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2018.07.11

文部科学省前局長佐野太容疑者は無罪だろうか?

 東京地検特捜部が4日、文部科学省の前局長佐野太容疑者(58)を逮捕した。容疑は「受託収賄」。世間的には息子を私大に裏口入学させたことはけしからんと、なべおさみの裏口入学を叱るような雰囲気もあるが、私大がどの学生を入学させるかは原則的には私的な領域なので、公的な問題はない。私大側には逮捕者も出ていない。
 報道を見ると、事件は「私立大支援事業をめぐる汚職事件」としているように、文科省の私立大支援事業が、同局長の意向で捻じ曲げられたかという点が問題になる、かのようでもある。
 が、ことは二段構えのようだ。まず、①文科省プロセスの問題:文科省の私立大支援事業が同局長の意向で捻じ曲げられたか、②官吏の便宜依頼:同局長は息子の入学について便宜依頼をしたか、である。
 当初この事件を私が知ったとき疑問に思ったのは、①文科省プロセスの問題が事実上不可能なら、②官吏の便宜依頼があったとしても問題ないんじゃないか、ということだった。だが調べてみると、受託収賄容疑は②だけで成立するようだ。
 国民としては、①文科省プロセスが重要な関心であり、ジャーナリズムもそこを注視してほしいと思う。現状、印象としてだが、報道を見る限りプロセスや機構上には欠陥はないようだ。
 汚職事件としては、しかし、②官吏の便宜依頼が話題に上るのはしかたない。どうか。まず、はっきりしているのは、私大側としては、高級官吏の子供を入学させるメリットを十分意識していたことだ。加えて、私大側が官吏の便宜依頼と認識していたかだ。それこそ「忖度」のようにも思えるが、東京地検特捜部が動けた点を考慮すると、私大側としては便宜依頼と認識していた、ということだろう。
 すると問題は、佐野太容疑者自身は、そこをどう認識していたか、どのように私大側に対して振る舞っていたかということになる。
 ここではっきりしているのは、佐野容疑者としては便宜依頼をしていないと現状では述べていることだ。おそらく彼自身としてはそう認識してなかったのではないかという印象を私はもつ。
 問題はしかし、他者の印象はどうでもよく、また当人がどう意識していても、「そりゃ便宜依頼でしょ」と解される言動があったか、ということだ。この点、外堀は埋まっている。特捜側からの情報だろう、時事の報道では、昨年5月、佐野容疑者と東京医科大の臼井正彦前理事長は会食をしている。特捜としては、この会食で事実上の便宜依頼があったと見たいのではないだろう。
 同会食は、同事件の幇助容疑で逮捕されている医療コンサルタント会社元役員・谷口浩司容疑者(47)が手配したということで、枠組みとしては、これは便宜依頼のための会食だったのだのだろうとしか思えない。
 他にも、佐野容疑者は私大側に申請書の書き方指導などもしていて、それらも一連の便宜依頼の文脈に織り込まれるだろう。
 外堀の埋まり具合を見ると、東京地検特捜部も勝ち目を踏んで動いているなという印象が強い。
 で、私の印象のまとめ。
 こんな明白な構図の会食に、のこのこ出てきた佐野容疑者は最初から便宜依頼のためだったのだろうか。あるいは、「えー、フレンチならいいすね」みたいな間抜けな対応だったのか。
 仮に本人の現状の言い分を真に受けて前者ではないとすると、じゃあ、後者の間抜け、ということになるが、そこまで局長クラスが間抜けなんだろうか? 
 それもないとすると、こういうのは慣例であり、しかも慣例ゆえにどこが犯罪のフロントラインになるかを彼自身が理解していたのではないか。
 そう考えると、今回の事件、フロントラインが動いたのかもしれないなあという感じがする。
 このアーティクルを書く際、どうもこの事件もやもやするし、整理すると、結局、同局長は無罪なんじゃなねとなるかもしれないと思っていた。だが、本人がどう思おうと、これは有罪ということもありそうに思えてきた。つまり、フロントラインが動いたということだ。
 むしろ、その影響のほうが各省庁に甚大だろうな。

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