入門
(入門書 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/02 04:56 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2012年7月) |
この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2013年11月) |
入門(にゅうもん)とは、ある分野について学習を始めることである[1]。
伝統的な教育のあり方では、学習とは特定の師について全人格的に学ぶことであった。そのとき入門とは、文字通り師の家の門をくぐり、弟子となって、道場や私塾・寺子屋などで学び始めることであった。弟子入りを許すかどうかは師となる人物の裁量であり、入門に当たって当該分野に関するある程度の知識や経験を要求される場合も少なくないため、「入門者=未経験者・初心者」に当たらない場合もある。丁稚や大工などに就職する場合にも入門と呼ばれることがある。
茶道では、「基本的な稽古を行うことを許可する」という意味合いの許状を指し(詳しくは表千家#許状、裏千家#許状を参照)、茶道を学ぶものは「入門」の許状を得て初めて稽古を受けることが許されるというのが原則である。
大学では、本格的に専門分野を学ぶ以前の段階の新入学生向けに「法学入門」「経済学入門」などといった名称に入門を含んだ授業を設置している所がある。また、通常未経験者・初心者向けに出版されている書籍を「入門書」と呼ぶ。分野によっては入門書しか売れないこともある。
脚注
- ^ “入門(にゅうもん)の意味”. goo国語辞書. 2019年12月2日閲覧。
関連項目
入門書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/12 08:42 UTC 版)
S. Priest, Theories of the Mind, Penguin Books, 1991.(=『心と身体の哲学』河野哲也ほか訳、勁草書房、1999年 ISBN 4326153415)心身二元論(プラトン/デカルト)から、論理的行動主義(ヘンペル/ライル/ウィトゲンシュタイン)、観念論(バークリ/ヘーゲル)、唯物論(プレイス/デイヴィドソン/ホンダリッチ)、機能主義(パトナム/ルイス)、二面説(スピノザ/ラッセル/ストローソン)、現象学的見方(ブレンターノ/フッサール)、そしておまけの禅まで、英米の「心の哲学」のみならず、古代から現代までの心身論についての手堅いまとめ。初心者によい見取り図を与えてくれる。 J. Searle,. Mind: A Brief Introduction. Oxford University Press Inc, USA. ISBN 0-19-515733-8. (=『Mind = マインド:心の哲学』山本貴光、吉川浩満訳、朝日出版社、2006年:ISBN 4255003254)ここからはいずれも著者の個性を強く押し出した入門書。1冊目は英米哲学の大御所サール。分析哲学のメイン・テーマが言語から心にシフトする最中にいた重要人物による心の哲学入門。心の哲学が何を相手にしており、何故登場するに至ったかがよくわかる。サールの出す結論は必ずしもこの分野のドミナント(主流)なものではないが、それはまだ総括するには早すぎる心の哲学の「若さ」を示している。 信原幸弘『考える脳・考えない脳―心と知識の哲学』(講談社現代新書、2000年 ISBN 4061495259)現代の心の哲学・認知科学の二大潮流である古典的計算主義とコネクショニズム中心にとりあげ、この分野へのやさしい導入をはかる新書本。著者は日本で代表的なこの分野の研究者のひとりであり、なおかつ有名なコネクショニスト(コネクショニズムの立場に立つ人)である。この入門もコネクショニストの立場から書かれており(特にコネクショニズムの解説は簡潔にしてわかりやすい)、コネクショニスト側からの大胆な仮説も登場する。
※この「入門書」の解説は、「心の哲学」の解説の一部です。
「入門書」を含む「心の哲学」の記事については、「心の哲学」の概要を参照ください。
「入門書」の例文・使い方・用例・文例
- 入門書のページへのリンク