昨年成立した「特定秘密保護法」と先の通常国会で強行成立させた所謂「戦争法」によって、日本国憲法を事実上「形骸化」させた凶人安倍の次なる目標が、日本国憲法の「明文壊憲」であることに疑う余地は無い!それはたった2日間だけ開かれた予算委員会の閉会中審査において凶人安倍自身が得意げに語ったところである!
奴らがまず「壊憲」の目標として掲げているのは、
巨大災害などの発生に対応することを名目にした「緊急事態条項」の創設である! それは凶人安倍自身が「大規模な災害が発生したような緊急時において、国民の安全を守るため、国家そして国民みずからがどのような役割を果たしていくべきかを憲法にどのように位置づけるかは、極めて重く大切な課題だ」とほざいている事からも明らかだ!
だが、よく考えて欲しい。1995年1月に発生した阪神・淡路大震災でも2011年3月の東日本大震災の折りでも「緊急事態条項」は当然無かった!そうした
巨大災害に対応するために「災害対策基本法」があるのではないか!
では、一体何の為の「緊急事態条項」なのか?それは奴らがでっち上げた憲法改悪案をみれば一目瞭然である! ここで奴らが何を言っているのか、簡単に言うと
・政権は国会の事後承認で好き勝手に法律をつくり、税金も自由に使える。
・通常は国と対等な関係にある地方自治体の長も指揮下における。
・緊急事態宣言さえ出してしまえば、何人も国の指示に従わなければならない。
そして何よりも重大なのは、
人類普遍の権利である「基本的人権」すら「最大限尊重」(厳守ではない)程度でOKになってしまうのだ!
これぞ
まさしく明治憲法の復活そのものであり、ある意味「憲法9条改悪」よりもタチが悪いと言わざるを得ないではないか!
そして、そうした
凶人安倍を背後で操っているのが日本最大の極右集団「日本会議」なのだが、その黒幕である「生長の家学生運動」に淵源を持つ一群の集団についての秀逸なレポートがあるので紹介しよう!
(以下、引用)
リポート「改憲1万人集会」/「国歌斉唱」と「リベラル揶揄」だけで支えられる一体感――シリーズ【草の根保守の蠢動 第24回】 前回も触れたように、この大会の内容そのものに特筆すべき新奇なものはない。
櫻井よしこ、ケントギルバート、百田尚樹、細川珠生といった一連の登壇者の顔ぶれもいつもと同じで、速報する価値はない。登壇者の顔ぶれが知りたければ、ポスターでも見ていればいい。一万人前後しか参加者のいないリベラル陣営の集会で、大江健三郎や澤地久枝が登壇することに、速報として報道する価値がないのと同じだ。
登壇者の発言内容も、十年一日のごとく一緒。何の代わり映えもない。確かに、
現職の総理大臣たる安倍晋三が「改憲集会」にビデオメッセージを寄せたことは、強く批判されるべきだろう。公務員の憲法尊重擁護義務はどうなったのだと。しかし安倍政権の立憲主義軽視路線は今に始まったことではない。そして今後も続くだろう。であれば、それへの批判は、イベント報道と切り離した論説として行うべきだろうし、このイベントに触れるとしても、
「現政権による立憲主義軽視路線の一事例」として扱うのが自然だ。
だが、このイベントの「周囲」や「ディテール」そして「語られなかったこと」には、やはり、冷静に検証する価値はある。そしてその検証からこそ「日本会議」の姿が見えてくる。ちょうど、冷戦時代では、東側諸国における党大会の内容よりもむしろ席次や発言順位からこそ、権力構造の変化を読み取れたように。
◎君が代斉唱で生まれた「グルーブ感」 大会は予定どおり14:00きっかりに始まった。
各種教団からの大量動員人員が皆、時間までに端整に座っている。なんの熱狂も興奮もない。 司会挨拶の後、国歌斉唱に進む。二時間ほどの大会の中で(※) 、この国歌斉唱は「会場全体の一体感」が生まれた数少ない瞬間の一つだった。適切な言葉でないかも知れぬが、「グルーブ感」さえある。
この「国歌斉唱におけるグルーブ感の発生」こそが日本会議を理解するカギを握る。一口に「保守系」と言っても、動員対象となった各教団は、それぞれ掲げる政策目標も運動への温度感も違う。皇室崇敬に重きを置かない教団もあれば、教育勅語にしか興味のない教団もある。さらには、改憲を至上命題としない教団すら存在する。すべての教団が従来の「保守」や「右翼」といった範疇に入るわけではない。そんな
多種多様な人々が「なんとなく保守ぽい」という極めて曖昧な共通項だけでゆるやかに同居しているのが「日本会議」だとも言える。そして
「国歌斉唱」は「なんとなく保守ぽい」だけで集まる人々を束ねる数少ない要素の一つなのだ。
◎「9条遵守」と「朝日新聞」と 国歌斉唱の他に、会場の一体感が生まれた瞬間があと二つだけある。
「日本国憲法を作った国・アメリカ出身です」と自己紹介したケント・ギルバートが「(9条を堅持するのは)怪しい新興宗教の教義です」と発言した瞬間と、改憲プロパガンダ映画のプロデューサーだという百田尚樹が「(日本人の目をくらますのは)朝日新聞、あ、言ってしまった」と発言した瞬間だ。
ケント・ギルバートの発言は、彼がモルモン教の宣教師として来日したことや当該発言が崇教真光や霊友会や仏所護念の動員によって占められる聴衆に向かって発せられたことを考えると、「2015年おまえがいうな大賞」でも授与したいところだ。百田尚樹の発言も「まだそのネタで飯食おうとしてるの?」と哀れみを持って接するべき性格のものでしかない。
しかしながら、
ここで会場の一体感が生まれたことには注目に値するだろう。
ケント・ギルバートの発言も、百田尚樹の発言も「9条遵守派」や「朝日新聞」という「なんとなくリベラルっぽい」とされる(真偽のほどはさておき)ものを揶揄の対象としている。そしてその発言の瞬間にこそ、国歌斉唱のときと同じ、一体感が生まれた。
利害関係の大幅に異なる各教団や団体の連帯を生むものは、この「国歌斉唱」と「リベラル揶揄」しかないのだ。一昔前に掃いて捨てるほどいた、小林よしのりを読んで何かに目覚めた中学生たちと、大差ない。
しかしこの
実に幼稚な糾合点が、日本会議事務方の手にかかると、見事に「圧力装置」として機能しだす。 日本会議事務方が行っているのは、「国歌斉唱」と「リベラル揶揄」という極めて幼稚な糾合点を軸に「なんとなく保守っぽい」有象無象の各種教団・各種団体を取りまとめ、「数」として顕在化させ、その「数」を見事にコントロールする管理能力を誇示し、政治に対する圧力に変えていく作業なのだ。
個々の構成員は高齢でそのくせ考えが幼稚でかつ多種多様かもしれぬが、これを束ねる事務方は、極めて優秀だ。
この事務方の優秀さが、自民党の背中を押し改憲の道へ突き進ませているものの正体なのだろう。 次章「語られなかった9条改正」では、9条改正ではなく「何が」語られたかによって明らかになる、彼らはどのような集団と連携しているのかについて検証する。
(※) 大会終了時刻は、筆者の時計で16:03。政治家や経営者など話が長くわがままな人士のスピーチが続く大会であるにもかかわらず、きっちり予定時間内に収めている。これも日本会議界隈の事務処理能力の高さを物語るエピソードだろう。
ゲストスピーカーの話は
前章で触れたように児戯に等しいものばかりであったが、さすがに、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」共同代表・櫻井よしこの開会の辞は、よく練り込まれたものだった。
よく練り込まれていた、と言っても、その内容が高尚であったり、新機軸を打ち立ていてるわけではない。
櫻井の挨拶はこの大会の「周囲」の文脈を極めて巧妙に織り込んでいる、という意味だ。
不思議なことに、
日本会議の改憲運動部局でありこの大会の主催である「美しい日本の憲法をつくる国民の会」は、独自の憲法案を発表したことはない。彼らの言う「美しい日本の憲法」とはいかなるものか、一切、語られたことはないのだ。会の公式サイトに記載のある運動目標も、「憲法改正を求める」という文言しかない。彼らが目下積極的に展開している署名活動で持ちいられる署名用紙(PDF注意)にも「私は憲法改正に賛成します」と一言あるのみで、何をどう改正するのかはおろか、改正の方向性さえ記載されていない。つまり「美しい日本の憲法をつくる国民の会」は、これまで「憲法は改正されねばならない。なぜならば、改正されねばならないからだ」という、トートロジーとしてさえ成立しないようなことしか主張してこなかったのだ。
しかし、今回、櫻井の口から改正の方向性と若干具体的な内容が初めて語られた。
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大規模な自然災害に体しても、緊急事態条項さえない現行憲法では、命を守り通せません。家庭のあり方も含めて問題点があることは強調しなければなりません。
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3分弱の彼女の挨拶の中で、改正対象について具体性を持って言及された箇所は、ここだけである。もちろん、彼女は日本を取り巻く安全保障環境の変化をことさらに強調した。しかしそれを根拠に、9条について言及をしたわけではない。あくまで、彼女が具体的に名前を挙げたのは、
・緊急事態条項・家族 の二点のみ。
この二点を9条より優先する姿勢には、見覚えがある。そう、この姿勢は、まさに連載17回で紹介した、「日本政策研究センター」の改憲プランそのものだ。
櫻井は、物の見事に、あの改憲プラン通りの「改憲の方向性」を示したことになる。 この大会が開催された11月10日、
「改憲の具体的内容」として「緊急事態条項」を挙げた人物がもう一人だけいる。しかもその発言は、改憲大会で発せられたのではない。 改憲「緊急事態条項から」 首相、9条改正「必要」 閉会中審査(2015年11月10日 朝日新聞) 安倍晋三も10日午前(つまり大会の開催直前)に、衆院予算委員会で「緊急事態条項」を改憲の具体的項目としてあげているのだ。 安倍の発言も櫻井の発言も、「日本政策研究センター」の改憲プラン通りということになる。安倍はこの大会に寄せるビデオメッセージを大会に先立つ5日前に収録している。両者の間に何らかの協議があったことは明白だ。決して、偶然の一致とは言えまい。
次章、「生長の家原理主義者の代表と不自然な議員席」では、筆者がこれまで追求してきた深淵がまさしく壇上に現れていたその様子を克明に解説する。
◎
やはり顔を出していた「生長の家原理主義ネットワーク」 「日本政策研究センター」代表の伊藤哲夫(ⅱ)が、かつて「生長の家」の教団職員であったことは、この連載でも明らかにしてきた。また、「日本会議」の推進母体である「日本青年協議会」の淵源も「生長の家学生運動」であることを、この連載では明らかにしてきた。(
連載21回の関係図参照)
「日本政策研究センター」の改憲プランを下敷きにした安倍の発言と、櫻井発言が、「日本会議」の推進母体たる「日本青年協議会」が取り仕切るこの大会で、偶然の一致とはいえぬ符合を見せたことは、やはり、この運動全体を、「生長の家学生運動」ネットワークが下支えしていると、考えざるをえまい。
さらに、不思議なことがある。
中島省治だ!中島省治が壇上に座っている!
連載22回で稲田朋美を取り上た際に、「生長の家原理主義ネットワーク」の機関誌編集人として登場した、中島省治が座っているではいか!!
「日本青年協議会」が、元来は生長の家学生運動から生まれた団体である事は、知る人ぞ知る(そして知っている人はそれなりに多数いる)話だった。だが、1983年10月の「生長の家」教団の政治運動脱退宣言以降、日青協は「生長の家」色を隠し続けてきたし、路線変更する「宗教法人生長の家」と対立することさえ厭わなかった。また、「宗教法人生長の家」の方でも、「日本会議」系のイベントに一切近づくことはなかった。あらゆる意味で、「宗教法人生長の家」と今の日本会議界隈の運動の間には関係がない。
連載22回で解説したように、中島は、「宗教法人生長の家」に反旗をひるがえす、「生長の家原理主義者」たちの機関誌の編集人を務める。「原理主義運動」の顔と言ってもいい人物だ。また、日本青年協議会の人々が、中島たちが主催するイベントにゲストとして参加していることも、筆者は把握している。
だが中島は、こうした表舞台に出る人物ではなかった。あくまでも、「原理主義運動の顔」、「宗教活動の顔」が彼の役割だ。表舞台、ましてや政治運動の場は、彼の来る場所ではないという線引きがかつてはあった。
「生長の家原理主義運動」と「日本会議」の関係は、「公然の秘密」とはいえ、ひた隠しに隠されてきたはずだ。
しかし、
中島は、厳然として座っている。「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の役員名簿に名前さえ乗っていない彼が、アパの社長夫妻の後ろに座っている。これは一体どうしたことだろう……。
考えてみれば、舞台上手に設けられた国会議員席の序列も不自然であった。
舞台中央に設けられた演台側を上座とすると、最前列に座った国会議員は、上座から
古屋圭司(自民党)
松原仁(民主党)
藤巻健史(おおさか維新)
中山恭子(次世代の党)
衛藤晟一(自民党)
下村博文(自民党)
中曽根弘文(自民党)
山谷えり子(自民党)
新藤義孝(自民党)
という序列になる。
古屋から中山恭子までの序列はわかる。会派議席数順だ。ここまでは、各政党代表として座っているのだろう。古屋が自民党を代表するのも自然なことだ。彼は、安倍晋三より当選回数は多いし閣僚経験も豊富。何より、成蹊大の先輩として後輩の安倍晋三と極めて親密だ。ここまではわかる。だが各党代表以降の「一般議員」の序列が不自然極まる。なぜ衛藤晟一が筆頭なのだろう?下村博文以降は、ほぼ閣僚経験者ばかり。一方の衛藤晟一は首相補佐官ではあるものの、閣僚経験がない。「日本会議議員懇談会」等の議連での席次としても、高位の議員は他にもいるし、第二列以降に座っている高位の議員もいる。
衛藤晟一を「一般議員筆頭」と扱う理由が見当たらぬのだ。もしあるとすれば、衛藤晟一が「日本青年協議会」の副代表であったという点しか考えられぬではないか
と、するとだ
・「美しい日本の憲法をつくる国民の会」共同代表・櫻井よしこによって今回初めて発表された、改憲の方向性は「日本政策研究センター」の改憲プランそのものであること
・「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の役員名簿に名前がないにもかかわらず、「生長の家原理主義運動」の顔・中島省治が壇上に座っていること
・衛藤晟一の序列が一般議員筆頭である理由は、衛藤晟一が「日本青年協議会」の副代表であったという点しか考えられぬこと
と、この大会の特異点を列挙してみれば、
否が応でも「生長の家学生運動」に淵源を持つ「一群の人々」の影響を指摘せざるを得ないではないか。
今回の、「今こそ憲法改正を!武道館一万人大会」は、前回振り返ったように崇教真光、霊友会などの各種教団や遺族会などの各種団体の動員による、「改憲派一万人の決起集会」であったことは確かだ。
しかし、筆者にはこの大会が、
「『一群の人々』の決起集会」に思えてならない。
と、同時に、
この国の将来は、大会を終始満足気に眺めていた椛島有三の手によって、左右されるような気がしてならないのだ。(ⅱ)伊藤哲夫もこの大会にも参加している。しかし退出するのは極めて早かった。開始1時間の段階で会場を後にしている。おそらく、櫻井の挨拶を聞いて満足したのだろう。
<取材・文/菅野完(Twitter ID:@noiehoie) 撮影/我妻慶一 菅野完>
(以上、
ハーバービジネスオンラインより引用)--------------------------------
「生長の家」というのは、1930年に谷口雅春によって創設された新興宗教団体であるが、従前より売国ジミンとは深い繋がりがあった!その
カルト教団に淵源をもつ一部の狂信的莫迦ウヨどもの妄想によって日本は明治憲法の昔へと先祖返りさせらようとしているのだ!いやはや、なんとおぞましい限りでは無いか!
そんな
狂信的莫迦ウヨどもが、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を基本三原則とする日本国憲法を忌み嫌うのは必然であり、その強い影響下にある凶人安倍一味から「天賦人権説の否定」「主権が国民にあるのがおかしい」という妄言が連発されるのもある意味当然である!
だが、「敗戦」という異常事態ではあるが、一度得た「人民の権利」を奪い去ろうとする狂信的莫迦ウヨどもの策謀は、醜悪な「反動政治」であり、断じて許すわけにはいかない!
本来「主権者たる国民の下僕」に過ぎないはずの凶人安倍一味が、あくまで「独裁者」として振る舞い「戦前回帰」「軍国主義復活」を策謀するのであれば、
我々国民は主権者として奴ら醜悪な狂信的莫迦ウヨどもを打倒するのみだ!B.A RED「Macを買うなら…」でおなじみの、
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