マイナンバーとSSN

普通の店の取引は、店が提供する財と客が支払う代価は即時交換される匿名取引だからである。
問題になるとしたらリスト中に同じ名前がある場合。リスト上位の名前を騙って私ですと言って先に入るという悪質なやり口―行列に割り込むのと同じ―も考えられないことはない。だからといって、リストには携帯している身分証明になるものの名前を記入することと言うと、きっとやり過ぎと言われるだろう。
まして、そのリストにマイナンバーを記入しろということはありえない。
しかし、私は思う、国民一人一人に与えられるマイナンバーは流通させればいいじゃないか。親が付けた名前と、役所が付けた名前(マイナンバー)があり、公的・公共的手続きは間違いがないように役所が付けた名前を併記してください、それで何か問題があるだろうか。
佐村河内なんて珍しい名前だと、みんなその姓の人を色眼鏡で見るだろう、個人を特定できるだろう。田中や鈴木だったらいいのか。
一方で「名前の神秘性」という感覚があることも良くいわれる。
中国では、諱(忌み名)は通常使ってはならず字(あざな)を使わなければならない。
名前を知られたら魔力を失う・行使できなくなる民話(ルンペルシュティルツヒェン[グリム]、トム・ティット・トット[イギリス])も世界各地にある。
また、キャッシュカードでは、口座番号がわかれば簡単にカードの再発行ができてしまい実際それによって犯罪が行われたこともあるから、口座番号は隠せと言われる。
たしかに、そういう配慮も必要かもしれない。
しかし、神秘性はともかく、後者の例は、本人確認がきちんとできれば防げる話である。
遅ればせながら最近「マイナンバーがやってくる」という本(*1)を読んだ(Kindle電子書籍で)。そこには米国のSSNの失敗が分析されていた。(以下その引用)

しかし、SSN が広く普及すると、本人から開示を受けた第三者がSSN を知り得る状況が飛躍的に増加した。すると、本人しか知らないはずという前提が崩れ、なりすましが多発する状況となったのだ。
マイナンバー制度では、SSN 制度のような運用は否定されている。第三者がマイナンバーを目に見える番号として取得する機会は少なくない。このため、本人のみが知ると考えて本人確認に利用するのは危険だ。マイナンバーを知っていることを本人である根拠とすることは間違っている。」
本書ではこれに続けて本人認証手段について書かれているわけだが、この分析を裏読みすると、番号自体が公開されていたとしても、その番号で個人情報へアクセスする場合、本人であることを確認すればSSNの犯した失敗は防止できるということであり、番号の流通を止める必要はないとも考えられる。実際、マイナンバーは税の源泉徴収や年金掛け金の天引きのために雇用主に知らせなければならず、番号が公的機関以外の他人に知られることは当然である。取扱事務者がそれを漏らしちゃいけないといっても、多分、徹底はされず、闇マーケットに流れることだろう。
ユニークネスが保証されている名前、それがマイナンバーだと言って良いのではないか。そしてそのコンセプトでシステムを作ればシステムコストは大幅に下げることができるだろう。(メーカーはそれがイヤなのか?)
以前、住民基本台帳ネットワークが導入されたとき、政府は、これは国民総背番号制とは違うと苦しい説明をし、それに対するクレームが市町村に多く寄せられたと聞いている。解釈で改憲できるぐらいだから、総背番号制だというぐらいたかが知れてる。正々堂々とマイナンバーは総背番号だと言えばいいのではないか。
(*1) 「マイナンバーがやってくる 改訂版」市民が主役の地域情報化推進協議会番号制度研究会 日経BP
(*2) 昔、アメリカのTVドラマなどで、登場人物が電話でクレジット番号を言うだけでホテルや飛行機の予約ができるシーンがあって、なんでそんなのでいいのか、と疑問に思ったことがある。また、私が20年以上も前、アメリカに行った時、KDD(当時)のカードを持っていって、そのカード番号を交換に伝えるだけで国際電話ができたことも覚えている。事前に難しいシステムを作るより、問題が起こったときの解決コストの方が安かった時代だと思う。その後、データマイニング技術などで悪質な利用パターンを選び出して取引を停止するなどが行われるようになったと聞いている。
(続く。 明日はマイナンバーの情報システムについて書く予定)