犬鳴山の義犬伝説
宇多天皇(889〜898)の寛平二年(890年)三月、紀伊の猟師が犬を連れて、当山の行場「蛇腹」附近で一匹の鹿を追っていました。猟師の傍の大樹に大蛇がいて、猟師を狙っていましたが、猟師はそれに気づかず弓をつがえ、鹿に狙いを定めて射ようとしたとき、猟師の犬は愛犬は急にけたたましく吠えだしまし た。犬の鳴声におどろいた鹿は逃げてしまい、獲物を失った猟師は怒って、腰の山刀で吠え続ける愛犬の首に切りつけました。犬は切られながらも大蛇めがけて 飛び上がり、大蛇の頭に噛みつき、猟師を助けて大蛇と共に倒れました。
事の意外さを知った猟師は、自分の命を救って死んだ愛犬の死骸をねんごろに葬り、弓を折って卒塔婆とし、そして七宝瀧寺に入って僧となり、永く愛犬の菩提を弔いつつ、安らかに余生をすごしたと語り伝えられています。
この話を聞いた宇多天皇は「報恩の義犬よ」と賞し、「一乗鈴杵ヶ岳(一乗山、鈴杵ヶ岳とも)」を改め「犬鳴山」と勅号を与えたと伝えられています。
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犬鳴山七宝瀧寺 HPより