シルル‐き【シルル紀】
シルル紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/04 01:24 UTC 版)
累代 | 代 | 紀 | 基底年代 Mya[* 3] |
---|---|---|---|
顕生代 | 新生代 | 第四紀 | 2.58 |
新第三紀 | 23.03 | ||
古第三紀 | 66 | ||
中生代 | 白亜紀 | 145 | |
ジュラ紀 | 201.3 | ||
三畳紀 | 251.902
| ||
古生代 | ペルム紀 | 298.9 | |
石炭紀 | 358.9 | ||
デボン紀 | 419.2 | ||
シルル紀 | 443.8 | ||
オルドビス紀 | 485.4 | ||
カンブリア紀 | 541 | ||
原生代 | 2500 | ||
太古代(始生代) | 4000 | ||
冥王代 | 4600 | ||
シルル紀(シルルき、Silurian period)とは、地球の地質時代の一つで、古生代に属し、約4億4370万年前から約4億1600万年前をさす。シルリア紀(志留利亜紀[1])ともいう[2]。オルドビス紀より後の時代であり、デボン紀の前にあたる。この時期、生物の本格的な陸上への進出が始まり、陸棲節足動物や最古の陸上植物が出現する。
シルル紀後期にリグニンを有した植物が登場し、リグニンを分解できる微生物がいなかったので植物は腐りにくいまま地表に蓄えられていった[3]。
1835年にイギリスのロデリック・マーチソンがウェールズの古民族名「シルリア族」より命名した(1950年頃までは、スウェーデンのゴトランド島にちなんで「ゴトランド紀」とも呼ばれていた)。
シルル紀初期、南半球にはゴンドワナ大陸というかなり大きな大陸があり、赤道付近には、シベリア大陸、ローレンシア大陸、バルティカ大陸という3つの中程度の大きさの大陸、そしてアバロニア大陸、カザフ大陸(カザフスタニア)などといった幾つかの小大陸があった。ローレンシア大陸、バルティカ大陸、アバロニア大陸の間にはイアペトゥス海という浅い海が広がり、多くの生物が繁栄していた。しかし、3つの大陸は徐々に接近し、約4億2,000万年前に衝突した。このためイアペトゥス海は消滅し、ユーラメリカ大陸(ローラシア大陸とも)という大陸が形成された。
脚注
参考文献
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関連項目
外部リンク
- “地質系統・年代の日本語記述ガイドライン 2014年1月改訂版”. 日本地質学会. 2014年3月19日閲覧。
- “INTERNATIONAL CHRONOSTRATIGRAPHIC CHART (国際年代層序表)” (PDF). 日本地質学会. 2014年3月19日閲覧。
- 仲田崇志 (2009年10月29日). “地質年代表”. きまぐれ生物学. 2011年2月14日閲覧。
シルル紀
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「グレートブリテン島の地質」の記事における「シルル紀」の解説
シルル紀前期に入っても堆積は続き、特にウェールズで泥岩と砂岩の地層ができた。 アヴァロニア大陸(英語版)が今度はバルティカ大陸と合流し、その合体した陸塊が425 Myaから400 Myaまでの間におよそ20°南でローレンシア大陸と衝突したことにより、グレートブリテン島の南半分と北半分が合体した。結果として生じたカレドニア造山運動がグレートブリテン島の北部と西部のほとんどでアルプス風の山脈を造り出した。この大陸の衝突はおそらく正面衝突というよりはむしろ斜角で、そしてこれはおそらくスコットランドを北東から南西に横切るような方向へ横ずれ断層に沿った運動を引き起こしたと考えられ、グレートグレン断層(英語版)がその最たる例である(これらの断層帯の幾つかは初期の地球運動から来る古い弱線であったかもしれない)。 シルル紀に堆積した火山灰と溶岩はメンディップ・ヒルズ(英語版)とペンブルックシャーでまだ見つけられる。
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「シルル紀」の例文・使い方・用例・文例
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