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日本は大晦日ですね。
生録インタビューは、今回がラストとなります。
最後まで読んで下さって、ありがとうございした。
良いお年をお迎え下さいませ!

HAPPY NEW YEAR 2011 !

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婚約中だった頃の根岸教授とすみれ夫人、美男美女ですね!
貴重なアルバムの写真を接写させて頂きました。

(根岸すみれさん、談話)
ここ数年は、主人はノーベル賞にノミネートされていました。去年は、2番目だったと聞きました。3人の中からどなたを選ぶかで評が割れたそうです。
今年は、主人は100分の1の確率で、選ばれると思っていたようです。だから、私もそうなんだろうと思っていました。受賞した時は嬉しかったのは嬉しかったですが、それほど感情的に盛り上がるという感じではなく、お祝いの電話をかけて来て下さった方の方が逆に泣いていたくらいでした。

家の中では、ノーベル賞もらえるかな~とかそういう話はしなかったですね。子供も孫も何もしらなったです。ただ孫が小さい時に「ノーベル賞って、いくらもらえるのか」ってきいたのを覚えてます。娘も「ノーベル賞でこんなに大騒ぎされて驚いた」と言っていました。ノーベル賞のことは、子供たちの前では特に話した事がなかったですからね。娘のところにはニューヨークタイムズからも電話がかかってきたそうです。

主人は実験の話もあまりしてなかったですね。ただ、彼がペン大の学生の時は、私はフレスコを洗いに行っていました。薬品がついているからなかなか落ちないんですよね。また薬品によっては怖いし、臭かったですね。主人は、薬品のためズボンに穴を開けて帰って来たこともありました。実験している頃は臭いがきつかったですね。
主人は実験がうまくいった時は機嫌が良かったですが、研究を申請して通らなかった時は、顔を見ればわかりました。なぜかというと、そういう時は汗をかいているんです。ゴルフの打ちっぱなしに行って、畜生って思いながら球を打って戻って来るからです。研究が通らないと、助手も雇えないし、実験費用も出ない。主人は「古いノートを持って、教壇にたって授業をするだけだったら面白くない」と言ってます。研究費を出してもらうためにはグラントをとらなくてはならないのですが、それが厳しかったですね。グラントが取れなかった時は、「ゴルフやってきたでしょ。そのうち何とかなるでしょ」と言って主人を励ましました。

日本はいったん助教授になれば、大学を去る必要はないですが、アメリカは最初の5年は同僚や学生から評価を受けるんです。その評価次第で、大学にいる価値がないと見なされたら、去らなくてはならないんです。だから、シラキュースにいた時は厳しかったですね。グラントは取れないし、めちゃくちゃ忙しいし、生徒や同僚の評価は気にしなくてはならないしね。主人が一番大変な時でした。同じ時、子供は、アメリカ人の子供から、目尻をつり上げた表情を作られてましたしね。

私にとって大変だったのは、年収6千ドルで出産直後に洗濯機がない生活をしていた時と、下の子供が成長が悪くて、すくすくと育たず、専門の病院に連れて行ったりしていた時です。下の子は大変なものをもって生まれて来たんです。子供が正常に成長しないのを見るのはすごくいやなんですよ。相談できる親も友人もおらず、主人も研究で忙しくて、大変な思いをぶつける場所が私にはなかった。その頃が一番辛かったですね。抱いていて、ミルクの飲み方が悪いのでドクターのところに連れていったら「この子は正常には育たないでしょう」と言われました。その時はほんとにいやでしたね。その頃は楽しい思い出はないです。上の子供もアメリカになれなくて、ぴーぴー泣いていましたしね。

主人はカップリングの特許を取得していません。確かに、特許を取得してお金が入ったらいいとは思いますが、食べるのに困っているわけではないし、あったからってどうってこともないしね。ただ、上の娘が孫の教育費でヒーヒーいってますからね。アイビーリーグの授業料は年間6万ドルかかりますから。コロンビア大ですがね。それで学費のため娘は大変で、毎日働いていますね。すごく疲れていると思います。
お金がいらないとは言えませんが、特許がなくても食べていければいいし、ただで祖父母からお金が入って来るというのは孫にとっても良くないと思うんですね。特許のトの口くらいで、入ってくればそれはまたいいのかもしれないですが、それでお金をもうけようという気持ちはないですね。また、それでお金をもうけなくても、そのお金をばんと寄付したら気持ちいいでしょうね。思い切り寄付でもしてみたいと思うけどね。

アメリカにいて、自分は根無し草だなと感じることがあります。アメリカ人たちと心から喜怒哀楽のような感情を共有できないし、かといって、帰国したらしたで、日本の奥様方はとてもしっかりしておられるので、疎外感を感じてしまいます。中間のハワイで、フラダンスでも踊っていたらいいんでしょうけどねえ(笑)
ある時、上の娘が、アメリカの大学のソロリティーを受けたいと言ったんですね。私のような根無し草にならないよう、歴史の長いソロリティーに娘を入れて、良家の子女たちの中で育てられたらいいかなと思って、受けるのを許可しました。それが良かったですね。そのソロリティーは全寮制で就寝時間も決められていて、ある成績を保たないといけないようなところです。ジーンズも許されず、娘はスカートをはいて食事をしていました。彼女はアメリカの良い家庭の子女の教育を受けることができました。
ただ、娘は日本語はできません。親が日本語を使うことに敏感になってましたね。外で、私たちが日本語を使うと、みなが振り返るかのが、娘はいやだったようです。
楽しい話じゃなくて申し訳ありません。
でも、おかげさまで、50年の間に子供もでき、孫もでき、賞もいただくことができました。
どんなに辛い時も、主人と別れて日本に帰りたいと思ったことは一度もありませんでした。もっと泣いたらいいんでしょうけど、たぶん、私はかわいげがないんでしょうね。「帰りたいから何とかして」と泣きつけば、主人ももっとわかってくれたかもしれないですね。でも、苦しくても子供をつれて帰ろうとは思わなかったですね。

ピラミッドに上り詰める人は大変ですよね。足をひっぱってはいけないし。
私のした苦労は苦労のうちには入らないと思いますよ。私の母のように、戦後、食料難で子供を育てたのに比べたら、全然苦労にならないと思います。
うちの娘がよく「やってけない、やってけない」っていうんですが、車が家に3台もあり、各部屋にテレビがあり、冷蔵庫にはフードがたくさんあり、それでやっていけないというのはちょっと違うんじゃないかと思いますね。母の時代は大変だったと思いますね。

主人に対しても気遣いはしていますよ。お互い気遣っているところはあると思います。これを言ったら怒らせるだろうなというのはわかっているし、彼の家族のことはなるべく話さないようにしています。でも、主人にしても私にいいたいことはたくさんあるでしょうね。私は、スローポーク、のろまだし、のんきですからね(笑)。

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テーマ:雑誌掲載&取材
ジャンル:本・雑誌