明治時代の同じ時期に、もう一人同じくドイツ人でエルウィン・ベルツと言う人が政府の招きで来日し、東京医学校(東京大学医学部の前身)で26年間教鞭をとり、日本の医学の発展に多大な貢献をしました。そして、その業績を称えられ明治天皇より勲一等旭日大綬章も授章。日本人荒井花子と結婚。また草津温泉が世界無比の優れた温泉である事を紹介し、世界的に有名にしました。今も草津にはベルツの銅像が建っています。さらに箱根富士屋ホテル滞在中に女中の手が赤切れしているのを見て、かわいそうだからと「ベルツ水」を考案し現在も販売されています。
このように医学者として優れたベルツが日本人の強靭な体力は原因は何かを調査した記録が昭和6年に出版された「ベルツの日記」の中に残されています。
ベルツは知人から日本に滞在している間に日光東照宮を見た方がいいとすすめられ、馬で東京から日光まで14時間かけて行きました。その時、途中で馬を6回乗り替えました。2回目に行った時は人力車に乗って行きましたが、その車夫は1人で14時間半で行ってしまいました。馬よりすごいこの体力は一体どこから来るのか、彼は実験を始めました。
人力車夫を2人雇って3週間彼らの食生活を調査しました。肉類などの高タンパク・高脂質のいわゆる彼らの理想とする食事を摂らせながら体重80キロの人を乗せて、毎日40kmを走らせたところ、3日目で疲労が激しくなり、元の食事である米・大麦・イモ類・栗・百合根など(高炭水化物・低タンパク・低脂質)に戻して欲しいという事で普段通りの食事に戻すとまた元気に走れるようになるという結果がでました。ベルツはドイツの栄養学が日本人にはまったくあてはまらず、日本人には日本食が良いという事を確信しました。それにもかかわらず、ベルツの「日本人には日本食」という研究結果よりも、フォイトの「体を大きくする栄養学」の方を明治政府の指導者たちは選んでしまいました。この当時の人力車夫の一日の平均走行距離は50キロメートルといわれていますが、もしこの人たちが現代のオリンピックのフルマラソンに日本代表で出場したらどんな記録を出したのでしょうね。ちなみに飛脚の人はもっと走ったそうです。
また、さらにベルツは「女性においては、こんなに母乳が出る民族は見たことがない」と驚きを記しています。
昔の日本人は、このように優れた体力を持っていたならば、戦国時代の合戦のシーンで馬に乗った武将たちの後を、足軽が槍を持って駆け足で追っかけていますが、これは十分可能だったということです。しかも戦をする前にはきっと何十キロ、何百キロという距離をすでに移動してきているでしょう。今までテレビを見ながら「足軽の人たちは、日頃は農作業で大変なのに気の毒だなあ」、と思っていました。今思うと途中の休憩は人間の休憩ではなく馬の休憩だったのかも知れません。(つづく)
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