暑くなったので散髪屋に行ったら車椅子の人が数人いたという話
暑くなって髪の毛がむさ苦しいので床屋に行った。まあ、自著『考える生き方』(参照)を読まれた方にはツッコミがあるかもしれないが、まあ、行ったのですよ。というか普通に行くのですが。
以前は床屋というところに行ってたけど、たまに美容院(後ろ向け洗髪のあれ)や、あと、都心だともう20年以上前だけど安い散髪屋でというのもあった。最近は、1000円カットがあちこちに出来て、しばらく前から近所にも出来た。便利と言っていいと思う。
この手の安価な散髪屋の特徴でもあると思うけど、昭和な床屋とは違って、主人と結局ご近所さん的な繋がりはない。カットする人も入れ代わり立ち替わりということになる。けっこう一期一会で、技能に差はある。で、散髪されるほうとしても、あ、今日は当たり、あ、今日はハズレと思う。
当初は、ハズレはやだなあ、チェインジ、いや、これは冗談。耳学問だけ。安価な散髪屋さんのハズレはしかたないと思うし、むしろ当たりの人が安価に労働しているのもなんだということかもしれないと思うようになった。
近所の安価な散髪屋で数度行って気がついたことがある。以前行ってた1000円カットの店では、カットの人はどんな髪型にしますかみたいなことは最初に聞くけど、あとは、まあ、無言でさくさくとするという感じだった。が、ご近所のほうはというと、カット中にいろいろ話しかけてくるのだ。全員、そう。お客様とのコミュニケーションもサービスなんだろうか。指導があるんだろうか。
最初は、うーん、そういうサービスは要らないんだけどなあというか、こっちも、相手が若い人なんで、気まずくならないようにお相手している感じで、カットが終わると、なんかちょっと疲労感のような事態になり、人と話すのめんどくさいと以前の店に戻るみたいなこともあった。
それでも近いと便利なので、使っていて、たまたまカットする人が女性だったことがある。若い女性である。私は目が悪いこともあるが若いころから、若い女性の顔はあまり見ないことにしているのだが、なんというのか、とても普通な感じの人だった。
そういえば、30代の初めころ都心の歯医者に通っていたころ、歯科医の補助の若い女性が、怪力で、かつ、ぐいぐいオッパイを押しつけてくる感じだったことがある。こ、これは、ある種のサービスなんだろうか?と疑問に思ったが、散髪だと、そういう懸念はもたなくてもよい。ほっとするね。ね。
で、散髪屋とはいえ若い女性と立ち話みたいな話をする嵌めになったのだが、内容はもうよく覚えてないのだけど、あれれと思ったことは覚えている。若い女性からすると、僕はもう、お父さんというか爺さんの部類なんで、そういうふうに気を遣われているのである。うひゃぁ、中身中二病ですからぁとか、まあ、言ってもしかたないので、適当にオジサンぽく話す。
で、これがまた、自分の困った点でもあるのだが、普通に話していると、こういうのもなんだのだけど、僕は話し言葉が丁寧で学校の先生みたいなんですよ。で、なんか、そういう先生と女子学生さんみたいな雰囲気にもなって、あ、あかん、こりゃ、とても、あかん、というわけで、できるだけ、非知的な話題に引っ張る。もう汗吹きますね。そういう自分が嫌ったらしいなあとか思うし、ネットなんかでもよくそう思われるわけなんだけど、ぐるぐる。
適当に食べ物の話とかペットの話とかして、10分もたせてぐったりと。以降、カットするときは、女性のカットの人がいないと、ちょっとほっとしたりもするのだけど、まあ、あれも悪くなかったんじゃないかという思いもよぎって、年取ったなあ、俺とも思う。
先日のこと。カットに行ったのだが、女性のカットの人はいない、どころか、れれれな光景である。時間帯が早かったというか、今までにない時間帯だったせいか、最初困惑したのだが、車椅子が二台、あと、電気車椅子が一台、いる。
なんか特別の日なのかなと思って、俺、入っていいの?とか、しばし店頭にぼうっとしていると、店員がどうぞというので入った。しばらく座ってきょろきょろしながら待っていた。車椅子の人々には、だれか補助の人がいるわけでもない。組織的な活動をしているわけでもないようだ。偶然というか、早い時間帯にこういうこともあるんだろう。
かくして僕の番。カットのお兄さんのお話が始まる。ああ、始まった。が、どうもだね、思うのだが、この店では、お客さんに話しかけるのはおまけのサービスというより、けっこうメインなサービスのようで、これも推測なんだが、車椅子の老人などはそれが楽しみで来ている印象もあった。どうなんだろ。
いろいろ疑問が頭をよぎるので、そうだなあ、今日は無難な話をするのもなんなので、一つ、車椅子の人の話でも振ってみますか、ということで、自分からそんな話題を切り出してみた。詳細は忘れてしまったが、車椅子の人たちは、カットの人と話をするのが楽しくてやってくるかはわからなかった。そう聞くのもなんだし、答えようもないだろうと思って控えた。車椅子の利用者は多いのというと、多いらしい。
へえと思った。さらに話を聞くと、この店舗は当初からバリアフリーを入念に設計して地域の人を助けるためできたというのだ。へえ。言われてみると、固定椅子はないし、装置の高さもそれっぽい。入店から利用まで段差はない。なるほどね。それはいいことだなあ。
カットのお兄さんの話では、彼は、介護の散髪サービスの資格も持っているらしい。正確になんという資格かはわすれたが、東京都が認可しているものだ。認可でどうなるかと聞くと、介護でそれが有償サービにできるとのことだった。善意で頼むよりサービスがきちんと対価があったほうがいいだろうし、技能の質も維持できる。
そのあと、いろいろ介護の現場の話などを聞いた。いやあ、いろいろ勉強になっちゃなあという感じがした。
が、いざブログのネタにしようとするとうまくはまとまらないものです。
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コメント
フトンみたいに、恋して家で泣いたとかのオチにしてほしかったかなぁ、笑。
カットって、結局、気分に左右されるんですよ。スキー場にいくと、まわり全部が、美女と美男子ばかりに見えて、かえって日常になると、そうでないのと同じ。古いタイプの床屋なら、肩をだまってもむとか。髪をあらってスッキリとか。それがない安いところは、言葉で・・・
で、女性の美容院が、やたら高いのは、気分がよくなるからでぇ、で、気分がよくなって、家に帰ってきて、亭主がそれにまったく気付かないで、たいへんむかつくってことになるわけで!
つまり、気分がよくなるには、それなりに金はかかるもの。逆に金がかかってない、ツイッターなんて、気分が悪くなるためにやっているわけでして、で、自分なんかも、もっとむかつきたいのに、このブログはちっともむかつかないぞって、やっとむかついて、ネットから離れると、楽しいことばかりで、気分ルンルンと切り替わるんですけどねー。
バリアフリーなんかは、そもそも、気分がよくなるためにあるのに、なんだかしらないけど、みんな必死に気分悪くなる方向へ、ダーーーーっていっしょに走っていて、ついつい、もっとヒドイことがないかと気になってしょうがない、笑。
投稿: | 2013.05.23 12:01
もうサービス時間690円の髪切り屋さんがありますよん。
女性の店員さんで、もう黙々と切ります。
髭は「資格が無いので…」とやんわり断られました。
投稿: 猫大好き | 2013.05.23 18:36