本当の食育

「食事バランスガイド」に従うと日本の農業は衰退!!!

厚生労働省と農水省が定めた「食事バランスガイド」に多くの人達が振り回されていると思います。というのはある新聞のコラムにこう嘆かれていた。「食事バランスガイドの目安では、一日200グラムの果物を食べるという目標があるのに、8割近くの人が200グラム食べていない」と。この嘆きは政府の定めたことは「絶対」という盲目的な点にあります。よ~く考えてみてください。日本には四季があります。果物が一番多い季節はもちろん秋です。少ないのは冬と春。野菜と同じように当然端境期というものがあります。だから通年200グラムを維持することは出来ません。結局輸入果物を食べなければその目標は達成しません。それは日本の農業を衰退に導くことのなってしまいます。

実はこの新聞の記事はビックリすることに「農業新聞」なのです!「農業新聞」ならば、旬の国内の農産物を食べようとキャンペーンをし「食事バランスガイド」と真っ向勝負すべきところです。「食育」をするならば、秋は必要あって日本人が果物を沢山食べるようになっており、冬は体が冷えるから陰性の果物は出来ないんだとかちゃんと教えて欲しいもんですね。もしかしたら、農業新聞の社員をもってしても教えられないのか?日本の農業はどうなる?(-_-;)

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料理用語を知らない女子大生

食育は学校でするものではありません。家庭で親から受け継ぐものだと思います。しかし、今はそうなっていないのが現実です。

 例えば、料理教室に通う約300人の20~30歳代の女性受講生に、例示した料理用語を知っているかアンケートをとったところ、過半数の女子大生が「分からない」と答えたのは以下の通り。「すが立つ」「こそぐ」「吸い口」「観音開き」「千六本」。とくに大根をマッチ棒のようにせん切りにすることを指す「千六本」を知っている人は20人に1人となっており、料理用語としてすでに死語となっているとか。ちなみに「せん切り」の「せん」とは「千」ではなく「繊」が正しいそうです。

 他に聞いた話では、「出汁をとって下さい」と言ったら、出汁を捨ててしまったり(゜o゜)、「落し蓋を探して来て」と言うと、冷蔵庫の中の豚肉を探していたり(-_-;)、今までと同じようには行かなくなってきているとのこと。また女子大生のアンケートで得意料理の第2位は「目玉焼き」という結果がありましたが、目玉焼きを「得意料理」とするのはいかがなものでしょうか?しかも、これを恥ずかしげもなく堂々と言ってしまう・・・。

 この国の将来は、ちょっとヤバイかも・・・。                

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「トクホ食品」は「トホホ・・・食品」なり

エコナ問題の本質(個人的な見解)については、前回の記事どおり「体脂肪がつきにくい油は必要ない」でありますが、そもそも「特定保健用食品」とは何か?

それは食材にもともと含まれた有効成分でなく、後から添加した成分に対して認められたものを「トクホ食品」として認定されます。ということは、昔ながらの製法で一切の無添加で食品を作ったとしてもトクホとして認定されないということです。ですから自然食品にトクホはないのです。

ところが、エコナのように添加物をたくさん入れたもの(発ガン性物質・酸化防止剤・消泡剤・脱臭剤・脱色剤など他多数)であっても、体脂肪がつきにくくなるという有効成分が添加されれば「トクホ」として認定されるわけです。

政府はこういった食品を「トホホ食品」と認定すべきです!

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エコナの「体に脂肪がつきにくい」ということ自体が問題

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花王の食用油「エコナ」に発ガン性物質「グリシドール脂肪酸エステル」が一般の食用油の10~182倍も含まれていた問題が取りざたされています。しかもこれが「特定保健用食品」の表示許可を厚生労働省から受けていたという事ですが、それについてはすでに消費者団体が頑張っておられるので、違った切り口から私なりに言わせていただくと「油を摂りすぎれば脂肪はどうしても付く」です。体に脂肪がつくことによって脂質を摂り過ぎたコトを教えてくれ、食事内容や運動不足を見直すことが出来ます。それが自然です。もし付きにくかったら油を摂りすぎていることが分からなくなってしまいます。でも実際には、「つきにくい」という表現がビミョ~であり「つかない!」とは表示していません。「エコナ」を消費した人が本当に脂肪がつきにくかったというモニタリングデーターもないのに・・・。(ラットなどの動物で実験したのでしょうね・・・多分)

やはり消費者は「エコナ」のことを通して、商品のことよりも体のために食生活全般の見直しを計った方が絶対に得策です。

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山居倉庫に世界一の力持ちの女性の写真が・・・

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この写真を再びブログにアップしたくて書きました。何度見ても驚愕の写真です。この写真は山形県酒田市山居町にある山居倉庫の一部が庄内米資料館となっています。おしんの時代(ここ庄内地方が舞台)の農家の暮らしなどが分かるように展示されています。そこに展示されているこの60㎏の米俵を五俵も一度に背負っている女性・・・。見たところまったく苦しそうではありません。この視線は重さに耐えているというより、バランスをとることに神経を集中している感じです。もし上からリフトか何かで上手に乗せることが出来たらさらに一俵か二俵は上乗せできそうです。世界一の力持ちというのは、もちろん私の強い思い込みです。でも自信あります(笑)

この資料館の鈴木所長に伺ったところ、この写真は昭和14年に撮影したもので、当時の食事は極めて質素で、ご飯に味噌汁、芋や漬物、時に魚や卵を食べるがもちろんハレの日と決まっているとのこと。ということは、日本人は昔から食べてこなかった肉や乳製品を食べる事によって体力を失ってきたことになります。栄養学なんてものがあるから、栄養士なんていう人がいるから、昔の日本食じゃダメだ、ということになってしまった。日本人はこの写真を眺めて厚生労働省と農林水産省が推進する栄養指導が(食事バランスガイド)適切であるかどうか、日本人を健康へと導いているかどうか真剣に考えるべきではないかと思います。

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やっぱりすごいな江戸時代の人は

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この絵は3人の人夫が米俵18俵を押しています。つまり1俵が60kgなので1トンと80kgを押しています。でもこの米俵は現代の俵よりもズット大きく見えます。しかも、当時の道は、砂利なんかが転がり、ところどころに窪みのあるデコボコ道のはずです。

前回の記事の「5俵担ぎの女性」もすごいですね。前々回のベルツのところに出てくる人力車夫の食事をもう少し調べてみると、弁当は玄米のおにぎり・梅干・味噌大根の千切り・沢庵だったことがわかりました。

粗食がこんなにも人間の体力を引き出すのですね。そして、美食こそが体の機能を衰えさせるのです。ベルツはドイツに帰って、日本人のように肉を控えて菜食にしようと訴えました。

話を元に戻します。いわゆる欧米食が日本人の健康を損ねる最大の原因であるのに、欧米の肉・乳製品・卵・パンを推進する日本政府が推進する「食事をバランスよく摂ろう」というのは大きな間違いで、本当は「日本人は和食を食べよう、自給率を高めよう!」とやるのが、政府の勤めではないか?国民の60%の食料を海外に依存する先進国はありますまい。江戸時代では鎖国をしつつも国民3000万人を養うことの出来る食料自給率100%の国でした。

最近、○○栄養専門学校の校長がTVで「食育」を唱えていますが、学校でフレンチ・イタリアン・中華を教えておいて、なにが食育かと言いたい。どうかみなさんも面白い話に惑わされないようにしてくださいね。

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驚愕!米俵5俵を担ぐ女性! 昔の人は何て力持ちなんだ!

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この写真を見てください。1俵60キログラムの米俵を5俵も背負っているではありませんか!こんなこと男性でも出来るわけありません。実際に先日、熊本県での食育講座で、体の大きな青年に挑戦してもらいましたが、1俵しか担げませんでした。(ちなみに74歳の農家のおじいちゃんも1俵担ぎました)

この写真は、山形県酒田市の山居倉庫の資料館に展示されている写真です。ここは映画やドラマでおなじみの「おしん」の舞台になったところです。俵をこうやって担いで運搬する仕事は主に女性の仕事だったそうです。そして、この足腰の強さ、体力は前回と前々回のブログの記事の「北緯50度の栄養学(フォイトの栄養学)」「日本人には日本食が最高である事を証明したベルツの実験」の中に書かれている食生活をさらに裏づけています。

何度見てもただただ驚くばかりです。(゜o゜)

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日本人には日本食が最高である事を証明したベルツの実験(前回の続き)

明治時代の同じ時期に、もう一人同じくドイツ人でエルウィン・ベルツと言う人が政府の招きで来日し、東京医学校(東京大学医学部の前身)で26年間教鞭をとり、日本の医学の発展に多大な貢献をしました。そして、その業績を称えられ明治天皇より勲一等旭日大綬章も授章。日本人荒井花子と結婚。また草津温泉が世界無比の優れた温泉である事を紹介し、世界的に有名にしました。今も草津にはベルツの銅像が建っています。さらに箱根富士屋ホテル滞在中に女中の手が赤切れしているのを見て、かわいそうだからと「ベルツ水」を考案し現在も販売されています。

このように医学者として優れたベルツが日本人の強靭な体力は原因は何かを調査した記録が昭和6年に出版された「ベルツの日記」の中に残されています。

ベルツは知人から日本に滞在している間に日光東照宮を見た方がいいとすすめられ、馬で東京から日光まで14時間かけて行きました。その時、途中で馬を6回乗り替えました。2回目に行った時は人力車に乗って行きましたが、その車夫は1人で14時間半で行ってしまいました。馬よりすごいこの体力は一体どこから来るのか、彼は実験を始めました。

人力車夫を2人雇って3週間彼らの食生活を調査しました。肉類などの高タンパク・高脂質のいわゆる彼らの理想とする食事を摂らせながら体重80キロの人を乗せて、毎日40kmを走らせたところ、3日目で疲労が激しくなり、元の食事である米・大麦・イモ類・栗・百合根など(高炭水化物・低タンパク・低脂質)に戻して欲しいという事で普段通りの食事に戻すとまた元気に走れるようになるという結果がでました。ベルツはドイツの栄養学が日本人にはまったくあてはまらず、日本人には日本食が良いという事を確信しました。それにもかかわらず、ベルツの「日本人には日本食」という研究結果よりも、フォイトの「体を大きくする栄養学」の方を明治政府の指導者たちは選んでしまいました。この当時の人力車夫の一日の平均走行距離は50キロメートルといわれていますが、もしこの人たちが現代のオリンピックのフルマラソンに日本代表で出場したらどんな記録を出したのでしょうね。ちなみに飛脚の人はもっと走ったそうです。

また、さらにベルツは「女性においては、こんなに母乳が出る民族は見たことがない」と驚きを記しています。

昔の日本人は、このように優れた体力を持っていたならば、戦国時代の合戦のシーンで馬に乗った武将たちの後を、足軽が槍を持って駆け足で追っかけていますが、これは十分可能だったということです。しかも戦をする前にはきっと何十キロ、何百キロという距離をすでに移動してきているでしょう。今までテレビを見ながら「足軽の人たちは、日頃は農作業で大変なのに気の毒だなあ」、と思っていました。今思うと途中の休憩は人間の休憩ではなく馬の休憩だったのかも知れません。(つづく)

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北緯50度の栄養学(フォイト栄養学)

今や日本中あげての食育ブーム。結構な事です。しかし、この中身が問題ですそれは官・民あげて「バランス良く食べる」ことを主眼としているからです。この「バランス良く食事をする」という考え方は一体どこから来るのでしょうか。その悲劇のルーツは明治時代に、ドイツのミュンヘン大学教授である栄養学者カール・フォン・フォイトを日本に招いた事から始まります。明治時代の日本は彼から「栄養学」を盲目的に学び、その後何も研究していませんでした。フォイトは「高たんぱく・高脂質・低糖質」の動物食を栄養の理想として掲げました。当時の健康だった日本人の食生活は「低たんぱく、低脂質、高糖質」でしたのでまったくの正反対です。ちなみに糖質とはお米のでんぷんを指しています。

 ドイツ人は北緯50度という寒冷地に住んでいましたので、日本のような温暖地の人よりエネルギー消費が多いため、どうしてもカロリーの高い食事を必要とします。この国は、野菜が採れにくいので放牧をし、ハムやソーセージを食べる肉食が中心の国です。それに比べて日本は温暖で湿潤な北緯35度に位置し、稲作を中心とした瑞穂の国、米と野菜を中心に食べてきました。それなのに明治政府は肉食に適した寒冷地のフォイトを「食育」の先生として招いてしまいました。

 ですがこの肉食が正しいとして未だに修正していない事が最大の問題です。日本人の体がこれほどまでに(世界一のがん大国)蝕まれてしまったのに!(つづく)

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「天皇家の食卓」

「天皇家の食卓」という面白い本を読みました。そこには一般庶民の感覚では想像がつかないようなことが書かれていました。食べている献立は庶民と同じような物でも、質がまったく違うとのこと。お肉にしても御料牧場(ディズニーランドの4倍の敷地面積)から調達され、それは卵の一つをとってみても手塩に掛けた鶏から採卵されている(抗生物質なし)。お米も野菜もまったく無農薬かオーガニックです。

それともう一つの違いは、調理人。三ツ星レストランのシェフかそれ以上の腕を持った人が、和・洋・中華・パン・菓子とたくさんいらっしゃるらしいです。一見庶民的なお食事に見えても、それはお金に糸目をつけずに作られた究極のお食事なのです。

気になったのは、昭和天皇以降、総料理長に選ばれるのは、フランス料理のシェフが多く、それだけ天皇家も洋食化してきたからでしょう。

本には書かれていませんでしたが、私が思うには、完璧な素材、完璧な調理技術をもってしても、昭和天皇もがん(膵臓がんが原因で崩御)、平成天皇もガン(前立腺がん)になってしまわれた。という事は、どんな質の高い料理であっても、日本人が欧米食(肉やパン、乳製品)を食べてしまうと、それだけで癌になってしまうことなのだと思います。昭和天皇は国民の誰よりも早く(戦前)から、朝はバターをたっぷり塗ったトーストやスクランブルエッグを召し上がっていたそうです。なぜかというと若かりし頃、イギリス王室に招かれてからパン食が大好きになられたとか。(皇室の料理人たちはイギリスへ勉強に行ったそうですよ)

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