ざ‐ぜん【座禅/×坐禅】
座禅
作者高宮恒生
収載図書ショートショートの広場 5
出版社講談社
刊行年月1994.3
シリーズ名講談社文庫
坐禅
(座禅 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/26 22:46 UTC 版)
坐禅 (ざぜん)、独坐(どくざ、Paṭisallāne)とは、仏教で姿勢を正して坐った状態で精神統一(瞑想)を行う、禅宗の基本的な修行法。坐禅での本式の坐法は結跏趺坐、略式は半跏趺坐とされる[4]。これらに付随する調整的なものとして後述の経行(きんひん)があり、経行は立禅や歩行禅を内容とする[4]。なお、立禅については仏教由来の坐禅に付随するものとは別に、仙術や導引術などの系統を引くものもある[5]。「坐」が正式だが当用漢字から外れたため座禅とも書く。
- ^ “阿含辭典 - 坐禪”. 2020年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月23日閲覧。
- ^ “燕坐 - NTI Reader”. 2020年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月23日閲覧。
- ^ 《雜阿含968經》:給孤獨長者作是念:「我今出太早,世尊及諸比丘禪思未起,我寧可過諸外道住處。」
《別譯雜阿含202經》:(給孤獨長者)復作是念:「我若往彼,日時故早,如來猶未從禪定起,我今應先至彼外道所住之處。」
《增支部10集93經》:那時,屋主給孤獨這麼想:「這大概不是見世尊的適當時機,世尊在獨坐(Paṭisallīno bhagavā);也不是見值得尊敬的比丘們的適當時機,值得尊敬的比丘們在獨坐,讓我前往其他外道遊行者們的園林。」 - ^ a b c d e f g h i 恩田彰「禅と念仏の心理学的比較考察」『印度学仏教学研究』第23巻第1号、日本印度学仏教学会、1974年、1-7頁。
- ^ “立禅と坐禅の違い”. 日本立禅会. 2024年3月24日閲覧。
- ^ 高崎正芳「喩伽師地論の宴坐宴黙について」『印度学仏教学研究』第25巻第2号、日本印度学仏教学会、1977年、612-619頁。
- ^ a b c d e f 前林清和、中林信二「武芸における「瞑想」についての一考察―心身論的視点からの序説として―」『武道学研究』第18巻第3号、日本武道学会、1986年、6-15頁。
- ^ a b 原田弘道「宋朝禅と道元禅師の立場」『駒澤大學佛教學部研究紀要』第23巻第1号、駒澤大学、1973年3月。
- ^ a b “禅宗の臨済宗と曹洞宗の相違点を知りたい。”. レファレンス共同データベース. 2024年3月23日閲覧。
- ^ a b c d 伊吹 2001, pp. 346–351.
- ^ a b c d e f g h i j k l 尾﨑正善「坐禅堂作法の変遷」『鶴見大学仏教文化研究所紀要』第11号、鶴見大学仏教文化研究所、2006年4月8日、612-619頁。
- ^ “座禅(阿字観)”. 真言宗智山派 出流山満願寺. 2024年3月15日閲覧。
- ^ a b c d e f 中村完「身体的修行の理論と心理生理学的機構―文献的紹介―」『琉球大学法文学部紀要人 人間科学』第13号、琉球大学法文学部、2004年3月、131-155頁。
- ^ 舘隆志「禅房十事 香炉」 花園大学国際禅学研究所、2020年5月17日閲覧。
- ^ 恩田彰「坐禪の心理學的特徴」『印度学仏教学研究』第15巻第1号、日本印度学仏教学会、1966年、37-43頁。
- ^ “体験 坐禅の仕方”. 大本山妙心寺. 2024年3月24日閲覧。
座禅
「座禅」の例文・使い方・用例・文例
- あなたは座禅と写経を知っていますか。
- しかし私は座禅に行った事が無い。
- しかし私は座禅を行った事が無い。
- 寺に座禅に行った。
- 彼は座禅を組んだ。
- (座禅をしている)彼の肩に警策が打ち下ろされた.
- 座禅を組む
- 座禅のとき眠気をさまさせるために肩を打つ棒状の板
- 結跏趺座という,仏像や座禅のときの座り方
- 座禅する部屋
- 座禅のとき,心の乱れている者を打つための棒
- 壁に向かって座禅をする
- 座禅を組むこと
- 座禅の師
- 禅宗で,一定期間不断に座禅をする修行
- 経文を読まず,座禅だけで悟ったような顔をする禅僧
- 禅宗において,人を集めて座禅・説法すること
- 座禅の時などに使われる,ガマの葉を厚く円形に編んだ敷き物
座禅と同じ種類の言葉
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