中国・日本
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ナーガールジュナの思想の流れは中国にも伝えられた。それはクマーラジーヴァの翻訳による中論と十二門論および、アーリヤデーヴァの百論に基づく宗派として成立し、三論宗と呼ばれる。三論宗の大成者は吉蔵(549-623年)である。中国では、大智度論をも教理に加えた四論宗も成立したが、後に三論宗に融合した。 日本には、吉蔵の弟子であった慧灌が625年に来日して三論宗を伝えた。三論宗は、平安時代の末には密教と融合して衰えた。 中村元は、中論や大智度論などに基づいて空・仮・中の三諦円融や一心三観を説く天台宗もナーガールジュナの思想に基づくとしている。また、ナーガールジュナの十住毘婆沙論の浄土教関係の部分は後世の浄土教の重要な支えとなり、密教もまたナーガールジュナの思想の延長上に位置づけることができるという。
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中国・日本
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天台宗 智顗(538年-597年)を実質的な開祖とし、『法華経』を根本経典とする宗派。 詳細は「天台宗」を参照 浄土教 阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを説いている。『無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』の「浄土三部経」を根本経典とする。 「浄土教」、「浄土宗」、「浄土真宗」、「時宗」、および「融通念仏宗」を参照 禅 座禅を中心においた修行によって、内観・自省によって心性の本源を悟ろうとする。 「禅」、「臨済宗」、および「曹洞宗」を参照
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中国・日本
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また一方では、この『中論』と、同じく龍樹の著作である『十二門論』、そして弟子である提婆の『百論』が中国に伝わり、「三論宗」が形成された。これは日本にも伝わり、南都六宗の一派になった。 更に、天台宗の始祖である慧文禅師も、この『中論』に大きな影響を受け、その内容を中諦・三諦といった概念で独自に継承した。
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中国・日本
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臣従とは臣下として君主(主君)に従うこと、君を先として臣を後とすることを意味し、その君臣関係を確認する行事を臣従儀礼という。元会儀礼はその典型である。これは元旦に行う朝会儀礼で朝廷の公卿百官が参内し、宮殿の前庭で皇帝の拝謁を受けるものである。この儀礼では俛伏(ふふく、俯き伏す)、興(おこす)、跪(き、ひざまずく)或いは再拝、舞踏などの所作が行われ、趨走(小走り)したり、殿上では剣を解き、覆(くつ)を脱ぐなどのことも行われた。こうした中国特有の儀礼は朝貢外交などを通じて、近隣諸国にも伝播し、日本などでも中国の儀礼を取り入れながら独自の君臣儀礼が発達した。
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