「平成30年7月豪雨」災害で思ったこと
平成30年7月豪雨は現状200人近い死者を出す大災害となった。渦中から現在に至るまでいろいろと思うことはあるが、とりあえず3点だけ記しておきたいい。
まず政府の責任は重いと思った。これはネットでよく言われていた、安倍政権の対応の出遅れや渦中での宴会のことではない。確かに官邸の対応は存外にぶいとは思った。私なども比較的初期の時点で100人の死者を超える大惨事になる予想がつき、さほど間を置かず200人を超えるのではないかと推測した。そう推測できたのは、前回の広島水害とそのおりに再確認したハザードマップからである。つまり、その程度には官邸でも予測可能だったはずだ。
しかし、現実問題としてあの状況下で官邸ができたことはあまりなかったかもしれないし、広域に渡ることもあり大筋では対策は各県に任されているはずで、なんでも官邸が出てくればいいものでもないだろう。まして、事後、政局的な政権批判のための文脈で語ってもあまり意味はないだろう。
1 長期政権ゆえの責任性
私が政府の責任は重いと思ったのは安倍政権が長期政権であり、なかでも4年前の平成26年8月豪雨による広島市土砂災害を経験しているからである。責めるべきことはこの4年間ほどの間にもっと政府主導の対策はできなかったかということだ。すでにハザードマップは公開されているし、今回の災害ははそこから予想外のことではなかった。
言うまでもなく、この問題は専門的なので、4年間で何が可能だったかが検討されなければならない。が、非専門であるブロガーではその概要を推測することは可能ではない。実際のところ、4年間では政府主導では何もできなかったということもあるかもしれない。
その場合、政府としても最善の政策をしてきたが、今回の被害は対応できませんでしたということになる。そうなのだろうか。そうであれば、近未来でもこうした絶望的な状況が継続することになる。
2 被害はもっと酷かったかもしれない
10年前の試算だが、中央防災会議「大規模水害対策に関する専門調査会」(2008年9月8日)は、首都圏で200年に一度と推定される洪水が首都圏を襲った場合、死者は1万人を超えるとしていた。そのほか、各種の試算がされていたが、あまりの被害の大きさに現実感が伴わないでいた。
だが、さすがに今回の水害では、少し想像してぞっとした。
潜在的に巨大な水害が首都圏に及ぶ可能性は否定できない。そうした可能性にどう向き合ったらいいのだろうか。
今回の災害でそうした潜在的な巨大被害に思いあぐねた。
3 自然災害は高齢者をより犠牲にする
朝日新聞が行った試算だが、12日時点の141人の死者のうち、60歳以上が100人で7割を超えたらしい。おそらく死者数が確定しても、高齢者がより多犠牲となる構図は変わらないだろう。この事実に直面したとき、「淘汰」という言葉が不適切に脳裏をよぎった。
一般的に高齢者は弱者であり、ゆえに災害に弱いということはいえるだろう。他方、統計的に裏付けられたわけではなく印象にすぎないが、ハザードマップで危険な地域に高齢者が住む傾向もあるのではないだろうか。
この問題は、雑駁にいえば、地方の高齢者の居住をどうするかという課題のなかに含めることができるようにも思う。
ネットで話題となる政局の文脈では、権力ある政権の過誤によって、国が滅ぶというパターンが多い。だが、国が実質的に滅ぶのは、巨大災害の負担で弱化したことの結果になるのではないか。
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