幕政参与とは? わかりやすく解説

幕政参与

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 03:04 UTC 版)

徳川斉昭」の記事における「幕政参与」の解説

嘉永6年1853年6月マシュー・ペリー浦賀来航に際して老中首座阿部正弘要請により海防参与として幕政に関わったが、水戸学立場から斉昭は強硬な攘夷論主張した。このとき江戸防備のために大砲74門を鋳造し弾薬と共に幕府献上している(うち1門が水戸常磐神社現存)。江戸石川島洋式軍艦旭日丸」を建造し幕府献上した安政2年1855年)には那珂湊反射炉建設し鉄製大砲鋳造した安政2年1855年)に軍制改革参与任じられるが、同年安政の大地震藤田東湖戸田忠太夫らのブレーン死去してしまうなどの不幸もあった。安政4年1857年)に阿部正弘死去して堀田正睦名実共に老中首座になると、さらに開国論に対して猛反対し、開国推進する彦根藩主井伊直弼対立する。 さらに第13代将軍徳川家定将軍継嗣問題で、紀州藩主徳川慶福擁して南紀派形成する井伊直弼に対して実子である一橋当主徳川慶喜擁して一橋派形成し、直弼と争った。しかしこの政争で斉昭は敗れ安政5年1858年)に直弼が大老となって日米修好通商条約独断調印し、さらに慶福家茂)を第14代将軍とした。 このため安政5年1858年6月24日将軍継嗣問題及び条約調印をめぐり、慶篤や甥である尾張藩主徳川慶恕と共に江戸城無断登城の上井伊直弼詰問したため、逆に直弼から7月江戸水戸屋敷での謹慎命じられ幕府中枢から排除された。 孝明天皇による戊午の密勅水戸藩下されたことに直弼が激怒安政6年1859年)には、水戸での永蟄居命じられることになり、事実上政治生命絶たれる形となった安政の大獄)。

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幕政参与

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越後長岡藩」の記事における「幕政参与」の解説

譜代大名としての立身それほど早くはなく、江戸時代前半には幕閣名を連ねた藩主もほとんど出なかった。しかしその後藩主牧野家において公卿諸大名との婚姻・養子縁組積極的に進められ江戸後期には幕閣にも名を列ねるようになった寺社奉行京都所司代務めた牧野貞通の子立て続け藩主迎え、また松平定信親族連なったこともあり、牧野忠精天明元年1801年)に老中に任ぜられ、寛政の遺老一人として名を残した。 忠精に仕えた山本老迂斎勘右衛門義方)は、6人の主君補佐した名家老として著名であり、特に忠精に対して老骨に鞭を打って献身的に尽くし帝王学授けた。 この忠精を皮切りに幕政重きをなすようになり、忠精、忠雅、忠恭と3代続いて老中出した。 しかし、幕政参与のために借金かさんで財政悪化し、藩内で財政改革策を講じなければならなかった。天保の改革直前天保11年1840年)には庄内藩川越藩との三方領地替え計画され牧野家川越藩移されそうになった長岡藩内では特に反対の声は上がらず動揺しつつも準備進めていたが、庄内藩領民反対運動起こったために計画見送られた。

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