2013.10.26
論文はどんな日本語で書かれているか?アタマとシッポでおさえる論文らしい文の書き方
小説の文章のことを書いた(文字色hatena-bookmark-title">物語は作れたがどんな文章で小説にしていいか分からない人のための覚書 )ので、論文についても触れておこう。
論文の構成については何度か書いているので、今回は文のレベルについて、論文表現のインサイド、例えばあの持って回った言い回しは一体どこから生まれてくるのかを解説する。
何故こんな言い方が生まれてくるのかを理解した方が、やってはいけないリストをいたずらに増やすよりも、記憶に残るし応用も効くだろう。
(関連記事)
(論文の文例)
・卒論に今から使える論文表現例文集(日本語版) 読書猿Classic: between / beyond readers
・こう言い換えろ→論文に死んでも書いてはいけない言葉30 読書猿Classic: between / beyond readers
(論文の構成)
・論文に何を書くべきか→これだけは埋めろ→論文作成穴埋めシート 読書猿Classic: between / beyond readers
・論文は何からできているのか?それは何故か?から論文の書き方を説明する 読書猿Classic: between / beyond readers
論文文体のあたまとしっぽ
論文は、A.(学問的に価値がある)課題・問いを自ら設定し、B.論証に基づいて、C.何らかの主張を行うものである。
したがって論文の中核となる文は、次の3つに分類される。
A.課題・問いを設定し、議論の方向性を示す表現
B.事実やデータに基づき、また他の文献を参照して、論証を展開する表現
C.まとめとして論文の主張を示す表現
そして、それぞれの表現は、文レベルでみると、文頭の接続詞・接続副詞と、文末の動詞・助詞・助動詞に特徴が見られる。
論文は決まったフォーマットに基づいて書かれる。これにより読み手は、どこに何が書いてあるのか予想を立てることができ、理解のための準備・構えを取ることできる。こうしてより速く読むこととともに、よりよく理解することが可能となる
全体の構成についてそうなように、文レベルでも、読み手の予想を促し助けるサインを出すことが求められる。これは当然ながら文頭で行われ、接続詞・接続副詞などがその役目を担う。
これに対して文末は、書き手(話し手)の性別・年齢・職業などのいわゆる位相の違いが現れる場所であり(例えば「食べてきたよ」「食べてきたわ」「食べてきたぜ」)、文体(話体)において中心的な役割を果たす。当然「論文らしさ」もまた、文末をどうするかによって生まれたり損なわれたりする。
つまり文のアタマとシッポをおさえておけば、それぞれのパートで必要な「論文らしい日本語」が書けるのである。
時間のない人のために、最初に表にまとめておく。
「私は……と思う」から「…は……である」へ
各論に入る前に、最も重要な事項を述べておこう。
論文やレポートは、アイデンティティを養生したり開陳したりするものではない。
そして大学は、学生の自我や人生を引き受ける場ではない。
「私は……と思う」といった読書感想文の文体がまったく出番がなくなるのは、そういう理由からである。
ある結論を出した私の思考と、その判断のもとになった根拠との関係を簡単に図式化すると以下のようになるだろう。
感想文では「私の思考」が強調され、論文では「根拠」と「結論」が前に出て「私の思考」は背景に退く。
このあたりについては、英文論文について書いた、次の記事も参考になるかもしれない。
・言葉と思考の解像度を上げる→つぶやきをフォーマルな英文に仕上げる4つの技術 読書猿Classic: between / beyond readers
このことは当然ながら論文の文体に大きな影響を与える。
根拠と論理に基いて、論を展開することが求められる論文やレポートでは、対象と同じ地平に自分を置き、自らの目に映る姿を述べる一人称ではなく、視点を対象とは別のところに置き見ている自らをも視野におさめて観察する三人称による記述が求められる。
まず文の主語は、書き手から取り扱われる概念へと変わり、こうして「…は……である」という文体が選ばれることになる。
この論文文体は、学問の普通語であるだけでなく、何事かを伝えるために書かれる大人の実用文においても(したがって知識に値するものを読み書きする際に出会う)デフォルトの文体である。
では、各論へ進もう。
A.議論の方向性を予告する表現
複雑な問題を扱うには、ある程度の長さと複雑さをもった文章が必要になる。
こうした場合、これからどんなことを論じようとしているのか、あらかじめ議論の方向性を示すことで、読み手の理解を助けることができる。
込み入った文章の迷路に、道しるべを立てるわけだ。
論文でよく用いられる「道しるべ」には次のものがある。。
A1 行動の予告によって後に続く内容を概説する
(例)
・以下では、シミュレーションにより、債券運用の違いによるALMの安定性の分析を考察する。
・次に、アメリカの現状と比較することで、別の角度から考えてみることにしよう。
論文は「~である。」で結ばれる文を基本にできている。
書き手の姿は極力消して、事柄について述べる文が中心となるのである。
そんな中に、ときどき「~する。」や「~したい。」「~しよう。」という行為を表す文末が登場することがある。
「~である」ばかりの中に出てくるから、目立つ。
これは、行為や行為の予定を示す文で、後続の展開を予告する〈道しるべ〉である。
ここ以降では何を論じようというのか、論文の叙述に対して、いわば一つ上のレベルに立って、その方向を整理し示しているわけだ。
他の部分で「である。」を貫き、「私は~と思う」のような書き手の存在をあからさまに示す表現を退けるからこそ、行動の予告をつかったこの〈道しるべ〉は目立つ。
A2 疑問文によって論点となる問いを示す
(例)
・それでは,なにがこのような介在原理の作動様式を決めているのだろうか。
・さて,1980年代の教育の潮流はどういう方向に行ったのか。
行為の予定とともに、論述の方向性を示す表現に、疑問文を使ったものがある。
疑問には、問いかける者がいるはずだ。
疑問文を使った表現も、極力姿を消している書き手の姿が突然現れる箇所である。
疑問文もやはり、論文の叙述に対していわば一つ上のレベルに立った書き手の介入の跡をありありと示す。
「~のか。」「のだろうか。」などの表現が、「である。」中心の叙述から浮き上がり目立つ、つまり「道しるべ」として役立つのは、こうした訳だ。
さらに目立たさせるために、それ以前の文脈からの切替えを示す「では」「それでは」「さて」といった接続詞を文頭に伴うことも多い。
問いかけとそれへの応答は、議論を方向付ける。
論理的であることは元々、相手の疑問に遺漏なく答えることだった。
現在では弁証法という日本語をあてがわれるダイアレクティークという語が、古来、論理学と問答術の両方を意味したように、論理についての知識は、もともと問答の研究から生まれたのである。
何事か論じるために書かれる論文のなかで、いきなり自問自答が行われるのは(だって論文の書き手は答えを知ってるからそもそも書いているのだろうに、何故わざわざ問いなおすのか?)、問答が議論を方向付けるからである。いや根源的に言えば、問答こそが議論そのものであるからである。
書き手は自身の研究が、ひとつの問い(リサーチ・クエスチョン)に導かれていることや、この根源の問いに答えるために、より小さな問いにいくつも答えなければならないことを知っている。
論文の中でそのすべてが疑問文で登場するとは限らないが、主要な問いは、主要な議論を導くために、必ず疑問文として登場する。
もし疑問文がひとつも出てこないなら、あるいは多すぎる疑問文で埋め尽くされるなら、あなたの論文は何について問い答えようとしているのか、答えることができるのはどの問いなのか、今一度確認した方がいい。
A3 以降の展開を構造化する/構造を予告する
A3-1 列挙を予告する表現
↓
(例)
・土地によって生産性が異なるのには、大きく分けて二つの理由がある。
第一に、土地の豊度であり、肥沃度、地形、水利、気温、日照条件などがこれに当たる。第二に、土地の位置である。これは、市場までの輸送の難易である。
先に、複雑な問題を扱うには、ある程度の長さと複雑さが必要だと言った。
たとえば根拠を示すにしろ、例を挙げるにしろ、たった一つでなく複数の根拠なり例示を挙げることになるだろう。
これから全部で何個の根拠なり事例を挙げるかをあらかじめ予告することで、以降の展開を構造化するのが〈列挙〉の表現である。
たとえば「3つの……がある。」と予告された後は「第一に……」「第二に……」「第三に……」という3つの同じ種類の項目が続くことになる。
A3-2 対比を示す表現
(例)
・一方、婚姻による交流を意図的に排除している例として、次のような場合がある。
・これに対して、動物解放の立場からはトム・レーガンによる生態系保存論批判がある。
同種の項目を予告する〈列挙〉に対して、反対の/対称的な項目やブロックが続くことを予告するのが〈対比〉である。
個々の対象レベルから、より大きな集合や集団レベル、さらに包括的な構造レベルまで、大小さまざまな〈対比〉が行われる。
B.論証を展開する表現
論文は、講義には説得を目的とする文章の一種である。
そして根拠と例示は、説得の二大手段であり、根拠を示す表現と例示する表現は書くことはできない。さもないと、主張を言いっぱなしにすることになる。
B1 根拠を示す表現
(例)
・なぜなら、人間は、自己意識を持った自覚的な存在であるからである。
・というのは、この書の主人公である唐の太宗が、頼朝や家康に、やや似た位置にいたからである。
B2 例示する表現
(例)
・たとえば新内「明烏夢泡雪」のつぎにあげる一節の地から詞への転調をおもわせるものがある。
・これには、とくに瞬発的な抗重力運動を行う競技者に高い骨塩濃度を認めるという報告がある。
B3 参照・引用を示す表現
(例)
・ダルゼルによれば、インターネットの長所は混沌と不協和音に、その自由な言論にあるという。
・『越登賀三州志』によると、この年謙信は蓮沼城を攻め、城主椎名康胤が自刃して、城が陥落したという。
・『放浪記』によれば、「一九二〇年代にすでにあったようである」と述べている。
論文では、前提を示すにしろ反論するにしろ、他の研究(論文)を参照・引用することが不可欠である。
そして参照・引用は、論文の他の部分からは明確に区別され、典拠が示されなくてはならない。
したがって参照・引用を明示するマーカーが使われる。
通常「~によれば」「~では」ではじめられ、「~という。」「~と述べている。」などで括られることで、参照・引用であることが示される。
B4 譲歩を示す表現
(例)
・確かに財産の中で建築物等を特別に扱うことは理由があるかにみえる。
しかし、結論的にはこの見解に同意することはできない。
論文では、他の研究を単に参照・引用するだけでなく、それらの主張や常識的な見解、また想定される反論を挙げて、それらを部分的に受け入れつつ、一部分を否定し、書き手の主張や見解を展開する〈譲歩〉の表現を用いることが少なくない。
部分的に受け入れる前段は「たしかに」「もちろん」「一見」などで始められ、「である。」「であるかにみえる」等で結ばれる。
そして批判を行う後段は、すぐあとに「だが」「しかし」ではじめられる。
B5 定義する表現
(例)
・資産の流動化を「資産の保有者が資産の価値および資産の生み出すキャッシュフローを原資として資金調達を行うことである。」と定義する。
・三者関係で記述された世界を外在世界と名づける。
他に論文表現で欠くことのできない重要なものに〈定義〉の表現がある。
定義は、学問的コミュニケーション(論文はまさしくコミュニケーションのツールである)において、解釈のばらつきを避け、厳密性を担保するとともに、説明や正当化の無限後退や循環論法のような〈場外乱闘〉を封じ込め、健全で意義のある議論を成立させるために重要である。
定義は、論述そのものというより、その前提となるものなので、「である」中心の叙述から目立つように「と呼ぶ。」「という。」「と名づける。」「と定義する。」といった文末を持つ。
C.主張提示の表現
長く複雑な論証を受けて行われる論文の主張では、それらを受ける「このように」「以上のことから」といったまとめの表現や「したがって」「それゆえ」などの帰結の接続詞がマーカーとして用いられる。
しかし論文表現としてより特徴的であり、また問題をはらんでいるのは、主張における文末である。
これは種類が多いので、後で6種類に分類して示す(C1〜C6)。
これら文末は、いずれも論文表現に特徴的な「私」消しの機能を担い、(多くは無自覚的にだが)論理的必然性を強調するために用いられるものである。
なぜ、論文では、特にその主張部分では「私」を消す必要があるのか。
それは、論文の主張が、原理的には、論文執筆者の個人的見解、私有物ではなく、当該分野の学問の一部であり共有財産であるからである。
エッセイに書かれるような個人的見解は、その書き手の見解だからこそ価値を持つ。読み手はそれに共感する(あるいは共感しない、反感を持つ)が、個人的見解であれば異なる見解が併立しても差し支えない。
しかし論文における主張は違う。それは「私」の見解ではなく、「我々」の知的共有財産(の一部)である。だからこそ旧来の学説と矛盾する主張が登場すれば、その検証・反証に多くの研究者が参加し、最終的には新説が退けられるか、あるいは旧来の学説が改められるか、いずれかになる(ここまで理想的に展開が運ばなくとも、少なくともこうした志向が学問コミュニティに生じる)。
一個人の特殊的見解ではなく、我々すべてに共有されるべき普遍的知識を志向するために、事実・データから論文の主張を導き出した研究者=論文執筆者の関与は背景に退けられ、まるで事実・データから自動的に論文の主張が導き出されるかのような表現が使われるのである。
この「私」消しの機能こそ、「行為の主体が曖昧になるから受身形を避けるように」と多くの論文表現本が主張しているにもかかわらず、この種の表現が消えない理由である。
C1.自発表現
(例)
・以上のことから、本製剤が適切に使用される限りにおいては、食品を通じてヒトの健康に影響を与える可能性は無視できると考えられる。
思考作用を表す動詞につけられる「れる」「られる」は、論文表現本では乱暴に「受身」扱いされることもあるが、心的作用が自然に/自動的に/意志によらず実現してしまうことを示す自発の助動詞である。
自発の助動詞を使うことで、書き手の(研究者=分析主体の)意志とは無関係に自然と/自ずから、分析が〈湧き出た〉かのような表現ができあがる。
「私は~と思う」から〈私〉が剥ぎ取られ、「~と思われる」といった表現に置き換えられることで、思考主体の存在は見えなくなり、主張はあたかも/誰でも「自然とそう思える」かのように扱われ、断定を避けつつ必然性を強調する表現が生まれる。
C2.受身表現
(例)
・以上のことから、総合的に判断して、所期の計画以上の取組が行われていると評価される。
受身表現も、自発の表現と同じ役割を果たすべく用いられる。
たとえば「求められる」「期待される」「注目される」「評価される」という表現は、もちろん実際には、文章を書いているこの私が、求める/期待する/注目する/評価するのだが、受身となることで〈私〉が消され、必然性を強調する表現がここでも導入される。
C3.可能表現
(例)
・以上のことから、モデル駐車場では、空間分離を実施することが可能であると言える。
可能には、「私は泳げる」という能力可能のほかに、「この浜辺は遊泳可能である」という状況可能がある。
論文で頻出する「~とまとめられる。」や「~と分析できる」「~であると評価しうる」といった可能表現の多くはこの状況可能であり、やはり〈私〉を背後に隠し、そうなってしまう状況を強調することで必然性を添加する表現として用いられる。
C4.推量表現
(例)
・したがって、多角化戦略という点では、ソニーは日本の代表的企業といっていいだろう。
・したがって域内で閉鎖経済の傾向が強くなると、ユーロの国際的な役割も限定されるだろう。
断定を避けつつ蓋然性の高さを強調しようという魂胆を持った推量表現も、多くの論文表現本で批判されながら、根絶されない表現である。前述の自発表現、受身表現、可能表現と併せて用いられることも多い。
事態成立の条件が整っていることを示唆しつつ、だから(私や誰かの意志がどうであれ)自ずからそういうことになるだろう、という持って行き方であるが、本来、研究はそうした「だろう」をひとつでも減らすために行われる営為である。
無論、ひとつの研究だけですべてを明らかにすることはできないから、推量を完全に払拭することは難しい。しかし推量が紛れ込む理由を自覚することで、これらの管理下に置くことが求められる。
C5.否定表現
(例)
・従って日本は主義として之に反対せざるを得ない。
・したがって、年金制度には社会政策としての側面があることは否めない。
これも多くの論文表現本で批判されながら、根絶されない表現である。
〈私〉消しの機能としては推量と似ており、「したいわけではないけれど、(私や誰かの意志がどうであれ)こうするしかないよね」と消極的承認の姿勢をとりつつ、事態成立の必然感を演出する表現である。
C6.帰結表現
(例)
・したがって,遺伝子が染色体に含まれるとすれば,1つの染色体には多数の遺伝子が存在することになる。
これも「事態が成立してしまった」という表現によって必然感を演出し、加えて「である。」の繰り返しで単調になりがちな文末に変化を与えるものである。
総じて、〈私〉消しの文末表現は、研究論文が持つべき非私性・公共性が要請するものであり、〈論文らしさ〉の一翼を担うものであるが、繰り返し指摘されているように、責任逃れで自信なさげな文章、断言を回避しつづけるもったいぶった文章に堕する危険性を孕むものである。
「論文でやってはいけないリスト」に載せることは簡単だが、だといって「私は~と思う」のような〈私〉回帰になっては元も子もない。
そこでこの記事では、何ゆえ根絶されないのかを理解して、自覚し、管理下に置くことを推奨する。
論文の構成については何度か書いているので、今回は文のレベルについて、論文表現のインサイド、例えばあの持って回った言い回しは一体どこから生まれてくるのかを解説する。
何故こんな言い方が生まれてくるのかを理解した方が、やってはいけないリストをいたずらに増やすよりも、記憶に残るし応用も効くだろう。
(関連記事)
(論文の文例)
・卒論に今から使える論文表現例文集(日本語版) 読書猿Classic: between / beyond readers
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論文文体のあたまとしっぽ
論文は、A.(学問的に価値がある)課題・問いを自ら設定し、B.論証に基づいて、C.何らかの主張を行うものである。
したがって論文の中核となる文は、次の3つに分類される。
A.課題・問いを設定し、議論の方向性を示す表現
B.事実やデータに基づき、また他の文献を参照して、論証を展開する表現
C.まとめとして論文の主張を示す表現
そして、それぞれの表現は、文レベルでみると、文頭の接続詞・接続副詞と、文末の動詞・助詞・助動詞に特徴が見られる。
論文は決まったフォーマットに基づいて書かれる。これにより読み手は、どこに何が書いてあるのか予想を立てることができ、理解のための準備・構えを取ることできる。こうしてより速く読むこととともに、よりよく理解することが可能となる
全体の構成についてそうなように、文レベルでも、読み手の予想を促し助けるサインを出すことが求められる。これは当然ながら文頭で行われ、接続詞・接続副詞などがその役目を担う。
これに対して文末は、書き手(話し手)の性別・年齢・職業などのいわゆる位相の違いが現れる場所であり(例えば「食べてきたよ」「食べてきたわ」「食べてきたぜ」)、文体(話体)において中心的な役割を果たす。当然「論文らしさ」もまた、文末をどうするかによって生まれたり損なわれたりする。
つまり文のアタマとシッポをおさえておけば、それぞれのパートで必要な「論文らしい日本語」が書けるのである。
時間のない人のために、最初に表にまとめておく。
「私は……と思う」から「…は……である」へ
各論に入る前に、最も重要な事項を述べておこう。
論文やレポートは、アイデンティティを養生したり開陳したりするものではない。
そして大学は、学生の自我や人生を引き受ける場ではない。
「私は……と思う」といった読書感想文の文体がまったく出番がなくなるのは、そういう理由からである。
ある結論を出した私の思考と、その判断のもとになった根拠との関係を簡単に図式化すると以下のようになるだろう。
感想文では「私の思考」が強調され、論文では「根拠」と「結論」が前に出て「私の思考」は背景に退く。
感想文 | 根拠 → 私の思考 → 結論 |
論 文 レポート | 根拠 → (私の思考) → 結論 |
このあたりについては、英文論文について書いた、次の記事も参考になるかもしれない。
・言葉と思考の解像度を上げる→つぶやきをフォーマルな英文に仕上げる4つの技術 読書猿Classic: between / beyond readers
このことは当然ながら論文の文体に大きな影響を与える。
根拠と論理に基いて、論を展開することが求められる論文やレポートでは、対象と同じ地平に自分を置き、自らの目に映る姿を述べる一人称ではなく、視点を対象とは別のところに置き見ている自らをも視野におさめて観察する三人称による記述が求められる。
まず文の主語は、書き手から取り扱われる概念へと変わり、こうして「…は……である」という文体が選ばれることになる。
(主語) | (文末) | |
感想文 | 私(=書き手) | 「〜と思う。」 |
論 文 レポート | 概念・対象 | 「〜である。」 |
この論文文体は、学問の普通語であるだけでなく、何事かを伝えるために書かれる大人の実用文においても(したがって知識に値するものを読み書きする際に出会う)デフォルトの文体である。
では、各論へ進もう。
A.議論の方向性を予告する表現
複雑な問題を扱うには、ある程度の長さと複雑さをもった文章が必要になる。
こうした場合、これからどんなことを論じようとしているのか、あらかじめ議論の方向性を示すことで、読み手の理解を助けることができる。
込み入った文章の迷路に、道しるべを立てるわけだ。
論文でよく用いられる「道しるべ」には次のものがある。。
A1 行動の予告によって後に続く内容を概説する
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
以下では… 以降で… 次に… | ・・・ | …する。 …したい。 …しよう。 |
(例)
・以下では、シミュレーションにより、債券運用の違いによるALMの安定性の分析を考察する。
・次に、アメリカの現状と比較することで、別の角度から考えてみることにしよう。
論文は「~である。」で結ばれる文を基本にできている。
書き手の姿は極力消して、事柄について述べる文が中心となるのである。
そんな中に、ときどき「~する。」や「~したい。」「~しよう。」という行為を表す文末が登場することがある。
「~である」ばかりの中に出てくるから、目立つ。
これは、行為や行為の予定を示す文で、後続の展開を予告する〈道しるべ〉である。
ここ以降では何を論じようというのか、論文の叙述に対して、いわば一つ上のレベルに立って、その方向を整理し示しているわけだ。
他の部分で「である。」を貫き、「私は~と思う」のような書き手の存在をあからさまに示す表現を退けるからこそ、行動の予告をつかったこの〈道しるべ〉は目立つ。
A2 疑問文によって論点となる問いを示す
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
では… それでは… さて… | ・・・ | …のか。 …のだろうか。 |
(例)
・それでは,なにがこのような介在原理の作動様式を決めているのだろうか。
・さて,1980年代の教育の潮流はどういう方向に行ったのか。
行為の予定とともに、論述の方向性を示す表現に、疑問文を使ったものがある。
疑問には、問いかける者がいるはずだ。
疑問文を使った表現も、極力姿を消している書き手の姿が突然現れる箇所である。
疑問文もやはり、論文の叙述に対していわば一つ上のレベルに立った書き手の介入の跡をありありと示す。
「~のか。」「のだろうか。」などの表現が、「である。」中心の叙述から浮き上がり目立つ、つまり「道しるべ」として役立つのは、こうした訳だ。
さらに目立たさせるために、それ以前の文脈からの切替えを示す「では」「それでは」「さて」といった接続詞を文頭に伴うことも多い。
問いかけとそれへの応答は、議論を方向付ける。
論理的であることは元々、相手の疑問に遺漏なく答えることだった。
現在では弁証法という日本語をあてがわれるダイアレクティークという語が、古来、論理学と問答術の両方を意味したように、論理についての知識は、もともと問答の研究から生まれたのである。
何事か論じるために書かれる論文のなかで、いきなり自問自答が行われるのは(だって論文の書き手は答えを知ってるからそもそも書いているのだろうに、何故わざわざ問いなおすのか?)、問答が議論を方向付けるからである。いや根源的に言えば、問答こそが議論そのものであるからである。
書き手は自身の研究が、ひとつの問い(リサーチ・クエスチョン)に導かれていることや、この根源の問いに答えるために、より小さな問いにいくつも答えなければならないことを知っている。
論文の中でそのすべてが疑問文で登場するとは限らないが、主要な問いは、主要な議論を導くために、必ず疑問文として登場する。
もし疑問文がひとつも出てこないなら、あるいは多すぎる疑問文で埋め尽くされるなら、あなたの論文は何について問い答えようとしているのか、答えることができるのはどの問いなのか、今一度確認した方がいい。
A3 以降の展開を構造化する/構造を予告する
A3-1 列挙を予告する表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
(数字)つの… 以降で… | ・・・ | …がある。 …があった。 |
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
第一に… 第二に… …… | ・・・ | (…である。) |
(例)
・土地によって生産性が異なるのには、大きく分けて二つの理由がある。
第一に、土地の豊度であり、肥沃度、地形、水利、気温、日照条件などがこれに当たる。第二に、土地の位置である。これは、市場までの輸送の難易である。
先に、複雑な問題を扱うには、ある程度の長さと複雑さが必要だと言った。
たとえば根拠を示すにしろ、例を挙げるにしろ、たった一つでなく複数の根拠なり例示を挙げることになるだろう。
これから全部で何個の根拠なり事例を挙げるかをあらかじめ予告することで、以降の展開を構造化するのが〈列挙〉の表現である。
たとえば「3つの……がある。」と予告された後は「第一に……」「第二に……」「第三に……」という3つの同じ種類の項目が続くことになる。
A3-2 対比を示す表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
一方… これに対して… 反対に… | ・・・ | (…である。) |
(例)
・一方、婚姻による交流を意図的に排除している例として、次のような場合がある。
・これに対して、動物解放の立場からはトム・レーガンによる生態系保存論批判がある。
同種の項目を予告する〈列挙〉に対して、反対の/対称的な項目やブロックが続くことを予告するのが〈対比〉である。
個々の対象レベルから、より大きな集合や集団レベル、さらに包括的な構造レベルまで、大小さまざまな〈対比〉が行われる。
B.論証を展開する表現
論文は、講義には説得を目的とする文章の一種である。
そして根拠と例示は、説得の二大手段であり、根拠を示す表現と例示する表現は書くことはできない。さもないと、主張を言いっぱなしにすることになる。
B1 根拠を示す表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
なぜなら… というのは… | ・・・ | …からである。 …ためである。 |
(例)
・なぜなら、人間は、自己意識を持った自覚的な存在であるからである。
・というのは、この書の主人公である唐の太宗が、頼朝や家康に、やや似た位置にいたからである。
B2 例示する表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
例えば… とくに… | ・・・ | (…である。) |
(例)
・たとえば新内「明烏夢泡雪」のつぎにあげる一節の地から詞への転調をおもわせるものがある。
・これには、とくに瞬発的な抗重力運動を行う競技者に高い骨塩濃度を認めるという報告がある。
B3 参照・引用を示す表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
~によれば… ~によると… ~では… | ・・・ | …という。 …と述べている。 …とある。 |
(例)
・ダルゼルによれば、インターネットの長所は混沌と不協和音に、その自由な言論にあるという。
・『越登賀三州志』によると、この年謙信は蓮沼城を攻め、城主椎名康胤が自刃して、城が陥落したという。
・『放浪記』によれば、「一九二〇年代にすでにあったようである」と述べている。
論文では、前提を示すにしろ反論するにしろ、他の研究(論文)を参照・引用することが不可欠である。
そして参照・引用は、論文の他の部分からは明確に区別され、典拠が示されなくてはならない。
したがって参照・引用を明示するマーカーが使われる。
通常「~によれば」「~では」ではじめられ、「~という。」「~と述べている。」などで括られることで、参照・引用であることが示される。
B4 譲歩を示す表現
(アタマ) | (シッポ) | (次文のアタマ) |
たしかに… 一見… もちろん… | …である。 …であるかにみえる。 | だが… しかし… |
(例)
・確かに財産の中で建築物等を特別に扱うことは理由があるかにみえる。
しかし、結論的にはこの見解に同意することはできない。
論文では、他の研究を単に参照・引用するだけでなく、それらの主張や常識的な見解、また想定される反論を挙げて、それらを部分的に受け入れつつ、一部分を否定し、書き手の主張や見解を展開する〈譲歩〉の表現を用いることが少なくない。
部分的に受け入れる前段は「たしかに」「もちろん」「一見」などで始められ、「である。」「であるかにみえる」等で結ばれる。
そして批判を行う後段は、すぐあとに「だが」「しかし」ではじめられる。
B5 定義する表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
・・・ | ・・・ | …と呼ぶ。 …という。 …と名づける。 …と定義する。 |
(例)
・資産の流動化を「資産の保有者が資産の価値および資産の生み出すキャッシュフローを原資として資金調達を行うことである。」と定義する。
・三者関係で記述された世界を外在世界と名づける。
他に論文表現で欠くことのできない重要なものに〈定義〉の表現がある。
定義は、学問的コミュニケーション(論文はまさしくコミュニケーションのツールである)において、解釈のばらつきを避け、厳密性を担保するとともに、説明や正当化の無限後退や循環論法のような〈場外乱闘〉を封じ込め、健全で意義のある議論を成立させるために重要である。
定義は、論述そのものというより、その前提となるものなので、「である」中心の叙述から目立つように「と呼ぶ。」「という。」「と名づける。」「と定義する。」といった文末を持つ。
C.主張提示の表現
長く複雑な論証を受けて行われる論文の主張では、それらを受ける「このように」「以上のことから」といったまとめの表現や「したがって」「それゆえ」などの帰結の接続詞がマーカーとして用いられる。
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
したがって… それゆえ… このように… 以上のことから… | ・・・ | (後述 C1〜C6) |
しかし論文表現としてより特徴的であり、また問題をはらんでいるのは、主張における文末である。
これは種類が多いので、後で6種類に分類して示す(C1〜C6)。
これら文末は、いずれも論文表現に特徴的な「私」消しの機能を担い、(多くは無自覚的にだが)論理的必然性を強調するために用いられるものである。
なぜ、論文では、特にその主張部分では「私」を消す必要があるのか。
それは、論文の主張が、原理的には、論文執筆者の個人的見解、私有物ではなく、当該分野の学問の一部であり共有財産であるからである。
エッセイに書かれるような個人的見解は、その書き手の見解だからこそ価値を持つ。読み手はそれに共感する(あるいは共感しない、反感を持つ)が、個人的見解であれば異なる見解が併立しても差し支えない。
しかし論文における主張は違う。それは「私」の見解ではなく、「我々」の知的共有財産(の一部)である。だからこそ旧来の学説と矛盾する主張が登場すれば、その検証・反証に多くの研究者が参加し、最終的には新説が退けられるか、あるいは旧来の学説が改められるか、いずれかになる(ここまで理想的に展開が運ばなくとも、少なくともこうした志向が学問コミュニティに生じる)。
一個人の特殊的見解ではなく、我々すべてに共有されるべき普遍的知識を志向するために、事実・データから論文の主張を導き出した研究者=論文執筆者の関与は背景に退けられ、まるで事実・データから自動的に論文の主張が導き出されるかのような表現が使われるのである。
この「私」消しの機能こそ、「行為の主体が曖昧になるから受身形を避けるように」と多くの論文表現本が主張しているにもかかわらず、この種の表現が消えない理由である。
C1.自発表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
したがって… それゆえ… このように… 以上のことから… | ・・・ | …と思われる。 …と考えられる。 …と感じられる。 …と解される。 …と見られる。 …と推察される。 |
(例)
・以上のことから、本製剤が適切に使用される限りにおいては、食品を通じてヒトの健康に影響を与える可能性は無視できると考えられる。
思考作用を表す動詞につけられる「れる」「られる」は、論文表現本では乱暴に「受身」扱いされることもあるが、心的作用が自然に/自動的に/意志によらず実現してしまうことを示す自発の助動詞である。
自発の助動詞を使うことで、書き手の(研究者=分析主体の)意志とは無関係に自然と/自ずから、分析が〈湧き出た〉かのような表現ができあがる。
「私は~と思う」から〈私〉が剥ぎ取られ、「~と思われる」といった表現に置き換えられることで、思考主体の存在は見えなくなり、主張はあたかも/誰でも「自然とそう思える」かのように扱われ、断定を避けつつ必然性を強調する表現が生まれる。
C2.受身表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
したがって… それゆえ… このように… 以上のことから… | ・・・ | …求められる。 …期待される。 …注目される。 …評価される。 |
(例)
・以上のことから、総合的に判断して、所期の計画以上の取組が行われていると評価される。
受身表現も、自発の表現と同じ役割を果たすべく用いられる。
たとえば「求められる」「期待される」「注目される」「評価される」という表現は、もちろん実際には、文章を書いているこの私が、求める/期待する/注目する/評価するのだが、受身となることで〈私〉が消され、必然性を強調する表現がここでも導入される。
C3.可能表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
したがって… それゆえ… このように… 以上のことから… | ・・・ | …られる。 …できる。 …しうる。 …することが可能である。 |
(例)
・以上のことから、モデル駐車場では、空間分離を実施することが可能であると言える。
可能には、「私は泳げる」という能力可能のほかに、「この浜辺は遊泳可能である」という状況可能がある。
論文で頻出する「~とまとめられる。」や「~と分析できる」「~であると評価しうる」といった可能表現の多くはこの状況可能であり、やはり〈私〉を背後に隠し、そうなってしまう状況を強調することで必然性を添加する表現として用いられる。
C4.推量表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
したがって… それゆえ… このように… 以上のことから… | ・・・ | …だろう。 …であろう。 …(自発・受身・可能+)よう。 |
(例)
・したがって、多角化戦略という点では、ソニーは日本の代表的企業といっていいだろう。
・したがって域内で閉鎖経済の傾向が強くなると、ユーロの国際的な役割も限定されるだろう。
断定を避けつつ蓋然性の高さを強調しようという魂胆を持った推量表現も、多くの論文表現本で批判されながら、根絶されない表現である。前述の自発表現、受身表現、可能表現と併せて用いられることも多い。
事態成立の条件が整っていることを示唆しつつ、だから(私や誰かの意志がどうであれ)自ずからそういうことになるだろう、という持って行き方であるが、本来、研究はそうした「だろう」をひとつでも減らすために行われる営為である。
無論、ひとつの研究だけですべてを明らかにすることはできないから、推量を完全に払拭することは難しい。しかし推量が紛れ込む理由を自覚することで、これらの管理下に置くことが求められる。
C5.否定表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
したがって… それゆえ… このように… 以上のことから… | ・・・ | …否定できない。 …せざるを得ない。 …ほかない。 …否めない。 …なくてはならない。 |
(例)
・従って日本は主義として之に反対せざるを得ない。
・したがって、年金制度には社会政策としての側面があることは否めない。
これも多くの論文表現本で批判されながら、根絶されない表現である。
〈私〉消しの機能としては推量と似ており、「したいわけではないけれど、(私や誰かの意志がどうであれ)こうするしかないよね」と消極的承認の姿勢をとりつつ、事態成立の必然感を演出する表現である。
C6.帰結表現
(アタマ) | (中身) | (シッポ) |
したがって… それゆえ… このように… 以上のことから… | ・・・ | …することになる。 …ということになる。 |
(例)
・したがって,遺伝子が染色体に含まれるとすれば,1つの染色体には多数の遺伝子が存在することになる。
これも「事態が成立してしまった」という表現によって必然感を演出し、加えて「である。」の繰り返しで単調になりがちな文末に変化を与えるものである。
総じて、〈私〉消しの文末表現は、研究論文が持つべき非私性・公共性が要請するものであり、〈論文らしさ〉の一翼を担うものであるが、繰り返し指摘されているように、責任逃れで自信なさげな文章、断言を回避しつづけるもったいぶった文章に堕する危険性を孕むものである。
「論文でやってはいけないリスト」に載せることは簡単だが、だといって「私は~と思う」のような〈私〉回帰になっては元も子もない。
そこでこの記事では、何ゆえ根絶されないのかを理解して、自覚し、管理下に置くことを推奨する。
2013.08.16
論文は何からできているのか?それは何故か?から論文の書き方を説明する
どのようにすればよいか?(how to do)は、どんな場合に何をすべきか(what to do)に還元される。
論文の書き方を説明するのに、〈論文には何が書いてあるべきなのか(構成要素は何か?〉〈なぜそれらの構成要素は必要なのか?〉を解説して、答えにかえよう。
論文構成の標準的な型式(Style)を、その構成要素Introduction(序論), Methods(方法), Results(結果) And Discussion(考察)の頭文字を構成順に並べてIMRAD(いむらっど/ˈɪmræd/)と呼ぶ。
頭文字は構成を記憶するには便利だが、なぜそれらの構成要素が必要なのか理由を納得した方が身につくだろう。
以下に、論文の構成要素について、その論理構造を説明し、それぞれで何を書くのか簡単な例をいくつか挙げる。
Introduction(序論) 背景と必要性Backgroud and Necessity of the study 先行研究 Rrevious studies Methods(方法) Results(結果) Discussion(考察) Conclusion(結論) |
1.論文は「根拠付けられた主張」である
(Why to write)
論文の中核は「根拠付けられた主張」である。
したがってその中心になるのは、上にある論証三角形である。
結論Conclusionに論文全体の主張が書かれる。これを根拠付けるために
論文では結果Resultsと呼ばれる部分に、得られたデータがまとめられ、
考察Discussionと呼ばれる部分で、結果からなぜ結論の主張が言えるのかが、結果の解釈/分析を通じて、説明される。
(What to write)
結果Results
1 図表でデータを掲示する
2 データの傾向を述べる
3 データの相違を述べる
4 変化の有無、傾向を指摘する
5 判明した事項を述べる
検証型の考察Discussion
1 結果を再確認する
2 結果を解釈する
3 結果と仮説との関係を示す
4 原因を推測する
5 予想と異なる結果について述べる
論証型の考察Discussion
1 中心的な問題や考察の視点を示す
2 ある前提・条件・仮定のもとに議論する
3 問いを立てて考察をすすめる
4 比較して論を展開する
5 対比させて論を展開する
6 原因・結果を述べる
7 根拠に基いて判断や主張を述べる
8 問題点や反論を受け止めたうえで主張を述べる
9 これまでの考察の要点を整理する
結論Conclusion
1 研究行動を振り返る
2 研究結果をまとめる
3 研究結果から結論を提示する
4 研究結果を評価する
2.新データが信頼できることを根拠づける
(Why to write)
根拠付けのベースになるデータは、多くの場合、新たに得られたものである。したがって、そのデータがでたらめでないこと、またデータ収集に際して不備や不正がないことが言えなくてはならない。
そのために、データが信頼できることについて、次の論証三角形が必要になる。
データを得た方法がすでに確立したものであれば、どのような手続きでデータを得たかを記述すれば、「何故その方法で得たデータが信頼できるのか?」については改めて論じなくてかまわない(ので省略されることが多い)
(What to write)
方法Method
1 調査・分析対象を述べる
2 対象を分類する
3 実験・調査の方法、データ処理の方法を述べる
4 理論的枠組を述べる
3.その主張が新知見であることを示す
(Why to write)
学術の世界では、その研究で得られた知見が、既存の学問体系に何を付け加えるのか、既存の学問体系のどの部分を拡張するのか、どの方向へ一歩進ませるのかは、その研究を行った者/発表する者自身が明らかにしなければならない。
つまり研究の〈住所登録〉は、その研究を行った者/発表する者が行わなくてはならないのだ。
「この研究は新しい(新知見を含む)」ことの証明は、論文の最初(Introduction)に書かれることが多い。論文の最初を読めば、それを読むべきかどうか読者にすぐに分かるようにだ。
「この研究は新しい」という主張を根拠付けるために
論文の主張である結論Conclusionとともに、先行研究としてどのようなものがあるかが述べられる。論文の主張は、先行研究に対して、どこが異なり何が新しいのかが説明される。つまり、先行研究を背景に置くことで、この研究の新しさが明らかになるのである。
(What to write)
先行研究 Rrevious studies
1 研究分野で共有されている知識を示す
2 先行研究の存在を示す
3 先行研究の全体的な特徴を示す
4 先行研究の知見に言及する
5 先行研究についての解釈を示す
6 先行研究が不十分であることをしめす
4.この研究の必要性、重要性を示す
(Why to write)
研究はただ新しければよい訳ではない。
まだ誰もやってないことが証明できても、それだけでは、あまりにアホらしくて誰もやっていなかっただけかもしれない。
「なぜ穴を掘るのか?」と問われ、「まだ穴が掘られていなかったから?」だけでは答えにならない。「埋蔵金をみつけるため」「タイムカプセルを埋めるため」とまで答えて、十全な答えになるのと同様に、この研究は何のためか?研究が追いかける問いに答えることで何が得られるかまで、説明する必要がある。
研究の新しさを示すためには先行研究を背景に置く必要があったように、研究の必要性/重要性を示すためには社会的コンテキストを背景に置く必要がある。
もちろんここで問われる有用性は、すぐに物質的利益が得られるものに限定されない。我々や我々の社会がどのようなものであるか/ないかが明らかになることは、それだけでも我々や社会を変える力となる。我々は不断に自身を解釈することで、我々の感じ方や考え方を作り直し、行動の仕方を作り変えている(こうした自己認識自体が、何人もの研究の蓄積によるものである)。その積み重ねで、我々自身や我々の社会を維持し作りなおしている。
我々の知は、元から社会に埋め込まれている。だからこそ、社会への折り重なりを自覚的に掴み直し、研究の意義を社会的コンテキストを背景に捉え返す必要がある。
(What to write)
背景と必要性Backgroud and Necessity of the study
1 研究対象を示す
2 問題の現状を説明する
3 状況の中で特に注目すべき事例に言及する
4 疑問・推論を提示する
5 研究の必要性・重要性を示す
5.論文は4層の論証三角形から構成される
(クリックで拡大)
繰り返そう。
論文は、4つの論証の三角形からなる。
中核になるのは、上から3つめの「この主張は正しい」という論証三角形である。
ここで論文の主張(Conclusion(結論)に述べられる)が、Results(結果)と、それを結論に結びつけるDiscussion(考察)によって支えられる。
Results(結果)の正しさを示すために、上から4つめの論証三角形「このデータは信頼できる」がある。
このデータの信頼性はMethods(方法)によって支えられる。すでに確立した方法であれば、「なぜこの方法で確かなデータを得られるか」は改めて論じられない。
この研究を、これまでの先行研究と結びつけ、どこが異なり新しいかを示すために、上から2つめの論証三角形がある。
この研究が新しいことが示せても、さらにこの研究の意義を示すために、一番上の論証三角形がある。
上2つの論証三角形は、Introduction(序論)の背景と必要性Backgroud and Necessity of the studyと先行研究 Rrevious studiesにおいて書かれる。
(関連記事)
・論文に何を書くべきか→これだけは埋めろ→論文作成穴埋めシート 読書猿Classic: between / beyond readers
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レポートを書く前に知っておくべきこと。
大学では、あなたが何を知っているかよりも、知らないことにどのように対峙したかが評価される。
これは、大学が知識を生み出す場である場所である以上、不回避なことである。
そして時間のスパンを少し長めにとれば、この基準は、知識を持っている者を評価することにもなる。
知らないことに真摯に対峙する者は、自分の今の知識にしがみつく者よりも、最終的にはよく知る者になるからだ。
しかしこれだけではあまりに抽象的だから、ノウハウのレベルに落としこむことを考えよう。
以下に、組織的に問いかけることで、大学の課題のレポートを作成する方法について説明する。
この方法はまた、文献を再利用可能な形で深く読むためのノウハウでもある。
マトリクスで問う
以前、文章を書くのがとことん苦手な人のための・・・という記事で「なか1・2→まとめ→むすび→はじめ」で考えるという、小学生のためのやり方を紹介した。
これは書くことがとことん苦手な人のために書いた文章です→小学生から大人まで使える素敵な方法 読書猿Classic: between / beyond readers
今回はそのレポート版、実習や実験の報告書ではなく、大学で課題として出されるレポートを書くためのやり方について書く。
前回のものは「出来事」から書き始める方法だったが、今回は書評型レポート「~を読んでまとめよ」をベースに説明する。
というのは、この書評型レポートを基本にすると、
・設定テーマ型のレポート(「~について論ぜよ」)は、そのテーマについて書くに当たってどの文献(複数)を使うかを自分で決めれば、その後は書評型の手順が使える
・自由課題型のレポートは、自分でテーマを決め、それからどの文献を使うかを決めれば、同じく書評型の手順が使える
からである。
設定テーマ型、自由課題型への発展を織り込んで、複数の文献を扱えるよう、これも以前書いた文献マトリクスの方法を取り込んだ。
集めた文献をどう整理すべきか?→知のフロント(前線)を浮かび上がらせるレビュー・マトリクスという方法 読書猿Classic: between / beyond readers
複数の文献を一望化し横断的読みを実装するコンテンツ・マトリクスという方法 読書猿Classic: between / beyond readers
あるいはむしろ、1冊を読んでまとめる場合にも文献マトリクスの方法を活用して楽できる+読んだものを知的資産としてあとで再利用できるやり方だと言える。
大まかには、
1.文献を理解するために、そしてレポートの素として引き出すために答えるべき質問を一番上の行に並べた表(マトリクス)を、答えを探しながら文献を読みつつ埋めていく
2.表(マトリクス)が埋まったら、それぞれのマスの内容を並び替えて、レポートの構成をつくる
という作業を行う。
この方法のメリットは、
・何から手をつければいいか分からず途方に暮れることが少ない
・作業を途中で中断しても、すぐに始められる
・マトリクスを埋めるために、読むことが動機付けられる
・マトリクスを埋めていくと、まだ分からないところがはっきりする
・マトリクスを見ればば、何を読み取るべきかがはっきりする
・マトリクスを埋めていくと、理解がすすむ
・マトリクスを埋めていくと、埋まっていないところも埋めやすくなる
・マトリクスを埋めていくと、いろいろ思いつく
・マトリクスを埋めていけば、横軸(質問項目)も豊かになる。これが自分のオリジナルな観点に育つ
などがある。
では作業の実際について説明しよう。
書評型レポート「~を読んでまとめよ」
言うまでもないことだが、課題書が決められたレポートで求められているのは、読書感想文ではない。「ここが好き」「ここがきらい」「むずかしくてよくわからなかった」といった作文は、〈知らないことにどのように対峙したか〉という観点からいって、その本を読んだというアリバイにすらならない。
課題書が決められたレポートで求められているのは、(1)内容を紹介し、(2)主要な論点を整理し、(3)論点に対して自分なりの考察を付け加える、ことである。
(手順)
1.表の左端の列の2行目に、課題書の著者とタイトルを書く
2.表の左端の列の3行目以降に、各章のタイトルとページ数を書いていく。必要なら、章より細かい節のタイトルとページ数も書いていく(ほとんど目次を写すことになるかもしれない)。
表計算ソフトを使えば、後で追加することは簡単なので、必要になった時点でより細かい章節を追加してもよい。
3.表にある質問の答を探すつもりで課題書を読んでいく。
質問の答が見つかったら、その時点で書き抜いてもいいし、付箋を挟んでおいて後でまとめて書き抜いてもよい。
表を埋めるときは、どのページから答を得たか、必ずページ数を書いておく。
引用する場合は括弧でくくることを忘れずに。
4.書くにくいところは飛ばして、書きやすいところから埋めていく。
一般的には、文中のフレーズをそのまま引いてくれば質問の答になるところは埋めやすく、自分でまとめたり考えたり発見したりする必要があるところは埋めにくい。
埋めにくい部分も、他を先に埋めてしまうと(その間に理解も進んでいるので)いつの間にか埋めやすくなることが結構ある。
例えば下位項目(例えば各章や各節の内容)が埋まると、上位項目(各部や書物全体の内容)が埋めやすくなることがある。
逆に上位の項目(各部や書物全体の内容)を埋めたり読み返したりすることで、下位項目(各章や各節の内容)を理解するための背景や文脈がはっきりして、理解が進むこともある。表(マトリクス)として情報を一覧化することの強みである。
その意味では、薄く何度も重ね塗りするように、埋めやすい項目を埋めるために最後まで通して読み、抜けている項目を埋めるために再度読む、といった読み方が望ましい。
5.表(マトリクス)を埋めているうちに(理解が進むので)、新たな質問や抜き出したい項目が出てくるかもしれない。
本来、主要な内容を抜き出すためにどのような質問をすべきかは、読んでいる文献によって異なるはずである。
したがって質問事項は、追加や修正を行うべきである。
たとえば内容を明確化するための質問として汎用的なものを上げると、
「具体的は?」「どんなタイプ(パターン)があるか」「なぜ必要なのか」「なぜ問題なのか」「どのような立場があるか」「他にはどんなもの(事例/アプローチなど)があるか」「この議論の(隠れた)前提は何か」などがある。
また文献の本文中に登場する問い掛け/疑問文を抜き出して、表(マトリクス)使うこともできる。この場合、同じ質問を別の箇所についても(文献全体を通して)繰り返し問いかけることになる。
新たな質問や抜き出したい項目が思い浮かぶのは、今の表ではうまく収まらない気付きや発見を得ることによって、である。
「あー、これ、どこに書いたらいいんだろう?」と思った時が、その時だ。
オリジナルな質問や項目こそが、この表(マトリクス)埋めの本願である。
そのときは迷わず1列を挿入して表を拡大する。
6.表(マトリクス)があらかた埋まったら、レポート構成表に写しかえる。
(レポート構成表)
(1)課題書の基礎データ(タイトル、著者)+目的、対象、アプローチ
(2)各章の概要(対象、アプローチ、結論)
(3)とりあげる2,3の論点
(4)この本の目的、明らかにしたもの/してないもの、あなたの評価
7.ここで作った表(マトリクス)は、その書物・文献についての再利用可能な知的資産なので、しっかり保存しておく。
設定テーマ型 「~について論ぜよ」
文献を集める段階から表(マトリクス)を使う。そのため「どんな文献を参照しているか?」の欄を追加したものを使う。
(手順)
1.テーマに関する文献を集める(雪だるま式)
(1)設定されたテーマについて文献を集めるために、まずスターター(最初の一歩)となる文献(なるべく新しいもの)を入手する。
(2)表の左端の列の2行目に、スターター文献の著者とタイトルを書く
(3)2行目の「参考文献」の欄に、スターター文献が参照している文献を書き入れる。
(4)表の左端の列の3行目以降に、スターター文献が参照している文献の著者、タイトルなどを書きいれる。
(5)3行目以降に書き入れた文献を入手し、(3)以降を繰り返す。
(6)こうして文献を加えていくと、同じ文献が繰り返し出てくることがある。複数の文献から参照されているものは、より重要と判断して優先順位を上げる。表の上の方に移動させてもいい。
ただし多くの文献から参照される重要な文献は、その分野を切り開いたパイオニア的研究だったりして、必ずしも読みやすくないかもしれない。その場合は、(a)書評を探す、(b)事典、教科書などで概要を調べる、といったことを行う必要があるかもしれない。その場合、書評や事典の項目、教科書での記載についても、この表(マトリクス)に追加しておくこと。一つの表で一元管理した方が、後々便利。
次の記事も参考になるだろう。
・文献をたぐり寄せる技術/そのイモズルは「巨人の肩」につながっている 読書猿Classic: between / beyond readers
・自宅でできるやり方で論文をさがす・あつめる・手に入れる 読書猿Classic: between / beyond readers
・ビギナーのための図書館で調べものチートシート 読書猿Classic: between / beyond readers
2.ある程度、文献が集まったら、表にある質問の答を探すつもりで文献を読んでいく。
(以下、書評型レポートと同じ)
自由課題型 「各自でテーマを決めてよい」
先の2つの型のレポートになく、この自由課題型に必要なものは、
(1)自分でテーマを決めること
(2)何故そのテーマを選んだかを説明/説得すること
である。
(1)自分でテーマを決めることについては、次の記事が参考になるだろう。
・それでもテーマが決まらないあなたが繰り返し問うべき3つの問い 読書猿Classic: between / beyond readers
・図書館となら、できること/レポートの時間 読書猿Classic: between / beyond readers
・図書館となら、できること/レポートの時間 つづき 読書猿Classic: between / beyond readers
(2)何故そのテーマを選んだかを説明/説得することについては、
・論文に何を書くべきか→これだけは埋めろ→論文作成穴埋めシート 読書猿Classic: between / beyond readers
や次の書物が参考になる。
※その他、論文作成に役立つ記事のまとめ
・論文書きに役立つ記事のまとめ(逆引きインデクス)をつくってみた 読書猿Classic: between / beyond readers
大学では、あなたが何を知っているかよりも、知らないことにどのように対峙したかが評価される。
これは、大学が知識を生み出す場である場所である以上、不回避なことである。
そして時間のスパンを少し長めにとれば、この基準は、知識を持っている者を評価することにもなる。
知らないことに真摯に対峙する者は、自分の今の知識にしがみつく者よりも、最終的にはよく知る者になるからだ。
しかしこれだけではあまりに抽象的だから、ノウハウのレベルに落としこむことを考えよう。
以下に、組織的に問いかけることで、大学の課題のレポートを作成する方法について説明する。
この方法はまた、文献を再利用可能な形で深く読むためのノウハウでもある。
マトリクスで問う
以前、文章を書くのがとことん苦手な人のための・・・という記事で「なか1・2→まとめ→むすび→はじめ」で考えるという、小学生のためのやり方を紹介した。
これは書くことがとことん苦手な人のために書いた文章です→小学生から大人まで使える素敵な方法 読書猿Classic: between / beyond readers
今回はそのレポート版、実習や実験の報告書ではなく、大学で課題として出されるレポートを書くためのやり方について書く。
前回のものは「出来事」から書き始める方法だったが、今回は書評型レポート「~を読んでまとめよ」をベースに説明する。
というのは、この書評型レポートを基本にすると、
・設定テーマ型のレポート(「~について論ぜよ」)は、そのテーマについて書くに当たってどの文献(複数)を使うかを自分で決めれば、その後は書評型の手順が使える
・自由課題型のレポートは、自分でテーマを決め、それからどの文献を使うかを決めれば、同じく書評型の手順が使える
からである。
設定テーマ型、自由課題型への発展を織り込んで、複数の文献を扱えるよう、これも以前書いた文献マトリクスの方法を取り込んだ。
集めた文献をどう整理すべきか?→知のフロント(前線)を浮かび上がらせるレビュー・マトリクスという方法 読書猿Classic: between / beyond readers
複数の文献を一望化し横断的読みを実装するコンテンツ・マトリクスという方法 読書猿Classic: between / beyond readers
あるいはむしろ、1冊を読んでまとめる場合にも文献マトリクスの方法を活用して楽できる+読んだものを知的資産としてあとで再利用できるやり方だと言える。
大まかには、
1.文献を理解するために、そしてレポートの素として引き出すために答えるべき質問を一番上の行に並べた表(マトリクス)を、答えを探しながら文献を読みつつ埋めていく
2.表(マトリクス)が埋まったら、それぞれのマスの内容を並び替えて、レポートの構成をつくる
という作業を行う。
この方法のメリットは、
・何から手をつければいいか分からず途方に暮れることが少ない
・作業を途中で中断しても、すぐに始められる
・マトリクスを埋めるために、読むことが動機付けられる
・マトリクスを埋めていくと、まだ分からないところがはっきりする
・マトリクスを見ればば、何を読み取るべきかがはっきりする
・マトリクスを埋めていくと、理解がすすむ
・マトリクスを埋めていくと、埋まっていないところも埋めやすくなる
・マトリクスを埋めていくと、いろいろ思いつく
・マトリクスを埋めていけば、横軸(質問項目)も豊かになる。これが自分のオリジナルな観点に育つ
などがある。
では作業の実際について説明しよう。
書評型レポート「~を読んでまとめよ」
言うまでもないことだが、課題書が決められたレポートで求められているのは、読書感想文ではない。「ここが好き」「ここがきらい」「むずかしくてよくわからなかった」といった作文は、〈知らないことにどのように対峙したか〉という観点からいって、その本を読んだというアリバイにすらならない。
課題書が決められたレポートで求められているのは、(1)内容を紹介し、(2)主要な論点を整理し、(3)論点に対して自分なりの考察を付け加える、ことである。
課題書タイトル | 目的:明らかにしたいものは何か? | 対象:扱っているものは何か? | 方法、着想:どのようなアプローチで? | 結論:明らかになったものは? | 未達成:明らかにならなかったものは? |
第1章タイトル | |||||
第2章タイトル | |||||
… |
(手順)
1.表の左端の列の2行目に、課題書の著者とタイトルを書く
2.表の左端の列の3行目以降に、各章のタイトルとページ数を書いていく。必要なら、章より細かい節のタイトルとページ数も書いていく(ほとんど目次を写すことになるかもしれない)。
表計算ソフトを使えば、後で追加することは簡単なので、必要になった時点でより細かい章節を追加してもよい。
3.表にある質問の答を探すつもりで課題書を読んでいく。
質問の答が見つかったら、その時点で書き抜いてもいいし、付箋を挟んでおいて後でまとめて書き抜いてもよい。
表を埋めるときは、どのページから答を得たか、必ずページ数を書いておく。
引用する場合は括弧でくくることを忘れずに。
4.書くにくいところは飛ばして、書きやすいところから埋めていく。
一般的には、文中のフレーズをそのまま引いてくれば質問の答になるところは埋めやすく、自分でまとめたり考えたり発見したりする必要があるところは埋めにくい。
埋めにくい部分も、他を先に埋めてしまうと(その間に理解も進んでいるので)いつの間にか埋めやすくなることが結構ある。
例えば下位項目(例えば各章や各節の内容)が埋まると、上位項目(各部や書物全体の内容)が埋めやすくなることがある。
逆に上位の項目(各部や書物全体の内容)を埋めたり読み返したりすることで、下位項目(各章や各節の内容)を理解するための背景や文脈がはっきりして、理解が進むこともある。表(マトリクス)として情報を一覧化することの強みである。
その意味では、薄く何度も重ね塗りするように、埋めやすい項目を埋めるために最後まで通して読み、抜けている項目を埋めるために再度読む、といった読み方が望ましい。
5.表(マトリクス)を埋めているうちに(理解が進むので)、新たな質問や抜き出したい項目が出てくるかもしれない。
本来、主要な内容を抜き出すためにどのような質問をすべきかは、読んでいる文献によって異なるはずである。
したがって質問事項は、追加や修正を行うべきである。
たとえば内容を明確化するための質問として汎用的なものを上げると、
「具体的は?」「どんなタイプ(パターン)があるか」「なぜ必要なのか」「なぜ問題なのか」「どのような立場があるか」「他にはどんなもの(事例/アプローチなど)があるか」「この議論の(隠れた)前提は何か」などがある。
また文献の本文中に登場する問い掛け/疑問文を抜き出して、表(マトリクス)使うこともできる。この場合、同じ質問を別の箇所についても(文献全体を通して)繰り返し問いかけることになる。
新たな質問や抜き出したい項目が思い浮かぶのは、今の表ではうまく収まらない気付きや発見を得ることによって、である。
「あー、これ、どこに書いたらいいんだろう?」と思った時が、その時だ。
オリジナルな質問や項目こそが、この表(マトリクス)埋めの本願である。
そのときは迷わず1列を挿入して表を拡大する。
6.表(マトリクス)があらかた埋まったら、レポート構成表に写しかえる。
(レポート構成表)
(1)課題書の基礎データ(タイトル、著者)+目的、対象、アプローチ
(2)各章の概要(対象、アプローチ、結論)
(3)とりあげる2,3の論点
(4)この本の目的、明らかにしたもの/してないもの、あなたの評価
7.ここで作った表(マトリクス)は、その書物・文献についての再利用可能な知的資産なので、しっかり保存しておく。
設定テーマ型 「~について論ぜよ」
文献を集める段階から表(マトリクス)を使う。そのため「どんな文献を参照しているか?」の欄を追加したものを使う。
文 献 名 | 参照文献:どの文献を参照しているか? | 目的:明らかにしたいものは何か? | 対象:扱っているものは何か? |
(手順)
1.テーマに関する文献を集める(雪だるま式)
(1)設定されたテーマについて文献を集めるために、まずスターター(最初の一歩)となる文献(なるべく新しいもの)を入手する。
(2)表の左端の列の2行目に、スターター文献の著者とタイトルを書く
(3)2行目の「参考文献」の欄に、スターター文献が参照している文献を書き入れる。
(4)表の左端の列の3行目以降に、スターター文献が参照している文献の著者、タイトルなどを書きいれる。
(5)3行目以降に書き入れた文献を入手し、(3)以降を繰り返す。
(6)こうして文献を加えていくと、同じ文献が繰り返し出てくることがある。複数の文献から参照されているものは、より重要と判断して優先順位を上げる。表の上の方に移動させてもいい。
ただし多くの文献から参照される重要な文献は、その分野を切り開いたパイオニア的研究だったりして、必ずしも読みやすくないかもしれない。その場合は、(a)書評を探す、(b)事典、教科書などで概要を調べる、といったことを行う必要があるかもしれない。その場合、書評や事典の項目、教科書での記載についても、この表(マトリクス)に追加しておくこと。一つの表で一元管理した方が、後々便利。
次の記事も参考になるだろう。
・文献をたぐり寄せる技術/そのイモズルは「巨人の肩」につながっている 読書猿Classic: between / beyond readers
・自宅でできるやり方で論文をさがす・あつめる・手に入れる 読書猿Classic: between / beyond readers
・ビギナーのための図書館で調べものチートシート 読書猿Classic: between / beyond readers
2.ある程度、文献が集まったら、表にある質問の答を探すつもりで文献を読んでいく。
(以下、書評型レポートと同じ)
自由課題型 「各自でテーマを決めてよい」
先の2つの型のレポートになく、この自由課題型に必要なものは、
(1)自分でテーマを決めること
(2)何故そのテーマを選んだかを説明/説得すること
である。
(1)自分でテーマを決めることについては、次の記事が参考になるだろう。
・それでもテーマが決まらないあなたが繰り返し問うべき3つの問い 読書猿Classic: between / beyond readers
・図書館となら、できること/レポートの時間 読書猿Classic: between / beyond readers
・図書館となら、できること/レポートの時間 つづき 読書猿Classic: between / beyond readers
(2)何故そのテーマを選んだかを説明/説得することについては、
・論文に何を書くべきか→これだけは埋めろ→論文作成穴埋めシート 読書猿Classic: between / beyond readers
や次の書物が参考になる。
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※その他、論文作成に役立つ記事のまとめ
・論文書きに役立つ記事のまとめ(逆引きインデクス)をつくってみた 読書猿Classic: between / beyond readers