好漢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:26 UTC 版)
「アレッサンドロ・ナニーニ」の記事における「好漢」の解説
その性格は至って好漢と言われ、フェラーリ入りを断念した後も、ベネトンチームは翌年のシートを約束した。また、ヘリコプター事故直後の日本GPでは、衛星中継でネルソン・ピケがナニーニのいる病院にお見舞いのメッセージを送った(この他、ピケはナニーニの見舞いにもかけつけている)ほか、ライバルであったレイトンハウスマーチのピット内でもナニーニを激励するメッセージボードが掲げられた。 1992年、そのピケがインディ500の事故で両足複雑骨折の重傷を負う。この際、ナニーニはピケに「君の腕と僕の脚があれば、トップドライバーさ」との見舞い電報を送ったという。 ヘリ墜落事故直後に救急車に乗せられ、病院に向かう際、意識があったナニーニは、救急隊員に向かって、「俺が運転していこうか? F1ドライバーだからもっと早く着けるぜ」と、片腕を失ったばかりの人間とは思えない言葉を放ったという。 右腕切断というレーサー生命だけでなく人生そのものを一変させる事故を体験したにもかかわらず、前向きな精神と陽気さを忘れることはなかった。事故後のインタビューでは「僕はまだ運が良かったよ。ちゃんとした左腕が残ってたしね!」と語っている他、後に事故と後遺症について訊かれた際も「フック船長よりまだマシだよ!」と明るく答えている。「右手が不自由になったことで困った事は?」との質問に対し、「自分を慰めることができなくなったことかな?」と答えてのけたこともある。 1987年9月、ある雑誌記者がナニーニに取材を申し込んだところ、地元であるシエナ市内のホテルを予約してくれていた。市内のレストランまでナニーニ自らが自家用車を運転して移動後インタビュー取材を受け、終了すると食事の伝票は記者の分も支払い、その上実家「ナニーニ製菓」のお菓子詰め合わせをお土産に持たせ帰って行った。翌朝、記者がホテルの受付へチェックアウトしに行くと、宿泊費までも既にナニーニによって済まされていた。感激したその記者はナニーニの大ファンとなった。 リカルド・パトレーゼが200戦目記念のインタビューを受けていた際、喜びインタビューに答えるパトレーゼの頭上から、大量の水が浴びせられた。このイタズラは、ナニーニの仕業で、彼なりの同国の先輩への手荒い祝福であった。
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