学校統合
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「ときめきメモリアルONLINE」の記事における「学校統合」の解説
正式サービス開始から半年以上が経過したものの、β2テストからのデータ引継ぎがあったサーバと正式サービス開始と同時に開設されたサーバとでは登録キャラクター数に大きな差があった。また7サーバとも定員に達しておらず、また正式サービスより開設された2サーバに至っては全26クラスの半分も埋まっていないという閑散とした状況であった。そのため、当時稼動していた7サーバを2サーバに統合する計画が発表された。実施日は2006年11月8日と決定され、予定通り実施された。 具体的な方策としては次の通り。 かがやき・さざなみ・ゆうなぎ高校を新サーバ1に、さくらの・いずみの・すみれの・あさぎり高校を新サーバ2に統合した。新サーバの名称(学校名)は10月中にプレイヤーから公募し、その中から投票によって新サーバ1=「はるかぜ高校」、新サーバ2=「ひだまり高校」と決定された。 11月8日の定期メンテナンスの時間を延長し、その中でサーバ統合作業を行った。そこで登録キャラクターを旧サーバのクラス単位で切り分け、それをバランスよく組み合わせて新たな受け皿サーバの26クラスに再編成した。つまり、旧サーバで同じクラスだったキャラクターはそのままセットで新サーバのクラスに転籍したことになった。 統合によってキャラクター名の重複が発生する可能性があるが全てのキャラクターに固有の番号を付与し、その番号で区別することで名前の重複を可能にする計画が進行していた。 旧サーバを表す漢字1文字(前節の記載順に「輝・桜・泉・漣・菫・朝・夕・春・陽・皐」)を全キャラクターの名前に付与した。例えば旧かがやき高校の「山田 一郎」は「山田 一郎@輝」と、統合後のはるかぜ高校で新たに登録された「山田 一郎」は「山田 一郎@春」とそれぞれ表示されるようになった。 追って全キャラクターに固有の番号(学籍番号)を付与し前項で付与された漢字1文字を取り払う予定となっていたがサービス中止決定に伴い、このプランも中止された。従って、旧サーバを表す漢字1文字はサービス終了まで付与されたままとなった。
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学校統合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/21 14:21 UTC 版)
小学校令改正により義務教育が6年に延長され、1908年(明治41年)から磯部村内の尋常小学校を統合することが議論され始めた。村内7つの校舎増築と教育費増大という金銭的負担が理由である。これに対して反対陳述書が出されるなどしたが、時の村長・坂本庄太郎は「一村一校主義」を貫き、1票差で統合議案は可決され、1911年(明治44年)4月1日に村内の7尋常小学校を統合して磯部尋常小学校を設立した。旧恵利原尋常小学校を仮の本校とし、五知・伊雑・飯浜・築地・坂崎の5分教場を置いた。翌1912年(明治42年)には磯部高等小学校と合併し、磯部尋常高等小学校に改称、新校舎の着工に至った。当時、恵利原1275番地(現校地と同じ)を本校とし、五知・伊雑・飯浜・築地・坂崎・修養・穴川・恵利原・下之郷の9つの仮教場を置いた。仮教場へは尋常科4年生までが通い、尋常科5年生と高等科生は本校通学、尋常科6年生は恵利原と下之郷の仮教場に分かれて通学した。 1914年(大正3年)3月8日、新校舎落成式が挙行された。同日の午後には運動会も開催され、村民一同で落成を祝した。新校舎は平屋建で12教室と職員室、児童読書室、宿直室、休養室、用務員室、物置室、応接室、機械室、奉安殿を有し、校庭には農舎と実習地があった。さらに五知・伊雑・飯浜・築地・坂崎の5分教場を設置していたことから、当時の三重県では稀にみる大規模校であった。また、当時の校長の学校経営手腕と教員の熱心な教育研究により、三重県内各地から参観者が訪れるほどであった。1919年(大正8年)には尋常科6年と高等科2年が初めての修学旅行に出かけ、2泊3日で奈良・京都・大阪を周遊した。ほかに運動会・学芸発表会・時の記念日にちなんだ「早起き会」などの学校行事があった。 1921年(大正10年)には講堂が新築され、一部は教室としても利用された。1924年(大正13年)5月13日、磯部村議会は三重県庁へ校地を横断する三重県道鳥羽浜島線(現・三重県道61号磯部大王線)の改修を要望して受容され、1928年(昭和3年)には校地の拡張と校舎の増築を行い、学校環境の整備を進めた。 1941年(昭和16年)4月1日、磯部村国民学校に改称する。昭和初期は「八紘一宇」と書かれた基石の上に日の丸がはためき、教育勅語奉読が増え、修身教育のために二宮金次郎の銅像が卒業生から寄贈され、軍国主義が浸透していった。太平洋戦争が始まると出征兵士の見送り、体力錬成、校庭でのサツマイモ栽培が行われた。校舎のほとんどは護京部隊に接収され、雨の日は廊下で、晴れの日は近くの穂落宮で授業が行われる状態であった。戦況厳しい中、時の村長・前田林蔵は平和な時代が来て校地を拡張できるよう、小学校の北側の土地を村有地とした。後にこの村有地は磯部村立磯部中学校の校地として利用されることになる。
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学校統合
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1950年代以降には金甌・桃園・桃谷・東平の4校が地域にあったが、4校とも都心部のドーナツ化現象などを受け、1960年代後半頃からは児童数の減少傾向が深刻な問題となっていた。 そのため4小学校統合の話が具体化した。4小学校を統合するのは、学制改革による新制小学校制度の発足以降では大阪市で初となり、また当時の日本でも初めてだったとされる。 統合準備が進められ、1991年3月に前身校4校が閉校となり、1991年4月1日付で大阪市立中央小学校が開校した。中央小学校は旧金甌小学校敷地を転用した。中央小学校開校にあわせ、校舎を建て替えている。 旧桃園小学校跡は児童公園となっている。旧桃谷小学校跡は社会福祉会館となった。また旧東平小学校跡地の一部を転用し、高層マンションが建てられている。
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学校統合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 08:41 UTC 版)
大阪市教育委員会は2010年代に入り、大阪市立の普通科系高等学校の再編方針を打ち出した。背景には、少子化の進行による生徒数の減少や、大阪府教育委員会と大阪市教育委員会が連携して2013年11月に打ち出した「2018年度までに府立・大阪市立あわせて7校程度の公立高校統廃合を検討する」方針があった。 大阪市高等学校教育審議会は2017年1月23日、「本市普通科系高等学校の在り方について(第12次答申)」を大阪市教育委員会に提出した。答申では、市立普通科系高等学校7校を設置学科の特徴によって「スポーツ体育系」「理数系」「言語系・実業系および総合学科」の3グループに分類し、「言語系・実業系および総合学科」の同一グループに分類された大阪市立西高等学校・大阪市立扇町総合高等学校および大阪市立南高等学校について、英語力やICT活用力・市立としての強みを生かした高大連携などをおこなう新たな普通科系高等学校としての検討を提言した。 2017年7月14日の大阪市教育委員会会議において、南高等学校・西高等学校・扇町総合高等学校の大阪市立3高校を1校に統合し、2022年4月1日に従来の扇町総合高等学校の校地(北区松ヶ枝町)に新しい普通科系高等学校を開校させる計画が原案どおり了承された。 統合方針に伴い、統合対象の3校についても2020年度・2021年度の学科および入学者選抜の再編成がおこなわれ、2018年10月2日の大阪市教育委員会会議で基本方針が承認された。新普通科系高校では「教育」に関する内容を学習の軸に据えることに対応する形で、統合対象の3校の新学科についても教育に関連する内容を取り入れた学習内容とした。これに伴い、南高等学校は2020年度より英語探究科を設置し、従来の英語科・国語科は募集停止となった。 統合新校の名称はその後、2020年5月に「桜和(おうわ)高等学校」に決定した。2020年5月26日に大阪市会で統廃合関連の条例案が可決されたことにより、2022年4月1日付での桜和高等学校の設置と、南高等学校が桜和高等学校敷地に移転することが正式に決定した。 また大阪市と大阪府の方針により、大阪市立の高校全校を大阪府に移管する方針が具体化し、2020年12月に大阪市会および大阪府議会で移管に関連する条例が可決された。これに伴い大阪市立の高等学校は2022年度より大阪府に移管されることになった。 2022年以降の南高等学校の生徒については学籍は卒業まで同校のままとなった上で、大阪府立となり、在校生が在籍する2022年度および2023年度は桜和高等学校と併存することになる。南高等学校の在校生は2022年4月以降、桜和高等学校の校舎(大阪市北区松ヶ枝町、従来の大阪市立扇町総合高等学校敷地)で学ぶ。その後2024年3月の閉校が予定されている。
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学校統合
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「大阪市立扇町総合高等学校」の記事における「学校統合」の解説
大阪市教育委員会は2010年代に入り、大阪市立の普通科系高等学校の再編方針を打ち出した。背景には、少子化の進行による生徒数の減少や、大阪府教育委員会と大阪市教育委員会が連携して2013年11月に打ち出した「2018年度までに府立・大阪市立あわせて7校程度の公立高校の募集停止・統廃合を検討する」方針があった。 大阪市高等学校教育審議会は2017年1月23日、「本市普通科系高等学校の在り方について(第12次答申)」を大阪市教育委員会に提出した。答申では、市立普通科系高等学校7校を設置学科の特徴によって「スポーツ体育系」「理数系」「言語系・実業系および総合学科」の3グループに分類し、「言語系・実業系および総合学科」の同一グループに分類された大阪市立南高等学校・大阪市立西高等学校および大阪市立扇町総合高等学校について、英語力やICT活用力・市立としての強みを生かした高大連携などをおこなう新たな普通科系高等学校としての検討を提言した。 2017年7月14日の大阪市教育委員会会議において、南高等学校・西高等学校および扇町総合高等学校の大阪市立3高校を1校に統合し、2022年4月1日に従来の扇町総合高等学校の校地に新しい普通科系高等学校を開校させる計画が原案どおり了承された。 統合方針に伴い、統合元の3校についても2020年度・2021年度の学科構成および入学者選抜の再編成がおこなわれ、2018年10月2日の大阪市教育委員会会議で基本方針が承認された。扇町総合高校については従来の総合学科1学年5学級編成から、2020年度および2021年度入学生については1学年2学級編成に減員され、また総合学科の「系列」も従来の6系列から4系列に再編された。2021年度を最後に新入生の募集が停止された。 統合新校の名称は、2020年5月に「桜和(おうわ)高等学校」に決定した。2020年5月26日に大阪市会で統廃合関連の条例案が可決されたことにより、2022年4月1日付での桜和高等学校の設置と統合が条例上も正式に決定した。 また大阪市と大阪府の方針により、大阪市立の高校全校を大阪府に移管する方針が具体化した。大阪市と大阪府は2019年7月にプロジェクトチームを設置し、2019年9月までに市立高校の府立移管方針を基本合意した。その後具体的な折衝がおこなわれ、大阪府教育委員会は2020年8月31日の教育委員会会議で、市立高校の府立移管・府立としての受け入れ方針を承認した。 2020年12月に大阪市会および大阪府議会で移管に関連する条例が可決・成立した。これに伴い大阪市立の高等学校は2022年度より大阪府に移管されることになった。 2022年度に開校予定の桜和高等学校は府立高校として開校する。また2022年4月時点での在校生については、府立へと移管された上で、西高等学校・南高等学校・桜和高等学校の生徒と同じ校舎(現扇町総合高校敷地)で授業を受けることになる。在校生が卒業する2024年3月の閉校が予定されている。
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学校統合
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「神奈川県立上郷高等学校」の記事における「学校統合」の解説
神奈川県立港南台高等学校と統合し、2009年(平成21年)4月6日より、単位制普通科高校・神奈川県立横浜栄高等学校となった。設備は上郷高校のものを使用する。
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学校統合
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「栃木県立足利女子高等学校」の記事における「学校統合」の解説
栃木県の「第二期県立高等学校再編計画」に基づき、2022年度(令和4年度)に男子校の(旧)栃木県立足利高等学校と女子校の(旧)栃木県立足利女子高等学校を統合し、単位制の男女共学の高等学校として栃木県立足利高等学校が開校することになった(2022年4月1日開校)。統合時の協議で創立起源は創立年の早い足利女子高校が創立された1909年(明治42年)、創立記念日も足利女子高校の創立記念日の5月3日とされた。 なお、校地及び校舎は、統合時は(旧)栃木県立足利高等学校の校地を使用するが、(旧)栃木県立足利女子高等学校の校地及び足利市民会館の敷地に新校舎を整備して移転することになっている。
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