おおつき‐げんたく〔おほつき‐〕【大槻玄沢】
大槻 玄沢 (おおつき げんたく)
1757〜1827 (宝暦7年〜文政10年) |
【蘭方医】 蘭学の入門書『蘭学階梯』が、多くの俊才を育てた。 |
江戸末期の蘭方医で仙台藩の侍医。陸奥国出身。玄沢は通称。江戸に出て杉田玄白・前野良沢に師事し、長崎にも遊学した。蘭学塾芝蘭堂を開き、毎年西暦の正月に蘭学者が集う阿蘭陀正月(新元会)を催し、評判となった。著書の『蘭学階梯』に刺激を受けた全国の俊才が彼のもとに集まり、江戸蘭学会の中心的存在となる。 |
年(和暦) | ||
●1764年 (明和元年) | ■江戸大火 | 7才 |
●1772年 (安永元年) | ■目黒行人坂火事 | 15才 |
●1783年 (天明3年) | ■浅間山噴火 | 26才 |
●1789年 (寛政元年) | ■棄捐令 | 32才 |
●1790年 (寛政2年) | ■石川島に人足寄場を設置 | 33才 |
●1791年 (寛政3年) | ■江戸市中銭湯の男女混浴を禁止 | 34才 |
●1797年 (寛政9年) | ■湯島聖堂を昌平坂学問所と改称 | 40才 |
●1803年 (享和3年) | ■江戸開府200年 | 46才 |
●1806年 (文化3年) | ■芝の大火 | 49才 |
●1808年 (文化5年) | ■フェートン号事件 | 51才 |
●1825年 (文政8年) | ■異国船打払令 | 68才 |
・笠森 お仙 | 1751年〜1827年 (宝暦元年〜文政10年) | +6 |
・桂川 甫周 | 1751年〜1809年 (宝暦元年〜文化6年) | +6 |
・喜多川 歌麿 | 1753年〜1806年 (宝暦3年〜文化3年) | +4 |
・鶴屋 南北 | 1755年〜1829年 (宝暦5年〜文政12年) | +2 |
・松平 定信 | 1758年〜1829年 (宝暦8年〜文政12年) | -1 |
・葛飾 北斎 | 1760年〜1849年 (宝暦10年〜嘉永2年) | -3 |
・山東 京伝 | 1761年〜1816年 (宝暦11年〜文化13年) | -4 |
・酒井 抱一 | 1761年〜1828年 (宝暦11年〜文政11年) | -4 |
大槻玄沢
大槻玄沢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/30 08:42 UTC 版)
父。蘭学者。杉田玄白・前野良沢の弟子。蘭学興隆期の総帥格で、青年期の磐渓は「玄沢の息子」としても知られた存在であった。玄沢はロシアに漂流し帰還した大黒屋光太夫と交流があり、またニコライ・レザノフの遣日使節で、帰国した津太夫一行によるロシア情勢を伝えた『環海異聞』などの著作があり、これが後に磐渓の新露開国論に影響したと推測される。
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