新天地
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しんてんち (新天地)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 05:40 UTC 版)
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上海新天地 | |
各種表記 | |
簡体字: | 新天地 |
拼音: | Xīntiāndì |
英文: | Xintiandi |
新天地(しんてんち、拼音: )は中華人民共和国上海市に2000年に新しく開発された地区。レストラン、ショッピングセンター、事務所ビル、住居用マンションを含む。夜のバー街が特に有名になって、上海の観光名所ともなっている。
香港に本部がある瑞安集団のシュイオン・ランド(Shui On Land、瑞安房地産)が開発したもの。
概要
上海市街区の石庫門と呼ばれる、古い建物が残る地域を再開発して2000年に開業し、いまはレストラン、ショッピングセンター、事務所ビル、住居用マンションを含んでいる。夜のバー街が特に有名になって、上海の観光名所ともなっているので、大変混んでいる。敷地は興業路によって北里と南里に分かれている。
香港に本部がある瑞安集団のシュイオン・ランド(Shui On Land、瑞安房地産)が開発したもので、その後中国の他主要都市に「○○天地」の開発が進んでいて、杭州(西湖天地)、重慶、武漢、大連(大連天地ソフトウェアパーク)などにもある。
一角には中国共産党の設立会議である中共一大会議の会址とその記念館がある。
アクセス
- 一大会址・黄陂南路駅から南へ3分で北里の北側へ。
- 一大会址・新天地駅から北へ4分で南里の南側へ。
外部リンク
- 新天地(日本語公式ページ)
新天地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 23:34 UTC 版)
「1958年のメジャーリーグベースボール」の記事における「新天地」の解説
ドジャースがブルックリンからロサンゼルスへ、ジャイアンツがニューヨークからサンフランシスコへ移った。ドジャースのオマリーはここまでロサンゼルスへの移転の準備を慎重に進めていたが、ジャイアンツのストーンハム会長は急転直下の決断で準備が不足し、球場用地を確保しつつ、当分の間はサンフランシスコ・シールズの本拠地シールズ・スタジアムを借用することにした。しかしこのマイナーリーグで使われた球場は2万2,900人程度の収容力しかなく、ドジャースが広く大きなロサンゼルス・メモリアル・コロシアムを借用して、移転したこの年に年間184万5,556人の有料入場者を集めたのに対して、ジャイアンツは127万2,625人であった。それでも前年のニューヨークで65万923人に比べ、倍近い観客動員数であった。 すぐに新しい球場をサンフランシスコ市の南で海に近いキャンドルスティック岬に建設する方針を立て、ジャイアンツの経営陣は暖かく晴れた日の昼に下見して湾を見下ろす岬に球場を作ることを決めた。この新球場は2年後の1960年に完成しキャンドルスティックパークと呼ばれた。すぐにこの球場は夕方になると猛烈な海からの強風に悩まされ、霧も出て夏でも毛布とダウンコートが必要であり、しかもアブや蛾などの虫に悩まされることで有名な球場となった。一方ドジャースは、移転前からオマリーが土地を購入し、ロサンゼルス市が球場を建設して、ドジャースが借りる形でドジャースタジアムの建設を進め1962年に完成した。それまでは1932年の夏季五輪のメイン会場で後の1984年の夏季五輪でもメイン会場となったロサンゼルス・メモリアル・コロシアムを4年間使用した。 最大で9万人を収容できるスタンドはすぐに観客動員数の新記録を作った。しかし選手にとっては、このコロシアムは不評であった。もともと陸上競技場として建設されフットボール場としても使われた卵型の形状なので、そこへ野球を行うために左翼76.7m、左中間97.5m、中堅128m、右中間134m(仮フェンスまで115.8m)、右翼119m(仮フェンスまで91.4m)という歪な球場であった。右翼方向は観客席までの間に仮フェンスを置いてラッキーゾーンとしたが、だだっ広い芝生だけの空き地であり、左打者にとっては不利な球場であった(エベッツ・フィールドは左翼106m、中堅120m、右翼90.5m)。左打者のデューク・スナイダーはそれまで本塁打40本以上を5年続けて打っていたが、1958年以降20本にのせたのは1回だけ(翌年23本)で、あとは10数本に落ちた。彼は「ここを野球場と呼ぶことは出来ない」と語った。逆に右打者にとってはポロ・グランズ並みの左翼の近さでネットで12mの高さに補強しても、高いレフトフライを打ち上げれば簡単にスタンドに入ることからスイッチヒッターが右投手の場合でも右打席に入ったこともあったという。ドジャースは50年代の強力な打線から、60年代にコーファックスとドライスデールの左右のエースを持つ投手王国へ変わっていった。 1958年4月8日、ロサンゼルス・メモリアル・コロシアムで最初のメジャーリーグ試合として、ドジャース対ジャイアンツ戦が行われ、ビジターのジャイアンツが勝ったこの試合の観客数は7万8,672人で、3連戦で16万7,204人を集めた。
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