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2015.07.08

2013年、スイス国民はなぜ徴兵制の存続を決めたのか?

 2013年9月22日のことだった。「永世中立国」とも言われることがある軍事大国スイスが、徴兵制をこのまま存続させるのか、やめるのか、ということで国民投票を実施した。結果は、存続と決まった。しかも多数で決まった。なぜなのだろうか、少し考えてみたい。なお、スイスを軍事大国としたのは、人口の約1.9%もの軍隊を持つからで、日本の人口で比率を見ると250万人ほどになる。
 まず報道から事実を確認をしておこう。共同「スイス、徴兵制廃止を否決 国民投票、伝統を支持」(参照)より。


 スイスで22日、男性への徴兵制を廃止すべきかどうかを問う国民投票が行われ、地元メディアによると、廃止は反対多数で否決されることが確実となった。
 国民皆兵制の武装中立を維持するスイスでは近年、「他国から現実の脅威にさらされているわけではなく金の無駄遣いだ」として徴兵制の廃止を求める声が出ているが、国民の多くが伝統的な制度を支持した形だ。
 政府も国防能力を脅かすとして徴兵制廃止に反対を表明していた。
 地元メディアによると、徴兵が終わった後も予備役のため銃を自宅に保管できることから、銃規制をめぐる議論も活発化している。2011年には徴兵が終わった後も自宅に銃を保管できる制度を見直すかどうかを問う国民投票が行われ、反対多数で否決された。(共同)

 実際は、この国民投票の結果だが、73%という圧倒的多数で、かつスイス全州で徴兵制廃止が否決された(参照)。徴兵制が断固としてスイス国民に支持されていることが明示されたわけである。
 今回の国民投票は、いろいろと含蓄がある。まずなぜ、「徴兵制を廃止すべきか」という国民投票を実施したかについて確認しておこう。それは、大筋で共同報道にあるように、「他国から現実の脅威にさらされているわけではなく金の無駄遣いだ」ということである。
 差し迫った危機があるわけでもないし、実際のところどの国がスイスを攻撃するかといった具体的な想定もないのにもかかわらず、徴兵制度が維持されている。このあたりからすでに、なぜ?という疑問も湧くが、もう少し含意を見ていこう。
 今回、徴兵制廃止が検討されたのは、経済的な理由もある。基本的に現代の戦闘においては、徴兵によって一般市民を軍人として教練してもそれだけのコストが見合わない。このあたりは日本でも一部でよく言われていることだが、先進国において、経済的な理由と軍事的な効率の二点を考えると、徴兵制が復活する見込みは、まずない。ただし先進国といっても日本の場合はその復活を懸念する人々が少なくないことが特徴的で、野党第一党の民主党の主張からもわかる。
 ではなぜ、スイスはそうした先進諸国の常識に反して、非効率な徴兵制度に「国防能力を脅かすとして徴兵制廃止に反対を表明していた」のだろうか。これも疑問である。しかし、その疑問の考察の前にあと二つ含意を見てみたい。
 一つは、徴兵が男性に限定されることである。それでよいのかという議論はスイスにもある。特にスイス憲法から見て女性差別にあたる、つまり、女性に徴兵が適用されないのは、憲法違反だという議論もある。こうしたことから、女性の徴兵もスイスでは検討されている。現状、スイスでは、1995年から女性も兵役が担えるようになり、2004年から担える任務についての制限もなくなっている(参照)。ただし、スイス国民の現在の意識では、女性の徴兵についてはまだ十分に気運は高まっていないと見られている。このため、先行して兵役を経験した女性による社会意識の変化が推進されていく面がある。比較としてノルウェー軍の現状を挙げると、スイス軍の十倍以上割合で女性がいる。こうしたことから推定すると、今後、女性への徴兵、あるいは女性に対して職業軍人の門を広げることがスイスに求められるようにはなるだろう。
 もう一点留意したいのは、「徴兵が終わった後も自宅に銃を保管できる制度」である。報道でもあるように、これも国民投票で否決された。つまり、徴兵を終えた市民は、自宅に銃を保管しているという実態があり、これが広くスイスの市民社会で認められているということである。この点についても、なぜなのかという疑問が湧くかもしれない。というか、ここに徴兵と市民社会の本質が関連しているのであとで触れたい。
 上述した疑問点ついて考えてみよう。三点挙げたが二点にまとめられるだろう。一つは、差し迫った軍事的な脅威もないのに、しかも経済効率も悪いのに、なぜスイスでは徴兵制が国民から圧倒的に支持されるのだろうか?
 この点については、意識調査などから考慮するべきだが、その代替として、今回の投票にあたり、徴兵制廃止に反対する政治団体の主張からみてみたい(参照)。現役・退役軍人から成る「ジアルディーノ・グループ(Gruppe Giardino)」は、こう考えている。

 ジアルディーノ・グループのハンス・ズーター会長は「徴兵制度の撤廃を求めるのは新マルクス主義の思想と一致する」と言い放つ。さらに、平和主義者の行う「非スイス的」で「軍隊に反対する」活動はこの30年間全く変わっておらず、平和主義者は「新マルクス主義と階級闘争のわだちにはまったまま抜け出せていない」と批判する。しかし、軍隊や徴兵制、安全保障といったテーマが国民発議によりスイス国民の関心を強く引いたことについては評価している。

 指摘されているのはスイスだけではなく、日本の現状でもあるかのような印象も受けるが、基本的に、マルクス主義的左派勢力が市民社会を捉えていないという主張とみてよい。この主張は、概ね軍人側の主張である。
 他方、保守的にも見られる「独立した中立国スイスのための運動(AUNS/ASIN)」はこう主張している。

 「平和主義者の言うような平和な世界はあり得ないし、彼らの方針は矛盾している。もしその方針通りになったらスイス軍は職業軍人だけになり、スイスは北大西洋条約機構(NATO)に加盟することになってしまう。これではスイスの根幹を成す軍事制度も中立性も崩壊する」。会長のヴェルナー・ガルテンマン氏はそう危機感を募らせる。

 これは、明白に日本の現状についても示唆的な意見であると言えるだろう。理由は、「平和主義者の言うような平和な世界はあり得ない」という浅薄な現実論ではない。経済的な効果や軍事的な効率性から、軍隊を職業軍人に限定すれば、スイスが「北大西洋条約機構(NATO)に加盟することになってしまう」危険性があるというのである。日本の文脈で言い直せば、集団的自衛権に取り込まれる危険性があるということだ。
 つまり、スイスは、集団的自衛権を拒否するために、市民からなる軍隊の基礎となる徴兵を求めているということである。
 他国との軍事同盟を排除して、自国防衛を貫徹させるためには、市民が自らが市民社会の防衛の責務を担うために、徴兵を必要とするという考え方である。
 このことがもう一つの疑問、「徴兵が終わった後も自宅に銃を保管できる制度」とに実は大きく関連している。
 なぜ、市民が自宅に銃を保管しているのだろうか? 当然、それを使う状況が想定されているからであり、その想定は、自国防衛に関わっていることも想定できるだろう。端的に言えば、「群民蜂起(levée en masse)」のためである。群民蜂起とは、ブリタニカ国際大百科事典を借りると。

軍の構成者ではない者が,敵の接近にあたり,急遽武器を取って交戦すること。国際法上公然兵器を携帯し交戦法規を遵守するときは交戦資格を有し合法とされる。

 重要なのは、群民蜂起という言葉から連想されるような、偶発的な武装ではなく、「公然兵器」を市民が使用する点にある。
 また、群民蜂起というと若い世代では日本に関係していないと思うかもしれないが、日本国憲法を遵守した場合のもっとも重要な防衛のあり方を示唆した長沼ナイキ基地訴訟の札幌地方裁判所(裁判長・福島重雄)判決(札幌地判昭48・9・7、判時712・249)においても明示されていた。

(略)自衛権の行使は、たんに平和時における外交交渉によつて外国からの侵害を未然に回避する方法のほか、危急の侵害に対し、本来国内の治安維持を目的とする警察をもつてこれを排除する方法、民衆が武器をもつて抵抗する群民蜂起の方法もあり、さらに、侵略国国民の財産没収とか、侵略国国民の国外追放といつた例もそれにあたると認められ、(略)

 日本国憲法で規定された自衛について、(1) 外交交渉、(2) 警察力、(3) 群民蜂起、(4) 経済または対象国民へ制裁、と示唆している。具体的に危急の侵害という点では、警察力と群民蜂起が明記されているとしてよい。
 このことは、日本国憲法は自衛にあたり、日本国民が「公然兵器を携帯」できる可能性を開いていることを、長沼ナイキ基地訴訟の地裁判決が示している。また、この点については、上級審でも否定されていない。
 すると、どうなるのだろうか?
 むしろ日本国憲法を、スイスに示された市民社会の原理で考えるなら、その上でかつ徴兵が軍を構成するとして否定されるなら、群民蜂起用の公然兵器が携帯できるように、自国防衛のために市民社会のなかで武器の管理と学習が推進されなければならないだろう。
 奇矯な主張のように見えるかもしれないが、市民国家が市民革命によって成立した由来を考えるなら、こうした考え方がもっとも正当な帰結になるだろう(実は、"levée en masse"とは「国民皆兵」のことでもある。「徴兵」と言ってもほとんど同じである)。
 
 

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