UTC 版)
水中翼船(すいちゅうよくせん)、または、ハイドロフォイル(Hydrofoil) とは、推進時に発生する水の抵抗を減らす目的のため、船腹より下に「水中翼」(すいちゅうよく)と呼ばれる構造物を持った船。
- ^ 「人力水中翼艇」サイエンス、1987年2月号、日本経済新聞社など
- ^ http://moth-sailing.org/
- ^ え?ヨットって飛ぶの!?空飛ぶヨットを徹底解剖! - ソフトバンクニュース・2016年11月9日
- ^ THE AMERICA'S CUP CLASS AC75 BOAT CONCEPT REVEALED - アメリカスカップ公式サイト・2017年11月20日
- ^ フォイル vs 非フォイルの戦い。大西洋アフリカ沖を南下して赤道地帯へ - BULKHEAD magazine Japan・2016年11月14日
- ^ hovercraft-museum.org. “Musthorn1”. 2009年9月9日閲覧。
- ^ Diego Brozzola. 1999. Aerei Italiani - "Il mio Idroplano" (Italian) 2009-12-10閲覧
- ^ SRI International (1961年). “The Economic Feasibility of Passenger Hydrofoil Craft in U.S. Domestic and Foreign Commerce.”. 2009年9月9日閲覧。
- ^ foils.org. “Enterprise”. 2009年9月9日閲覧。
- ^ “ヤマハ 30年を経て湖上に蘇った夢の「水中翼船」”. ワールドジェットスポーツマガジン社. 2023年1月30日閲覧。
水中翼船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:46 UTC 版)
「アレクサンダー・グラハム・ベル」の記事における「水中翼船」の解説
アメリカ人で水中翼船を研究していたウィリアム・E・ミーチャムは、サイエンティフィック・アメリカン誌1906年3月号の記事で水中翼の基本原理を解説した。ベルは水中翼船を完成させたら大きな発明になると考えた。そこでこの記事に基づいて水中翼船のスケッチを描き始めた。ベルと助手のフレデリック・W・ボールドウィン(英語版)は1908年夏、水中翼船の原理が水上からの航空機の離陸方法に使えるのではないかと考え、実験を開始した。ボールドウィンはイタリアの発明家エンリコ・フォルラニーニの業績を研究し、模型での試験を開始。それによりベルとボールドウィンは軍用の水中翼船の実用化に向かうことになった。 1910年から1911年にかけて世界旅行に赴き、ベルとボールドウィンはフランスでフォルラニーニと面会し、マッジョーレ湖でフォルラニーニの水中翼船に乗った。ボールドウィンは飛んでいるように滑らかだったと描写している。バデックに戻るといくつかの模型を作って実験を開始。中でも Dhonnas Beag は彼らとしては初の自力推進する模型だった。概念実証を経て、より実用的なHD-4を開発。これは、ルノー製エンジンを搭載した水中翼船である。最高時速87キロを達成し、水中翼の効果で加速が早く、波が高くても安定して操縦可能だった。1913年、ベルはシドニー出身でノバスコシア州ウェストマウントでヨット作りをしていたウォルター・ピノードを雇って、HD-4の改良をさせた。ピノードはベイン・バリーの小型造船所を引き継ぎ、ヨット作りの経験を生かしてHD-4のデザインを改良。第一次世界大戦後、HD-4の改良を再開。ベルはアメリカ海軍に報告書を提出し、1919年7月に350馬力のエンジン2基を提供された。1919年9月9日、当時の水上の世界記録である時速114.0キロを達成し、その記録は10年間破られなかった。
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「水中翼船」の例文・使い方・用例・文例
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