教育研究
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教育研究(きょういくけんきゅう、英: education and research)は、法令用語、教育用語で、「教育及び研究」という意味の言葉である。まれに教学(きょうがく)ということもある。
概要
大学などで、学生と教員などの人員が所属して、教育と研究の2つの業務が、一体的に行われることをいう。したがって、「教育又は研究」という意味とは異なる。用法の例としては、「教育研究上の基本となる組織」(学校教育法などで使用されている語)というようなものがある。
大学に置かれる学部や研究科、それらの講座や学科目など、教育と研究は同一組織で行われることが常例となっている。ただし、1970年代から、次第に少しずつ同一組織で教育と研究の双方を行うという原則が緩められた。学部以外の教育研究上の基本となる組織の例としては、筑波大学や福島大学などにおける学群・学類、学系などがある。また、研究科以外の教育研究上の基本となる組織の例としては、教育部・研究部などが生まれた。これらの組織は、「教育の組織」と「研究の組織」を分けているが、業務の性質上、相互は密接な連携関係にある。
なお、「教学」の語は、元々、仏教系の宗教団体の組織の中で使われる用語で、信徒・門徒の教育を行う部門、もしくは教育の業務のことである。大学教育の中で、「教学」の語が使われる場合、学生の福利厚生に関する業務を指すことも多く、教員組織や事務組織における学生を担当する部門をいうこともある。
関連項目
外部リンク
教育研究
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六代目が逝去した1919年(大正8年)9月に開作は南高輪幼稚園および南高輪小学校の校長に就任した。現在の学校法人森村学園の前身校である。1930年(昭和5年)には、当時の最高設備を擁する鉄筋コンクリート3階建ての新校舎を完工させた。1941年に国民学校令が公布され私立小学校は危機に瀕したが、開作は森村高等女学校を設立し小学校をその附属初等学校化することでピンチを逃れた。同年に森村学園を財団法人化している。 1947年3月の学制改革に伴い、校名を森村学園幼稚園・同小学部・同中学部・同高等部とした。翌月、開作は学園長を辞している。校長在職時代の開作は幼稚園児から「カムカムおじいさん」と慕われたという。 開作は森村学園以外の教育研究機関の役職も多数歴任している。下記に主な役職を挙げる。 日本女子大学評議員 - 1919年~ 慶應義塾大学評議員、理事 - 1921年~ 早稲田大学校賓 - 1923年~ 東京家庭学校理事 - 1927年~1947年 東京女学館評議員 - 1931年~1947年 津田英学塾 高千穂商業 共立女子学園 国際基督教大学 森村豊明会会長、理事 - 1915年~ がん研究会監事 - 1918年~ 交詢社常議員、理事 - 1918年~ 日米協会理事、評議員 - 1925年~ 社会教育協会評議員 - 1932年~ 母子愛育会理事 - 1934年~ 結核予防会評議員 - 1939年~ これら教育研究機関で資金が必要な際には自ら多額の寄付を行い、また率先して募金活動に出向いたという。
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