海外サイトにて、10年以上厳格なベジタリアンだったアメリカ人のライター、エミリー・トーンが、最近、肉も食べ始めたという趣旨の記事を書いた。彼女は、彼女なりの判断で、特に動物福祉や人間の安全を考慮している食物生産者をサポートするという自分のモラルに沿った方針で食べているという。
彼女は、動物の安全や環境に配慮した企業を支援することで、経済動物の扱いが良くなることを信じて、ベジタリアンを止めたという。
以下はエミリーの書いた記事を抄訳したものだ。
これまで知らなかったベジタリアンに関しての詳しい情報も記載されている。この記事はあくまでもエミリーの視点であり、彼女の考え方を記したものである。これを強制するものではない。
人はそれぞれ独自の理由で何を食べるかを決めている。
ベジタリアンにもいろいろあって、現在はベジタリアン、完全菜食主義者、未加工の食品だけを食べる完全菜食主義者、ペスカタリアン(肉は食べないが魚は食べるベジタリアン)など、その分類は幅が広い。コーシャ(ユダヤ教の戒律に従う食餌)、無グルテン派、乳糖(ラクトース)不耐症の人もいる。卵や肉類は食べないが、ミルクやチーズなどの乳製品は食べるラクト・ベジタリアン(乳菜食主義者)や、未加工・未精製の禅式自然食派、鶏肉と魚肉だけは食べるセミ・ベジタリアン、肉類を多少は食べることもある穏やかなフレキシタリアンなど、分類するほどのこともない人たちもいる。
ベジタリアンになった理由はたくさんある。ひとつには、自分が食べるものから体に悪い要素を取り除きたかったためだ。ジーンズが履けなくなるもの嫌だったし、肉を食べることでよけいな毒素やバクテリアに体をむしばまれたくなかったのだ。だが、最大の理由は、食用の動物たちの福祉と肉製品を生産している畜産工場に対する懸念だった。
動物の倫理的扱いを求める人々の会(PETA)の撮った畜産工場の現状ビデオがあってもなくても、この国(アメリカ)で消費されている大量の安い肉製品の原材料である動物が、マクドナルドが持っていた農場で快適に暮らしていたのではないことはほとんどの人がわかっているだろう。
集中的動物飼養業(CAFO)である畜産工場が、肉製品のほとんどを生産しているわけだが、残念なことにここでは量と利益をあげることだけに注力して、動物たちの福祉、人間の健康、地域経済、食の安全についてはまったく考慮していない。
ほとんどの動物は、窓もなく自由に歩き回ることもできないケージの中に閉じ込められている。産卵する鶏の95%が小さなバタリーケージに入れられているため、感染症にかかりやすく、骨折しやすくなっている。
食肉になるために育てられた鶏は、突かないように、麻酔なしでくちばしを切り取られ、自分たちの排泄物の上に作られた小屋に押し込められて、不自然に速く大人になるための成長ホルモンを与えられる。
犬と同じように豊かな感情があり、社会性を有する豚も、自由に動き回ることのできない屋内に閉じ込められ、慢性的にたまりまくっているストレスのせいで、ケージのバーをやたらかじったり、互いの尾を食いちぎったりするという。メスの豚は4か月近くの妊娠期間中、向きを変えることもできないさらに狭いケージに隔離される。
牛は自然の草を食べるのが普通だが、安価だという理由から、コーンや穀物飼料を与えられ、そのせいで深刻な消化器障害が起こることがある。オスは焼印を押されて去勢され、多くは麻酔なしで角や尾を切り取られる。メスの乳牛はミルクの出を良くするホルモンを与えられ、その結果、乳房が膨張して感染症にかかりやすくなる。 仔牛が生まれるとすぐにひき離され、母牛の母乳は人間のために使われてしまう。
こうした事実を知って、永遠に肉からおさらばしたいと思ったが、再び、肉を食べようと決めた最大の理由は、食用のために動物たちが殺されているという事実ではなく、殺される前の彼らの扱い方だということに気づいたからだ。
日ごろ食べている動物たちが、生きている間にどのような扱いを受けているか気にかけている消費者の要求に応じ、彼らのエサに抗生物質やホルモンを入れないよう配慮し始めている企業もいることはわかっている。
大規模な畜産業の中で、こうしたささやかな動きに取り組んでいる、小さいけれど健全な食品産業にはぜひとも支援が必要だ。農薬や遺伝子組み換え生物(GMO)を使わないオーガニック素材や、自然の草を食べた動物を使っているベアバーガー、グリーン・バレー・オーガニックス、エグロジー、ホーリー・カウ・グラス・フェッド・ビーフなどだ。
サーティファイド・ヒューマネ・アニマル・ケア(HFAC)は、畜産工場や生産者を監視する非営利団体組織で、飼育されている動物たちが、十分な居住スペースを与えられているか、手荒な扱いをされていないか、新鮮な水や、抗生物質やホルモンの加えられていない健康的なエサを与えられているか、などを審査している。
製品やレストランのラベル表示の意味をきちんと知ることも大切だ。例えば、“自然の草で育てられた”という言葉は、米農務省(USDA)が作った言葉で、その定義は、「生涯の栄養素をおもに草から摂るが、穀物を補填されることもある。抗生物質やホルモン、農薬の使用を制限するものではない」とある。つまり、エサは草原の草オンリーというわけではないのだ。
同様に、“平飼い(放し飼い)卵”パッケージに表示してあっても、この卵を産んだ鶏がケージに入れられていなかったという意味ではない。自由に外に出られる放し飼いの鶏でも、たいていは専用の建物の中で飼われている。
いちいちこうした裏の意味を考えながら買い物をするのは大変だし、安くないことも多い。だから、ほとんどのベジタリアンや動物福祉を考える人たちは、ステーキハウスで野菜バーガーを頼み、食料品店でアーモンドミルク(アーモンドの粉末から作られる牛乳の代替品)を買う。
完全に肉食を避ける道を選ぶほうが確かに簡単かもしれないが、願わくば、少しずつでもいいからもっとたくさんの人々がこうした情報を得て、肉になる動物たちに対して思いやりをもつことが大切だということに気づいて欲しい。そして、殺されてしまう動物たちのこと真剣に考えて、正しいやり方で動物性食品を生産している企業のために、その会社の肉製品を買って支援するのもいいだろう。
人道的に、自然にかなった食品を売っている企業を支援することが、立法府や農務省の注意をひき、畜産業の法令を変える行動を起こすきっかけになるかもしれない。食べないという選択ではなく、動物に配慮した企業を支援することで、動物たちの扱いが改善される可能性があるのだ。
食べるものが多種多様に選択できる先進国においては、「命を奪って食べる」事に対する、ある種の葛藤がある。日本では「いただきます。」と感謝し、残さず食することが免罪符となっているが、更に一歩進んで、その製造過程に目を向けると、そこには「いただきます。」じゃすまされない問題も生じているようだ。
命を奪うことを拒絶すれば自分の命が奪われる。自ら狩りをせず、処理されたものを選択できるようになった現在、食に関する価値観、倫理観に宿る人間のエゴは、あちらこちらで支障をきたしているようだ。食べることに大義名分が必要なのだ。「命を奪う」という行為に対しての。
とりあえず、人間が食べ物として加工したものは無駄にしないでちゃんと消費することが一番かなぁ、日本人の廃棄する食べ物があまりにも多すぎる
※1
意外にも外食なんかよりも家庭が多いんだよな
いただきます、ごちそうさま、を心から毎回言ってる人は多く無いかもね
※1
そうだね。
不必要に過剰な在庫はやめるべきだと思う。
レストランやお弁当屋さん、食料品売り場、いずれにしても、
年中全てのメニュー、品物が揃ってる必要はないと思うんだ。
売り切れたら別なものを頼めばいいし、季節の物を食べるのもいいもんだ。
これは、売る側だけじゃなく、我々買う側も意識を改める必要があると思う。
言ってる事は理解できるし、自分もそれが理想だと思う。
でもこれを実現するには人間が増えすぎてしまった。
人口の増大に比例して、高度に複雑化した経済社会を今更単純化するのは無理だと言わざるを得ない。
この考え方はいいと思う
食うモノに敬意を
知性を得たが故の人間独特の悩みだよね。
人間外の生物は、他の生物を命を食らう事に対して何ら悩む事は無い。
腹が減ったから、生きる為に食べる。ただそれだけ。
知性を得て良い事は沢山あるけれど、逆にこう言った問題も増えた。
如何ともし難いね。
※4
人間が得た倫理観と道徳心と理性。
これらと本能の間で苦悩しながら生きて行くのが「人間らしさ」のような気がする。人は完全なる動物には戻れないけど、動物である事も忘れちゃいけない。倫理観はあるけど雑食の動物。
きちんとした飼育をしてるところを応援する方が建設的だとは思う
畜産に置ける劣悪な飼育環境には心を痛めるが
それ無くして安定した安価な食肉提供は有り得ない。
(特に食料自給率の低い日本にとっては)
だが「じゃあ、しょうがないじゃん!」と開き直るのでは無く
人間のエゴとどう向き合うのかを常に自問しなければならない。
それが命を奪う事の責任と言えるだろう
「いただきます」「ごちそうさまでした」
農家の人、作ってくれた人、食べ物への感謝
自分が頼んだ分は全部しっかり食べろ
田舎なんだけど、自宅で鶏を飼ってる
産んだ卵をちょいと拝借して美味しく頂いたり、特別な日には鶏を〆て美味しく食べたり
で、なんだけど、夏休みの間、親戚一家が遊びに来たんだよね
おもてなし料理でチキンを振る舞って、みんな美味しい美味しいって食べてくれた
翌日、その親戚一家の息子くんが鶏を追っかけ回して遊んでたから、鶏をいじめちゃダメだよって言ったんだけど、
「お母さんが、この鶏はどうせ殺されるんだから何しても大丈夫よって言ってた」
「昨日のチキンも、こいつら殺したやつでしょ?」
って言われて……なんだかなー……と思いながら、息子くんを叱ったのを思い出した
私はいくつかの理由でペスクタリアンだけど
彼女の主張は、非人道的兵器と同じものを感じる。
動物愛護が理由なら屠殺自体をやめるのが一番だと思う。
まあ畜産業会をどうにかしたいってのは賛成だけど。
もうちょっとわかりやすく書いて欲しい。読んだ感じではどういう風に飼育された肉なのか、を考慮すべきだ、という話だと受け取ったけれど違ったら申し訳ない。
その考え方は共感できる。ただ食べられるためだけに育てられ生まれながらに虐げられた動物を食べることは人間のエゴでしかないと思う。
しかし、現実問題としてスーパーで、これは苦しんだ豚か、これは閉じ込められていた鶏か、などと調べ上げながら購入することは不可能に近い。例えば、育ち盛りの子供を抱えた家庭で親がそこにこだわっていたら生活が立ち行かない。むしろこういった情報によって苦しめられた動物の肉を買ってることに罪悪感を覚えてしまう。
オーガニックの食材にも言えるが、環境や動物に優しい食材まで配慮して取り寄せるような家庭は単身者か、おそらくそれなりに裕福で、そういう思想をめぐらせ、店を選び、取り寄せるほどの時間の余裕がある家だろう。
しかし、こういう記事を見ることで社会全体が少しでも意識を変えれば、畜産業の取り組み方も変わってくるかもしれない。
そういう意味では若干現実性にかけるが良い記事だと思う。もう少し一般家庭に配慮してもらえばもっと良かった。
生きることは罪か?
※11
めちゃくちゃいいこと言うね
僕はもう聖人になることは諦めたよ
人間には理性と欲望の両方が必ず入ってる、
自分の利益のために他者や他の生物の不幸を顧みないのも人間の性。
でも、それでも聖人を目指すこと、よりよい世界を求め続けることは
諦めてはいけないと思うけどね
しばしば釣った魚とかスリングショットで仕留めた鳥とか食べてるけど、
やっぱり罪悪感よりも感謝の気持ちのほうが強いなぁ。
ただ、仕留め損ねたときはものすごい申し訳なさを感じる。
※12
「残さず食べないといけない」という暗黙のルールだけは危険だから辞めた方が良い。
自宅で作る食事なら良いけど、外食は千差万別あらゆる人間に対して一律の量が出て来るわけだから、それを全ての人に完食しろと言う考えは×
その人に合った量(健康を維持出来る量)だけを食べれなければいけない。
>>209
外食をするのがそもそもの間違い
残すぐらいなら外で食うなってことだ
※209
正解、残すなってのも理由があったわけだけど
作ってくれた人に悪いから(農家等)
命(食材)を無駄にしてはいけない
これらを大切にするのは良いことだけど
大切にしなきゃいけないものの中には自分自身も入れないと
現代では職業や生活スタイルの変化で外食はさけられないし
人間は進化の段階で肉食はやめなかったのかな
ゴリラなんかは野生で草食でやってけるんでしょ?
動物を食することで生じる憐みや抵抗感は人間の知能というよりも
平和が担保する社会性によるものだとも思うけどどうだろう
動物に限らず他個体における意識の存在については
常に戦争とか大量虐殺において軽んじられるわけだけど
知性を獲得してから人間がそれらをやめたことはないよなあ
サムネびびるわ
押し付けないなら好きにして
忙しい生活の中で朝昼晩と食事を摂っているとついついこういうことを忘れがちになる
食事をただの栄養補給か娯楽と考えてる人も多々いるんじゃないかな
そういう人たちにもなにか考える機会を与える取り組みも必要かもね
※16 「寄生獣」で主人公が事故死した猫を埋葬する時のセリフ「これはもう猫じゃない、猫の形をした肉塊だ」このセリフに衝撃を受けた。生きていたときは猫でも死んだらタンパク質が多い塊でしかない。でも、日本人は生きていた時の姿を想像するから「いただきます」と言うんじゃないかと思う。
※16
その息子は若いからか合理的だ
まぁ成長していくうちに日本人特有のそういう情緒が身につくと思う
※16
息子君を叱ったのは立派!
でも、その馬鹿な母親にも誰か説教してほしい。
というか、こえーよ、その女は人として。
※16
生き物を食べるのではなく、虐めて苦しめて楽しむのを覚えたらだんだん見境がつかなくなってくるよ。あれなら良いだろう、ここまでなら良いだろうって範囲が広がっていく。
きちんと叱ったのは素晴らしい。
※16
こういう母親がこういう子供を育てるのね・・・。勉強になります。
※16
恐ろしい女がいたもんだね。子を持つ母親とは思えない。
※16
殺されるから何してもいいだなんて
死なない生き物はいないんだから
人間にだって何やってもいいってことになるじゃん
恐ろし杉内
殺すことが残酷ではなく家畜の命が尊重されないからかわいそうだと最近気づいた私にとってタイムリーな記事だ
その動物の人生(?)を大切にするこれは「犬、畜生」と言っても「人間様」と思っても侵害すれば異種間差別になる
※16の甥っ子は鶏をイジメるからおかしいと首をかしげる
命を奪うではなくいただくってわかりにくいし私自身わかっていないが違いはある
奪うは侵略者
いただくは同じ地球の生物で食物連鎖の仲間(食べなければ均等が崩れる)
あと、日本人だから最後が不愉快
「いただきます」ってわからんけど免罪符じゃないと思う
人間は侵略者まがいのことをしている動物だからなご免じゃなくてありがとうって言え
たぶん※16のような人が一番分かっているんじゃない
>>16しかし無知といのは恐ろしいな。
その親子は人の形をした異形にさえ見える不気味さだ。
知恵ある食生活を目指すためにはまず犠牲となった動物に対する
感謝の心と、食が及ぼす健康への深い理解が必要だよ。
動物だけに限らずあらゆる犠牲のうえに人間の命は成り立っているからね。
けれど犠牲の少ない未来を選ぶことが出来るのも人間だと思う。
個人なら自由にすればいいが時に環境マフィアに変身するからな。
日本人も元々はほぼベジタリアンのような食生活だったんだよなあ。
肉食に偏ってきたのはここ最近の話だし、私の祖母ですら子供の頃は肉はおろか卵ですら滅多に食べられないご馳走だったらしいし。
豊かになった社会の弊害だ。
だからこそこの国の誰もが考える必要がある。
※18
そうなんだよね江戸時代に肉禁止になったんだっけ?
ごくまれに裕福な人は鳥や兎や猪食えたみたいだけど
栄養足りなくて初期の頃を除いて平均伸長が江戸時代が一番低かった
肉解禁になっても貧乏だったから今みたいに気軽には食えなかったし
なるほど。これは説得力があるなあ。
殺して食べることよりも、劣悪な環境で無理矢理食材にされている、というのは罪悪感を抱かせるね。
申し訳ないとしかいいようがないが、かといって素晴らしい環境で元気に育った和牛を食べれるほど裕福じゃなし。
「動物の命を奪うから肉を食べない」としか考えないのはあまりにも短絡的すぎるよな
世の中には死ぬ以上につらい目に遭ってる家畜がいることを、忘れてはならない
動物がかわいそうっていうより、不健康な環境で育てられた畜肉は、人間の体にも良くなさそうだし質も悪そうだし、そういう意味で嫌だな
※21
自分は鳥肉は苦手なので鳥撃ちはしないが、釣った魚はよく食べる。
若いときは何事にも感謝などしたことのない腐っただったが、釣りを始めてからはしだいに魚や他の動物たちにも感謝の気持ちを抱くようになった。
※28
豊かになって誰もが肉や卵を食べられるようになったことが、なぜ社会の弊害なのかさっぱりわからない。
それに、日本人はみなベジタリアンだったわけではなく、住む地方によっていろいろだったのでは? 海辺では魚やクジラを食べたし、同様に山間部では鳥や獣を食べたろう。
※28の言うのは大衆化したからローコストな酷い育て方をされるってこと?
肉のありがたみも無くなったよなぁ。
たまの贅沢くらいの感じがいいんだよなぁ肉ってさぁ。
父ちゃんボーナス出たから今日はすき焼きよー!うひゃーやったーみたいな世界。
人口と食料の問題も考えれば、お肉は高価なものという位置づけのほうが合理的な気もする。
今は肉より野菜のほうが高くて辛いわ…一人暮らしだと肉と米だけの食生活。
野菜食べたいです。
ストレス無く育てた家畜のほうが美味いけど高価になるから、強者であるお金持ち様がそういう農法を応援していけば変わるかもしれんね。
形の悪い野菜も売って単価を下げて同時に家畜をストレス無く育てるようにして単価を上げればそうなっていくかも?自由競争じゃ無理だな。
まあ大量生産のためだから扱いが酷いのはしょうが無いね
手塩にかけて高く売れる高級路線ならともかく
フード・インクを思い出していますた。
※23
「肉食を止めなかった」のでは無く「肉食をする様になった」かな?
現在の人類進化の研究では概ね、かつては森で果実食中心だった人類祖先が、気候変動による森の減少で草原へ進出せざるを得なくなり。その結果、先に草原に進出して多くの草食動物たちと競合する様になって菜食中心では成り立たなくなり。代わりの代替食物として肉食動物の食べ残し等の肉を主な栄養源とする様になった~と言うのが定説です。
肉食中心になった結果、高カロリー&高タンパクの食事で栄養過多状態になり、その余剰養分が他の動物種には無い著しい大脳発達進化を促したと考えられています。またより効率良く肉を発見する方法を考える様になった事も大脳進化に大きく影響したと考えられています。
ヒトは肉を食べる猿と言っても過言ではありません(我々が米や麦を食べる様になったのはここ数千年の事です)。
※23
肉食であることと、
戦争とどういう関係が?
※98
理だけでは生きられんからな
「この鶏はどうせ殺されるんだから何しても大丈夫よ」
↓
「どうせいつかは死ぬんだから死んでも殺してもいいよ」
構造としては同じ
危険なニヒリズムを感じる
※98
鶏の所有権は※16とその家族にあって、所有者は鶏を傷つける許可は出していない
情の部分をなしにしても、傷つけたら法律上は器物破損だろ
法的責任を問われる行為が合理的とかわけがわからん
この母親も「合理的な対応」だと思ったのかもしれないけど、もし将来自分が寝たきりになって子供が「どうせ死ぬんだから」と一切世話しないことを選んだらどうするんだろう
種や社会の継続のためには、ある程度情があったほうが合理的な面もある
何か肉を食うことが当たり前の前提で、命やらの話になってるけど
肉は食べなくても生きていけるし、むしろ肉食やら現代の食べ過ぎは
不健康、病気に元にもなってる。
(記事にあるような飼育段階での薬漬けが大きいかもしれない)
そうした点で言うと、肉を食うことは食欲のためでしかない。
感謝して食べれば、欲望のための犠牲は仕方ないという論理。
これは少し考えた方がいいと思う。
※24
その根拠は何処からくるんだ。
一周回って美味しんぼと同じ結論に達しただけじゃないか
日本人の「いただきます」を引き合いに出して
最後にチクリと言ってるがそうではなくてさ、
その「いただきます」の精神を
他の国も少しでも理解できれば、ほんの少しだけ改善されることもあるんじゃねーの?
そのためには日本人もその精神を忘れないようにしなけりゃいけないけれどね。
肉を食う事が嗜好の為みたいな意見は良く見るが果たして本当だろうか?
畜産をやめる事による環境(生物相)への影響、また産業への影響、そして栄養事情への影響がどの程度及ぶかも分からない。
個人レベルでのベジタリアンなら影響も無視できるレベルだろうが社会のレベルでそうなった時はたして弊害が無いと言えるだろうか。
草食動物は草がメインなだけで肉も食べるし肉食動物も少量だが草を食べる(栄養摂取のためにそうする必要がある)
という話を聞いてから厳格なベジタリアンは健康的じゃないと思ってる
自分としては肉の割合を減らすとか、なるべく魚介類でタンパク質を取るとか(日本人は海産物からの栄養を摂取しやすいように進化してるらしいから)、そういった小さな工夫から肉の時は「良い」物を選ぶ程度が現実的かな
自分も動物を苦しめたくないし、家畜にはいい環境で育って欲しい。でも難しいな。いい環境で飼育して食べればエゴにならないのかな?
あとどういう飼育環境ならいいのかは個人差がありそう。つきつめたら自分で自由に生きてる動物を狩猟して、納得できる食肉工場作るっていう手もあるのでは?動物の自由や環境を思いやるなら、生き物を食べないか、もしくは自分で野生の命を奪うとこからしようよ、とも思う。
イスラム教のハラールみたいに、ベジタリアン向けの畜産検査機関みたいなのがあるといいのに
コーラン一択のイスラム教と違って、ベジタリアンは種類も主義もバラバラだから、難しいのかもしれないけど、アレルゲン表記みたいに消費者が選択しやすいシステムにはなれないのだろうか
そこまで言うんなら自分で牛を育てて野菜を育てて暮らすことも可能なんですけど・・。どう言い訳しても消費至上主義の恩恵からは逃れていないと思いますよ。人間の業だと思ってひたすら感謝して食べることですよね。
殺した肉を無駄なく食べる社会が作れないものだろうかと思うよ
マーケットで、コンビニで、ファーストフードで、ファミレスで、
その他あらゆる食の場で、毎日捨てられている食糧の量を考えると気が遠くなる
売れる分だけ仕入れて、売り切れたら終わりでいいじゃないか
売り切れに文句言う客がいるから、捨てる分まで入荷しなけりゃいけなくなるんだ
ベジタリアンって人間のエゴそのものだと思うな。
野生に生きる動物達は、肉食べないなんて言わないし。
考え方は、人それぞれだと思うし、答えなんてないのだろうけど。
食べられていく豚、鶏、牛etcに感謝の気持ちは持ちたいな。
肉ばかり問題にしてるが、植物は麻酔なしで収穫したり肥料を与えて成長を促進させたり品種改良しても構わないの?
一応刺激を与えると分泌物を出して反応するから、植物は痛みを感じないとは言い切れないぞ?
動物を問題にするなら植物も問題にしないと差別じゃない?
それともこの人は野菜や果物についても全部肉と同じように調べて買ってるの?
そこまでやればわかるけど、そうじゃないならどう言い訳したってただのエゴなんじゃないの?
※35
ほんとこれ。過剰にストレスを感じてた動物の肉を食べるのは体によくなさそう。ホルモン剤とか妙な薬を使って異様に成長を促された動物の肉ばっかり食べてたら絶対人間の体にも異変が起きるって。
経済優先して命を軽視し続ければ人間早く滅びるってこった。
確かに理想論ではあるけれど、理想を語り行動する人間が居なくなったら終わりだものね
食事は選り好みせずに、バランス良く何でも食べましょう。
スーパーの精肉売り場を思い出してみなよ。
バラバラ死体の展示場だぞ。
これから屠殺される動物が
「正しく育ててくれてありがとう」なんて言う訳ないんだし
食物連鎖って業が深いですね、で割り切ってるな、オレは。
人間は進化の過程で肉を調理して食べるようになったから脳に栄養がよく行き届いて脳が発達してここまで繁栄できたわけで
ベジタリアンを選択できる今の人間社会まで行き着いたのも遠いご先祖の原始人たちがいろんなものを食べて進化してきた結果だよ。
食に関する問題と葛藤があるよね、はわかった、でこの人は日本の食生活にケンカを売ってるってこと?
へー、今まで漠然とベジタリアンは勝手に命の順列をつけてるエゴの塊みたいな印象でしか無かったけれど、畜産環境に対して自身がパフォーマーとしての面も併せ持つ『抗議』という目的を含みにしてやっていたのか。
殺す時に牛が苦しむから可哀想だとか自分の健康法の一環としてだとかより、この一種の不買運動は直接的で腑に落ちるね。
国内での1日の食料廃棄の量が異常なんだよね
良くも悪くも、人だけだろうね。
罪悪感や、主義主張で己の生きる糧を選別してるのって。
劣悪な環境で育てられてたとしても
それは家畜を苦しめたくてやってる訳じゃないからなぁ。
効率良く低コストで大量に生産するにはそうするしかないんだろう。
とてもカラパイアらしいテーマだなぁ。
動物も植物もみんな食物連鎖のループの中のどこかにいるわけで、それは人間だって例外じゃないんだよね。
無駄に殺したり苦しめたりするのは論外だけど、生きていく上で糧としていただくものに「これはいいけどこれはダメ」とかって線引きをする必要って本当にあるんだろうか、と思う。
※48
釣りではじめて魚の強さと賢さを実感したとき、自分の世界観がガラッと変わったのを今でも覚えてる。
動物「いただきますとか、ご馳走様とかいいから。感謝しなくていいから殺さないで。お前ら肉食わなくても生きていけるんだr・・・グサッ」
いただきますというより、ごめんなさいだよな。
贖罪というか、罪悪感を感謝に置き換えて誤魔化してる。
生きる為じゃなくて美味いから食ってるからなあ。ごめん。
牛や鶏が人間より進化して人間を食い物にしたとしても
普通に同じことになると思うよ
弱いから食われるんだよ
感謝の気持ちとかなんだか言ってる奴らみると笑いでるわ。
そりゃ強者の優越感でしかねえよ。
俺は感謝されても食われるのはごめんだ
牛や鶏だって同じだろうよ。
知り合いの狩猟会が、獲った動物の食べ放題を開催したことがあるんだけど
案の定「狩りなんて野蛮だ!鬼畜!人殺し!」系のアレな人たちが現れて
しかしタッパーまで用意してお持ち帰りしたらしい
食肉の問題は人それぞれ難しいが、とりあえずこうはなりたくないと思った
ひとに殺してもらった動物を食いながら
殺し方とか育て方にケチつけるのは最低の所業だわ
ベジタリアンの理屈というのがどうにもこうにも分からない。
小麦一粒、米一粒だって大事な命なのに、どうして家畜の命と差があるんだろう?
まぁ、食肉中心より穀物中心の方が効率的らしいから、食料不足の時代がやってくる可能性を考えたら肉はあまり食わない方がいいのかもしれないけど。
※53
予約制にしたら、ムダが出ないのではないだろうか?
農家に契約をお願いして、必要な分だけ生産するとか。
そうする事で、自給率も同時にあがっていきそうだ。
命は、無限にあるわけではない事を、自覚出来る様になるかもしれない。
↑切れ目を見落としてた。教えてくれてありがとう。
動物可哀想でベジタリアンになっても、
ステーキハウスにまでいって、野菜バーガー食うんだな。
その利益は、肉の生産にも使われるだろうに。
もうそろそろ世界的食糧難になるだろうから、肉食べたくても食べられなくなるって。
昆虫食にシフトチェンジよ。
動物は可哀想で、植物なら搾取しまくってもいいのか?
動物のあげる鳴き声や目の前で起こる「し」を見たくない・経験したくないだけじゃないのか?
全ての人間は他者の「し」の上に生きているのに。
「いただきます」の前には「命を」という意味と覚悟があるのでは?
※58
人間にはわかるところしか配慮できない。
まぁ世の中にはまだわからないものだらけだし、大体のことが「おそらく」でしか語れないけど。
でも、「おそらく」と「もしかしたら」では人間の注目度は大きく変わる。
植物は凄く身近な存在だけど、動物とはあまりにも違いすぎる生き物だから、どういう見方が同じ視点で見ることなのかわからない。
だから、もっと研究を進めて植物にも痛みはあるのか、また植物にとっての死とはどういうことなのかを解き明かさないと何も話せないし決めれない。
そして解き明かせたなら、「もしかしたら」は「おそらく」に変わって人間の考え方も変わるだろうあん。
ヴィーガンじゃないのか
トマトなんてのは、茎から実にうっすら棘が生えたのが甘くて美味しいとされる。
なるべく水分を減らして、飢餓一歩手前まで追い込むと
空中から水分を補給しようとするから。
生きようと必死になるものが美味しいとは酷な話だね。
ベジタリアンめんどくせえええええ
ムスリムのハラルめんどくせえええええええ
アレルギーはめんどくさいが不可抗力なので許す
ってかお肉食べないとビタミンB12足りなくなってボケちゃうよ
なかなか体のなかで消費されないからすぐには影響でないけど、女の人だと孕んだ子供には回らなくて子供の知能にダイレクトに影響でちゃうし
因みに海苔のビタミンB12は不活性だから取っても意味ないんだよね
肉や動物由来のものを食べずに、植物だけで十分な栄養を採って生きていこうとすると
想像以上にコストかかるよ
例えば手元に200円しかないなら、コメともやしより、コメと肉の方が手っ取り早くカロリー取れる
そう言う意味では、動物食べなきゃ生きていけない人も多いんじゃないかなあ
※63
食物廃棄問題の主な原因は賞味期限切れだよ。
食べ残しとかは実のところ大した量ではない。
流通と在庫で発生してるので一般人は殆んど関与してない。
食物廃棄問題で一般人ができることは積極的に古い物から買うことぐらい。
食べ物に限らず、ちゃんとした企業を応援するのは、いいことだな。
人道的ってモノサシは、「正しさ」を計ってはくれないんだ。
計れるのは、理知的な人間のエゴをなだめて、罪悪感を心地よいレベルまで鈍麻してくれる「脳内麻薬」それ自体の適正な分泌量。
栽培、養殖、飼育のノウハウを思いつき、長い年月をかけてさまざまに実践し、知識や技術として確実なものとして身につけてしまったヒトという一生物が、「人道的に振る舞うべきだ」なんて軽々しく口にすること自体、本来とても異様なことなんだよ。
自然の(可能な限り)あるべき営みのカタチを模索したいなら、草木のように痛覚や知覚が(おそらく)ないと判断されているような、「脳ナシ動物」を新たに作り出すしかないよ。
元は豚だった、みたいな新生物をバイオで量産して飼育、屠殺、流通、消費する。
もちろん、肉()はそれしか食べない。
痛みが少なく、あまり残酷ではない飼育方法で育てられてても、結局コロ して食べる。
シメられる寸前の豚が「今まで人間たちは良くしてくれたなあ」なんて思うとでも?
大学時代にしばらくベジタリアンとして生活してみたことがあるけど、そのうち体や頭がぼーっとしてる時間が増えたので2年くらいで止めた。
講義に集中できなかったり、バイトがツラかったり、試験勉強がうまくいかなかったり。
今考えれば、タンパク質とかビタミンB群とかが足りてなかったんだと思う。野菜と穀物と豆だけじゃ足りなかったみたいだ。
体と頭をフルに使わなきゃいけない時にはオススメしない、マジで。
その時、アスリートがよく肉を食べるのが実体験として分かった気がした。
※69
最後の、日本のことを引き合いに出してる部分は、エミリー・トーンさんが書いてるんじゃなくて、パルモたんだと思うの。だからケンカ売ってるとかそういうんじゃないと思うよ。
植物も生きてる~とか言ってる奴らって
煽りとかじゃなくて芝生を歩く時も、動物を踏む時も同じ気持ちなのか?
家畜を育てるにも大量の植物が必要。動物は可哀想で植物は可哀想じゃないのかって言うけど、家畜が減ったほうが植物の消費も少なくなるのでは。先進国ほど食料廃棄率も肥満率も高い。ベジタリアンにならなくても、無駄に殺される動物や植物を減らす余地はあると思う。それと肉を食べる人は食肉の飼育環境やとさつがどのように行われているか知っておくべき。一番理想は、自分と家族が食べる分だけ育てるか狩るかして自分で調理まですること。そうすれば無駄な廃棄もなくなるし革まで利用しようという気になる。現代日本じゃ絶対無理だけど、いただきますや勿体ないとい日本語がある割に現状は無駄だらけ。そろそろ安い毛皮が店頭に並ぶ季節だけど、もう少し犠牲になる動物たちの現状に目を向けてほしい。
生きるものは全て、須らくナチュラル ボーン キラーズなのだ、と。
まずはその認識を徹底してからでないと、こういう行為は途端に偽善臭くなる。
食わなければ、殺さなければ、自分は死ぬのだ。
殺して食わねば、生きていけない。
そこんところを十分に踏まえてから初めて、「何故、その食料を食べないのか」を考えるべきだろう。
飯食うのにいちいちそんなことを気にしてられない。
良い記事でした。
発想の転換というか、反対だから食べない!ではなく反対する勢力を選んで応援しようという方が積極的な改革への力になるのかもしれない。
日本にもこういう考えが広まっていって欲しい。
※74
これ、結構、深いな。ちょっと考えさせられたコメントだわ。
記事も読んだし理解もできたと思うけど、なんか的外れっていうか、気持ちはわかるけど言語化すると少しずれるのかな?って感じる。
そんなに理論武装しないとダメな話なのかな?過程が大事なんだってのはわかるけど、結局は人間の力で自然状態でない動物を犠牲にして食う訳でしょ?
でも、狩りをして食うのはいいの?
農業だって、森を開墾して人間に都合の良い植物育ててんだから環境破壊なんだよ?
道徳の問題なんだと思うけど、全世界に強要してたら貧乏人は死ぬよ。
経済動物をいまさら自然に帰せなんて言っても現実味ないからね
彼女のやり方は実にクールだ
動物愛護団体も彼女のやり方を真似るべきだね
なーんか、何をどう言い換えても結局上から目線なんだよな
人間は自然を構成する生物の一種ではなくて、あくまで神から与えられた動物達を管理する存在で、管理しているものを使役するか愛玩するかっていうだけ
この人の考え方はその前提の中で中立気取ってるだけに見える
この意識の違いがある限り、理解しあうのは無理そうだ
食肉にされるために飼育されている生き物達は、その寿命を全うする前に人によって命を絶たれる訳だけれど、仮に自分が何かの理由で寿命を全うできずに死ぬことになったとして、”どうせ死ぬんだから、それまでどんな環境で生きてても同じ”って思ったりするだろうか。。。
満足に身動きも取れず、クスリまみれの碌でもないもん食わされて、体を傷つけられ、時に殴られ蹴られ…ってのが死ぬまで続くよりは「その時」に至るまでの間はそれなりに快適な環境下でストレス少なく生きられる方がよっぽどいいんじゃないかと思う。
まぁ、自分だったら「生きている間はずっとクソみたいな環境下で、その苦しみが死ぬまで続く」なんてのは嫌だなぁ。。。
どうせ殺されるのに、喰われるものが感謝なんかされた所で何になる?というよりも、せめて生きてる間くらいはマトモな扱いしてやれよってことなんじゃないかい?
エゴvsエゴだな
アメリカは、食肉価格の7割が補助金で賄われてる
例えば100円する筈の肉が30円で売られているが
生産者に70円補助金が払われている(様な事)
まぁ一時期の日本のコメ政策だな
逆にこれが、水産>野菜って行くにつれ、補助金が出なくなっている
日本で政治、役人、法律に、明治時代の法律がいまだに~なんて言うが
アメリカの食肉政策も実は100年以上前の政府の方針
「肉を食って元気に成ろう!!」が続いているwww
知り合いに食肉解体業の人がいるんだけど、「ああいうの(家畜が育って来た環境や解体された姿)を見ちゃうと肉食べれなくならないの?」ってありきたりな質問をぶつけてみた事がある。
その人は「全く思わないよ。何肉でも普通に食べる。自分達は『可哀想だから食べない』っていう人達が一番腹立つ。この仕事してて思うのは、動物の命に感謝して残さず食べて欲しい。それだけ」って言ってた。
この記事の女性の意見も勿論分かるけど、じゃあ自然に幸福に育った肉なら食べていいのか?と思う。大事なのは食卓に並んだ肉への「罪悪感」から目を背けない事じゃないかと。
キリスト教圏の人は「人間は家畜を管理するためにいる」みたいな事を刷り込まれてるからな~。自然動物と違って家畜をどう扱ってもいいと思ってる。
その上で動物愛護とか福祉とかの考えが入ってくるから自分の中で整理しきれないんだよ。
ようするにこの人、肉食いたいんだよ。
その言い訳に10年かかったんだ。
ありがとうございます。
私が勉強不足もあるけど、こーゆーの日本じゃ教えてくれない。
今まで鳥類が嫌いだったけど違う見方ができそうな気がします。
麻酔無しで歯を抜かれるのと同じくらいの痛みかな?
肉を摂取しないことによる大きな弊害は「タンパク質不足」だと聞いたことがある。人間は生きる上でタンパク質がどうしても必要なのだが、植物性タンパク質は腎臓にとって良質なものではなく、それを分解するにはかなりの負担になるそうだ。なので腎臓が悪い人にとっては、大量の大豆を食べるより、少量の肉や魚でタンパク質を補う方が負担が少ないらしい。(真実なのかどうかは専門家ではないのでわかりませんが)
人が生きていくためには家畜を殺して食べなければならない。
だが、だからといって痛みを感じ、苦しみを感じる動物を残酷に取り扱って良いわけではない。
これは人間が持つ、社会性を安定して維持する為の共感能力の発露だ。
そしてそれに理性が折り合いをつける事こそ有意義な行動に繋がる。
この元ベジタリアンの主張は良いと思うよ。
この件に関して上から目線だとか、食べなければ生きていけないんだから、という主張こそ的外れだろう。
何をどういっても経済のことを考えれば、
現状を変えることは難しい。
人道的な行いが得になるようなシステムを構築できないなら、
己の無力さを目の前の食べ物に詫びるしかない。
たぶん、肉の生産者も守るべき家族がいるんだよ。
人間同士でも虐げることがなくなら無いのに、動物愛護が完璧になったらそれはそれで皮肉さを感じて変な笑いが出てしまう。いや、動物愛護は必要だと思うよ。でも人間も動物だよ。
ある意味安価に提供するための大量生産と大量消費によって苦しめられる物があるということへの抵抗なら、安価なサービスは全て避けないと説得力がない。安価なサービスの裏には搾取されて苦しめられている人間がいるということ。動物愛護だけが目的なら別にいいけど。
感謝とか礼儀だのってのは動物や植物に対してじゃなくて、結局自分らのためにしか過ぎないんだと思う。
高い知性故に、殺して食うことに罪の意識を抱いていて、それを解消すべく、いろいろと思考を巡らしているだけ。
安価で安全な完全合成肉でも開発されない限り、多くの人は健康的な生活を維持するための肉食は辞められないし、また罪の意識も消えることはない。
感謝だの屁理屈だので逃げるほうがよっぽど礼儀がない。
殺して食うことから目を背けてはいけない。
※91
猫じゃなくて犬だから
寄生獣好きとして突っ込まざるを得なかった
ここへ宗教が絡んでくると更にややこしい問題になるよねー……
美味しいよね、肉。
人が多いから仕方が無いという考え方もあるが、肉を食べ始めたら世界が破綻するようなインドのように政府がベジタリアンを奨励している国もある。また遺伝子を残すという観点からはイネや小麦のように人間と共生する種もあるように、牛ブタ鶏も人間と共生しているとも言えなくもないが、あまりにも過酷だ。
生命を奪うのが問題なのか
食べること自体が問題なのか
どっちよ
ストレスの少ない環境で育てられた肉はおいしい。
たったそれだけのことなんだよね。
罪だの虐待だの考えるからややこしくなる。
道徳的(感傷と言い換えても良い)な善し悪しは抜きにして来たる食料難に備えて肉食を
減らすというなら理解できる
鬱になりワーキングプアになった自分からしてみると
「国産」「無添加」「無農薬」等々、食を選べる人が羨ましい。
できるだけ苦しめたくない、というのはみんな持ってるんじゃないか?
ドライに考えようとしても、そこらへんは意識しちゃうのが人間だよな
※101の人が書いてある様に
>>植物も生きてる~とか言ってる奴らって
>>煽りとかじゃなくて芝生を歩く時も、動物を踏む時も同じ気持ちなのか?
ってことだろう
もちろん植物も大切にできたらいいと思う
工場みたいな養殖場に閉じ込められて育った家畜と太陽の下でのびのび育った家畜
彼らが屠殺される時、その悲鳴に違いはあるのか?
考えには賛成。
私も畜産の現実を知った時、肉を食べていいものかしばらく迷った。
で、この人と同じ結論に達して、今は飼育環境のいい肉や卵を選んで買ってる。
でも高いから、前より肉を食べる頻度は減ったかな。
外食の時だけは気にしないようにしてるけど、ケンタッキーはそれ以来食べてないな。
気に入らないのは、動物愛護の名目でヴィーガンの人が、なんだか誇りを持っちゃって自分の考え押し付けてくること。『命の犠牲のない食事』とか言ってるけど、有機野菜育てるための肥料は家畜のフンだし、家畜がいなきゃ野菜だって食べられない。彼らは捨て猫とか保護しているけど、そのキャットフードはものすごく劣悪な環境で飼育された家畜の肉な訳だし。
最近はやってる『野菜にも感情がある』とかが立証されたら、彼らは餓死を選ぶんだろうか。
命を犠牲にしない食など存在しない。
菜食がえらいかのように、動物愛護のヴィーガンの人たち独特の優越感、人を見下した物言いがカンにさわる。
そいえば、植物にも感情があるんじゃないか、という研究があったな
もしも植物にも感情があるなら、農業の手法もより”人道的”にしないとな
ともあれ、他の種の命にもレスペクトしろってのは、仏教や神道にもあるけど
欧米のそれはどうやら毛色が違うんだよな・・・・
あきらかに人権思想からきてる。
そう、文明レベルの思考からきてるなぁ。
日本人からすると、なにか違和感がある、不自然さが禁じ得ない。
安全でおいしい肉が食べられた方がいいでしょと素直に主張すれば納得する人も増えるだろうに、歪な正当化をして私の価値観を無条件で受け入れろというから胡散臭い目で見られる。
※110
そこなんだよね。
人間も自然の中で他の動物と競争しなきゃならないってことを理解していない。
この動物を殺すのは人道的にだめ~とか。家畜は家畜なんだから殺しても(食べても)構わない、野生の動物は殺しちゃいけませんとか。
肉も資源も無限にあるとでも思ってんのかね
伸び伸びノーストレスに生きてるところをいきなり捕まって殺されたら今まで優しかったのになんで!?ってなるなたぶん
もういっそ殺せよみたいな生活なら、殺される方が嬉しい
って思う人はいないの?私はそう思う
苦痛を与えようと与えまいと捕食者である事に変わりない
自分が牛でどんないい環境で育てられたとしても絶対に捕食者を呪う
動物は駄目で植物ならいいという論理もおかしい
じゃあ死ぬしかないがそれが嫌なら
人は邪悪な生き物という絶対不変永久不滅の法則を受け入れろ
変えようとしても無駄だ
原文の考え方に大方賛成
命を奪わなければ生きていけない 命を奪わなければいいという考えは支持できない
殺すんだから何をしてもいいという考えも支持できない
人間が生命に必要以上の苦痛を与えてるとすればできる範囲で配慮するべきだ
これは事実からくるものでも真理からくるものでもない
人間の感情だ
人間は生きることに意味があると信じてる 幸せに生きたいと願っている
耐えれれない苦痛を味わいたくないと思っている
人間にはそんな気持ちがあると信じている それが正しいと思っている
それが食べられる動物に対する感情を生む
それを人間が失えば人間として生きていくことは難しいと思う
ただそれが人間が生きていく唯一の真理の姿であるとも限らない
変わっていくものだと思う
野菜も生きてますが?
今まで生きてきた中でどれだけの命を食べてきたんだろう。野菜や動物、合わせて数十万?数百万?自分が食べた動物はまた別の生き物の命を食べていて、その生き物もまた別の命を食べていて…命を頂いて生きてるのは人間だけじゃない。生き物には常に付いて回る業なんだよね。どの生き物も、食べないと病気になったり餓死してしまうもの。
野生に生きる虫も動物も人間も、食糧や水場を探し、時に他の生き物に寄生したり毒で敵を防いだり…生きるため、命を繋ぐためにみんな必死に知恵を絞って形を変えて生きてる。
どんな環境でも適応して生きる植物の生命力に驚いたり動物のほんの些細な仕草に心を和ませることだってあるでしょう(特にカラパイアを見てる人なら)食べる以外でも心理的にいろんな命の恩恵を頂いているはず。たくさんの命のおかげで生きてるのに、植物や動物に対して「どうせ死ぬんだからどう扱っても良い」と言える人が理解できない。だれの命のおかげで生きているのか、その目の前にいる植物や動物のおかげだろ、と思う。もっと言えば土、水、地球、太陽…挙げていけばキリがない。人間はその中の一部にすぎない。
お腹が空いたら必要な分だけ頂く。生きていくのに必要な分以上の余計な殺生・摂取はしない。生死に関わる問題は植物や動物の手を借りて生きる。これに尽きると思うよ。野菜だけ食べようが魚だけ、肉だけ食べようがみんな一緒。これが基本。
他の生き物の命を頂く=邪悪とするならば、地球に生きるもののほとんどが邪悪になってしまわない?私は無駄に生き物の命を弄ぶことのほうが邪悪に見えるなあ。
今年90歳ワニさんの大好きな半ボケ婆たんが若い頃戦前琉球では
牛馬豚鶏皆飼っており、豚肉は塩漬けにしてたらふく食ったと言ってたワニ
なんか、巨人の話を思い出しました
ええ、あの巨人です
「進撃の巨人」
今の人間も実は立場同じなんじゃないの?
って思いません?
皆さん?
自らが捕食者のつもりでいて
実は色々食われてるんですよ
人間である為に必要なものを
少しずつね
気づくのが怖いだけ
目を背けてるだけ
じゃないんですかね?
捕食側が何言っても傲慢。
日本だと、ウナギを絶滅危惧種だと分かっていながら乱獲(獲っても数が減らない量を超えて)して、それでも足りないから世界中から輸入して、「食べて応援!」だとか「食べられなくなる前に食べよう!」といいながら喰いまくって、「いただきます」と言えば免罪符。
んで、本当にやばくなったら「外国人が味を覚えたから取られていなくなった」「中国人が味を占めて食べたからなくなったんだ!」で責任転嫁する。
でも本当は、中国やアフリカでとったり養殖(これも稚魚を捕って育てている)しているウナギの殆どは日本に輸出されている。ヨーロッパウナギが絶滅危惧種になったのも、日本が輸入しまくったから。
植物の命は動物の命以下って事か~
好きにすれば良いけど、他人に強制や強要はするなよ。
肉、美味いから食う。
でも自然に育ち、日本人が捕獲した鯨はダメなんでしょ。ね。
※125
それも人間が持つ、社会性を安定して維持する為の対応の一つだと思う。
罪悪感を意識し一生生きていくか、吐き捨てて別の目的の為に生きていくか、人それぞれ。
自分も貴方もね。
今夜は鍋だ
植物も生きていますんで。
サラダなんて他の生物を生きたまま食い殺すって事だからね。
遺伝子組み換え、品種改良。やってる事は滅茶苦茶。
生まれ変わりの概念が無いからベジタリアンなんてくだらない事をやりだす。
死後、植物や鯨、他のどんな生き物に生まれ変わるか分からない。そういう概念があれば命に優劣を付け辛くなる。
食べ物を神の恵みと教えるキリスト教の傲慢さから生まれる思想だね。
多分、調理方法なんだと思う
アメリカの、ケチャップぶっ掛けて食べるだけでは飽きる、日本のように肉入れなくてもお好み焼きとか蕎麦でも飽きないようにすることが出来るからね
このくらいの熱意を、マイノリティの生活にも向けたらいいのになw
※129
高い知性故に、せめて生きている間は苦痛を与えないような選択ってあるんじゃないのかな。
とあるとさつ場の見学に行ったことがあるけど、以前は撲殺だったが、アニマルライツと働く人間への配慮から拳銃で即死させるようになったらしい。
安い肉を買って「感謝して頂きます」なんて意味がないのは同意だ。
他の命を奪って自分たちが生きていけるという「宿命」と、コストを考えて牛や豚や鶏は畜産動物だからと不当に扱う事は全く別の話だ。
肉を食べないのは多少理解できる。
昔の日本は、肉を食べなっかたから・・・。
でも、生き物を食べないって?植物も生き物なんだけど。
日本は、食べるときに頂きますと、世界ではこんな言葉が無いと知って驚愕した。
生き物を食べるとは、その生物を殺すということ。
食べないという選択しもあるけど、感謝を示して食べる。
ベジタリアンも良いけど、他人に強制するなと言いたい。
個人の行動は否定しないが、強制されるとウザイ。
なんだ論理的な扱いをすればいいだけじゃん、殺すことは問題ないのならさ
動物に人権はないよ、ペット動物は法で保護されてるけどね
肉を食べる事への葛藤はある。
今の飽食時代食べ物を無駄にしすぎだし麻痺しちゃってるし。
極力動物を殺す数を減らしたり、育てる事に対して最低限の扱いはするべきだと思う。
ちゃんと経過を知る教育はしておく方がいいと思います。
スーパーで当たり前のように処理されたパック肉には、そうなるまでに命があった
動物の犠牲があった物って感覚は必要。
自分はペスカタリアンとやらに分類されるのか。
別段、主義思想とかで貫いている訳でも無いので、食えるようになった方が人間関係にはいいんだけど……
単純に獣肉鶏肉は口に含んでも飲み込めない。無理に飲み込めば、数時間は過剰な吐き気胸焼けに苛まれるしで、食えないんだよな。
アレルギーとかでもないしで食えない理由が分からず、給食の時間とかは地獄だったな。
銀の匙でも読んどけ
日本人は、肉を食べないと言われると理解する。
魚もダメ、だし汁もダメと言われると困惑する。
はっきり言えばいい、ここには貴方の食べ物は無いと。
お寺の精進料理もやめた方が良いよ。
身体的に問題/アレルギーがあるなら、それ以外なら食えと言いたい。
高級料理店のシェフ以外の料理はお勧めしない。
俺は、何でも食べるよ、外国で鍛えられてるから、これ何?ヘビ?食ってみたらヘビだろう。
俺は、大のヘビ嫌いだけど、食っちゃった、マムシのすき焼きを・・・。
旨いとか不味いの問題では無いよね。
素晴らしい。
この人はどっちも経験しているし食用の動物がいかに
残酷に扱われているかを熟知しているようだ。
このような人と手を組んでイルカ漁やクジラ漁の弁護をしてもらうべき。
痛覚が無きゃ、叫ばなきゃ、搾取して食べていいのかって話。
植物がそうだよ。人間て自分勝手に想像が広がるもんだ。
生き物が地球上で進化してこのかた、
命が命を奪って生きている、営み上に人間はいるので
仕方なかろう。
自分の生が成り立って、その上の感謝だろう。
嫌なら無機物から肉や魚、野菜に
似たものを作り出す技術を生み出すしかない。
ただ、今の資本主義競争社会が故の大量消費型、
必要なだけ獲って無駄なく食べるという
形が廃れているのが問題。残飯がヤバイ。
幼少期母親や祖父等が購入して来た生鶏を目の前で潰してのは、今のなっては良き思い出。
何にせよ、こまけーこたー、どうでも良いんだよ。
肉1kgを生産するのに必要な穀物は
鶏肉→2kg
豚肉→4kg
牛肉→8kg
但し、牛に関しては人間の食料でもある穀物だけでなく、人間が食せない牧草雑草でも飼育可能てか、寧ろ此方(牧草雑草)の方が本来の主食。だから、牛に穀物ではなく草だけ食わせて我々がその肉(牛肉)食えば無問題。
なんでこんなに極端な考え方になるのかなぁ…独善的だよな。
もうあれだ、サイボーグ化して食料が必要ない体になるしかないな。
こうやって食に対するしっかりした考え方を持っている菜食主義者になら共感できる。
白糖の精製に牛骨炭が利用されていることを知って「気持ち悪い、もう砂糖も食べられない」などと宣ったり、客観的な立場から食肉生産の現状をリポートしたモノを引用して「最低、畜産業者なんてみんな死ねばいい」と暴言を吐いたり、『動物の命を大事にする私は素晴らしい人間だ』みたいな菜食主義者をよく見かけるせいであまり良いイメージがなかったが、これからは偏見を持たないように多少は考え方を改めたいと思う。
※144
どちらも最後に殺されることには変わりない、
屠殺されるんだから同じじゃないか、と思うのかもしれないが、
彼らが生きている間に感じ続けなければならない苦痛の度合いは多分、違うんだろうね
ベジタリアンに対して植物も生きているという反論があるがそれは本質的な問題ではない
全ての生き物 植物だけでなく細菌やウイルスにそして無生物に至るまで殺してはだめか
また全ての生き物 動物 野生動物や家畜やペットや人間に至るまで食用はいいか
線引きにモラルの正当性はない
何処にラインを引くか個々の具体的な理由付けはできるが本質的には理由はない
モラルを維持するための根本的にデリケート部分にかかわるが本質的に答えが無い
人間の命より他の動物や植物の命を優先することはできないが
他の動物や植物や無生物にも何をしてもよくなればそのルールの中に人間自身が含まれることも原理的に避けられない
未来に人工生命や人工知能やアンドロイドやポストヒューマンが生まれるとき
その時は従来の生命や人間の概念もモラルも変わってしまうだろう
断食すればいいのよ。
ベジタリアンが多様化してるってあるけど、それもう嗜好なだけじゃないのレベルの話
極端で攻撃的な言動に辟易してるし、その似非科学カルト臭に鼻白む
大袈裟に主義などと言わず、謙虚に菜好きと言うべきだろうといつも思う
くだらない生きるということは、他者から奪うということ。
身内身近に感じるものを食べたくないだけ。
動物コロして食っても捕まらない、人を殺してくって捕まるw
昆虫や動物の中じゃ共食いすら普通にある。
人間様は、甘えたこといってるだけ。
ベジタリアンとかヘドガでるわ。
ベジタリアンの問題のようで
食物(畜産)に対しての問題定義でしょう。
というかベジタリアンのそのベジタブルでさえ
虫や動物の有機物を栄養として生きてる。
ただ意思疎通の問題を上げてはいるが
水耕栽培だって植物にしてみりゃ環境適応してるだけで
それが植物に良い事か判断なんてできない。
どちらにしろ攻撃的な人間という動物はいろんなものを
食い散らかして生きていくしかないんだと思うよ。
霊長類=類人猿で、攻撃的で凶暴で強いとなると果実食だから、
おいら強くなるために肉を減らして果実を増やすようにするよ。
家庭で利用する温水は、温度調整されないまま河川に垂れ流されてるのだが、
ベジタリアンの人達はこの問題をどう思っているのだろうか?
新鮮な野菜を運ぶ道路網では、動物達が頻繁にひき殺されてる訳だが、
この問題を(ry
便利の電気網、情報通信網を維持している電柱・電線では、
鳥などの動物が感電死・衝突死している訳だが、この問題(ry
他にも色々あるが、現代社会の恩恵を享受した上での、
あまりにも限定的な綺麗事には何の説得力もないよ。
結局、どこかで線引きが必要になってくる。
人間も自然の一部であり動物の一種であり、食べたり食べられたりする食物連鎖の一部であるなら 肉食も草食もそれは自然なことだろう
生きるために限りなく残酷になることもあるだろうし、それにやさしくなることもあるだろう
人間が家畜を食べることもあれば人間が家畜になることもあるだろう(人より優れた種がいれば)
人間社会の中でも家畜や奴隷のように生きる人もいるだろう
人権は正しいかもしれない 平等は正しいかもしれない 差別しないことは正しいかもしれない
自分は動物や植物や環境に対して少しぐらい配慮することも自然だと思う
※156
なんていうか、、それってすごく人間的な感覚なんだろうな(別にそれが良いとか悪いとかいう訳じゃなくってな)。
人間って大概は自分の死を受け入れるのにすごく覚悟というか心の準備が必要なんだろうし。
動物飼ったことのある人なら分かるんじゃないかと思うんだけど、動物って、なんかこう、死の受け入れ方がもっとシンプルな感じがするんだ(と、自分は思う)。
例えば、野生の生き物でも「喰われる側」の生き物は、捕食者に捉えられるその日、その瞬間までは当たり前に草を喰み、仔を育て、自由に生きている訳だけど、それが突然、自らの意思とは関係なくアッサリ終了させられたりするんだよな。
当然彼らも死にたくないから必死で抵抗するし逃れようとするけど、それが無理だとわかったら、どこかの段階でそれを受け入れる。
じゃあその時に彼らは「こんなくらいなら自由になんて生きたくなかった。生きるのが苦痛で苦痛で早く死にたいって思うような生き方をしたかった」なんて思うんだろうか?いつ終わるかも(終わらせてもらえるかも)分からない、生き地獄のような生を望んだだろうか?
飼育下だろうが野生下だろうが、生きる上でのストレスはあるだろうから完全にストレスフリーとはいかないだろうけど、皆懸命に生きているのだろうし、できれば快適に生きたいって思うのが自然な感じなんじゃないんかな?
あなたの趣旨とは少しずれてしまったかもしれないが、そんな風に思ったよ。
長文になって申し訳ない。
人間が肉や野菜を食べる事は極自然な事なんだけどなー
そこに意味を求めるならそれもよし、好きにすれば良いのだよ
結局のところ、お釈迦さんの考え方に行き着くわけだな
自分が何を選ぶかは自由なんだから好きにすればいいが、それで他人の食事に文句をつけないで欲しい
まず食物や生産者や命に感謝する心を前提として
家畜の飼育方法の見直しや屠殺方法の見直し
コレには賛成するよ
変えることによって出てくる「生産者側のコストの問題」の解決策も一緒に議論するならね
ただし「動物には知性がある」「魚には痛覚がある」「生き物はみなわかりあえる」なんて脳内お花畑の理想だけで菜食主義を進める奴には全力で反論するよ。中には本来肉食の動物にさえ植物性の餌しか与えない狂ってるとしか思えない奴もいるからね
余程の理由(宗教・病気等)が無い限り、金のかかる完全菜食主義なんて金持ちの道楽になりつつある。肉を食わず、野菜で足りないものをサプリで補うなんてそれこそ不自然だと思うんだけど。何が悪い、何が良いじゃなく。それに絡んでくる諸々の問題を解決しないと、理想的な決着(なんてものは無いと思うけど)はつかないんだろうね
こうゆうやり方の方が、いろいろな人たちに受け入れられやすいよね。
PETAみたいな過激な手法は反発を招くだけだ。
人間が環境と共生したり改変したりしている以上、肉食にも草食にも完全な無責任とかはありえない
ただ人間増えすぎかも知らんが
世界規模の食糧不足や飢餓や資源的な側面や他の要素を含めてトータルで考えんといかん
地球の資源や食物の生産能力に対しての適正な人類の人口とかあるんだろうけど
(これって怖いこと言ってるかな?)
どうしても人類の問題が解決しない限り動物は後回しになりそう
でも環境がなくなれば人類も絶滅するんだから
環境と動物や植物や資源的なものと人間は本来同時進行で考えていくべきなんだろうけど
草食だ肉食だといっても
人間同士が一番激しく争っているんだから
それがたとえ正しいとしても
なんともかんとも
野菜先輩 「俺らも生きてるんだけど・・」
※166
私もあなたの意見に賛同する。
肉食の是非、必要性だとかそんなこと以前に
感謝して食べればいい、頂きますと言えばいいと
免罪符のように繰り返すだけで、多角的な視点で
肉食だったりウナギの問題を考えているように見えない。
肉食は何も個人の倫理感の問題だけではないというのに。
前回のコメントでは触れなかったけど
肉食は個人の思想以上に、環境への負荷が大きいことも問題だよ。
一部では美徳のように言われている感謝の心も
見方を変えればただの現実逃避にしかならない。
※166
免罪符って言葉を出す奴の意見は信用できない
養殖技術の確立や
海流の異常による稚魚の現象傾向等
うなぎに関する調査・研究を積極的に行ってる国が日本しかない事実を無視してる
ある程度他者の感じる苦しみに関して無神経で無関心で無知になることは幸せになるための秘訣だと思う。
いちいち食事のたびに彼らの苦痛を想像したら、生きにくくなる。
宗教と同じという意味では、ベジタリアンにも肉食人種と同じだけの敬意を払う。
でも、低所得者の食卓を豊かにしているのは「非人道的」かつ「経済的」な生産者だよね。
そのことを非難する傲慢さの自覚はあるのだろうか。
オーガニックは結構なことだが、それが例えば倍の価格(実際にはそれ以上)で販売されていれば、貧乏人は半分の量しか食べられない。
まさか、代わりに高カロリーの炭水化物でも食ってろってことでは無いのでしょ?
人道的に育てられた野菜は食べて良くて牛は食べちゃ駄目とか、牛は良いけど鯨は駄目とか、鯨は良いけど犬は駄目とか。
自分の好みの生産者を支援するのは自由だけど、そうでない生産者を否定し攻撃するのであれば、少なくともその野蛮な行為の非道徳性は自覚するべきだ。
動物の気持ちは考えられるのに植物の気持ちは考えないベジタリアンが多いのはなぜなのか
植物だって生きてるのにな!
てことでフルータリアン以外のベジタリアンは信用できない
スーパーやコンビニが利用できないね。
自分で育てた自由な鶏や豚を殺して食べる。自給自足するしかないんじゃない?
でもあなたに飼われた鶏や豚は幸せなのかな。
もう、槍を持って狩りに出るしかないね。
極論そこに行き着く。
でも野生の動物殺すのかわいそうだし、もう何も食べずに人間は滅びるべきなのかねぇ。
私は肉も卵もマクドも食べますよ。
自分が生きるために。
結局、人間は肉を食いたい。強い考えや意思を持たない限り無理でしょ。
じゃあ、牛さん豚さん鳥さんは生きている間だけでも健康的な生活をさせてあげましょう。
と解釈した。理想はあるだろうけど一つの現実的な落としどころとして大賛成です。
死刑囚に対して人間らしい生活を提供するのと同じ。さらに罪は犯してないんだから。
せめてものできる限りの待遇はしてあげないと行けないと思うわ。
理想は原始時代のようにどうしても食いたいなら、自分で武器持って狩りに行って来い!
と言うしかないね。
文明生活を捨てて、厳しい大自然の中でハンターになるしかないでしょ。
命を奪い、食する事の免罪符がどうしても欲しいのならば。
食べ物はもっといろいろな側面から考察すべきだと思う。自給率や肉の生産のための穀物消費・エネルギーコスト、環境への影響をはじめ世界規模の問題の根幹に食の問題があるから美味い汁が吸えれば都合の良い正当化の口実を用意出来れば他がどうなろうが関係ないという無責任な議論は問題が。
よくいるよね。
「だったら肉食うな!偽善者」みたいな事を言う反抗期みたいな人。
私達が毎日している、「いただきます」「ごちそうさまでした」
「食前食後の感謝祈り」等と同じように、
“食べる命に感謝するなら飼育の段階からその気持ちを表すべき”
という、しごく当然の提案をしているだけなのに。
ナチスの収容所みたいな扱い方を容認しながら「感謝してます」
等と言ってる人の方がよっぽど偽善者に見えるよ。
結局、効率と合理性だけで本当は感謝なんかしていないのでは?
感謝するより食肉の消費を減らすことを考えるほうが合理的だと思うよ。反抗期みたいな人、という表現は全く同感。
感謝するより食肉の消費を減らすことを考えるほうが合理的だと思うよ。外食産業が大量に廃棄してるのは本当に問題だと思う。ところで、反抗期みたいな人、という表現は全く同感。
>フレキシタリアン
昔の日本人はこれに近かっただろうね
成長速度が早く栄養価が高い虫を食べれば解決
植物愛護は無いのかよ
できれば野菜だけ食べてたいけどさ
動物可哀想とか飼育環境が不衛生”かも”しれないとか 気にしてる余裕ないよ
命を食うことは罪じゃないだろうが。
家畜が過酷な環境?そうでもしなけりゃ消費者は買わねえよ。
第一、この狭い日本で放牧なんて北海道以外で出来るわけねえだろ。土地は無料じゃないんだよ。
野菜だって、虫に食われたらタダで近所におすそわけか畑の隅に廃棄される選択肢しかない。それは恵まれた環境だと言えるのかね?
モッタイナイと言う奴らは、それを正規価格で買ってくれるのかって言ったら買わねえだろ?
認識や常識を変えてくれるなら変えてくれ。
農産物と俺たちを助けてくれ。頼む。
膿家脳()一人が何言っても世間は変わらなかったよ。
はっきり言って「いただきます」「ごちそうさまでした」なんてどうでもいい。
本当の意味を理解して意識していってる奴なんて皆無に近いのに、こんな時だけ出してくるなよ。朝の挨拶ぐらいに形骸化してるだろ。「おはよう」の本来の意味を感じながら言ってる奴が何人いるんだよ。
食の安全なんていってベジタリアンしてるやつらもエゴの固まりなんだよ。数ある選択肢からのなかから選んでるだけ。
※187
エゴ大国アメリカの不健康な料理ばかりの食文化も一つの原因じゃないかなって思ってる。
ヘルシー食志向な者が増える→「自分は時代の先を行っている」と勘違いする者が増える→ついでに動物愛護にもハマる→「遅れてるねー」「動物がかわいそう」と肉食を蔑視する
PETA=People Eating Tasty Animalsと海外で馬鹿にされてて、過去に保護した犬や猫を殺処分していたのがバレたために、築き上げた地位を失って来てるのが個人的に凄く嬉しい。
学校の前で子供に残酷な絵が書かれた印刷物を配布して、子供にショックを与えることによってベジタリアン(ヴィーガン)と会員数を増やそうとするなんて最低。
それと、この元ベジタリアン女性の言いたい事は凄く分かるけど、健康上ベジタリアン(ヴィーガン)にならざるをえない者では無く、「動物がかわいそうだから」とか「肉食は殺人」とか「肉を焼く臭いで吐き気がする」と言って肉食を止めるタイプで”見た目はまるでお肉”な食品や料理を好んで食べる者については全く理解出来ない。
ベジタリアンの人って健康状態どうなんだろ・・・
良いことだと思う!野菜ばかり食べるわけにもいかないし 健康的に
肉食を控えたいとは思うものの食卓に出されれば食べてしまいます。
美味しい肉料理の前にその動物の生きていたことまで想像が及ばない。
生き物から食べ物になっちゃうんだよね~・・・。
誰も殺されて死んだ肉を食べているとか思いながらお肉食べないよね・・・。
肉食に対して多くの意見があるのも人間が罪悪感を持つ生き物だからだと思うけど、
動物は生きるために食べる、ただそれだけでシンプルだね。
罪悪感があるから肉を食べるか野菜を食べるかを選択できるんじゃないかな。
お肉を食べる人も野菜を食べる人も人それぞれでいいと思う。
どちらがいいとか悪いとかではなくそれで全体のバランスが取れてるんじゃないかなと。
でも肉に替わる嗜好性の高い植物性の食べ物があるならそちらを選びたいけど。
あと植物も生きているのにそれはどうなのかっていう意見もあるけど極端ですよね。
動物の感情は想像しやすいけど、植物の感情は正直分かりません。
情が湧きやすいかそうでないかの違いじゃないでしょうかね。
人参にすごい愛着持っていて人参が苦しむのが嫌だから切れないくらいに情が湧いてたら
とてもじゃないけど人参食えませんね。腐るけど。
好きにすればいいけど、ベジタリアンである理由や、止めた理由をわざわざ主張するのは勘弁して欲しい。納豆嫌いなひとに自分が納豆が好きな理由を主張するようなもの
聴いてるほうが気分悪いだけ
あと、おかしな知識で日本を落とすのは勘弁して欲しいなぁ
全ては自分自身が自己満足できるかどうかの話。動物達が死ぬ事実は変わらない。その上で人間の在り方を考えるのは無駄かどうかも分からない。人間がどう思うかが誰にとって重要なのか、それはやはり自分と言う事になる。
ライオンは狩った生き物の肉をおいしそうに食べてる。俺らも同じように美味しく無駄の無いように食べる事が自然になるんじゃない?亡くなった人に花を手向けて火葬するようにさ。
人間社会の発展のせいだ
魚釣りをして焼いて食べるとよくわかる
原始人古代人は必死でマンモスを倒し生き延びる為に命を頂いていた
可哀相だから殺すな食べるななどほざく原始人がいただろうか?いたとして精神異常者とみられていただろう
お菓子とかカレーのルーとか惣菜とか…そういう既製品に含まれてる分はさすがに調べられないでしょ。
わたしはヴィーガンだから動物性は全部避けますが。
菜食主義ときくと難癖つける人はけっこう見かけるが、
他人に肉を食うなと命令するベジタリアンは見たことないなー
いろんな動物たちの命を頂いてるんだから、人間には幸せにいきてほしい。生きてるけど、ストレスにまみれて、なんのために生きてるのか分からない人間をみると、何のために何頭もの命が犠牲になったのか分からない。
ただ、幸せに、そして誰かを愛して子供を育てて、未来に繋げる。
全ての人間に自分は価値ある人間だって思っていきてほしいな。
By 牛さんより
よくPeTAは動物には権利を求めるけれど、植物は命の無いものとして扱う様に矛盾を感じていた…最近の研究では、植物も死ぬ間際に平時には見られない変化があるとか…
それ故、植物を命が無いように扱う様はまるで命に貴賎があるかの様にも思えるんだよなぁ…
植物だろうが動物だろうが生きている命を頂いている故、それから離れるという事は、電子を食べるロボットや石油を食べる機械に近づく事なんだよなぁ…
それは別の意味で倫理問題だし、ましてやロボットを命の無いもの、脅威と考える欧米の価値観じゃあ電子や石油を食べるなんて無理だろう…
だからこの女性の考え方の改めには納得かねぇ…権利ばかり主張するより命を大切に扱う企業を支援する方が良い行動に映る…
兎角、日本は廃棄される食べ物の量が多いからそれを減らす努力をしてる企業を支援したいなぁ…
これは良い記事だと思う。
自分の命が、他の命を犠牲にした上で
成り立っていること、その犠牲は
出来る限りの少ない方が良いこと。
「いただきます」の言葉の意味をしっかりと
考えて見るべき。
肉を食べる人がいなくなったら自然の中で生きられない牛は絶滅するんだってね
どちらが牛にとって良いことなのかは分からないけれども
冷静で良い記事だなあ、と直感的に受け取った瞬間、ああ食べるのは当然のこととして自分の感性は出来上がっているのだな、と自分ではどうともできないものを感じました。
哲学の新しい切り口だと思います。カラパイアらしい記事でよかった。
コメント欄読んで、人々が飢えずにいられるように今の食料の供給方法があることや、生産者の努力があることに気付かされて良かった
それでもここまで社会を良くするために努力してきた先輩方もそれぞれの理想があってのことだから、何言ってもただのエゴだって切り捨てるのは思考停止を勧めているようで納得できない
16へのコメントのように共感と想像力は人にとって大事な要素として考えられているから人間にだけでなく他の動物への思いやりも問題になるんだろう
(自分が思いやられていない人でも思いやる立場にはなれる。毛の話や胸nうわなにry)
いびつでもバランスを取りながらなんとか改善方法を考えたいよ
80年代初頭位に発行された本で紹介されていた事。
場所はインド。
書かれていたのは、たしか「17年間数える程しか食べ物を食べず、数日に一度の水のみで生きている奇跡の老人」のような記述で
「特殊な呼吸法とヨガ、瞑想を身につけられれば、誰でも私と同じ事が出来ます」
とのコメントだった記憶。
あとは2000年か2001年頃のネット記事(英文)で
「インドの若い男性が、ほとんど食べない、飲まないで生きている」
「特別な呼吸とヨガで生きている。これは奇跡だ!」
って内容だった。
こういう変な人はインド発、というのはよくある事例?だから驚かないが、
これが欧米だと「インドかぶれ」って思ってしまうのは、
きっと自分の目と思考に色眼鏡が付いている・・・からかも知れない。
人間は人間でしかない。
人間以外の利益を考え、帰属意識を持つ感情は結局のところ腹一杯食べて
食うに困ったことがない飽食からくる傲慢でしかない。
敬意を払い、有り難いと思うことは尊い。
だが傲慢な感傷と身勝手かつ一方的な家畜への帰属意識はお遊びにしかならない。
工場畜肉が嫌だったら昔ながらの暮らしをしている民族がけっこうあるから参加したら?
そういうところは躊躇なく家畜を食うだろうけど。
農作物で動物由来の栄養を取るよりも断然土地を占有しなくていい(=他の動物の生存圏を侵さない)し、大量のマメやらを育てることによる土地の痩せもない。
この考えは尊重する
でも金ないから安い肉を食うw
WHOの食糧援助年間量、日本の廃棄食料はその倍だっていう…。
品切れが無いように供給し続ける。消費者側も考えないとだけどコンビニ・スーパーで品切れなんて有るとなぁ
需要に対して供給が下回るわけにもいかないから原料になる作物を多く作るのは仕方ないけど、加工したものが棄てられてるのはうーん
まあ時代により感覚も変わる、サーカスで小人や、身体の小さい人を、面白おかしく
見ていたし、処刑は皆の楽しみのみものであった。
だからと言ってその時代の人々の
感覚がおかしいとはいえない。ビキニや裸になって海で泳いでる我らは、昔の人から
したら狂ってるだろう。ヴィーガンもまずは「おのれが痛む」ので、その類比で動物も
痛む=かわいそう、と思うのだろう、因果関係が逆なのだ。そのうち犬に首輪も「かわいそう」になるだろう。これは実は人間が己のことしか考えてない証拠でもある。
そうやって、自分のことしか考えないのが人間であっり、またそうで良いのである。
動物も自分のことしか考えないし、己の利益になる限りにおいて他者を考える。
問題は、人間が「自然」と切り離され、文化、社会的動物であるからこそ、「かわいそう」、残虐と考えるのであってその逆ではない。性欲も快楽という「迂回路」を経て
結果、生殖が行われる。またイルカにいも生殖目的でない交尾がある。
うーん、私は人間以外の生物には共感しないから、こういう理屈は分からん
ペットも飼わない主義で動物愛護にも興味が無い
大量ケージ飼育がかわいそう?殺して食べる時点で同じじゃん?
人間は雑食性の動物なんだから、食べられるものは何でも頂きますわ
単細胞生物の時代から、殺し合い喰らい合うのが生物の宿命だよ
動物も植物も同じ、他者から生命を奪わなければ生命は存在出来ない
脳みそが無い植物だって生きている。食べられないために毒を持ったりするし、虫を食べる植物もいる
殺すのがタブーなのは人間が社会的動物だからであって、その倫理原則は他の生物種には適用されない
周りの自然動物を殺さないようにするのは環境保全のため、それも狩猟や漁業では許される。飼育動物を傷つけないのは他人の所有物かもしれないから。遺棄された犬猫を容赦なく殺処分してるのは人間社会の衛生のため
畜産動物が可哀想なんてのは傲慢な感傷、脳が余計な方向に共感力(想像力)を延長した結果に過ぎない
余計な方向にまで共感力を発揮する性質のせいで、自然環境のために人間を攻撃する環境テロリストや、飼育動物のために他者の権利を否定する愛誤のような矛盾の塊が発生する
人間の共感能力は人間社会のためにあるもの。元々は、犬は狩りのお供、馬は移動の手段、猫はネズミ捕り。牛や豚や羊や鶏は肉が美味しいから飼育されてきたのだし。動物の愛玩は、生物界で強者である人間の余興に過ぎない
可哀想だからじゃなく、人間が食べて不健康になる物質を投与するのはダメ、あるいは自然に近い環境で育てた方が美味しいという理屈なら分かる
単純な話、消費者が売り切れに我慢できれば廃棄の無駄は大分防げる
あと、植物育てるのにかなり虫は殺してるんだけど虫はいいのかなーとベジタリアンにはいつも思う
植物も動物も生き物と考えると、命あるものを食べて命を繋いでいるのが動物。それを色々と考えてしまう人間はそれだけの知能が携わってるからなんだろうね。ライオンやジャッカルはそんなこと考えないで生きるためにシマウマなんかを狩って食べる。本能のままに。人間は本能のままに生きるには知恵がありすぎるんだね。お肉は好きだけど動物も可愛いというかかわいそうって。罪の意識を感じるのは生き物の中で独特だと思う。人間って罪深い生き物だなと思うけど、それって人間が人間を見て思うものにすぎないね。ライオンを見てもそうは思わないし、獲物を狩っている姿は残酷だけど生きてる以上はそういうもんだと思ってしまう。いろいろと考えさせられるコメントも多いが、肉を完全に排除するのは自分的には考えられん。イースターとか一時的に肉を食べない期間を設けることは出来るけどね。なるべく最低限にして人間の栄養になるために犠牲になった動物に感謝して残さず戴くわ。
なんでも当たり前じゃないんだよ ベジタリアンとまではいかないけど 命を奪う肉は健康を脅かさない程度に控えることにしたよ
畜産動物の飼育環境を見直すために、わざわざ10年続けたベジタリアンの食生活を変える必要があるの?
理由が見当たらない
※229
食肉産業をナチスのように・・・なんて言うなら、
どんなに取り繕っても、殺して食うって時点で殺人鬼を肯定するのと変わらんわ。
それとも、殺人目的でも、赤子を集めて生まれた頃からちゃんとした扱いをして、”その過程”が人道的(?)なら大量殺人をやることは感謝している事だって意見か?
別に歴史修正主義(笑)じゃないけど、ナチスが特別残虐だった訳でも無いぞ。アメリカだって、その国の成り立ちからして先住民を蹂躙・虐殺・奴隷化しているし、何よりも日本に原爆を投下なんて普通に一般市民を対象にした大虐殺・人体実験だったわけで。
それと比べたらむしろ、手間の掛かる毒ガスの方で纏めて完全に殺す方が、死体の処理を自分たちでさせたり、長く苦しませたり、地獄絵図の中で最後を迎えさせるより、よっぽど人道的(?)だったんじゃね?www
と言うか、人が人を殺す事と、人が家畜を殺す事を同列に扱ったらダメだよ。
※181
後半の意味が理解できない
植物にも動物にも命があり、優劣はない
だから全てのものに感謝して「いただきます」だ
それを傲慢というのならそれこそ霞でも食って生きるしかないのでは?
すくなくとも「じゃあ植物だけ食べればセーフ」にはならないと思うのだが
※172
その通りだよ。
命に優劣を付けるのもまたマインドで
動物愛護のベジタリアンの主張は
植物の命を軽視しているとも捉えられる。
そういう人もいるだろう。
ただもしそのような考えをもち、本当に謙虚であるならば
産業化されて植物、穀物を大量消費する肉食は
控えようと言う考えも浮かぶだろう。