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おとうちゃんは、こわかった。まいにちおさけをのんで、おさしみたべてた。ぼくはおさしみたべたことなかった。おとうちゃんはハイライトすうてた。にこんのかめらだいじにしてた。おとうちゃんはこわかった。ぼくがいうこときかんと、いえからおいだされた。いうこときかんと、はしらにしばられた。おとうちゃんはこわかった。

おとうちゃんがおこると、おかあちゃん、なにもいわんなった。おとうちゃんはせんそういったのに、なにもはなさんかった。おとうちゃんはこわかった。なつのひのにちようびは、おおきないびきかきながら、ひるねしてた。ときどき、いきとまるからこわかった。おとうちゃんおこさんように、ぼくはせみとりにいった。

おとうちゃんはいぬこうてくれた。おとうちゃんはようちえんまでじてんしゃでつれていってくれた。おとうちゃんはうみにつれていってくれた。おとうちゃんはセミドロップハンドルのじてんしゃこうてくれた。おとうちゃんはぼくをそだててくれた。

おとうちゃんはなつのひのあさしんだ。おそうしきのとき、みんなおとうちゃんのはなしせんかった。ぼく、みんながきらいや。

ことしもなつがきた。おとうちゃんはあずきのあいすがすきやった。ぼく、あずきのあいすあんまりすきやないけど、すーぱーでこうてきて、おとうちゃんのかわりにすこしたべたった。なみだがほっぺたをながれた。

ぼく・・・、おとうちゃんが、すきや。

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五月雨五月。たけのこを茹でて食べる。

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幼い頃、伯父さんが毎年山で掘って持ってきてくれた筍。台所に新聞紙を広げて皮をむき、大きな鍋で糠を使って灰汁を取り、醤油とお酒で薄く味をつけて、春の香りを食べる。伯父さんは数年前に亡くなり、父も亡くなり、親戚家族は減っていく。唇噛んで五月の空は晴れわたる。

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昭和の時代には日めくりのカレンダーをつるしている家が多かった。
今も変わらない日めくりのデザイン。

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朝起きて、日めくりをめくるのは誰の役目だったのだろう。記憶がない。

六曜・選日・行事・二十八宿・九星・六十干支・月齢などの情報が詰め込まれている。特に関心はないけれど、すごいなと思う。いつ死ぬ身かは分からないけれど、一日の始まりに、これをめくり、感謝することも悪いことではないだろうな。

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冷たい水

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昭和30年代頃でしょうか。西海メンタムという塗布薬です。デザインが当時を偲ばせます。

西海メンタム。佐賀県三養基郡基山町の西海製薬株式会社の製品です。効能は切り傷、打ち身、しもやけなどです。ワセリンが主成分のようですね。

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冬の朝は、顔を洗うのが嫌だった。水道の冷たい水に手を触れるのが怖かった。洗濯も台所仕事もすべて水。水仕事を続けているとあかぎれやしもやけになる。そんなときの万能薬がメンタムだった。しばらくして、万能薬の座はオロナインに取って代わられることになるのだが・・。

水道の水も出ない朝があった。南国土佐でも水道管の中で水が凍るのだ。だから、お風呂の残り湯は大切なものだった。明日の朝は寒くなりそうだという就寝前には、水が凍らないように、台所の流しにバケツを置き、蛇口をほんの少しだけひねった。水道管の中に水流を作ると同時に、水を汲み置いたのである。

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昭和の文机

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昭和の初期でしょうか。鉄製の錠のデザインが重厚にレトロです。

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昭和の頃、錠前のかかる抽出に入れていたのは日記。十代の頃は毎日のように日記をつけていた。ため息をついては書き、酒を飲んでは書き、日々のことを綴り、詩をしたためた。でも、不思議なことに、楽しい日は何も書かなかった記憶がある。

文机に夕日が差し込む初冬の夕暮れ。

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昭和のはら薬。製造は岡山縣製薬株式會社。レトロというか、なんというか、良く言えば天衣無縫か・・。

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幼稚園に通っていた頃、わたしはよく自家中毒で入院した。記憶にあるのは、病院で出される麩の味噌汁が嫌だったこと。以来、大人になるまでわたしは麩を好まなかった。この記事を書いていて、思い出した。わたしのベッドの傍らには母親が付き添っていたことを。嘔吐を繰り返すわたしは母親といくつかの夜を過ごしていたのだ。夜になると病室の照明は天井の蛍光灯についている豆球だけになり、静かな病室には路面電車の音が聞こえていた。遠い記憶。

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昭和の時代に今のようなしゃれたデザインのコテージがあるキャンプ場などなかった。

中学生の頃、夏休みがくると仲のいい友達で川にキャンプに行った。女の子5人男の子5人くらいだったと思う。キャンプに行くにはテントが要る。あの頃は貸しテント屋さんがいくつかあって、夏休み前にテントを借りる予約を入れて、当日テントと飯盒を借り、バスに乗って川原でキャンプを張った。必要なものはみんなで持ち寄ったが、その中にフォークギターがあった。日の高いうちは川で泳ぎ、日が傾いてくるとカレーライスを作り、夜になればキャンプファイヤーを囲んでギターを弾き、歌を歌った。なぜか、人気があったのが、「戦争を知らない子どもたち」ジローズの曲。



中学校3年の時だったろうか。キャンプファイヤーの火も消し、みんなテントで眠る頃、わたしは一人の女の子と河原で並んで寝転び、満天の星を見上げていた。流れ星がいくつもいくつも空を横切っていく。

深夜になり、二人でトイレに行ったとき、(当時のキャンプ場のトイレというのは肥溜めの上に板を張り、四方を見えないように囲んだだけのものだった)わたしは、一本の木に無数の霊魂を見た。大きな木の幹に、まさに恨めしい表情の人の顔が十、二十と張り付いているのである。これは女の子も一緒に見たので私の錯覚ではないと思う。

怖いね、怖かったね、と言いながら私たちは河原に戻り、何もなかったかのように満天の星のささやきを聞き続けた。二人で手をつないで寝転び、寝転んだ背中が河原の石で痛くなれば起きて膝を組み、何も話さなかったのか、ずーっと語り合っていたのか、わたしには記憶がない。しかし満天の星はまぎれもなく私だった。そして山際が白み始め、一夜の青い夢が終わった。

今、思う。
あれは本当の出来事だったのだろうかと。
手をつないでいたのは誰だったのだろうと。

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昭和どうこうという問題ではないが、家に帰るとドアのところにカタツムリがいた。ちなみにうちのドアは2階にあるので、このカタツムリは相当長い距離を這ってきたことになる。そんなことに感激するのは私だけかもしれない。

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色々調べてみたのだが、驚いたことは、水生の巻き貝が陸上で生活するようになったのがカタツムリで、カタツムリが進化して殻をとったものがナメクジらしい。すると、カタツムリに塩をかけると、「しおしおのぱー」になるのだろうか。

ちなみに調べている途中で楽しい質問を見つけた。

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野田琺瑯社製「月兎印」ブランドのホーロー製タッパー。久しぶりに洗っていたら、ロゴマークが目についた。野田琺瑯らしく少し昭和っぽいレトロなデザインです。野田琺瑯社は昭和9年から琺瑯を作り続けてきた会社です。

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琺瑯とは金属材料表面に二酸化ケイ素を主成分とするガラス質の釉薬を焼き付けたもの。らしい。昭和30年代にはまだまだ高価なものであり、琺瑯の鍋など少なくとも我が家にはなかった。アルミの鍋にアルミの薬缶というのがほとんどの家庭だったのではないだろうか。友達の中で一人、国会議員の息子がいた。その子の家に遊びに行くと、ホットケーキや見たことのない洋菓子などを食べさせてくれたが、その家の台所には琺瑯の白い両手鍋があり、赤い薔薇の花が描かれていた。

梅雨の合間に、庭の薔薇が美しい。

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中山式快癒器。昭和54年頃に買ったもの。フォントが昭和のデザインです。

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中山式快癒器は昭和22年に日本で特許を取り、その後フランス、イギリス、アメリカでも特許を取得。写真のものはもう33年は経過している。最近、使っていなかったので、取り出してきたら、なんとばらばらになりました。そこで接着剤であちこちを止め直して復活?まだ使っていないのでわかりません。

昭和30年代は町内に一軒くらいは、按摩をしてくれる方が住んでいました。で、按摩をしてもらいたくなると、その方の家に呼びに行けば、すぐに来てくれて、自宅で按摩を受けることができました。按摩・・・按は押さえる、摩は撫でるという意味らしいですね。子どもから見ると、按摩という行為そのものが、いったい何をしているのか全く理解できませんでした。でも按摩が終わると、親は財布からお金を出し、お礼を言って頭を下げている。

ちんぷんかんぷんでした。


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アーァアーー

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昭和の時代には、親戚の叔父さんの山で筍を掘った。近くの小山に遊びに行くときには、ポケットに紙で包んだ塩を忍ばせた。春は山菜が沢山生えていたが、子どもの狙いはイタドリだった。イタドリに塩をかけてそのままかじりながら小山を探検していると、いくつもの防空壕があった。防空壕は怖かった。奥の見えない穴というのは大抵怖いものだ。大きく育った蔦を使ってターザンにもなった。みんなかならず「アーァアーー」と雄叫びを上げた。何の不安もなかった。明日を思い煩うこともなかった。

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庭で苺が次々と赤く実っていく五月である。

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昭和30年代の柱時計。何も持たなかった頃を思い出すデザインです。

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私の家で、今も現役で動いています。ボーンボーンと時を報せます。でも不思議なことが一つ。柱時計はたとえば10時には10回時を打ち、10時30分には1回時を打ちますが、この柱時計は1時に12回時を打ちます。いつも傍にいるわけではないので、13回かもしれませんが・・。たぶん30分に一回打つのと、混同しないようにしているのかも知れませんが、謎です。

曇りの日は、心が少しどんよりします。そんなことも今まで忘れていたような気がします。雨だろうが、なんだろうが、オフィスで仕事をしていると天気など気にならなかった。でも、曇った日には、少し沈んだ気持ちになるほうが我に返ることができます。

あの頃、心が晴れていると、翌日も晴れになることが多かったような気がします。天気予報が、雨の予報を出していても、「絶対に晴れる」と断言できることがありました。昭和30年代は本当に天気予報が当たりませんでした。だから、子どもは夕方になると靴を足で放り投げて明日の天気を占いました。

「明日天気になぁれ」


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昭和40年代後半でしょうか。保温ジャーです。蘭の花のデザインが昭和です。メーカー名がダイクラウンと書いてあるのですが、検索してもそのような会社は見つかりません。自分で使ってみようかと思いつつ、デッドストックになってしまいました。

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昭和30年代はもちろん保温ジャーなどというものはなく、「おひつ」でした。

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夕食の時間になると、母親が丸いちゃぶ台の横までお櫃を抱えてきて。蓋を開けるとほんのり湯気が立った。あの頃、テレビを見ながら食事するなんていうことはもってのほかだった。食事ができるということそのものを大事にしていた昭和です。

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ミルキーのど飴

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ペコちゃんののど飴。そしてミルキー。昭和後期から変わらないデザイン。

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昭和30年代にのど飴は無かったのではないでしょうか。喉が痛いことはよくありました。そんな時は塩水でうがいすることが常でした。あのころ、インフルエンザの予防注射なんてしていたのでしょうか・・。あの頃は「流行性感冒」を略して「流感」と言っていたような覚えもあります。

寒風の中、鼻水垂らして元気に遊ぶ子どもはたくさんいました。鼻水をセーターの袖でぬぐうものだから、テカテカに光っていた袖口。

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昭和の冬の朝

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昭和を思い出させる写真。子どものよだれかけのデザインと大きさに昭和の思い出が蘇ります。日本古写真保存研究会のご厚意によりお借りしました。

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冬の朝でしょうか。生け垣の木は葉を落とし、子どもは長ズボンを履いています。小さな水路にかかった木の橋。道路は舗装などされていません。竹で組まれた生け垣。家の内側と外側が明確に隔てられていなかった頃の昭和を感じます。

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昭和のデザインの香りがするシャボン玉石けん。もともとの創業は明治43年という。

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あの頃は、洗濯もお風呂も全て石鹸だった。洗濯板とたらいはどの家庭にもあった。冬の洗濯は厳しかった。寒い日も、庭先にある水道からたらいに水を入れ、洗濯板で擦る。指先の冷たさは体中を収縮させた。

風呂に入りたいときは、石鹸箱とタオルを持って銭湯まで10分ほど歩いた昭和。夏はたらいに水を入れて庭に出しておき、暖まった水で汗を流し、冬も毎日銭湯に行くことなどなかった。それがみんなの暮らしだった。

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紙風船

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静かな秋の日に紙風船。昭和の時代によく家の中で遊んだ紙風船。そのデザインは今でも変わらない。

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昭和30年代には、富山の薬売りのおじさんが、大きな行李を大きな風呂敷のようなもので背負い、年に何度か我が家にもやってきた。玄関で「こんにちは」と言う声が聞こえると、すぐにおじさんだと分かった。おじさんの声は低くてなめらかだった。玄関で行李の蓋を開けるおじさんの七三に分けられた黒い髪の毛は整髪料で光っており、行李の中には驚くほどたくさんの薬が綺麗に並べられていて、その端っこに紙風船がいくつか畳まれていた。

先日、Amazonにデザイン関係の本を注文したのだけれど、翌日には、買う気がなくなって、キャンセルの手続きをしようとしたが、すでに発送の手続きに入っているという表示がされているだけで、何もできなかった。仕方なく諦めていたが、今日紙風船を膨らませているときにパソコンに届いたAmazonからのメールは、商品が手に入らないのでキャンセルさせていただく旨のお詫びのメールだった。

静かな秋の日に紙風船をついてみる。

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水筒を忘れた日

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昭和の雰囲気の残る理容店です。三色の床屋のディスプレイデザインは16世紀にパリで生まれた。三色ねじり棒というらしいです。赤は動脈、青は静脈、白は包帯を表現しています。16世紀のヨーロッパでは、簡単な外科手術などを理容店でしていたようです。写真は以前にもこのブログでアップしたものです。

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実は、今日散髪に行ってきました。日差しが強いので、水筒に冷たいお茶を入れ、ジーンズをはいて、クリーニングに出すシャツを手に持ち、玄関の鍵を閉めて250ccのスクーターに乗りました。お盆だからでしょうか、車も少なく10分ほどで理容店の前まで来たとき、・・・水筒を忘れたことに気がつきました。まさか、家まで帰るわけにもいかないので、そのまま散髪を始めたのですが、驚いたことに、散髪の途中で、理容店の奥さんが冷たいお茶を出してくれたのです。私はその理容店に10年以上通っていますが、お茶を出してもらったのは今日が初めてです。不思議なものです。昭和の時代、幼い頃はもっとたくさん不思議なことが起きていたような気がします。

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郵便受け

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昭和の時代の郵便受け。レトロなデザインであるとともに、「世帯主」というプリントが最初から入っているのが昭和である。

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3月10日に桜が咲いた。昭和の時代は町内でお花見に出かけた記憶がある。普段は怖い近所のおじさんが真っ赤な顔をして満開の桜の下で踊っていた。しかめっ面をして鞄を提げて出勤するおじさんと、喝采を浴びて踊り続けるおじさん、どっちが本当のおじさんなんだか判らなくなった昭和。おじさんは間違いなく「世帯主」ではあったのだけれど。

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火鉢

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昭和の火鉢です。あの頃、特にデザイン的なものが施されていない、こういった火鉢がとても一般的なものでした。

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北風が吹き始める頃、押し入れの奥から火鉢を引きずり出し、灰を入れて、炭を買って、五徳を立て、火を入れる。小学校から帰ってくると、親の目を盗んで、この火鉢の上にしゃがんでお尻を温めた。寒い夜はどてらを着こんで、火鉢に手をかざし、五徳の上でチンチンに熱くなる鉄瓶から昇る湯気を飽かず眺めた。遠い昭和。暖かい昭和。

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昭和と全く変わらない浜辺の風景。幼い頃唇かみしめたまま眺め続けた海です。

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私の家の墓はこの浜の反対側、松林の中にある。線香やしきびを揃え、干菓子を買い、バスを乗り継いで、2時間近くの時間を費やしてこの浜まで墓参りにきた。近くの寺で水を分けてもらい、雑草を抜いてきれいになった墓に小さな手を合わせたあの頃。

そろそろ今年も旧盆です。

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昭和らしいレトロなデザインの痛み止め。「頭痛トンプク」が商品名でしょうか。西海製薬株式会社。佐賀県の会社で、今もあります。

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小学校5年生の頃でしょうか。一晩歯がうずいて、翌日歯医者に行きました。診察台の周りにはいろいろな器具があり、炎が立ち上がっているものもありました。これだけで、小学生を脅すには充分です。無口なお医者さんは「抜かないかんな」とボソリと呟きました。覚悟を決めた私は、これでもかと言わんばかりに、麻酔の効いた口を大きく開けて、抜歯を我慢しました。乳歯だったので、さほど時間もかからずに歯は抜けたのですが、治療はそこまで。消毒もなしです。
お医者さんは、またボソリと、
「外に水道があるから口をゆすいどいて」

診察室を出ると、待合室の奥に洗面台があり、そこで口をゆすぐと鮮やかな色の血がたくさん流れました。なかなか血が止まらない口をゆすぎながら、何故か私は奇妙な充実感に包まれて幸せでした。昭和の話です。

コルゲンコーワのケロちゃん。昭和のモノとは違うデザインですが、相変わらず憎めないキャラです

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興和株式会社のマスコットであるケロちゃんが生まれたのは昭和33年。「コルゲンコーワ」や「キャベジンコーワ」のCMを覚えています。写真は大きいケロちゃんの顔にピントを合わせて撮ったモノですが、じーっと眺めていると・・このふたつの人形顔が違います!!

調べました。まつげがある方がケロちゃんで女の子、まつげのない方がコロちゃんで男の子だそうです。大きい女の子と小さな男の子のツーショットということになりますね。

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毎日封を開けるラッキーストライク。昭和25年、あのレイモンド・ローウィのデザインです。煙草でいうとピースも彼のデザインです。

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初めて煙草を吸ったのは小学校の頃。「しんせい」でした。目が回るとか、吐くとか、友達の間では言われていたけれど、何ともなかったですね。少し、フラーっとして、吐き出す煙の香りが大人の風味でした。

あの頃、祖父は刻み煙草の「ききょう」を吸っていました。相撲が好きで、星取り表をつけながら見ていた。傍らには煙草盆。柏戸と大鵬が全盛の頃の話です。

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犀角湯とは

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昭和の置き薬ですが、なんと貝殻の中に入っています。犀角湯。岡山縣製薬株式会社。デザイン云々どころではありませんね。レトロを通り越していると思います。

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漢方薬のようです。効能は・・
急性胃腸カタル・胃痙攣・脳貧血・眩暈・卒倒・気絶・吐瀉・腹痛・食傷・癇・悪心嘔吐。昭和20年代の物かもしれません。私は最近眩暈が少しするのですが、とてもこの貝を開けてみる勇気はないのです。

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パナソニックのドライアイロン。NI-A66-K。昭和を思い出すデザインです。ドライアイロンってネットで探してもなかなか種類が少ないです。スチーム付きで、コードレスの物が主流のようです。ですから、この単純なドライアイロンの方が値段も高かったりします・・。

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昭和30年代には、もちろんスチームアイロンなどなく、霧吹き、それも口で吹くタイプの霧吹きが普通でした。セルロイドでできたチープなものでした。家の中を探してみましたがさすがにもうないセルロイドの霧吹き。

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昭和のゴミ箱

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未だに多数残っている昭和のゴミ箱です。昭和30年代は各家庭の前にこれがありました。

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これはふたの部分にトタンが張ってあるようですから高級ですね。40年代のものかもしれません。ゴミの収集車は各家庭の前のこのゴミ箱から、ゴミを収集して回りました。当然その後は汚れています。だから、各々がこれを洗い、そしてまた溜まったゴミを入れるのです。蠅の数は凄かった昭和30年代です。

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魔法瓶って

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昭和42年の広告写真です。「チャイナー魔法瓶」と「パパポット」。これをレトロなデザインと言っていいものか,迷いますね。日陶産業株式会社の製品です。

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魔法瓶なるものが日本に入ってきたのは20世紀初め,1909年とされています。これより5年前の1904年,ドイツのテルモス社が魔法瓶の商品化に成功しています。テルモスはドイツ語読みだと思います。あのTHERMOSです。現在,私はサーモスの携帯マグを2本持っています。

今はステンレスの保温器,保冷器が普通ですが,昭和のころは二重になったガラス瓶でした。ですから,乱暴に扱うと割れることが多々ありました。それにしても,「魔法瓶」というネーミングは何とかならなかったものでしょうか。魔法の瓶ですからねぇ。

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昭和の繊維壁

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昭和の繊維壁にひらひらと留められた富山の薬屋の広告。昭和らしいデザインです。

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繊維壁は昭和40年代には大流行でした。50年代にはホームセンターでも材料を売っていました。今でもあるかもしれませんね。繊維壁の素材は「パルプ」「ワラ」「紙」「糸」などに「樹脂」を混ぜたものです。月日を経ると,ぼろぼろと剥がれて落ちてきます。うちの壁は崩れます。左官屋さんのページを見つけました。面白いです。

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昭和のデザインです。富山の置き薬,つくしメンターム。昭和30年代のものでしょうか。

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赤チンとオロナインとメンターム。この三つがあれば,怪我は治った昭和です。思い出すのは,友達が五寸釘を踏み抜いたことです。あの頃,釘なんていくらでも落ちていました。まるで廃材置き場のようになった空き地で遊んでいるとき,友達が釘を踏んでしまいました。その釘は足の甲まで突き抜けていました。「はよう,家へ帰れ」という皆の声に押されるようにして家に帰った彼は,翌日,足を包帯でぐるぐる巻きにして学校に来ました。話を聞くに,家で釘を抜いてもらい,水で洗い,メンソレータムを傷口に塗り込んだそうです。彼は二日ほどすると包帯もせずに,皆と空き地で走り回っていました。ハードな昭和でした。

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