スレブレニツァの「数字ゲーム」に関する更なる証拠(要点)
以下は1995年7月のスレブレニツァの虐殺の犠牲者が大幅に水増しされていることについての記事の要点。
More Evidence on the Srebrenica “Numbers Game”
・事件の背景として、当時セルビア軍は「侵略軍」としてスレブレニツァに進駐した訳ではなく、スレブレニツァ、ゼパ、ゴラジュデは、イスラム教徒またクロアチア人地域のセルビア人の飛び地と引き換えに、セルビア人に引き渡されることになっていた。
・NYタイムズの当初の報道では、スレブレニツァに入る際にセルビア軍が150〜300人のイスラム教徒の男性を捕えたと報じているが、赤十字の発表では何故かこの数字がいきなり10倍(3,000人)に膨れ上がった。NYタイムズ=AP通信は更に逮捕者3,000人に加えて5,000人が行方不明になっていると報じたが、赤十字がその内の一部は既にボスニア中心部に到着していると発表していたことは言及されなかった。彼等の殆どが実際には安全にボスニアに向かっていることが確認されていたのだが、これらの報告は全て無視されて単に「行方不明」の扱いになった。
・赤十字の別の報道官は行方不明者の数を10,000人と発表したが、ダブルカウントの可能性を認めた。
・行方不明者の数はこの四半世紀で約8,000人で変更されていない為、イスラム教徒支配地域当局は、到着したイスラム教徒の数を赤十字には報告していないものと思われる。
・ベオグラード大学のミリヴォイェ・イワニセビッチ教授が赤十字のリストを精査したところ、セルビア軍が現地入りする前に既に死亡していた500人が含まれていた。また行方不明にカウントされていた3,016の名前は、翌年の選挙人名簿に載っていた。
・5時間で1,200人のイスラム教徒を処刑したセルビア人処刑分遣隊のメンバーであると主張したドラゼン・エルデモビッチは罪を認めたが、これは司法取引による強制の結果だった。正式な裁判は行われず、彼の証言を裏付ける物的証拠は存在しなかった。
・ミロシェヴィッチは、エルデモビッチの処刑分隊はNATO加盟国のシークレット・サーヴィスによって指揮された傭兵のグループであった証拠を提出しようとしたが、これはリチャード・メイ判事によってしつこく中断された。但しスレブレニツァとコソボでさまざまな残虐行為を犯し、ミロシェヴィッチ政権転覆計画を立てていた傭兵グループ(フランス対外諜報機関やフランス外人部隊のメンバー)が1999/11/11にベオグラードで逮捕されていたことを明らかにすることには成功した。
・ラディスラヴ・クルスティッチ司令官が有罪判決を言い渡された時、捜査官は「集団墓地」から2,028体、更に2,500体を突き止めていたが、判決では何故か7,000人以上を殺害したとされており、その証拠は提出されなかった。集団墓地が在ったとされる地域では4年近く激しい内戦が続いており、多数の犠牲者が出ていた訳だが、遺体発掘時、死体の身元や死亡時間、または死亡時の状況を知る試みは為されなかった。1998年のロイターの報道では、この地域で発見された弾丸は「1,500以上」であり、全く勘定が合わない。
・スレブレニツァの(イスラム教徒の)社会民主党党首で警察署長も務めたハキヤ・メホルジッチは1993年9月のインタビューで、同年4月にビル・クリントン米大統領から、若しチェトニク(セルビア)軍がスレブレニツァに侵入し、イスラム教徒5,000人の虐殺を実行したら、NATO-米が軍事介入するだろうと言われたと証言している。1,000人や2,000人だけでは軍事介入の口実としてインパクトが足りないと考えられた訳だろうか。因みにスレブレニツァの代表団はその申し出を断った。
・セルビア軍は基本的に逮捕したイスラム教徒を人道的に扱ったが、戦争犯罪と見做すことの出来る幾つかの個別の即決処刑の事例が目撃されている。だがこれらは何故か法廷の関心を引かなかった。
・EUは8,000人が殺害されたと云う証拠を提示出来ていないが、罪を認めろとセルビア政府に圧力を掛け続けている。NATOはこれらセルビアの血塗られたプロパガンダ・イメージによって「人道的介入」と称する軍事侵略を正当化した。クリントンは冷戦後に存在目的を失ったNATOを「再発明」する為に、5,000人以上の架空の犠牲者を必要としたのだ。
・ICTY(旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷)は最初からミロチェヴィッチ=セルビア人の打倒が目的の、結論ありきの政治的な茶番だった。「ジェノサイド」判決に関しては、それはジェノサイド条約ではなくICTY自体の規程の第4条に基付くものであって、ICTYの外では法的正当性を持たないものなのだが、国際司法裁判所はその事実を認めつつも、ジェノサイド条約に基づいてICTYの判決は正しいと判断すると云う訳の分からないことをやっている。
More Evidence on the Srebrenica “Numbers Game”
・事件の背景として、当時セルビア軍は「侵略軍」としてスレブレニツァに進駐した訳ではなく、スレブレニツァ、ゼパ、ゴラジュデは、イスラム教徒またクロアチア人地域のセルビア人の飛び地と引き換えに、セルビア人に引き渡されることになっていた。
・NYタイムズの当初の報道では、スレブレニツァに入る際にセルビア軍が150〜300人のイスラム教徒の男性を捕えたと報じているが、赤十字の発表では何故かこの数字がいきなり10倍(3,000人)に膨れ上がった。NYタイムズ=AP通信は更に逮捕者3,000人に加えて5,000人が行方不明になっていると報じたが、赤十字がその内の一部は既にボスニア中心部に到着していると発表していたことは言及されなかった。彼等の殆どが実際には安全にボスニアに向かっていることが確認されていたのだが、これらの報告は全て無視されて単に「行方不明」の扱いになった。
・赤十字の別の報道官は行方不明者の数を10,000人と発表したが、ダブルカウントの可能性を認めた。
・行方不明者の数はこの四半世紀で約8,000人で変更されていない為、イスラム教徒支配地域当局は、到着したイスラム教徒の数を赤十字には報告していないものと思われる。
・ベオグラード大学のミリヴォイェ・イワニセビッチ教授が赤十字のリストを精査したところ、セルビア軍が現地入りする前に既に死亡していた500人が含まれていた。また行方不明にカウントされていた3,016の名前は、翌年の選挙人名簿に載っていた。
・5時間で1,200人のイスラム教徒を処刑したセルビア人処刑分遣隊のメンバーであると主張したドラゼン・エルデモビッチは罪を認めたが、これは司法取引による強制の結果だった。正式な裁判は行われず、彼の証言を裏付ける物的証拠は存在しなかった。
・ミロシェヴィッチは、エルデモビッチの処刑分隊はNATO加盟国のシークレット・サーヴィスによって指揮された傭兵のグループであった証拠を提出しようとしたが、これはリチャード・メイ判事によってしつこく中断された。但しスレブレニツァとコソボでさまざまな残虐行為を犯し、ミロシェヴィッチ政権転覆計画を立てていた傭兵グループ(フランス対外諜報機関やフランス外人部隊のメンバー)が1999/11/11にベオグラードで逮捕されていたことを明らかにすることには成功した。
・ラディスラヴ・クルスティッチ司令官が有罪判決を言い渡された時、捜査官は「集団墓地」から2,028体、更に2,500体を突き止めていたが、判決では何故か7,000人以上を殺害したとされており、その証拠は提出されなかった。集団墓地が在ったとされる地域では4年近く激しい内戦が続いており、多数の犠牲者が出ていた訳だが、遺体発掘時、死体の身元や死亡時間、または死亡時の状況を知る試みは為されなかった。1998年のロイターの報道では、この地域で発見された弾丸は「1,500以上」であり、全く勘定が合わない。
・スレブレニツァの(イスラム教徒の)社会民主党党首で警察署長も務めたハキヤ・メホルジッチは1993年9月のインタビューで、同年4月にビル・クリントン米大統領から、若しチェトニク(セルビア)軍がスレブレニツァに侵入し、イスラム教徒5,000人の虐殺を実行したら、NATO-米が軍事介入するだろうと言われたと証言している。1,000人や2,000人だけでは軍事介入の口実としてインパクトが足りないと考えられた訳だろうか。因みにスレブレニツァの代表団はその申し出を断った。
・セルビア軍は基本的に逮捕したイスラム教徒を人道的に扱ったが、戦争犯罪と見做すことの出来る幾つかの個別の即決処刑の事例が目撃されている。だがこれらは何故か法廷の関心を引かなかった。
・EUは8,000人が殺害されたと云う証拠を提示出来ていないが、罪を認めろとセルビア政府に圧力を掛け続けている。NATOはこれらセルビアの血塗られたプロパガンダ・イメージによって「人道的介入」と称する軍事侵略を正当化した。クリントンは冷戦後に存在目的を失ったNATOを「再発明」する為に、5,000人以上の架空の犠牲者を必要としたのだ。
・ICTY(旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷)は最初からミロチェヴィッチ=セルビア人の打倒が目的の、結論ありきの政治的な茶番だった。「ジェノサイド」判決に関しては、それはジェノサイド条約ではなくICTY自体の規程の第4条に基付くものであって、ICTYの外では法的正当性を持たないものなのだが、国際司法裁判所はその事実を認めつつも、ジェノサイド条約に基づいてICTYの判決は正しいと判断すると云う訳の分からないことをやっている。
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