【射出座席】(しゃしゅつざせき)
炸薬やロケットエンジンを備え、座った人間を椅子もろとも機外へ叩き飛ばす機能を備えた座席。
大抵は座席の股下部分にフックがあり、これを引くことで射出される。
航空機が墜落を避けられなくなった時に使用され、機体からの緊急脱出とパラシュートによる着陸を補助する。
着地後の遭難が想定されるため、救難信号ビーコン、自衛用の拳銃、サバイバルキット、記録装置などを組み込む事も多い。
航空機から空中降下してパラシュートで着地する場合、機体の下側もしくは後ろ側から降りなければならない。
前方や上側から降りようとする場合、尾翼などに激突して死亡する恐れが高いためである。
しかしコックピットは視界確保の関係で必ず機体の最前面に配置されているため、緊急時の脱出は危険を極める。
この問題への対策として、乗員を速やかに機体から離脱させるために開発されたのが射出座席である。
ただし、射出座席でも急加速による強烈なG、航空機の速度で叩き付ける風圧などの危険は已然として残っている。
訓練せずに使用すれば脊椎損傷や骨折の危険を伴い、パラシュート降下にも訓練を要する。
また、機体操縦を放棄する事が前提となっているため市街地や輸送機での使用も推奨されない。
このため、機体とパイロットの損失が不可避な軍用機・曲技機でのみ用いられる。
初期の射出座席は、射出時に機体が十分な高度と速度を維持している必要があった。
現行の最新型においては射出用にロケットモーターを利用することにより、機体が地上に置かれて速度・高度ともにゼロの状態でも安全な射出が可能となっている。
しかしこれは強力なロケットで射出されるという意味でもあり、火薬よりは安全性が増したものの、前述の通り肉体的な負担による危険性の回避には至っていない。
このため、射出時にシートベルトを自動的に締め付けて適正な姿勢で固定するタイプが主流となっている。
特殊な例としてはB-58に搭載されたもののように、低速時は通常の射出座席として機能するが、高速時にはシールドが閉鎖されて脱出カプセル状になる機種も存在する。
関連:マーチンベイカー ズベズダ設計局 K-36 Su-26
射出座席
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/30 08:18 UTC 版)
射出座席 (しゃしゅつざせき) は、軍用機から非常時に脱出 (ベイルアウト、英: bailout) するための装置。作動させると、搭乗者は座席ごとロケットモータなどによって機外へと射ち出され、パラシュートで降下する。主に戦闘機など小型の軍用機に装備されている。射出時には搭乗者には通常12G - 14G程度(1960年代から1970年代のソビエトの射出座席は20G - 22Gで人間の耐久限界を超えていた。)の加速度が掛かるため、訓練経験がないと脊髄損傷の危険がある。
- 1 射出座席とは
- 2 射出座席の概要
射出座席
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 04:11 UTC 版)
「マーチンベーカー・エアクラフト」の記事における「射出座席」の解説
マーチンベーカー社はドイツとスウェーデンが同様の機構を計画した1938年に数年先だつ1934年から射出座席の研究を始めていた。同社は火薬の爆発力で作動する射出座席が最適な策であると結論に達した。1942年の試験飛行中のベイカーの死はマーチンに操縦士の安全性を確保することが自身の主たる目標であるとの認識をさせることに重大な影響を与え、後に会社を射出座席に特化した企業へと変えることとなった。 1944年にジェームズ・マーティンは操縦士の脱出の補助となる機構を備えた戦闘機を開発する可能性調査のために当時の航空生産省に招かれた。幾つかの脱出方法を検討してみると、最も効果的で安全な方法は乗員を座らせたまま座席を強制射出することであり、これを最も効率的に行うのは火薬の爆発によるものであることが間もなく判明した。射出後に操縦士は座席と分離し、通常の方法と同じく開傘索を引いてパラシュートを開いて降下した。 当時は人体が圧縮力を生じる上向きの推進力というものに耐え得るかということについての情報が無かった。航空機のカタパルトからの発進による水平方向にかかる幾分弱い"g"に関するデータはあったが、これはこの新しい問題には適用できなかった。それ故に人体が耐え得る上向き"g"の値を見極めるための試験を実施する必要性が生じ、ほぼ垂直の方向に搭乗員の重量を搭載した座席の射出と発生する加速度の測定という案が承認された。 1本の脚がガイドレールとなった三脚状の高さ16フィートの試験リグが製作された。発火した薬莢により作動する2本の伸縮式チューブでできた銃により座席がガイドレールに沿って上昇した。ガイドレールには3インチ毎にラチェット状のストッパーが設けてあり、これにより座席はガイドレールの終端で自動的に停止するようになっていた。 実験は人体が耐え得る上向き加速度の限界を計るために行われた。200 lbの荷重をかけた座席での最初のダミー射出が1945年1月20日に行われ、4日後にマーチンベーカー社の実験技術員の1人バーナード・リンチ(Bernard Lynch)が初めてリグ上で4フィート8インチの高さまで打ち上げられる「生身」の着座を実施した。更に3回の試験を行い10フィートの高さに到達するまでに徐々に薬莢の炸薬量が増やされたが、この段階でリンチはかなりの身体的苦痛に襲われたと報告した。1946年7月24日にオックスフォードシャーのチャルグローブ飛行場上空で高度8,000フィート (2,400 m)を対気速度計上320マイル毎時 (510 km/h)で飛行するグロスター ミーティアからリンチを射出した初の実地テストは成功を収めた。 実際に配備されてから初めて射出座席を使用したのは1949年5月のアームストロング・ホイットワース AW.52全翼実験機のパイロットであった。 マーチンベーカー社は低高度/低速度でも使用が可能となるように射出座席の作動領域を拡大する面でもパイオニアであり、ついには射出座席に高度0/速度0でも使用可能なゼロ/セロ射出能力を持たせるまでになった。 マーチンベーカー社は自社製の射出座席で生還した人々に対するネクタイ、バッジ、認証書、ネクタイピンや会員証を作成して「イジェクション・タイ・クラブ」("Ejection Tie Club,")のスポンサー活動を行っている。1957年にこのクラブが設立されて以来2012年までに5,800名がここの会員に登録されている。
※この「射出座席」の解説は、「マーチンベーカー・エアクラフト」の解説の一部です。
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