岸田首相祖父創業「幾久屋百貨店」の現在の姿
1933年、岸田首相の祖父である岸田正記が大連に建てた百貨店は、「新天百」と名前を変えて今でも営業中である。
戦前、大連に土地を買った曾祖父岸田幾太郎にちなんで「幾久屋百貨店」と呼ばれたが、戦後接収され中国人経営となった。
最近、大連市内に行き写真を撮影してきたのだが、大連駅前から伸びる歩行者天国の商店街である天津街に位置している。
今は歩行者天国通りの向かいのビルと空中歩道で連結されて、かなり大きな百貨店の店舗ビルの一部となって存続している。
大連郊外に新たに造成された小京都街は反対の声高く閉鎖されたが、戦前からの日本風建築は今も使われているものが多い。
野崎晃市(47)
湖南省鶏叫城遺跡の木造建築跡
湖南省にある鶏叫城遺跡から、約5000年前の新石器時代から周の時代の、中国最古となる木造建築跡が発見された。
日本では現在も木造建築が多いが、中国では早くに乱伐で木材が枯渇したため、現存する木造建築は比較的少ないのだ。
それで、中国で木造建築遺跡が発見されると、古代日本に渡来した建築技術者たちの手がかりがないかと気になる。
木造建築と言っても、時代によって技術や設計が異なり、比較することで技術の伝達ルートが推測できるからだ。
縄文時代の竪穴式住居に似たものは、北方のオロチョン族やブリヤート族など、半遊牧民の移動式家屋に見られる。
雲南省や貴州省の苗族集落に行くと、今でも高床式倉庫を見ることができ、日本の弥生時代の農村を彷彿とさせる。
中国に現存する明朝の木造寺院の構造と、京都の寺院の建築方法を比較したのが、梁啓超の息子の梁思成だった。
筆者が気になっているのは、古代出雲大社の独特の建築で、デザイン的に三星堆遺跡の青銅器にどこか似ている気がする。
野崎晃市(47)
新国立競技場を上から見るとQ
オリンピックのメイン会場となる、代々木の新国立競技場を上から見るとQの形になっているというのだが、なるほどと納得した。
というのも、国立競技場のデザインは、当初決定していた英国人ザハ・ハディドの案が、白紙撤回された理由が謎だったからだ。
新しいデザインは、トイレの便座のようだと揶揄されて悪評だったが、デザイン変更はQによるオリンピック乗っ取りだったわけだ。
座席に灰色の部分が斜めに入っているのは、Qをデザインしたものであることを、見た目でわかるように入れてあるらしい。
新国立競技場の開場の日付も、米国時間で2019年12月20日となり、(2+0+1+9+1+2+2+0=17)と、Qを示しているという。
新国立競技場の準備工事で、地下から187人分の江戸時代に埋葬されたと見られる人骨が見つかったのも、Qらしい暗示である。
野崎晃市(46)
フランスでの教会破壊マップ
パリのノートルダム教会が火災に遭ったことは記憶に新しいが、今度はナントのサンポール大聖堂が放火された。
火災が発生したのはサンピエール・サンポール大聖堂で、約400年の歴史があるパイプオルガンが全焼したようだ。
フランスでは過去四年間で教会の火災が頻発しており、アフリカからのイスラム系移民による放火だと疑われている。
しかし、同じくイスラム系移民の多い他のEU諸国での破壊は少なく、イスラム系移民ではなく、悪魔崇拝者による破壊であろう。
フランスには約40000の教会が存在するが、2018年だけで875ヶ所もの教会が、備品の略奪や放火により破壊されたそうだ。
日本でも神社の御神木が切り倒される事件が頻発しているが、各地に張られた霊的な結界が破壊されているようだ。
野崎晃市(45)
ミャオ族の高床式倉庫
最近、貴州のミャオ族出身の女の子と話す機会があり、ミャオ族文化と日本の類似性などについて話を聞くことができた。
ミャオ族の先祖は中国の神話に出てくる蚩尤という神だが、黄帝と戦い敗れたため、神話では悪鬼のような姿で伝えられる。
しかし、ミャオ族が自分たちは蚩尤の子孫だと誇らしげに名乗るところを見ると、ミャオ族にとっては英雄的な先祖らしい。
日本との類似性については、高床式倉庫がいまだに残っていることだそうで、高床式建物の写真をメールで送ってきてくれた。
高床式倉庫は日本の弥生時代のものにそっくりだが、沼地に建てて防火・防虫・防鼠とするために、高くなっているそうだ。
高床式倉庫のほかにも、高床式塔も村の東西に二つ建っているそうで、今は特産品が展示され土産物屋として使われている。
住んでいる住居も、近代的なコンクリートのマンションではなく、木造のログハウスのような住居で、どことなく懐かしさを感じさせる。
野崎晃市(45)
梁思成による佛光寺のスケッチ
1937年の夏に梁思成と林徽因は山西省の五台山に赴き、唐代に建築された佛光寺などの建築を調査した。
佛光寺は中国に現存する二番目に古い唐代の木造建築で、敦煌壁画の発見により存在が知られるようになった。
梁思成が特に注目したのは屋根と梁を支える柱などの構造で、特に857年に建設された大殿は独特の梁構造で造られていた。
梁思成は大殿の屋根の上にまで登って測量を行ってスケッチを描き、佛光寺に「中国の国宝建築」と高い評価を与えた。
しかし、彼らが五台山での調査をしている間に盧溝橋事件が発生し、日本軍が北京にも攻めてくるとの噂が伝わって来た。
梁思成と林徽因は急いで北京の家に戻ると荷物を整理し、戦火を避けて雲南の昆明に疎開するため北京を後にした。
野崎晃市(43)
建築とかあれこれ きのこのブログより 『陰謀論はマスゴミ以下』
LEGAL HIGH 09 投稿者 mari269498
テレビドラマの方が
まだマシ
これみたら、
どんだけ裁判が
大嘘まみれかわかる
選挙が不正であっても、
こんな司法の国では
絶対に、立証されるわけがない
成功法でどうにかなる!は、
それこそはぐらかし
現実でどう戦うか、
練るくらいじゃないとねー
宇宙人がぁーーーー
って、ゆーてる場合かい?
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