村上源氏とは? わかりやすく解説

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むらかみ‐げんじ【村上源氏】

読み方:むらかみげんじ

村上天皇皇子具平(ともひら)親王の子師房(もろふさ)に始まる源氏一流堀川久我(こが)・土御門(つちみかど)・中院(なかのいん)・岩倉六条などの諸家分かれ公家として栄えた


村上源氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/17 02:49 UTC 版)

源氏二十一流 > 村上源氏
村上源氏
竜胆車りんどうぐるま(代表的な家紋
※ 各、村上源氏によって異なる。
本姓 朝臣
家祖 第62代村上天皇皇子諸王
種別 皇別
出身地 山城国
著名な人物 村上源氏の人物一覧参照
支流、分家 久我家公家
中院家(公家)
堀川家(公家)
土御門家(公家)
久世家(公家)
東久世家(公家)
植松家(公家)
六条家(公家)
梅渓家(公家)
愛宕家(公家)
千種家(公家)
岩倉家(公家)
北畠家地下家のち武家
赤松家武家)など
凡例 / Category:日本の氏族

村上源氏(むらかみげんじ)は、第62代村上天皇皇子を祖とする源氏氏族で、賜姓皇族の一つ。姓(カバネ)は朝臣

概要

源氏には祖とする天皇別に二十一の流派(源氏二十一流)があり、村上源氏はそのうちの一つで村上天皇から分かれた氏族である。致平親王為平親王具平親王の各皇子を祖とする3つの流派がある。

後の世になって具平親王の子孫の中院流が時流に乗って最も栄えることになり、久我家嫡流)や中院家を始めとして10家の堂上家を輩出し、源氏系の公卿では筆頭を占めた。

歴史

村上源氏の中でも最も栄えたのは、具平親王の子・資定王(のち源師房)の中院流の流れである。資定王は2歳で父親と死に別れ、姉である隆姫女王に育てられた。隆姫が後に摂政藤原頼通正室となると、子供のなかった頼通は養子縁組をするために資定王を臣籍降下させ、源師房と名を改めた。頼通の父・藤原道長も師房を寵愛して娘の尊子を嫁がせた上に、頼通に男子が生まれなければ師房を藤原氏に改姓させて摂関家を相続させても構わないと言ったとされている。

師房が摂家を継ぐことはなかったものの、師房の娘・麗子藤原師実、師房の次男である 源顕房の娘・師子は藤原忠実の正室となり、藤原頼長が「彼の右府(師房)外戚先祖と為す」[1]と記すなど結びつきは強く、子孫からは多くの大臣を輩出した。顕房の娘・賢子が産んだ堀河天皇の治世では、「左右大臣、左右大将、源氏同時に相並ぶ例、未だ此の事あらず」[2]、「近代公卿廿四人、源氏の人半ばを過ぎるか、未だ此の如き事あらんか」[3]とあるように天皇の外戚として隆盛を極めた。源顕房の長男・源雅実は源氏として初めて太政大臣となる。その後、天皇の外戚の地位は藤原氏閑院流に奪われて源氏の勢力は後退する。

鎌倉時代になり、中院流嫡流の源通親九条家に対抗し後白河法皇後鳥羽上皇院政下で活躍し、土御門天皇の外祖父として権勢を振るった。

通親の子・源通光以降は久我を家名とした。足利義満が太政大臣となるまでは清華家である久我家・堀川土御門・中院の4家が交互に源氏長者を世襲したが、室町時代に堀川・土御門両家が断絶し[4]、久我・中院両家の世襲となる。

久我家からは大臣家となる中院家やその分家筋である北畠家岩倉家六条家の分家である千種家のほか、合計10家の堂上家を輩出した。南北朝期北畠親房顕家父子と千種忠顕幕末岩倉具視も村上源氏の支流にあたる。

その一方、村上源氏雅兼流と自称した名和氏や、同じく村上源氏季房流と自称した室町時代の守護大名赤松氏(および奥平氏)など、村上源氏の後裔と称する武家も数多く存在する。

系譜

村上天皇諸皇子系譜


具平親王流(嫡流)系図、中院流諸家略系図
村上源氏の嫡流である中院流は、江戸時代末には堂上公家のうち1清華家・1大臣家・8羽林家(計10家)を占めていた。
系図の詳細については各家項目の系図を参照。



為平親王流系図

主な村上源氏

氏族

人物

著名な村上源氏姓の人物に関しては、村上源氏の人物一覧を参照。

脚注

  1. ^ 台記』久安元年(1145年)5月10日条。
  2. ^ 中右記寛治7年(1093年)12月27日条。
  3. ^ 『中右記』康和4年(1102年)6月23日条。公卿24人の内訳は源氏12名、藤原氏11名、大江氏1名であり、源氏藤原氏を上回った。なお、源氏は村上源氏が8名、醍醐源氏が3名、宇多源氏が1名、藤原氏は摂関家が2名、花山院流が4名、閑院流が2名、中御門流が2名、小野宮流が1名である。
  4. ^ 江戸時代まで堂上家として続いた堀川・土御門家はそれぞれ藤原氏・安倍氏の子孫である。

関連項目


村上源氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 16:03 UTC 版)

源氏」の記事における「村上源氏」の解説

62村上天皇の子孫。天暦御後詳細は「村上源氏」を参照第七皇子具平親王の子藤原頼通猶子となった右大臣源師房の子孫は多数公卿輩出し栄えた。師房の子源俊房源顕房兄弟それぞれ左大臣右大臣に昇った。俊房流も院政期までは公卿出したが、以後没落した。顕房の嫡男源雅実源氏で初の太政大臣となり、その子孫数多く大臣輩出して村上源氏の嫡流となり、殊に平安時代末期源通親著名である。室町時代足利将軍家奪われるまで源氏長者は村上源氏が独占した。雅実流からは清華家一つである久我家をはじめ多数堂上家分立し明治維新に至るまで堂上公家としての地位保った堂上公家久我家清華家)、中院家大臣家)、六条家羽林家)、岩倉家羽林家)、千種家羽林家)、久世家羽林家)、東久世家羽林家)、梅渓家羽林家)、愛宕家羽林家)、植松家羽林家氏族北畠氏など 村上源氏 系図 太線実子。細線は養子苗字無し臣下下った源氏一部苗字無しは僧)。 〈源氏(村上源氏)〉[vol.1 広平親王昌平親王] 村上天皇成明親王) ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓ 広平親王 憲平親王 致平親王 為平親王 ┏━━━━━┫ ┏━━━┳━━━╋━━━┓ 師貞親王 居貞親王 憲定 頼定 為定 顕定 〈源氏(村上源氏)〉[vol.2 守平親王昌平親王] 村上天皇成明親王) ┣━━━━━┓ 守平親王 昌平親王懐仁親王 ┣━━━━━┳━━━━━━━━━━━┳━━━━━┓ 敦康親王 敦成親王 敦良親王 脩子内親王 ┃ ┣━━━━━┓ ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓ 嫄子女王 章内親王 馨子内親王 親仁親王 尊仁親王 良子内親王 娟子内親王源氏(村上源氏)〉[vol.3 具平親王永平親王] 村上天皇成明親王) ┣━━━━━┓ 具平親王 永平親王 ┣━━━┓ 師房 隆姫 ┣━━━┳━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 俊房 顕房 仁覚 師忠 妧子 澄子 麗子 ┣━━━━━━━━━━━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ ┣━━━┓ 師頼 師時 師俊 勝覚 仁寛隆 寛遍 ┣━━━┓ ┃ ┃ 師教 師光 師仲 俊隆 ┏━━━┻━━┓ ┃ ┃ 具親 後鳥羽院宮内卿 雅仲 皇嘉門院別当 〈村上源氏顕房流〉 顕房 ┣━━━━━━━━━━━━━┳━━━━┳━━━━━━━━━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 雅実 顕仲 雅俊 国信 信雅 顕雅 雅兼 定海 賢子 師子 ┣━━━━━━━┓ ┃ ┣━━━┳━━━┓ ┃ ┃ ┣━━━┓ 顕通 雅待賢門院堀河 憲俊 元海 寛雅 信時 成雅 雅綱 定房 ┣━━━┓ ┣━━━┓ ┃ ┃ ┃ ┃ 雅通 明雲 雅通 定房 公胤 俊寛 顕信 宗雅 ┃ ┃ 通親 顕兼 ┏━━━┳━━━╋━━━┳━━━┳━━━┓ 通宗 通具 通光 定通 通方 道元

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