「今日あまりにも多くの会話の中で ”うつ病” という語を聞くことができる。そして心に破局が訪れたかのように語られている」。これはカナダのシンガーソングライターであり詩人、小説家である レナード・コーエンの言葉である。
従来の心理学では、うつや悲観的な捉え方を止めることができないのは考え方に問題があるからだとしている。例えば、うつ状態の人は将来について過度に心配し、否定的な見方で事実を歪めたり、どんなときでも物事を悲観したりすることがある。
こうした従来の心理学派によれば、「憂鬱」から完全に逃れる唯一の手段は、認知療法と呼ばれるうつ患者の考え方の習慣を変化させることである。
現在の主流はこうした見解であるが、また別の理論も存在する。「抑うつリアリズム」理論というものである。
これは、軽度から中程度のうつ患者に限られた理論であるが、うつ状態に陥るのは「誤った」考え方のせいではなく、ただ世の中をありのままを見ているだけだというのだ。
※編集者注:本理論は軽度から中程度のうつを対象としたもので、因果関係が複雑過ぎる重度のうつには当てはまらない。また抑うつリアリズムは充分に立証された理論ではなく、ここでこの理論を支持しているわけではない。あくまでもこういった理論もあるという事例を紹介すしている記事である。
うつ患者は世の中を現実的に認識している
抑うつリアリズムが前提とするのは、うつ患者は世の中を現実的に認識しているだけであり、そうではない大勢の人間こそが前向きではあるにしても、幻想の中で生きているという考えだ。
うつ傾向の人と非うつ傾向の人の認識の違い
例えば、それぞれうつと非うつの2人の学生が簡単なテストで「優」をもらったとしよう。うつを患っていない学生は己の能力を過信し、その成績は自身の知性ゆえの結果だと考えるかもしれない。
ところがうつ患者の学生は、テストが簡単だったから良い成績を取れただけで、特に自身の知性が優れていたからではないと判断する。つまり、この理論によれば、幸せな人が幸せなのは楽観的に過ぎるからであるという。だがこれも誤った考えと言えよう。
これまでいくつかの実験で、特定の状況にうつ傾向の人と非うつ傾向の人を置き、それぞれの認識の違いを調査したことがある。
うつ傾向の人は因果関係を正確に把握する
初の大規模な研究は1970年代にリン・アブラムソンとローレン・アロイによって実施された。この実験では288人の被験者に緑のライトの前でボタンを押すように指示し、何度ライトを点灯させることができたか質問した(ちなみに、このボタンとライトは全く関係がない)。この実験は4回実施されたが、どの実験でも、うつ傾向の被験者は、非うつ傾向の被験者と比べ、驚くほど点灯の回数を正確に把握することができた。
別の類似した研究では時間経過という要素が考慮されている。その結果、うつ傾向の被験者はそうでない被験者と比べ、非常に正確に経過した時間の長さを把握していた。
さらに別の実験では、被験者にさまざま作業を課し、その出来を自己評価してもらった。結果は同様に、うつ傾向の被験者の評価は、甘く評価しがちな非うつ傾向の被験者より正確であった。
最後の実験では、被験者はいくつかの社会状況について評価し、その原因が内部からのものか、外部からものか判断するよう求められた。ここでも非うつ傾向の被験者が良い結果は内的要因に帰属させ、悪い結果は外的要因に帰属させがちだったのに対し、うつ傾向の被験者は因果関係をより的確に判断している。
健康な人は将来を楽観視、うつ傾向の人は現実的
抑うつリアリズム論の支持者は、こうした研究の結果をふまえて、軽度のうつ患者は出来事の因果関係をより正確に把握できるうえ、自身の能力や影響力、その限界についてまでもより現実的な見方ができると主張する。
一方で健康な者は世の中を「バラ色の眼鏡」を通して見ており、無意識に自分の才能、影響力、能力などを過大評価しているという。
もちろん抑うつリアリズムを批判する研究者や、これに反証する研究結果も多く存在する。いずれにせよ、抑うつリアリズム論が正しいのだとすれば、現在行われているうつ病の治療は、患者の思考を矯正し、楽観的な考えを植え付けているだけだということになる。
健康な人の思考が自分に比べて若干お花畑思考なのと
それが人生において有利に働くことはなんとなく感じていた
この話は分かるな。
と言うか、認識の違いで、
自分は一生懸命やったと思ってても
他の人から見たら何を頑張ったか
わからないというか、
結局はまず同じところに立って
考えようという習慣が無いというのが
問題なんだよな。
といいつつおれも、
全ての人について同じところには
立てないよなぁ、みたいな、
まぁ、世の中そんなもんだよな。
それはあるね
ただ、楽観的に生きなければ杞憂の中に死んでしまうよ
薬は処方するけど楽観的な考えの植え付けなんてされないよ
うつ病患者に「もっとこう考えるべき」なんて言ったら追い込むだけだから
※4
ここで言う「考え方の習慣化」とは認知療法のことでしょう。
「もっとこう考えるべき」というようなやり方ではないです。
正直分かってたけど、見てて余計辛くなった
この世は虚ろ。空。般若心経ぅ~。
うつは甘え
本当のリアルに耐えうる精神力ある人は
見えていてもうつにならない
※7
おまえの論理じゃ
万人に本当のリアルに耐えうる精神力が無いといけないじゃないか
普通である事に強さを求めてるし、破綻してる
※34
ゆうきゆうさんの
※7
随分甘えた考え方ですね。
もっと社会経験を積んで下さい。
※7
この人物凄いマイナス評価受けてるけど、それでも絶対自分の意見が間違ってるだなんて考えないんだろうなぁ。
だって鬱など知らない理解できない楽観主義者は現実を見ていないんだから。
※7
世の中を客観視できず、根拠もなく自信にあふれた人のようですね。今まで相手への思い遣りや配慮なんて欠片も持ったこともないのでしょう。これだけネガティブ評価貰っても本人は自分が正しいって確信に満ちていることでしょう。
「馬鹿」であることはある意味幸せなことだと言えますね。
これは『うつ病の人』というよりは『うつ病っぽい性格の人』にそういう傾向があるという話では?
そもそも医者にうつ病と診断されて通院するレベルじゃなければそれは一時的に落ち込んでるだけだろうし
そして通院するレベルまでいけば軽度も重度もないような気が
打つ!ビョーン!!ホームランだよーヤッター!!
※9
ビヨンドは邪道
知ってた。だから鬱から抜け出せないんだ。
普通の人達があまりにも楽観的に見えて、ああなるくらいなら今のままの方が良いのではと思ってしまう。
でも本当はそうでないことも知っている。生きるために苦しんで死んでしまうなんて本末転倒。生きるためには幻想が必要なんだよね。
それでもやはりなんでかここが一番安全に思えて抜け出せない。
なんとなく藤子Fさんの「大予言」という短編を思い出した。
イーガンの万物理論に出てくる自発的自閉症者協会みたい
※12
イーガンの万物理論おもしろいよなあw
ここでその書名を見るとはw
タイトルかたいけど考え方もちょっと柔軟になるしSF読んだことない人にもおすすめしたい一冊
なるほど。
逆に考えれば、鬱という病気を患った人が一般的に悲劇であると思われているということは、すなわち世の中の真実は悲劇に満ちている、と言う事になる訳か。
記事では楽観している「普通の人」のほうがボケているんだ、みたいな書き方だけど、その真実の悲劇に立ち向かうための楽観は必要だよね。
そりゃお花畑はどうかと思うけどさ。
現実的で謙虚な人間は鬱気質ということになるな
気をつけねば…
・・・・・・・・ありかも(--)
現実は残酷なのが事実である事が
多いしね
物事評価するためにはプラスもマイナスも差別なく評価しなきゃならないからある程度は正しいのかもね
でもまー、どの程度鬱なら正しく評価できるのかは結局主観でしか分からない気がする
今の世の中大変だから現実を見れば見るほど鬱に陥りやすくなっていくのかね・・・
昔も大変だったけど、それから目を少しでも背けられるように古来から色々な神様(幻想)が作られて人間の願望や理想にあわせられて偶像ができたとかいうし
いずれにせよ、人間は目標や夢を持たないと生きていけないが現実はそれがより難しくなっていってることも関係してるんじゃないかな
結局、どちらの方が生きるのが楽だろうか?非鬱の方が過大評価や正確さに欠けてはいても、毎日は楽しそう(笑)できれば気楽な方がいいなぁ…
認識論(哲学)と医学(科学)は別の分野。
同列に考える必要はないです。
結局、多数決の問題だと思う
鬱傾向の人間が少数であり、楽観主義者が多く、
また楽観主義者が鬱傾向タイプをひどく迫害していく。
仕事が出来る、勉強が出来るという物差しよりもまず、
レッテル貼りをされてスタートラインにすら立たせない世の中。
軽度はともかく、重度の鬱になると完全に妄想の世界だな
きっと病気だ貧乏だ皆が自分を笑ってるんだ、それもこれも全部自分が悪いんだ~と
治療中の身から見たらお花畑だろうと気楽に生きられる方がはるかに人生楽しいよ。
ただこの考え方は新鮮で、理由のない肯定より勇気付られるものがあるな。
これは良いね、まあ現実とは違うのだろうけど
作品のネタに使わせてもらうわ
うつ病の範囲広げ過ぎて現実的な人を軽度の欝と診断するようになってしまって居るのでは?
そして無駄に躁気味な人を害がないからと放置してる
楽観的な結論や思考を常に求められてる雰囲気が世の中にあるような気はしてる
※24
そして、楽観的な行動の結果として問題が発生すると、一転して
なぜもっと慎重に・現実的に行動しなかったのかと責め立てる風潮も
あるような気がする
現実は甘くないってことか
生命として生まれて来た以上、最後は衰弱して苦しんで死ぬんだから、今のうちに楽しまなきゃ損だぜベイビー
※26
メメントモリの精神は非常に重要。
貯蓄を目的として働く、結婚のために異性との交流を求める…手段が目的になっちまってる人達は死ぬまでに何がしてぇんだよって思ってしまう。
自分では気づいていない本当に感じたい感情と、実際感じている感情が違い過ぎるとうつになる。
専門家はどう言うかはわからないけど、自分の経験と看護師してて患者を見てて思った結果。
悩みがあるのに酒で気分をごまかす癖があるとアル中のうつに、内心不安で一杯なのに周りがお目でたいムード一色だとマリッジブルーやマタニティブルーに、愛してくれるはずの家族に躾や教育のためと言いつつ虐待を受ける、どれも感じるべき感情が正確に感じられない状況っていうのが共通してる。
のことに気づいてからは、常に自分は今どういう感情なのか?単純に喜怒哀楽のどれに当てはまるのか?を考えてるようにしてたら体調が劇的に良くなったわ。
この反対にあるのがドラッグなんだろうな
ようやく正しいことをはっきり言う研究が出てきた。うつのみならず、統合失調症もある意味然りです。
心理学を学んだ人ならトランスパーソナル心理學というのも知ってるでしょう。
ユングも一時期鬱状態だったと言われてますし。
マイナス思考となにが違うのか?
でも人生は楽しく生きた者勝ちだと思う。
いくら現実を捉えていても、悲観的で不幸なだけならば
そこに生きる意味はあるのか?
ある精神科医が描いた漫画も
そんな感じに描かれてたな
要はバカな人ほど鬱になりにくいみたいな
あれは超ライト向けだけど
この理論からするとやっぱり
鬱気味で不細工、無気力、非モテ、無能なワイの認識ただしくて
大丈夫、こんなワイでもなんとかなると言ってくれる人たちの認識が甘すぎると言う事
なんだな・・。
辛いけどこれが現実。今後この現実にどう対処していこうか。。
全然鬱にならないけど、確かに周りには根拠の無い自信があっていいねって嫌味言われたりする。
でも自信過剰だったことが発覚したらそこから反省して直せばいいんだから、やたらと卑屈になんかならなくてもいいと思う。
「現実が見えすぎる」って本当に悩んでいる人は気の毒だけど、
「あいつらみたいなお花畑よりマシ」なんていってウジウジして毒を撒き散らして無反省な自称うつ病さんはちょっと考え直して欲しい。
※35
不細工、無気力、非モテ、無能なワイ 具体的
なんとかなる 具体的じゃない
現実云々よりそのなんとかなるの具体例がないだけでは?
たとえば、君にとってどうでもいい(掃除が丁寧)能力でも他人から見たら喉から手が出るほど欲しい能力かもしれないよ
例に挙げた能力は小さいころから私が言われ続けた言葉
でも、勉強も運動もできないなら意味ない、こんなもの実は誰でもできるって思って素直に聞けなかった(今はクズですが)
君にもあるんじゃない?
鬱歴7年だが似たようなことを考えていたことがある
でも結局人の世、俗世から切り離された考えは社会的には生きていけないと結論に至った
狂ったこの世で狂うなら気は確かだ
多分違うんじゃないかな、と思う。
だって鬱だった時、逆にあらゆることを「自分のせいでダメだった」とだけ思ってたもんな。
たとえ外的要因だと判断しても、「そんな状態になってるのは自分のせい」とか「自分なんかにはそんな環境しか与えられるはずがない」とかになってて、あれが正確な判断だったとはとても思えない。
そうだよ。フツーの人が見てない、見えてないモノが見えてしまってるから
「この世はかなしい」とうつになってしまうんだ
こういう話題を見たり聞いたりする時、脳内にQUEENの
「Is This The World We Created/悲しい世界」がリフレインしてる
これが私たちの作った世界なのか…
正確な認識は機械に任せれば良い。
楽観的な希望こそ、行動の糧になり繁栄に繋がる。
正しく現実を見られなくとも、進化の方向は間違っていない気がする。
この理論が正しければ、鬱傾向にある人はこの記事を見て
この理論が何ら客観性を持たない典型的な疑似科学だと気付くわけだね。
自分は鬱なので他人より正確に現実を捉えているなんて
かなり楽観的で自分本位な考え方だからね。
釈迦は、「人生は苦である」と気づいた
生きていると、病気になったりけがをしたり、歳を取って体がよぼよぼになり痴呆になって、最後は死んでしまう
現実を観れば人間の存在なんて、危ういものだ
芸能人でも会社の経営者でも、上手くいっている時は自信満々ではつらつとしている
ところが仕事が上手くいかなくなると自信が無くなり謙虚になる
人は大体3年続けて物事が上手くゆくと自信過剰になる(俺は優れていると思い込む)
逆に、3年続けて上手くゆかないと自信を無くす
人間の気持ちの持ち方なんて、状況次第でころころ変わるのだ
人生に勝ちもクソもあるかよ
ネガティブの方がポジティブより現実的ってことだな
油断大敵と備えることと、石橋を叩いて渡るのは結局同じことやってるんだよ
状況や結果が違うだけでな
状況が悪いなら油断してりゃ痛い目見る
うつの人はこれ以上痛い目見たくないから何もかも疑うしかない
※44
いや、正しさに配慮するなら、似非科学だという断定はしないだろう、否定する根拠に乏しいから。
一方で抑うつリアリズムが正しいという断定もしないだろう。
あと正確は良いことだという前提で書かれてるね、直感的にはそうだけど、
正確であるから駄目なのだ、という結論に至るのが抑うつの人だと思うよ。
鬱病じゃないからわからないけどね。
もし軽鬱傾向の人がメジャーになったら
今の主流である楽観的な人達にはどういった病名が付くんだろうか
世の中のことを他人より理解している自分かっこいい
自分は賢いから他人とは違う
他人は愚かだからあんなに楽観的なのだ
まあ他人を見下している思考だし
どちらにしろ病気だ。楽になりなよ
なかなか興味深くて面白い話!
現実認識が正しかろうがなんだろうが
生きやすい方がいい。
正確な判断なんてできなくていい。
※49
躁病じゃないかな。ハイになって自殺もできちゃう病気です。
※49
この米欄にいる、鬱は甘えだの、逃げ思考だの言ってる人たちの意見を見てて思ったんだが・・・失礼を承知で言わせてもらうと、今の主流である楽観的な人達にあえて病名を付けるとすれば、それは「馬鹿」だと思う。
このスレの話題からは少し離れるが、少し前に人が自尊心を持つのは死の運命が持つインパクトを軽減するためだという理論を見たな。これも健康な人が世の中を楽観的に見ている現象のひとつなのかと思ったよ。
少しおバカな方が幸せってのはあるね
みんな現実リアルに見てる、だから楽観的に物事考えなきゃ自分は生きていけない。現実に抵抗するイコールそれが楽観的考えることだと思う。現実に抵抗していない状態をうつだとわたしは思う
うーん
現実的に物を見てるというよりは、見ようとしてる範囲が狭いだけなんじゃないかな。
記事でいうところの楽観視している普通の人は、ただ何も考えずに大丈夫と感じているのではなく、大丈夫な可能性を考慮した上で気楽に居る訳で。
あと幻想ってのはなんか違う。どっちかというと希望をもって生きているかどうかだと思う。
現実を受け止められれば楽になるんだけどね。
鬱になるのは現実と理想のミスマッチが原因さ。はやくお花畑から抜けられるといいね。
「狂ったこの世で狂うなら気は確かだ」という言葉があるが、
まさにその通りだな。
軽度うつな人と一緒に居ても楽しくないよねー
現実を自分の都合のいいように解釈し曲解しそれを
現実と思い込むほうがやばそうだな。
ごまかしきれなくなった時に精神崩壊しそうだ。
47は鬱気味なのか?
自己嫌悪に聞こえる。
世の中を理解できてるってのは客観的な研究結果であって、当の本人らは他を蔑む思考はあまりないんじゃないか。むしろ羨望の念がある気がする。
鬱持ちは良くも悪くもテンションが一定だから冷静に判断できるってだけ
頭が良いとかそういうことじゃない
記事より、コメ欄がおもしろかった。
世の中を正しく認識してるせいで自分がしんどくなってりゃ世話無いわ。
鬱傾向が酷くなると日常会話や簡単な算数すら困難になるんで(ソース俺)
鬱傾向の思考が不健康なのは間違いないかと
心身を壊さずに人生過ごすには幻想に片足突っ込んだぐらいが丁度良いのかも?
介護疲れで病んでしまった知り合いを思い出し、鬱はけして遠い存在でも甘えでもないのだと改めて感じた
そういえば育児ノイローゼによるネグレクトなんてのもあったなぁ
両方だよ! 両方正しいよ!
そしてどちらにも改めるべき点はある。
元気で明るいことも正しいけれど、苦しくても反省することも正しい。
笑おうと努力しないのも悪だけれど、一生幻想の世界で生きるのも悪だ。
本当に駄目なのは鬱でも非鬱でもなく、物事を極端にやることだ。
極端は一番いけない。
俺の方が絶対に正しいんだ! じゃなくて。
両方の長所を素直に学ぶことができたら、人生はもっとよくなるかもね。
ただ楽観的で強い、空想的なあこがれ、
少年漫画の主人公みたいな人より
挫折から這い上がった人、
弱さを知っているから強い人、
に現実的には共感しやすいよね。
金融市場にも当てはまるかもね。
ポジティブな人は今の高値でも楽観的で株を買う気満々でいるが、ネガティブな人は高値だと言って手を引く準備を粛々と進める。
俺が感じていたことそのもの。
俺は悲観主義者なんじゃない、リアリストなだけだ。
元気いっぱいだな鬱患者諸君。
社会は理不尽まみれだし、人間は不完全なくせ、わがままでバラバラに生きるし、自分で世の中を変えれることなんてたかが知れてるもの
そりゃあ鬱にもなって人生や世の中に絶望してやる気もでんわ
それでも人類が今と比べてさらに不条理だらけの過去から何千年も続いているのは、
一人ひとりがほんのわずかでも生産的に生きてるおかげで
それを支えてる、鬱とは反対?の過信ともとれる自信や、余計な情報(都合の悪い現実)を省いて気にぜず前に進む「積極性」が重要だったりするんだろう
世の中、嘘つきだらけだ。
そんなわけない!
ウツを患っていたとき、バスに一本乗り遅れただけで、
「ほらね、私はバスにも乗れないダメな人。あれをやってもダメだし、これをやってもダメだし、
ということは、それもどれも何もかもがダメになるに違いない。ダメな人間すぎる。死のう」となった。それが正しい認識だったとは思いたくないな。
正反合で考える必要があると思う。
出来るだけニュートラルな視点に立ち、
ありのままの世界をありのままに受け止めるしかない。
世の中は理不尽だし、それでも多少は希望を見いださねば生きる気持ちを無くしてしまう。
そういう視点に立ったとき、それらの問題から救う為に物語や宗教は生まれた。
(宗教は人を救う為にあるのであり、人を滅ぼす為に使うべきではない。)
世界は美しく、そして残酷な事は今も昔も何も変わらない。
希望だけ、もしくは絶望だけを手にするのは間違っている。
両方の手に均等に持つ。
生きる事は綱渡りでしかないのだから。
鬱の人にも波が合ってだな。すごい低調なときとすごい好調なときとあるんだよね。
ずーっと低調なんてことはないよ。その波が激しいから苦しんでるわけでこんなコメントを書き込んでる私自身は今処方薬飲んでるからわりと普通でいられてます。
※72
自分と向き合って何が悪い?
※72
昔患ってたけどもう寛解してるよ
適度にバカなほうが生存に有利であるなら、それが「普通」であっても問題では無いという作戦なのだろうね。
世界をシビアに認知したところで、生きるための都合が良くなるわけでもない、と。
絶望は愚か者の解決
希望は愚か者の快楽
とも言うわけでねー
そりゃそーでしょうよ。
いい歳で鬱になって久しいならもうそのままの鬱低スペックで残りの人生逝かなきゃならない確率はかなり高いのだから、楽しい人生なんて望めるはずもない現実を直視できてるよ。
※75
死のうとまで思ったらもう軽度の欝とは言えないんじゃ
『自分は生きている』という言葉があり、
生きているうちに何度も反芻するが
それが何を基盤にしてなぜ今自分が存在してるかなんて
本気で考えだしたら精神が持たない。
絶対不可避の消滅である死の宿命が刻一刻と迫っていると
常に考えていたら気が狂ってしまう。
自分が歩くたびに何万の生物を踏み殺していると
本気で考えたら道も歩けない。
そういう事を死ぬまで深く考えないように、直面しないように
適度に逃避するようにできている。それが人間の培ってきた精神社会。
現実をそのまま見ていたら生きるモチベーションなんてわかない
多少過大評価できるからこそ人間は生き残って向上して進化してきたんだよな
まあDNAの生きる知恵だよ
コメント欄を読んだが、判ってないまま持論を展開してる人多すぎじゃないかな
精神論や感情的な事とか、そういう事じゃなく
より周囲の事柄に”普通のヒトより”気付いているから欝になるっていう内容だよこれは
つまり、主原因は内因的なモノではなく外因的なモノ。
というか、外というか今いる世界世間に原因があると言うこと
今目の前やテレビの向こうで行われている出来事をありのままに目に入れてるだけなのよ
結局、自分自身の中には存在しない”楽観的思考”というものを手に入れなければ未来はない。という事実にもまた叩きのめされるわけで。
楽観的な思考は演技でどうなるものでもないし、現実的思考をもって生まれたものは一生苦しんどけ、ということか。
認知療法受けたいです、て先生にゆうたんやけど、あれは現実を歪めて解釈してるだけだ、て否定してた。でもカウンセリングぐらいはしてほしい。薬出すだけだもの。
確かに今の日本の現状は憂うるに足りるほど困窮しきっていることを思えば
ナーバスになっている人の方が、状況を正確に判断できているという言葉も頷ける。
一方で、楽観的に物事を見る事もがんじがらめにならないためには必要で。
現実から少し離れて休息できるネットワークがもっとあれば、いいのにな
そして「世の中が悪い!俺/私は悪くない!」と誰かに甘えるわけですね。
周りのせいにする人は嫌われますよ。
サヴァン症候群のような話かな。
情報を遮断するフィルターがなくなったらどうなるか…
脳みその処理能力が高くないと処理しきれずにダウンする→鬱の状態 みたいな話。
つらい現実を上手くかわせる柔軟性が失われた精神が欝になるという事だね。だから真面目な(思考に柔軟性のない妥協できない人間)ほど欝にかかりやすい。だから逃げても良いんだよ、少しくらいは。
雑で図太い人間がはびこる世の中、繊細で少しの美しさが本当は大事なんだよ。
彼らの気持ちを察するべき、なぜなら彼らは人生をかけて何かを訴えている。
楽観的な人の方が成功してるからなぁ…
うつ病っぽい人が上手く行ってるのってあまり見ない気がする
そして私もただようつ病っぽい人
精神が健全な人は常に脳が酔っぱらっているというか、
脳内に快楽物質でも出てるってことですかね。
そして鬱状態の人は脳が禁酒状態なのかな。
日本人は悲観的に考える人が多いように思うが、そのおかげでいろいろな事故のシチュエーションとかを正しく予測して対応した製品を作ることができ、品質を世界に認められるようになった。
というレベルの話に思えるなあ。他のコメントにもあったけど、うつまでいかないうつ傾向の人、くらいなら、納得できなくもない。
でも、自分を信じられるのは悪いことじゃないよね。世界を変えた偉人とか、たいてい超自信家な気がするし。プラスの人とマイナスの人、両方いないと困る。
いじめの加害者は、どこか狂っている、壊れている、欠如している感じがする・・・・。
うつの人は、正しく、正常な思考だけど、考え過ぎている感じがする。
欝って病気だと思ってるだろ?違うんだよ。
欝は外敵に襲われて逃げられないと諦めたとき
苦痛なく死ぬ為の自然の仕組み。
魚ですら欝になるんだから。
現実がクソなんて事当たり前だと思ってるけど…只それに納得して「しょうがないよね…」つって解った振りして自己憐憫ニヒリズムに落ちるのがムカつくので「んナロー」でやってんだけど。
凄惨な事件や事故をニュースで見るたびに思うのだけど
…日本に、経験を積んだプロと呼べる精神科医は足りているのか?
どのようなケアがされているのか?診断時、診断後。被害者に対して、受刑者に対して…マスコミこういうの特集してほしいよね。
まさにラースの「メランコリア」。
あの映画の主人公もまた、一種の夢見の力により
来るべき災厄を無意識に察知して鬱になっている。
世界をどう見ようと災厄は避けられないのだが
苦しみながらずっと考えてきた主人公と玉の輿でスノッブな妹が
最後に見せる態度の差は、もしかすると鬱病持ちなラース自身の
「ざまーみろ!」なような気もしたりしなかったり。
銀河ヒッチハイクガイドにも鬱ロボットいたけど
あいつはたしかに現実が見えすぎていた気がする。
ネガティブという名のリアリズム
ポジティブな人は楽観的過ぎて、心配を通り過ぎて怖い。
鬱な方がコントロール幻想にとらわれず現状を正確に把握できる
ttp://yucl.net/man/20.html
フレーム問題に陥り、思考停止する
鬱の人「仮に世界を正しく認識してるとして、それが何の役に立つ?」
>そうではない大勢の人間こそが前向きではあるにしても、幻想の中で生きているという考えだ。
スタンフォード監獄実験てのがあるけどまさにこれなんじゃないの?
まともに自分を客観視してたら看守側の仕事なんて続けられずに挫折するよねきっと
実験に参加したのはまさにあらかじめ心理学的に健全と太鼓判おされた普通の人たちだったんでしょう?
俺はこの実験のうつの人と同じ思考してるけど、別にうつじゃない、自分を含めて何事も客観的な視点で公平公正に物事を考えたがる性格なだけだ。
本人にとってどれだけ悲劇的なこと事実が起きようと客観的に見ればそれは大したことない。自分の不幸より不幸なことなど他にいくらでもある、比べると自分の不幸は全然大したことじゃない、ではなぜ深刻な悲劇になるか?それは主観的に物事を見るからだ、物事を正確に見るためには多面的な視点で物事を見る必要がある、例えばこの世を苦にした自殺は悲劇だと思われるが、視点を変えれば苦しみの生き地獄から逃れる手段、苦から開放されるの救い、地獄から天国への脱出と見ることができる。
要は決まった幸せも不幸もない、それは主観的な考え方であり、客観的に見る事実からすと全ての事象は文字の羅列、記録映像でしかない、もちろん感想なんてのは主観的なものだ。
いったい何に悲観して生きるのだい?
世の中の90%以上はただ働いて家庭持って子孫を残すだけの人生だよ
貧富の差はあるがな
鬱の人はぐだぐだ逃げ思考なだけだ
世の中の大半は辛い事があっても逃げずに黙々と毎日を生きてるんだよ?
ぐるぐる無駄な思考巡らせてないでさっさと現実から目を背けず逃げずに生きろ
※105
>世の中の90%以上はただ働いて家庭持って子孫を残すだけの人生だよ
物凄く難易度の高いこと要求してる自覚があるか無いか、この違いは大きい。
※111
こうやって「自分自身への言い聞かせ」を人目につくところに書いてしまう気持ち、分からないでもないよ。まあ、頑張れ。
受動的ニヒリズム?
悲観した後、どう捉え行動するかがここで言う欝と欝じゃない人の分かれ目ではと思った
軽度や中程度の鬱ってところがみそだなあ
甘え=うつ病 って考えてる人間は能天気ですね。
職場で人を追い込んで辞めさせたり退職まで至らなくても鬱状態まで追い込む人って確かに非うつ傾向の人ばかりだわ。非うつ傾向の人は強いというよりは愚鈍だと思う。
※110
それ、つきつめてみ
何もなくなるから
そりゃ、みんないつか必ず死ぬんだから
そんじゃあ限られた時間のほほんと楽しめばいいかなーってなるじゃん
逃げ思考なら鬱にはならない。逃げられないからこそ鬱になる
まじめな人がうつ病になるんじゃないの
少し考えたことはある。
真っ当で正常という方が、実は少しおかしなことなんじゃないかって。
必要なことをしてきて、行き詰る。
おかしな話。
※117
簡潔にまとめてくれてありがとう。
一年前に不当解雇に。今は3か月くらい人とあってないし、ボーカルやピアノの音がきけない状態。
愚鈍。会社サイドをあらわす適切な言葉だ。たとえば、食物アレルギーは親の躾が悪いと公言して、自分たちの知らない原材料を虚偽表示しようとするような人たちには、ぴったり。
だからといって自分は聡明ではないですけど。少しだけ楽になりました。今日も一日だけ生きます。
楽観的に見える人にもいろいろいて、
本当に考えが浅くて楽観的でいられる人もいるし
不安に対して対策を考えて考えて考え抜いて自信を得て楽観的になる人だっている。
不安だ、鬱だ、辛い、という人は前者よりはある程度賢いのだろうけれど、
考えて答えを出すほどの知恵はないんだと思う。
子供時あまり褒められずとか
目標設定が異常に高いとかでは?
自己肯定感は今からでも付けられると思うけど。
甘えって言われるのは
他罰的自称ウツ者と混同では?
正しく世界を認識すると世界は別に美しくも醜くくもない、世界はありのまま在るだけだ。
美しいとか醜いとかそんなのは個人の感想に過ぎない、それは一面だけを見た感想で、そしてそれが全てではない。ひとつの事実を見て悲観するのも楽観するのも個人の勝手、どっちが正しいという話ではない、どっちでもいいんだよ、好きな方を選べ。
悲観は悪ではない、感想として悲しみを感じたから悲しむんだよ、それを悪く言う権利は誰にもない。個人の感想に文句を言うことは誰にもできない。
要はそれでいいんだ、正しい認識とかどうでもいいことだ、何の為に感情があると思ってる?人間はロボットじゃないんだ、うつの方が世界を正しく認識してる?それがどうした、ロボットとしては正しくても人間としては不器用だ、生きることは苦労するだろう。楽観的な人間は器用だ、生きることに優れている。
真面目な人ほど患い易い傾向があると前々から言われてるけど
まぁそれはそれで結構正しいんだろうなぁ
この説が正しいと
世界を正しく見てる
↓
・絶望する→うつ
・打開策を見つけて、乗り越える→成功者
こんな感じで一般人をだし抜ける可能性を秘めているのに絶望するなんて愚か=うつは甘え って理屈が通っちゃうからあんまり好きじゃないな
作家芸術家に欝っぽい人多いのはありのままの現実を見れる繊細さゆえなのか 世の中の黒い部分に目を向けずうぇーいってやってる人らは引くぐらい感性が貧しい人が多い。正直幸せそうなのでうらやましい
根本的に、楽観的な思考の人は鬱になりにくくて、悲観的~現実的な思考の人は鬱になる可能性が上がるってだけの話じゃないかな?と思う
鬱の人間しかいなかったら世の中どうなるんだろうって想像してみたら怖くなったわ
鬱病は鬱病だよ。ふつうの状態ではないからね。
鬱病であろうとなかろうと、世界をただしく認識できたというだけではダメで
その世界をいかに自分や仲間にとって望ましい世界へ変えて行くのかという行動が大事
確かに物事を深く考えない人は何事も楽しそうでいいなとは思う
消費税の計算もできなければ増税を憂鬱に思う事はないもんね
いっそその方が楽な事は世の中とても多い
※127
>不安だ、鬱だ、辛い、という人は前者よりはある程度賢いのだろうけれど、
考えて答えを出すほどの知恵はないんだと思う。
”理解はできるが解決不能な状況にぶち当たった状態“と表現する方がいいと思う。
イジメを苦にしている中学生も、
大学受験失敗して落ち込んでる浪人生も、
会社経営がうまく行かなくて頭抱えてる社長さんも、
外的・内的要因や程度の差はあれど皆同じく苦痛を感じている。
こういった本人の対処能力を超える”相対的に“デカい問題に苦痛を覚えるのは、知恵が足らないせいなのか?
それは安易な自己責任論で、助力や許容を拒む言い訳に見える。
深く考えると私には難しい内容だけれど、理解、同意する部分ありますね!
両親や旦那さんに”それくらいの事も出来ないの?!”、”ダメ人間”と言われて数年。。。
言葉のトゲにはある程度慣れました。
この抑うつリアリズムってのは身に覚えがあるし、
確かにあると思う。
「自分の周りや世の道理を正しく客観的に見れる能力」と考えれば人生において強力な武器になる有能な能力だとは思うね。
ただあたりまえだけど抑うつに物事考え過ぎると、正しく理解と判断ができても行動できない人間になるな。
楽に楽しく、自信持って余計なものに目もくれず行動「も」できなきゃ意味ないよなぁ
抑うつな思考と楽観的な思考を両方コントロールできたらあらゆる事象に対応できる(子供っぽい言い方だけど)強い人間になれるな。
あとしきりに鬱病の話してる人いるけど、実験でわかりやすくするため極端な人(鬱病の人と健康な人)使ってるだけで、鬱病はこの記事の本質とあんま関係ないよね。
正常性バイアス。大事故など起らない。自分は事故にはあわない。
人間は余計な不安を排除することで生きていける。自分に限ってと思っていたほうが都合がいいのだろう。
仏教の世界に無我という言葉があるらしいが、要するに自我など存在しないということだろう。健康な人は常に自分という存在を感じながら、自分の意思決定を自分が行ったこと、思い、自分の感情で生きている。
抑うつはそういう自己機能が弱まっている状態でもある。自分という存在が限りなく薄いものになり、感情のフィルターが機能しなくなる。
一種無我に近い状態である。
全員がうつ病になれば、それが正しい世界
本人が楽観的な考えを植えつけられたいんだったらそれでいいじゃないか
大事なのは選択できることだ
イメージだけど前だけ向いて歩くのと周囲をいろいろ見回しながら歩くのの違いみたいなもんかな
千差万別!
この手の問題を考える時、私は
くるりの「ワールズエンド・スーパーノヴァ」の歌詞が浮かぶ。
本物のうつ病ならうつ病でお気の毒と言うか早く治ると良いねと思うけど
今の世の中仮病とは言わないけど、何でもあ~うつ病だわ程度に言う阿呆もいる位だからね
そう言う人は同情できないかな?
本物のうつ病は薬投与されるとか言うけど、外国では自然療法とか言うのもあるらしいよね
日本医療も本気で治してあげたい気持ちがあるなら、やり方を変えた方がいいんじゃないかしら
楽観的な人は生きやすい、悲観的な人は行きにくい
これが人の理
うつ病は見えない………壁にぶつかった時の仕方がわからない。自分で解決できない許容範囲を越えると逃げ場を失う(;_;)その結果はじさつしか考えられないことになる(;_;)
ある意味冷静に見えてしまっているから鬱になるとも言えそう。
でも、そんな事言っててもキリが無いからね。人間前に進まないと生きて行けない。
前に進むためには、多少の痛みに鈍いぐらいじゃないと行けない。それが今の世の中。
人生40~60年がいい。精神的にも肉体的にも不具合が出ないうちに死ねるのがいい。それ以上は地獄だよ。苦痛だよ。
非うつ傾向の人は、『娘さんを絶対に幸せにします』と言い切り、結婚して、ローンを組んで車や家を買ったりする。
うつ傾向の人は、『未来の事が分かる訳が無い』と言って、失敗するくらいなら しない方がまし、というスタンスを取る。
考え過ぎる人って結果考えてないんだろうな。
考えることはリスクを遮断すると思っているけど、1点の理を考え過ぎるそこで物事を辞めてしまう。10点まで行動に移さない。結果前に進まない。
考える人は10点を総合で見て前に進むから、考えてないように思われるが実は考えてる
勘違いしている人が多いけど、現実はいつも厳しいわけではない。
現実が厳しくなってくれば、鬱が増えるし、現実がよくなれば、鬱は減る。
現実的に判断するというのはそういうこと。
自称うつの人の自己評価はむしろ激甘そうだな。
おもしろい記事。
でも、書き方が曖昧で残念。
「うつ傾向の被験者の評価は、非うつ傾向の被験者より正確であった。」
のように「正確であった」だけでは説得力が薄い。
実際の例をいくつかあげて、「なるほど正確だ」と思わせて欲しかったなあ。
※152
おっしゃる通りだと思います。
ちょっと配慮を欠いた表現をしてしまってごめんなさい。
ただ、結局全部自己責任ではあると思う。もちろん人に助けを求めることも含めて、解決方法は自分で考えて選ぶのだから。周りが助けてくれるかどうかは分からないし、誰にも強制できることじゃない。
うつ辛い。現実世界でずるい人が多すぎて生きるのがこわい。ロビン・ウィリアムズを取り上げてまとめて欲しいです。
うつの人に甘えんなって言える人ってそういう…
今回のような同意できる記事はまるで自分が認められたみたいで気持ちがいいよね。
ついその情動をコメントに残しちゃったりなんかしてね。
みんなとても楽観的で滑稽だよ。
ホント、嫌になる。
宇宙の事とか哲学とか好きなんだけど周りにそんな事考える人って居ないんだよね。
考えても社会で生きていく上で役に立たないのは良く分かるけど・・・。
考えない方が良いのかな
本当のうつはこの記事見ても、自分は軽いうつだと考えることで優秀だと考えたいんじゃないかって悩むんだよ
周りに迷惑をかけ過ぎなけれは、前向きでも後ろ向きでもどちらでもいいよ。
生きやすいように生き、生きたいように生きればいい
なんじゃこりゃ
身の程弁えない楽観主義だろうが冷静な悲観主義だろーが回りからすりゃ迷惑でしかないな
自然淘汰された
だから足切りであとで落とされたわけで
高見の見物のあとに落とされた
それにしても余裕しゃくしゃくかと思っていたら淘汰するんですね緊縮型のうえに大変ですね
怒り満面の笑みで今日多いですから転職
評価してくれないタイプこれ多いです
全て選択は個人の自由だ
他者による肯定になんの意味があるだろう
※161
建前で言ってるだけであって幸せにできるかどうかは頑張り次第としか言えないだろw
自己満足度が強い人ほど、鬱病傾向が少ないってことか。
誰にも評価されなくても、自画自賛でいくのは良いことなんだね。
よかったね、私。
見る見るうちに「バランス」という言葉が頭に浮かぶ
そりゃまぁ、この世に知れば知るほどネガティブになる肝心な情報が星の数ほどある
認識に正しいも間違いもないよ。
そもそも人の脳で判断することなので多種のフィルターがかかったり、バイアスが生じる。
そして人生の目的は真実を見ることではなく、生きること。
感覚器官が万能であることを前提の精神論だな、機械や知識による補助なしでは認識不可能な刺激もあるし、感覚には個人差だってあるのに「正しい認識」とやらがあると仮定すること自体がオカルトだ
鬱になってあんないやな思いを散々してきたのに、今自分が、鬱でもいいかと思えて、鬱にはお花畑にできないことができると自信がついたりしたのは(自分のは一生治らない系の鬱)先生のおかげ。自分の通ってる精神科医にはほんとお世話になった、命を救ってもらったとさえ思う。
自分はひねくれてて言われるとかえってそっちへ突き進んでしまうからか、あえて具体的な病名や症状はほとんど言わない人だった(今思えば)。
投薬しつつなんとなく話をするんだけど、自分を責めるでもなく許すでもなく厳しくもなく甘くもなく接する、でもすべてわかっている。
説か…正に説だねw
楽観的にみえる人だって同じように世界を正確に見てると思うよ。
ただ正確に見た上で、悲しいことなら、
潰されそうになるのを自己防衛してるだけじゃない?
鬱の人はそれが出来ないだけ。
あとこの記事見てると世界は最悪に満ちてるみたいな書き方だけど、
ちょっと偏りすぎじゃないかな?良いことだっていっぱいあるでしょ?
もし鬱の人がその良いことを捉えられる目がないなら、
それは現実を見ていない証拠では?
鬱の人が正しい姿をみてるんじゃなくて
暗いできごとしかみてないの間違いであった
明るいできごとは自分には無関係でシャットアウトしてるんだろうね
正常な人は暗い情報を士仕入れたら吟味してポイ捨てする
鬱の人は暗い話題のみ仕入れて何故かそこで落ち込む、そして明るい話題は完全シャットアウトする
これが正しい捕らえ方
20年も生きたら大抵のことに新鮮味が無くなって、つまらなくなる
自分の心と身体を大切にしよう。
心と身体は神様が宿ってる。
畏怖の念を持とう。
そしてそれは生きるすべてのものに宿っている。
つまりは大自然中のキャビンなんかで暮らせばいいってことか
先月、女性の親友が自死をしてしまった。彼女は鬱だっためいつも自殺願望を口にしていたが、
この記事をみて非常に彼女にも当てはまる処があると感じた。
その彼女は非常に頭の回転が早く、人の話を一瞬で理解するような素晴らしい明晰さを持っていた。
他にも人より多感で、純粋に全てを感じ受け止め観ているようだった。
彼女が亡くなった時に、図太い奴は死なないよなと思った。現実を自己中心的に解釈出来るような人は‥。
鬱はいい人がなるイメージ逆に汚れた心の人間は絶対にならないだろう。
モラルを重んじるタイプはストレスも多いからこの説は当然の事実だと思う
何か必死に鬱の人は頭が良く真面目な人がなるイメージを作りたいようだが
頭のいい人は有能なのでまずそんな事態には追い込まれません
真面目な人は汚い現実にきちんと立ち向かいます
鬱は考える事をやめ後ろしかみれなくなった人がなる病気です
クトゥルフ神話か何か?
ここで非鬱の人が展開してる根拠のないオレオレ鬱病論がまさにこの記事の内容を体現してるね
ニヒリズムと自己憐憫がごっちゃになってないかい?
ほんとに正しく自分の状態を認識してるかい?
なんか陶酔してる人が多くてアホっぽいよ
うつ傾向の人が、シビアな見方ができるという事かな?
ならば 同感。
マジレスすると人の性格により脳の使い方が全く違うから、あれができるから秀でているって考え方はあまり適切ではない
そりゃありのままを見たら、脳の処理速度をオーバーするだろう。恐らく彼らは、正しく物を見ようとすると、さらに、その過去事例・予測情報などの付随情報を思い起こそうとするのだから尚更の事。でも、そういう苦しみから出てくるものは、結構いいものが多い。
うつ病っぽい人は手厳しい自己評価を下すから何か些細な失敗でも罪の意識に囚われて凹んで、凹んだことにすら罪の意識を感じるから悪循環から抜け出し難いんだと思う
リアリストで尚且つペシミストだと鬱になりやすい気がする
自分も長いこと鬱と付き合ってるけど、お花畑で図々しいくらいの方が無論この世は楽しく過ごせると理解はしてる
そういう人はぽこぽこ子孫残して自分みたいな暗いのは孤独死コースで淘汰されてくんだろう
これは事実だと思う。
うつ病の人って自分の環世界を上手に構築する能力が欠けている気がするんだよね。
もっと利己的に周囲を捉えればいいのに、といつも思う。
鬱病の人に優秀な人材いる訳じゃないんだし別に淘汰された方が社会的にはいんじゃね
ところでかなりの疑問なんだけどこの世の何を憂いているの?
内容を全部書き連ねていってくれないかな
興味津々なんだけど
リアリストとか思いたいならのなら、税金で払ってる治療費を治療に専念して無くす事から始めないか
無駄に税金使わせてる現実を直視する事がまず第一歩だ
目にも錯覚の元になるけど普段は役立ってる現実歪曲機能がいろいろ付いてるし、
気持ちに何かしらそういうのが付いててもおかしくはない
100年カレンダーみたいに死までの時間を刻々と感じられると自殺したくなるように知らない方がいいことは多いね。他人からの悪口とかもだな、嫌われて上等位でいないと。
以前俺は人間関係苦手で誰かに嫌われては辞めるみたいに仕事コロコロ変えていたが何かされたら即やり返すようにしたら案外あっけなく相手も引っ込むと気づいた、好戦的な奴に好かれる必要もないから適当に話しをしてると面白いことも言えるようになって人が寄ってくる、それに反撃以外で誰かを攻撃したりしないから優しくて面白いと男女問わず慕われるようになった。
コメントの鬱対非鬱、評価のプラスマイナスが面白いな~!
記事の真偽はわからないけど、結局どの位置からどのベクトルでものを見るかで人の評価がこれだけ多様だし、自分の立場の方がいいと思ってるまたは思いたい傾向があるような気がした。
世の中考えすぎよりもバカの方が生きていけるのかもね
うつ病気質だけどこれは子供の頃から思ってた。
なんでこんな楽観的に生きてる人が多いんだ?と。
考えた結果、まぁとりあえずはそういう世の中生きてくならそれに合わせておけばいいやとおもってヤンキー諸氏の前向きさを一部抜粋してペルソナとして迎え入れたら気楽に生きられるようになった。
自分の冷静で覚めた部分は嫌いじゃないし自分らしいと思うけど抜き身で持ち歩いてると自分も他人も傷つけるからな。適当な見た目の鞘にいれとくほうがいい。
生きてく上で役に立たないどうでもいい事に脳を使っても社会で役に立てなきゃ意味が無いんじゃない?
鬱じゃない人はそんな事どーでもいいから全く気にしてないと思うよ
正確に捉えているとか関係なくて気に留めていないだけの間違い
いい加減に自覚しよう
あなた達はお医者さんで世界に旅立ち困っている人達を助けられますか?
考えてもどーにもならない事を考えるのをやめて今ある現実を直視しよう
精神科医が必要な状況を作り出してる迷惑な存在なだけでしょう
>1
なるほど。正確な現状認識が人生に役立たないって事か。
必要に応じて薬を利用してる頭鈍らせてる
多少副作用的なだるさはあるが、かなり
生きるのが楽になった
この説を唱えた人の自分への慰めにも聞こえる
社会の役にも立たない自分を正確に現状認識しているから
嘆いているって事でFAなのかな?
かなり納得した
「世界を正しく認識する」・・・・
もしそれが「正しい」と証明できれば,人間すべてがそれに従うといい.
我々の認識は 個人の眼や感性・経験・教養を通している.それに加えて各種の「錯覚」「誤解」「思い込み」などが作用していることはほとんど「自覚」されない.
近年,様々な錯覚の事象が解明されてきつつある.錯視は日常で起こり,記憶の改ざんは無意識に自分の都合に従い,自信が知識の錯覚を来し,そこにあるものが見えない「非注意による盲目状態」は実は脳がものを見ていることを証明した.
正しく認識された世界は ちょうど人間の数だけ存在する.
「世界は私の表象である」とはまさにそういうことだ.
「鬱病が甘え」なんじゃなくて、「鬱病に甘えんな」なんだよ。
本当に苦しんでる人は鬱を何かの理由にしたりしないんだ。
遺伝要因も大きいらしいからな
多様性の一部として生存競争の中自然淘汰されずに残ってる個性の一つ
それでも少数派である限り、※205みたいな人にはボロカスに言われ続けるだろうね
NO237さんのコメは私について書かれたような錯覚に陥った。
NO7さんのコメは神レベルからの意見であり、NO237さんのコメは肉眼のみの意見に感じられる。
人間の成長=無眼子<神=阿羅漢<仏 大乗仏教による。
欝ってのは必要以上に考えすぎたり、その考えが堂々巡りになったりしていて、脳が果てしなく疲れ切った状態だと思う。どこかで思考を停止させなきゃいけないんだけど、不眠になるので疲れがとれずなかなか抜け出せない。自分の経験上だけど。1日10分ていどで良いから、完全に考えない訓練をすると良い。体を横たえて頭の中で一切言葉を発しない、いかなるイメージも持たない。できうる限り全身脱力する。そうすると自然と意識が遠のいていって眠れるようになる。あとは一般的に言われている健康維持に必要なことをしていれば治まる。医者にかかってないんで重度の症状の場合は知らんが。あと日の光に当たることも必要だとか。
こんなの鬱が聞いたら更に病状悪化しそうだな
「やっぱりオレは正しい」って根拠ないプライド更に高めそう
鬱の調子悪いってどういう状態なんだ?
何かで失敗してショック受けて超ブルーな頭から血の気が引いた気分悪い感じか?
悲観してるのではなく、楽観できないだけって話か
「学習的無力感」提唱者のセリグマンも似た様なこと書いてたっけ
生きる上で楽観主義が有利ならなぜ悲観主義が現代に至るまで長らえてきたのか?
ということで調査してみたら深刻な場面では悲観主義者の方が状況を的確に把握する傾向が強かったとかなんとか
喜びを見出だす能力を失う。
冷静に事実と向き合える人というのは物事にたいして感情移入しない傾向じゃないかと思うんだがどうだろう?感情のセーブをかけるのが上手いんだと思う
事実と向き合いつつもこの感情のコントロールがうまく切り替えられることができればよりいい人生を送れるんじゃないかと思っている
俺は車が怖いけど、俺はまともだと思う。
車が平気な一般大衆の方が狂ってる。あんな鉄の塊で何十キロも走らせて、下手したら死ぬだろ。
現実は非情である。
ライトの点灯回数とかどうでもいいことを忘れられないからじゃね?
取捨選択ができないんじゃね?
これって二択でノーの方にだけチェックマークをつけたら問題(現実)の回答は常にそっちに偏っているというだけで
判断力の問題では無いんじゃなかろうか
重度のうつでは否定されていると書かれているように
悲観的であればるほど正しいというのは違うよね
普通に直視したら世の中って自分にとって都合のいい存在じゃないってわかるよw
患者の1人としてとても共感できる。
うちの父親はお酒を飲むといつも
落ち込んだ表情をして悲しかったことやどうしようもないこと、を口にする、もしくは自分が 話したいことを独りよがりに満足いくまで話す、そこに親子の心の繋がりなど無い、
私はただ、聞かせられるのみ、それを20年くらいやられた。家は荒れていて私はずっとずっとずっとずっと、調和を取りたいと自分を犠牲にした、それは自ら望んで動いたこと 私は父を憎みたいし嫌いたい、私にそんなことを言ってしまう浅はかな、バカな父 言わせ邦題聞いてあげた私の罪、
私は今自分が父を許したくないことをわかっていて、どうしたら許せるかは自分が愛してくれるパートナーと幸福になることだと分かっている だが私は自分に自信がない、恋もしたことがない、自信をつけるよに努力して今を変えて行く一年後私は幸せになっているよ なるために生きるのだ
そういうこともあるよってだけで鬱病患者の方がいつも基本的に正しい認識をしているとかは間違っても思うなよ。鬱病患者に何人もあってきて、俺自身元鬱病だったからはっきりわかる。
※225
自分も似た感じの体験はしてるんで言いたいことはわかる。結局はこれって欝同志の方がお互いのことを正しいねと言い合いやすいってだけのことだよ
仮に鬱の方が認識正しいと仮定して、「鬱の認識が正しいのだ」って云う奴がもし健常だったら
え?鬱じゃないと認識正しくならないんでしょなんで健常のお前が正しいとか言えるの?
ってなるわけで。
かと言って鬱の奴が鬱の奴を判断して「鬱の方が認識正しい」って欝同志で云ってたってバカじゃねwとなる。
正しさとかは同じ考え見え方の者同士でしか通用しないよ
うつ・非うつ関係なくこの記事を全否定する人、全肯定する人、こういう考えもあると納得する人(そしてその上で肯定・否定をする)に別れるだろうから、それぞれの人がこの記事をどう見るかまでが興味深い
実際、自分に酔ってるから生きていける
わたくしには、愛国心があります。
はいはい鬱、自殺ねはかなり深刻だよ。日本中大きな爪痕が刻まれて、もう、死に先急い、なんてまだ若い世代は考えて欲しくない。昔の人は薬を毛嫌いするが、治療に必要な人もいる。家族は外から見えない。だけど何歳であろうが憂鬱気味には理由があるから干渉せずそっとしつつ薬と新しい環境を提案します(生意気ごめんなさい)
誰だって自分が一番可愛いんだよ。
頭は花畑と比喩する輩に聞きたい。そっちも、自分が可愛いことを、無意識で感じ、苦しむ人を貶しては、自分を甘やかせる惨めさがあるんじゃないのか?
親が酒浸りの子は、長年辛い朝を迎えてでも生きてるんだよ。あげあしとれば良いってもんじゃない。言葉で人の心を日本人なら殺すな。
世の中に期待しないから、ある意味冷静ではあるかな・・・
世の中を期待しないのは正しいよ。
でも生きなきゃいけない。自分の場合は親不孝になるから。
⬆の子いくつ?30前半で自分にはもう価値なんかないって何度も思ったんだ。でも、ひとりぼっちでも、自分の好きなことして大人げなくても、それが笑われていようとも、私は私って思って?時間は味方
※231
くだらない事考える脳を鈍らせる為に薬使われてるだけ
覚者・仏陀は鬱だったんだろな。輪廻を説くバラモン教社会の中で育ったのに「輪廻なんて無い」って法悦から覚めて現実に気がついたから鬱になったのか、鬱になったから気がつけたのか。
※232
まあ、でもその「慰め」がうつ状態でも生き延びるのに役立つのならプラグマティズムの観点からは良い治療法かもね。
世の中の残酷さ、悲惨さ、人間の不確かさを知れば知るほど、どうしてそんなに明るく人間を肯定できるのかと思っていた。
死後の世界なんてないし、人生にも何にも意味なんてない、そういう現実を考えてたら鬱にもなる。
27さんありがとう。
鬱って表現するからややこしいけど。
これは、一見堅物な物言いで聞いてて楽しくない話をする人やと思ったら、現実から目を背けず淡々と生きてるタイプなだけで、真面目な人達の分類とパティーでイェーイ!言うてる人とを比べた話にしか見えんわ。
本当の鬱病とはまた違うみたいやし。
※236
甘えてるから鬱病になるのだろ
言ってる事に大した差は無い気がする
※207
確定要素の無いものを断言的に書くのはどうかと
脳の萎縮症状が出てるって事から、それらがあるから鬱になりやすいって事はあるかもしれないな、俺的にはきっぱり断言できると思えるけど
研究が進めば障害って事になったりするのかもしれないな
事前に予測して警鐘を鳴らしていた人がいたにもかかわらず最悪の事態が何度も起きている人間の歴史を見れば、悲観的なことを言う人間が必ずしも病的であったり間違ったことを言っているわけではない場合もあるのだ、と思う。
楽観的すぎず悲観的すぎないのが一番いいのだろう。
あと、あらゆる事態を想定する想像力。
なんでも鵜呑みにせず、考えることが大事なんだろうな
何でもかんでも定義付けしようとする方が始末が悪いと思うけど。
これを元に鬱の人が何を思えと?「貴方はリアリストなだけですから問題ないです」そんな事言われても、患者の救いにはならないと思うけど。
楽に流れたい。それが自然の摂理。だとしたら楽観者のが自然。
人間社会の話だけに定義付けするのは危険だとしか思えない。
救いがねえ笑
良い議論だと思います。
友人は力を持つものに真実をねじ曲げられたために病んで自殺しました。
被害者だったはずの友人は、いつのまにか加害者にしたてあげられてしまいましたよ。
どうあがいても、俺が悪者になる。
と言っていました。
力や権力、ずる賢い人間によって綺麗な心を持つ人間が邪魔になるんでしょうね。
それが今の時代の現実であって、そんな嘘だらけな時代で生きることや、正義が成り立たない世の中の被害者達は、貫き通せる力さえ持っても無意味になる現実を知ってしまったんですよね。
鬱の人って正義感が強すぎるのかなって見てて思いました。
むしろ自己暗示は皆が元々持ってる自己防衛の手段で、うつ病の人はそれができなくなってるということではないだろうか
言葉は自身に返ってくる。言い換えればただのひとり言。
とことんまで思考と向き合いましょう。そういう脳神経状態なのですし。
1μmに満たない幸せ物質が自身に万感を分からせるまでは、貴重な、且つ取るに足らないどうでもいいこと。
食と運動と睡眠と光次第で、人それぞれの役割に向けてまた生きられるかもしれないから。
なんだか魔女狩りの時代を思い出させる
鬱に対する世間の仕打ちは
自分の人生はゴミだと認識してるけどバラ色目指して頑張ってるで
別に目指さなくても良いけどなるべく楽な方が良いし目標が無けりゃ生きてる必要もない
失敗してもリスクは無いからなんでもできるで
・虐待経験
・哲学(ほか学術)
・政経社含む世界のあれこれ
で鬱っぽくなってイロイロ明確な理解が進んだ。
独身安定ということだ…
多かれ少なかれ誰でも持っている鬱というものが生物の特性の一つであるという認識が広まって、二元論的な凝り固まったものの見かたをほぐしてくれるといいなと思います
現実だけを歪みなく把握できるから鬱になりやすいのではなくて、いわゆるお花畑的理想というか基準も少しは持っているので、その落差に落ち込むのだと思う。
比較するものが無く、ただ現実だけを見れるなら滅入ったりしない。ただこの状態はかなり稀で、たいていは皆が理想を持っている。だから現実派に近い人が辛くなる。
マジに現実だけを見る人は、理想という虚構と比較しないだけでなく、欲望などにもとらわれないので、本当に真実を見抜く。そういう人が数少ない賢人とか覚者と呼ばれるようになるんだと思う。
うつになるくらい周りがバカなら環境変えりゃいいって話だよな。
はっきり言って専門職で働いてる自分にとってはパンピーがパンピーの中で優劣競ったところでどんぐりの背比べにしか見えない。
偏差値50以下のやつらが、それより低いやつらをバカにしたところで天才にはなれないしさ。
別に自分が特別賢いとも思わないけど、専門職で働いてるとパンピーと比べてまともな思考は持ってる人は多いと感じる。
とは言え、性格は頭の良し悪しに関係ない部分もあるから、感情的に動くし嫌われて話を聞いてもらえないことはある。
でも、話が全く通じないと言うことはほぼない。
当たり前だけど、専門職って専門知識ベースで会話するから。だから話が通じないと言うストレスはないし嫌われてる以外の選択肢がほぼないから諦めもつく。
低い環境にいるうつの人って、おそらくまだ努力の余地があるんだよ。
努力しすぎるからうつになるって言うけど、努力の方向性が違うんだよ。
バカを排除する環境に行く努力がおそらく足りない。
賢くたって感情的に動くのが人間なのに、バカに言うこと聞かせるとか無理だからさ、自分が賢くてうつになってると思う人は、バカに言うこと聞かせる努力するんじゃなくて自分が高いところに行くのがいいと思うわけよ。
うちの親父はうつ病と統合失調症どっちもだったからそれだとまた話は変わるな
現実に悲観的すぎて死んじまったんだが…
抑うつ傾向と鬱病は違う
この研究は抑うつ傾向の話をしている
うつ病になってからポジティブなやる気とかぜーんぶ奪われて、何もかもに対して悲観的な見方をするようになった
本当はそんな見方したくないのに止められない
優れた作家とかアーティストに鬱病が多いのも何となくわかるな。
普通の人は自分は平均より2割ほど優れているという優越の錯覚を持って生きているらしいが、鬱病の人はそうではないらしい。
だから、この説には頷けるところがある。ドーパミンが関係していると思う。
人間の生活が安全すぎるのもある気がする。初期の頃はもっと危険に満ち溢れていて、楽観視しない方が生存率が高まりそう。
今の時代でいうと何も考えないとか楽観視するような、そもそもストレスを感じないようなタイプが生き残りやすいんじゃないかな。