| HOME |
「ゆがんだフレーム」を壊せ!
米ニューヨーク市のマンハッタンのハドソン川に2009年1月15日午後(日本時間16日未明)、USエアウェイズ機(1549便)が墜落した事故は、乗員・乗客155人全員が無事救助され、大惨事を免れた。
「墜落」、そして「奇跡の着水」のニュースを聞いたG新聞記者(仮名)は、墜落の原因が機長が知らせたという「バードストライク」の可能性も含めた「なにかしらの機械的な原因」であろうという第一感を抱き、また機長の冷静沈着な対応に感銘を受けた。
G記者は自分を「優秀な」記者であると考えていたが、たまたま読んでいた「知的フレームを壊せ!」というブログエントリの中に、
「優秀な」記者ほど取材する前にすでにもう記事の概略が頭の中にできあがっている。あとは、その概略に適応する事実をピックアップするだけ。
そして、前もってできあがっている概略こそが、「知的フレーム」です。
という一文があったのを思い出し、自分の持つ「知的フレーム」が自分の「第一感」を「概略に適応する事実(と思われているもの)をピックアップ」しているのに過ぎないのではないかと気がついた。
そしてまた、
「ゲーデルの不確定性原理」ではないけれども、自己完結した完璧なフレームなどありえない。むしろ、そうしたフレームを追い求めることは、「優秀」な記者になるようなもので、決してものごとの”あるがまま”を見ることは出来ない。私が欲するのは、「知的フレーム」を探求することか、それとも“あるがまま”を観ることか?
もちろん、後者です。いくら立派な「知的フレーム」ができあがっても、それは〔識ったつもり〕になるだけのこと。分からない他者に近づくことは出来ません。ならば「知的フレーム」などブチ壊せ! きっとその後になにか見えてくるはず...。
引用者注:「ゲーデルの不確定性原理」は、原文ママ
の一文をも思い出し、自分が飛行機のメカニズム、エレクトロニクス、航空力学等々必要とされる「知識」についていわゆる「常識的な理解」を持つ程度で、「識って」いるわけではないのだから、その程度の「知的フレーム」に束縛されるのでは愚かであることに気がついた。
そして、これから墜落理由の究明が行われる際に、次のようなことを無視して「科学的究明」なる一見「真実を求める」ように見える行為のみで「究明」がされるならば極めて「アンフェア」なのではないかと考えた。
即ち、
墜落原因:
1.キリスト教の神の神罰(各種宗派でびみょ~に違いそうだが、全てが対象とならねばならぬ)
2.イスラム教の神の神罰(各種宗派でびみょ~に違いそうだが、全てが対象とならねばならぬ)
3.仏罰((各種宗派でびみょ~に違いそうだが、全てが対象とならねばならぬ))
4.因果応報(全乗務員、乗客について個々に調査されねばならぬ)
5.キリがないからまとめるけど、各種悪魔等々の悪のフォースのぱわー
6.なんかの呪い
7.風水
8.方角
9.水にありがとうを言い忘れた。
10.江本を批判する奴がいたから、天が怒った。
11.ユダヤの陰謀
12.「ルルドと麻原の残り湯が等価である」と言った奴に対するみせしめ。
以下、ほぼ無限に続く。
そして、
奇跡の着水の理由:
1.機長が敬虔ななにやらの信徒であった。
2.乗客の祈りが各種「超越者」に届いた。
3.「アメリカの正義」を神が立証してくれた。
4.風水がなにやら正しかった。
5.方角がなにやら正しかった。
6.乗客の中に水にありがとうを言った奴がいた。
7.乗客の中に江本信者がいた。
8.ブッシュ退任記念に「原理主義者」たちの祈りが届いた。
9.「オーラのかたち!」だった。
10.キリがないからおしまい。
以下、ほぼ無限に続く。
というわけで、G記者は正しい認識の仕方にたどりつくわけですが、彼が記事を書くときにはその中から「お気に入り」をピックアップして書くことになります。
ほとんど「藁人形」だと言われそうですが、驚くなかれ、ほんと~にG記者に近い考え方をする方が存在するのです。
愚樵氏が言う「知的フレーム」はブクマでfelis_azuriさんが指摘していらっしゃる「予断」に過ぎない。
一方、氏がおっしゃる「壊せ」とは「証拠にもとずいた言説や「蓋然性が圧倒的に高いものであろうとも、それに単純に与みせず好みの説、理由を恣意的に選べばよろしい」ということであるとしか思えない。
色いろと例はあるのだけれでも、今回は氏の「米国人観」について見てみよう。
愚樵空論「日本教」エントリコメント欄より
アメリカ人は、とにかく“Freedom !”じゃないですか。9.11のときも、報道で見る限りですが、多くのアメリカ人が“Freedom !”と叫んでいたように思います。これ、どう考えても〈確固たるもの〉でなければ出てきませんよね。自分を確かだと確信しているから自由と叫べるんです。自分に不安があれば、自由よりまず所属でしょう?
これに対し、私が
このシーンを「苦々しく見ていたアメリカ人も多くいた」ぐらいのことを考えるぐらいの「想像力」さえないのですか。
テレビに映っていた「アメリカ人」が愚樵さんにとっての「アメリカ人」の全てで、そのぐらいのサンプリングで全体を判断するならば、
中曽根の「知的レベル」発言や、
渡辺の「アメリカの黒人は金が返せなくなったら破産してアッケラカのカー」発言
と、なんら変わるところはない。
後に、少々誤解を招いたので、以下のように訂正しました。(愚樵氏が、私が氏が差別的な考え方を持っていると指摘していると取った。私の真意は、大雑把さに於いて変わりがないということ)
・中曽根の「知的レベル」発言や、
渡辺の「アメリカの黒人は金が返せなくなったら破産してアッケラカのカー」発言
と、「質的に」(すなわち、「一部を見て全体を評価するような発言」)なんら変わるところはない。
それに対し、愚樵氏はこう言う。
そうした認識はたとえば、こういった記述
「アメリカが歴史のない文明であることは、7月4日の独立記念日の祝賀行事のテレビ中継を見ればすぐにわかる。この日には、全米各地のおもなところの祝賀会の実況中継がある。祝賀行事がいちばん盛り上がる瞬間は、合衆国籍を取ったばかりのもと外国人が壇の上に上がって、自分がアメリカ人になることを決断した理由を、なまりのある英語で語り、「私はアメリカ人になれて、いまはほんとうに幸せだ」と宣言すると、会場の群集が感動してわーっと歓呼して、「アメリカ万歳」を唱える、その瞬間だ。この現象は、アメリカ文明の本質を示す、重要な意味を含んでいる。
つまり、「アメリカ人」には、基本的に自分の意思でなるのであって、生まれついてのアメリカ人は、本来の意味での「アメリカ人」ではない。こういう国は、アメリカ合衆国のほかに世界のどこにもない。・・・」(岡田英弘著『歴史とはなにか』より)
から得たりするわけですが、私はこうしたものを「私の言葉」として使うのは、あまり好きではないというか、自分のスタイルではないと思っているのです(内山節氏は別。my favoriteだから)。だから“TVで見た”という自分の体験を下に話を組み立てる方を選択する。それだけのことで、それしか選択肢がないというわけではない。そういうことを想像していただきたいものです。
と、おっしゃる。
「TV中継を見ればすぐにわかる」などというそもそも根拠薄弱な文章を引っ張ってきて自分も
“TVで見た”という自分の体験を下に話を組み立てる方を選択する。
「TV見たから識ってる」とおっしゃるか。
果たして、「TVの一画面」だけ見ただけで「一国」を理解できるものだろうか?
「アメリカ人はとにかく“Freedom !”じゃないですか。」という素晴らしい決め付けかた。
氏の頭の中には「歴史のない文明国」であるアメリカ人はどいつもこいつも単細胞だという「フレーム」があるとしか思えない。
きっとTVを見る前になにやら「ゆがんだフレーム」があって落としどころは決めてあるのではないか?
我々日本人が「日本人はとにかく~だ」という決め付けに反発することが多々あるのは皆様ご存知の通り。
ニンジャとゲイシャがフジヤマの裾野で特殊性技にハゲんでいるですかね、とにかく日本人は。
これは愚樵氏本人の言葉では無いが、引用なさっている岡田英弘氏の(肯定引用している以上は、その説を支持していると取るのは正当)
合衆国籍を取ったばかりのもと外国人が壇の上に上がって、自分がアメリカ人になることを決断した理由を、なまりのある英語で語り、「私はアメリカ人になれて、いまはほんとうに幸せだ」と宣言すると、会場の群集が感動してわーっと歓呼して、「アメリカ万歳」を唱える、その瞬間だ。この現象は、アメリカ文明の本質を示す、重要な意味を含んでいる。
つまり、「アメリカ人」には、基本的に自分の意思でなるのであって、生まれついてのアメリカ人は、本来の意味での「アメリカ人」ではない。
も、ずいぶんと偏った話である。
大体、現在アメリカに移民してくる人間たちの多くのモチベーションは米国の経済的な豊かさにある。
「祝賀会」での熱狂は、例えばメキシコの人たちが「不法移民」で長く滞在していてその圧迫感から解放された喜びや、その他様々な国の人たちが「査証問題」から解放された喜び、「永住権」から「市民権」に移行することによる様々な便宜を考えた時に訪れる開放感など、かなり経済的に現実的な話が主である。
多くの場合、その熱狂は「手続きからの解放」に寄るところが多いのだ。
必ずしも「Freedomへの賛歌」や、「アメリカ人と呼ばれる人間になりたい」という理由だけがモチベーションなのではない。
そこには、アジア系の人間も数多くおり、けっして「アメリカ人といわれる集合体に自ら参加したい」という人たちだけでなく、(多くは経済的な有利さで)「不本意ながら」という人だってかなりの多数を占める。
そして、
>生まれついてのアメリカ人は、本来の意味での「アメリカ人」ではない。
ならば、「欧米」とひと括りにして、「一神教」がどうのこうのと論じている愚樵氏の論と矛盾するではないか。
「本来の意味でのアメリカ人たる」移民のメキシコ人は圧倒的にカソリックが多いわけだし(米国主流のプロテスタントとは多くの部分で意見の一致を見ない)、多くのアジア人移民はキリスト教徒ではない。(韓国人はキリスト教徒が確かに多いが)
恐らく、「本来の意味でのアメリカ人でない人間がアメリカをドライブしている」とでも言い出すのであろうが。
韓国人の友人が私と各国の宗教について話している時に言った。
「俺は両親がカソリックだったから、選択の余地無くカソリックになった。 I was born as a Catholic.」
「違う」、と、私は言った。
「お前は真っ白な一人間として生まれた。もし本当に選択の余地が無かったと言うならば、お前はカソリックというフレームをはめられたのだ。それが幸せなことなのか不幸せなことなのかは俺にはわからないが」
相手の言うことをわかろうとする分別を持つ私の友人は、私の無礼な発言に同意を返してくれた。
「ゆがんだフレーム」よりは、全エントリであらいさんが下さったコメントでおっしゃる「近似」にすぎなくても「できるだけ証拠があり、論理的整合性があり、蓋然性が高い知識によるフレーム」の方がよっぽどましではないのか?
#もし、愚樵氏が自分と「新聞記者G」は似てもにつかないとおっしゃるなら、納得のいく論拠を示していただけたら、喜んでお詫びでも撤回でもしよう。
恐らく正面からは言ってこないでしょうが、いつものように。
#人に「自省せい」と言っておいて、その反論に対してなにも言及してこないことなどから、「正面からは言ってこない」と類推しております。
「墜落」、そして「奇跡の着水」のニュースを聞いたG新聞記者(仮名)は、墜落の原因が機長が知らせたという「バードストライク」の可能性も含めた「なにかしらの機械的な原因」であろうという第一感を抱き、また機長の冷静沈着な対応に感銘を受けた。
G記者は自分を「優秀な」記者であると考えていたが、たまたま読んでいた「知的フレームを壊せ!」というブログエントリの中に、
「優秀な」記者ほど取材する前にすでにもう記事の概略が頭の中にできあがっている。あとは、その概略に適応する事実をピックアップするだけ。
そして、前もってできあがっている概略こそが、「知的フレーム」です。
という一文があったのを思い出し、自分の持つ「知的フレーム」が自分の「第一感」を「概略に適応する事実(と思われているもの)をピックアップ」しているのに過ぎないのではないかと気がついた。
そしてまた、
「ゲーデルの不確定性原理」ではないけれども、自己完結した完璧なフレームなどありえない。むしろ、そうしたフレームを追い求めることは、「優秀」な記者になるようなもので、決してものごとの”あるがまま”を見ることは出来ない。私が欲するのは、「知的フレーム」を探求することか、それとも“あるがまま”を観ることか?
もちろん、後者です。いくら立派な「知的フレーム」ができあがっても、それは〔識ったつもり〕になるだけのこと。分からない他者に近づくことは出来ません。ならば「知的フレーム」などブチ壊せ! きっとその後になにか見えてくるはず...。
引用者注:「ゲーデルの不確定性原理」は、原文ママ
の一文をも思い出し、自分が飛行機のメカニズム、エレクトロニクス、航空力学等々必要とされる「知識」についていわゆる「常識的な理解」を持つ程度で、「識って」いるわけではないのだから、その程度の「知的フレーム」に束縛されるのでは愚かであることに気がついた。
そして、これから墜落理由の究明が行われる際に、次のようなことを無視して「科学的究明」なる一見「真実を求める」ように見える行為のみで「究明」がされるならば極めて「アンフェア」なのではないかと考えた。
即ち、
墜落原因:
1.キリスト教の神の神罰(各種宗派でびみょ~に違いそうだが、全てが対象とならねばならぬ)
2.イスラム教の神の神罰(各種宗派でびみょ~に違いそうだが、全てが対象とならねばならぬ)
3.仏罰((各種宗派でびみょ~に違いそうだが、全てが対象とならねばならぬ))
4.因果応報(全乗務員、乗客について個々に調査されねばならぬ)
5.キリがないからまとめるけど、各種悪魔等々の悪のフォースのぱわー
6.なんかの呪い
7.風水
8.方角
9.水にありがとうを言い忘れた。
10.江本を批判する奴がいたから、天が怒った。
11.ユダヤの陰謀
12.「ルルドと麻原の残り湯が等価である」と言った奴に対するみせしめ。
以下、ほぼ無限に続く。
そして、
奇跡の着水の理由:
1.機長が敬虔ななにやらの信徒であった。
2.乗客の祈りが各種「超越者」に届いた。
3.「アメリカの正義」を神が立証してくれた。
4.風水がなにやら正しかった。
5.方角がなにやら正しかった。
6.乗客の中に水にありがとうを言った奴がいた。
7.乗客の中に江本信者がいた。
8.ブッシュ退任記念に「原理主義者」たちの祈りが届いた。
9.「オーラのかたち!」だった。
10.キリがないからおしまい。
以下、ほぼ無限に続く。
というわけで、G記者は正しい認識の仕方にたどりつくわけですが、彼が記事を書くときにはその中から「お気に入り」をピックアップして書くことになります。
ほとんど「藁人形」だと言われそうですが、驚くなかれ、ほんと~にG記者に近い考え方をする方が存在するのです。
愚樵氏が言う「知的フレーム」はブクマでfelis_azuriさんが指摘していらっしゃる「予断」に過ぎない。
一方、氏がおっしゃる「壊せ」とは「証拠にもとずいた言説や「蓋然性が圧倒的に高いものであろうとも、それに単純に与みせず好みの説、理由を恣意的に選べばよろしい」ということであるとしか思えない。
色いろと例はあるのだけれでも、今回は氏の「米国人観」について見てみよう。
愚樵空論「日本教」エントリコメント欄より
アメリカ人は、とにかく“Freedom !”じゃないですか。9.11のときも、報道で見る限りですが、多くのアメリカ人が“Freedom !”と叫んでいたように思います。これ、どう考えても〈確固たるもの〉でなければ出てきませんよね。自分を確かだと確信しているから自由と叫べるんです。自分に不安があれば、自由よりまず所属でしょう?
これに対し、私が
このシーンを「苦々しく見ていたアメリカ人も多くいた」ぐらいのことを考えるぐらいの「想像力」さえないのですか。
テレビに映っていた「アメリカ人」が愚樵さんにとっての「アメリカ人」の全てで、そのぐらいのサンプリングで全体を判断するならば、
中曽根の「知的レベル」発言や、
渡辺の「アメリカの黒人は金が返せなくなったら破産してアッケラカのカー」発言
と、なんら変わるところはない。
後に、少々誤解を招いたので、以下のように訂正しました。(愚樵氏が、私が氏が差別的な考え方を持っていると指摘していると取った。私の真意は、大雑把さに於いて変わりがないということ)
・中曽根の「知的レベル」発言や、
渡辺の「アメリカの黒人は金が返せなくなったら破産してアッケラカのカー」発言
と、「質的に」(すなわち、「一部を見て全体を評価するような発言」)なんら変わるところはない。
それに対し、愚樵氏はこう言う。
そうした認識はたとえば、こういった記述
「アメリカが歴史のない文明であることは、7月4日の独立記念日の祝賀行事のテレビ中継を見ればすぐにわかる。この日には、全米各地のおもなところの祝賀会の実況中継がある。祝賀行事がいちばん盛り上がる瞬間は、合衆国籍を取ったばかりのもと外国人が壇の上に上がって、自分がアメリカ人になることを決断した理由を、なまりのある英語で語り、「私はアメリカ人になれて、いまはほんとうに幸せだ」と宣言すると、会場の群集が感動してわーっと歓呼して、「アメリカ万歳」を唱える、その瞬間だ。この現象は、アメリカ文明の本質を示す、重要な意味を含んでいる。
つまり、「アメリカ人」には、基本的に自分の意思でなるのであって、生まれついてのアメリカ人は、本来の意味での「アメリカ人」ではない。こういう国は、アメリカ合衆国のほかに世界のどこにもない。・・・」(岡田英弘著『歴史とはなにか』より)
から得たりするわけですが、私はこうしたものを「私の言葉」として使うのは、あまり好きではないというか、自分のスタイルではないと思っているのです(内山節氏は別。my favoriteだから)。だから“TVで見た”という自分の体験を下に話を組み立てる方を選択する。それだけのことで、それしか選択肢がないというわけではない。そういうことを想像していただきたいものです。
と、おっしゃる。
「TV中継を見ればすぐにわかる」などというそもそも根拠薄弱な文章を引っ張ってきて自分も
“TVで見た”という自分の体験を下に話を組み立てる方を選択する。
「TV見たから識ってる」とおっしゃるか。
果たして、「TVの一画面」だけ見ただけで「一国」を理解できるものだろうか?
「アメリカ人はとにかく“Freedom !”じゃないですか。」という素晴らしい決め付けかた。
氏の頭の中には「歴史のない文明国」であるアメリカ人はどいつもこいつも単細胞だという「フレーム」があるとしか思えない。
きっとTVを見る前になにやら「ゆがんだフレーム」があって落としどころは決めてあるのではないか?
我々日本人が「日本人はとにかく~だ」という決め付けに反発することが多々あるのは皆様ご存知の通り。
ニンジャとゲイシャがフジヤマの裾野で特殊性技にハゲんでいるですかね、とにかく日本人は。
これは愚樵氏本人の言葉では無いが、引用なさっている岡田英弘氏の(肯定引用している以上は、その説を支持していると取るのは正当)
合衆国籍を取ったばかりのもと外国人が壇の上に上がって、自分がアメリカ人になることを決断した理由を、なまりのある英語で語り、「私はアメリカ人になれて、いまはほんとうに幸せだ」と宣言すると、会場の群集が感動してわーっと歓呼して、「アメリカ万歳」を唱える、その瞬間だ。この現象は、アメリカ文明の本質を示す、重要な意味を含んでいる。
つまり、「アメリカ人」には、基本的に自分の意思でなるのであって、生まれついてのアメリカ人は、本来の意味での「アメリカ人」ではない。
も、ずいぶんと偏った話である。
大体、現在アメリカに移民してくる人間たちの多くのモチベーションは米国の経済的な豊かさにある。
「祝賀会」での熱狂は、例えばメキシコの人たちが「不法移民」で長く滞在していてその圧迫感から解放された喜びや、その他様々な国の人たちが「査証問題」から解放された喜び、「永住権」から「市民権」に移行することによる様々な便宜を考えた時に訪れる開放感など、かなり経済的に現実的な話が主である。
多くの場合、その熱狂は「手続きからの解放」に寄るところが多いのだ。
必ずしも「Freedomへの賛歌」や、「アメリカ人と呼ばれる人間になりたい」という理由だけがモチベーションなのではない。
そこには、アジア系の人間も数多くおり、けっして「アメリカ人といわれる集合体に自ら参加したい」という人たちだけでなく、(多くは経済的な有利さで)「不本意ながら」という人だってかなりの多数を占める。
そして、
>生まれついてのアメリカ人は、本来の意味での「アメリカ人」ではない。
ならば、「欧米」とひと括りにして、「一神教」がどうのこうのと論じている愚樵氏の論と矛盾するではないか。
「本来の意味でのアメリカ人たる」移民のメキシコ人は圧倒的にカソリックが多いわけだし(米国主流のプロテスタントとは多くの部分で意見の一致を見ない)、多くのアジア人移民はキリスト教徒ではない。(韓国人はキリスト教徒が確かに多いが)
恐らく、「本来の意味でのアメリカ人でない人間がアメリカをドライブしている」とでも言い出すのであろうが。
韓国人の友人が私と各国の宗教について話している時に言った。
「俺は両親がカソリックだったから、選択の余地無くカソリックになった。 I was born as a Catholic.」
「違う」、と、私は言った。
「お前は真っ白な一人間として生まれた。もし本当に選択の余地が無かったと言うならば、お前はカソリックというフレームをはめられたのだ。それが幸せなことなのか不幸せなことなのかは俺にはわからないが」
相手の言うことをわかろうとする分別を持つ私の友人は、私の無礼な発言に同意を返してくれた。
「ゆがんだフレーム」よりは、全エントリであらいさんが下さったコメントでおっしゃる「近似」にすぎなくても「できるだけ証拠があり、論理的整合性があり、蓋然性が高い知識によるフレーム」の方がよっぽどましではないのか?
#もし、愚樵氏が自分と「新聞記者G」は似てもにつかないとおっしゃるなら、納得のいく論拠を示していただけたら、喜んでお詫びでも撤回でもしよう。
恐らく正面からは言ってこないでしょうが、いつものように。
#人に「自省せい」と言っておいて、その反論に対してなにも言及してこないことなどから、「正面からは言ってこない」と類推しております。
<<びんちょうたんコム | ホーム | 再度言うけど、「ルルドと麻原の残り湯は等価です」>>
Comments
ハドソン川の奇跡
知的深度
わたくし「日本人は」「アメリカ人は」という言葉を使うことに一瞬であったとしても躊躇するかしないかを論者の知的深度を判断するための一助としておりますです。
ゆがんで小さいフレーム
リンクしてある、『知的フレームを壊せ!』のかたは、
自分は「あるがまま」を見るなんて、書いているけれど、
実際は「あるがまま」なんて、見ていないのでは?と思います。
そのかたが書いた、『オバマの演説には失望した』という
エントリを見て、わたしは、そう思ったんだけど。
http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-205.html
オバマ大統領就任演説の2節目だけど...
http://mainichi.jp/select/world/obama/speech/news/20090121k0000m030176000c.html
|我々のために、彼らは、ないに等しい荷物をまとめ、
|海を渡って新しい生活を探した人々だ。
|我々のために、彼らは額に汗して働き、西部に住み着き、
|鞭(むち)打ちに耐え、硬い土地を耕してきた人々だ。
2節目はずっと、政治改革のことが続きますから、
先人たちは、大胆で抜本的な変革でも、いとわずに果敢に挑戦して、
未来を切り開いたことを、言っているのだと思います。
1節目の最後の「不朽の精神」は、このことなのでしょう。
http://mainichi.jp/select/world/obama/speech/news/20090121k0000m030175000c.html
オバマ大統領は、「チェンジ」を標榜していますから、
自分がやろうとする改革は、生活ががらりと変わるに匹敵する
大変革になることを、示唆しているのでしょう。
そうした改革に、怖れをなす国民が少なからずいるので、
先人たちは、「恐れでなく希望」を持って、改革にいどんだことをしめして、
国民を励まそうというのだと思います。
(なんてわかりきったことを、わたしは、しゃべってるんだろう...)
ところが、「演説に失望した」などと書いているかたは、
西部開拓のお話が、引き合いに出て来たからなのか、
先住民族の生活を蹂躙し、彼らの生活様式を破壊したことを、
肯定せんとしていると、「解釈」しているようです。
引用している、トクヴィルの最後にも、黒人が奴隷となって、
アイデンティティを失なったことが、出て来ます。
アメリカの「不朽の精神」とか、「建国の精神」とは、
自分たちのカチカンを、異文化におしつけることだなどと、
「演説に失望した」かたは、考えているみたいです。
もしかすると、さきの「演説に失望した」かたは、
アメリカ合衆国とは、グローバル化と称して、
自分たちの考えやカチカンを、外国人や他文化におしつける連中だ、
という、ごく一面的なイメージしかないのかもしれないです。
(ついでながら、「9条を守れ~」とか、「格差はんた~い」のかたに、
ありがちな、紋切り型なイメージだと思います。(苦笑))
ちょちょんまげさまには、言うまでもないことだけど、
現実のアメリカ合衆国は、建国以来、たくさんの移民を
受け入れていますし、領土内で産まれるだけで、
親の国籍に無関係に、国籍が取れる国でもあります。
アメリカ合衆国は、さまざまな人たちに対して開かれている、
共存の社会という側面もあるわけです。
「演説に失望」のかたは、ほかの側面があるのをぜんぜん見ないで、
自分が認知しているイメージだけで、読んでいるのかもしれないです。
アメリカに対して、「あるがまま」を見ていないどころか、
「ゆがんで小さいフレーム」で見ているのでしょう...
それで大統領演説の主旨を、変に曲解までするんじゃないかな...?
自分は「あるがまま」を見るなんて、書いているけれど、
実際は「あるがまま」なんて、見ていないのでは?と思います。
そのかたが書いた、『オバマの演説には失望した』という
エントリを見て、わたしは、そう思ったんだけど。
http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-205.html
オバマ大統領就任演説の2節目だけど...
http://mainichi.jp/select/world/obama/speech/news/20090121k0000m030176000c.html
|我々のために、彼らは、ないに等しい荷物をまとめ、
|海を渡って新しい生活を探した人々だ。
|我々のために、彼らは額に汗して働き、西部に住み着き、
|鞭(むち)打ちに耐え、硬い土地を耕してきた人々だ。
2節目はずっと、政治改革のことが続きますから、
先人たちは、大胆で抜本的な変革でも、いとわずに果敢に挑戦して、
未来を切り開いたことを、言っているのだと思います。
1節目の最後の「不朽の精神」は、このことなのでしょう。
http://mainichi.jp/select/world/obama/speech/news/20090121k0000m030175000c.html
オバマ大統領は、「チェンジ」を標榜していますから、
自分がやろうとする改革は、生活ががらりと変わるに匹敵する
大変革になることを、示唆しているのでしょう。
そうした改革に、怖れをなす国民が少なからずいるので、
先人たちは、「恐れでなく希望」を持って、改革にいどんだことをしめして、
国民を励まそうというのだと思います。
(なんてわかりきったことを、わたしは、しゃべってるんだろう...)
ところが、「演説に失望した」などと書いているかたは、
西部開拓のお話が、引き合いに出て来たからなのか、
先住民族の生活を蹂躙し、彼らの生活様式を破壊したことを、
肯定せんとしていると、「解釈」しているようです。
引用している、トクヴィルの最後にも、黒人が奴隷となって、
アイデンティティを失なったことが、出て来ます。
アメリカの「不朽の精神」とか、「建国の精神」とは、
自分たちのカチカンを、異文化におしつけることだなどと、
「演説に失望した」かたは、考えているみたいです。
もしかすると、さきの「演説に失望した」かたは、
アメリカ合衆国とは、グローバル化と称して、
自分たちの考えやカチカンを、外国人や他文化におしつける連中だ、
という、ごく一面的なイメージしかないのかもしれないです。
(ついでながら、「9条を守れ~」とか、「格差はんた~い」のかたに、
ありがちな、紋切り型なイメージだと思います。(苦笑))
ちょちょんまげさまには、言うまでもないことだけど、
現実のアメリカ合衆国は、建国以来、たくさんの移民を
受け入れていますし、領土内で産まれるだけで、
親の国籍に無関係に、国籍が取れる国でもあります。
アメリカ合衆国は、さまざまな人たちに対して開かれている、
共存の社会という側面もあるわけです。
「演説に失望」のかたは、ほかの側面があるのをぜんぜん見ないで、
自分が認知しているイメージだけで、読んでいるのかもしれないです。
アメリカに対して、「あるがまま」を見ていないどころか、
「ゆがんで小さいフレーム」で見ているのでしょう...
それで大統領演説の主旨を、変に曲解までするんじゃないかな...?
「奇跡」というよりは
着水を試みることができる水面が近くに存在したこと、救助に向かうことのできる社会資源が豊富な都会だったこと、もちろん沈着冷静にして技術にたけた機長であったことも、「運が良かった」と言えるとおもいます。
個人的には、あの機長のクールな態度を崩さないところが良いなあと思っていますが。
個人的には、あの機長のクールな態度を崩さないところが良いなあと思っていますが。
kakinokiさん
いらっしゃいませ、コメントありがとうございます。
人は自分の持っているフレームからしか物事を見られないわけですけれども、「ゆがんでいるのではないか」と常に自問することは重要なことだと思うのです。
で、「アメリカの食べ物は不味い」は撤回の上「アメリカの食べ物は私の口に合うものが少ない」にお詫びのうえ訂正いたします。
でも、ぴーまんはわたくしが現在のそふぃすてぃけーとされた味覚に達する過程で『切り落とした「もの」』の一つであり、じぇんじぇん切り落としたまんまで惜しくありません。
人は自分の持っているフレームからしか物事を見られないわけですけれども、「ゆがんでいるのではないか」と常に自問することは重要なことだと思うのです。
で、「アメリカの食べ物は不味い」は撤回の上「アメリカの食べ物は私の口に合うものが少ない」にお詫びのうえ訂正いたします。
でも、ぴーまんはわたくしが現在のそふぃすてぃけーとされた味覚に達する過程で『切り落とした「もの」』の一つであり、じぇんじぇん切り落としたまんまで惜しくありません。
SIVAさん
コメントありがとうございます。
>日本人は」「アメリカ人は」という言葉を使うことに一瞬であったとしても躊躇するかしないかを
酒席などでは、しばしば私も「~人」に限らず「あいつ」とかによく決め付けの人物評、人種評などをするものであります。
その時は自分の「気づき(by 愚樵氏)」に酔っているようです。
あとで考えると、赤面するケースが多いです。
公開の場で「躊躇なく」「~人はこうだ」と自信たっぷりに断言できる感覚はどうにも理解しがたいです。
そんなわけで、「中曽根」や「渡辺」と対比したわけです。
「山本七平」を有難がっているのもむべなるかな、です。
>日本人は」「アメリカ人は」という言葉を使うことに一瞬であったとしても躊躇するかしないかを
酒席などでは、しばしば私も「~人」に限らず「あいつ」とかによく決め付けの人物評、人種評などをするものであります。
その時は自分の「気づき(by 愚樵氏)」に酔っているようです。
あとで考えると、赤面するケースが多いです。
公開の場で「躊躇なく」「~人はこうだ」と自信たっぷりに断言できる感覚はどうにも理解しがたいです。
そんなわけで、「中曽根」や「渡辺」と対比したわけです。
「山本七平」を有難がっているのもむべなるかな、です。
たんぽぽさん
コメントありがとうございます。
私の言いたいことはすべてたんぽぽさんがおっしゃってくれているようです。
合衆国という国の性格として、
>アメリカ合衆国とは、グローバル化と称して、
自分たちの考えやカチカンを、外国人や他文化におしつける連中
という一面は確かに世界的に「イメージ」として広がっており、いわゆる「合衆国エスタブリッシュメント」がチョムスキーなども指摘しているように、こういう性格を持つことは間違いの無いところかも知れませんし、民衆にもそういう連中がいることを私も否定するつもりはありません。
しかし、
>現実のアメリカ合衆国は、建国以来、たくさんの移民を
受け入れていますし、領土内で産まれるだけで、
親の国籍に無関係に、国籍が取れる国でもあります。
アメリカ合衆国は、さまざまな人たちに対して開かれている、
共存の社会という側面もあるわけです。
も大いに事実であり、独特の「懐の深い文化」は、それはそれとして存在するわけです。
愚樵氏がそれをわかっていないとは思わないのですが、「就任演説」という性格や、国内外の大問題を抱える新大統領として、国内から大きな反発が予想されるような内容の演説はし難いというところもあるでしょうから、彼の不満は無いものネダリに近いように思いました。
>「演説に失望」のかたは、ほかの側面があるのをぜんぜん見ないで、
自分が認知しているイメージだけで、読んでいるのかもしれないです。
アメリカに対して、「あるがまま」を見ていないどころか、
「ゆがんで小さいフレーム」で見ているのでしょう...
それで大統領演説の主旨を、変に曲解までするんじゃないかな...?
結局、「知的フレームを壊せ!」と言っていながら、御自分の「ゆがんで小さいフレーム」で見える世界に酔っていらっしゃるのではないでしょうかね。
私の言いたいことはすべてたんぽぽさんがおっしゃってくれているようです。
合衆国という国の性格として、
>アメリカ合衆国とは、グローバル化と称して、
自分たちの考えやカチカンを、外国人や他文化におしつける連中
という一面は確かに世界的に「イメージ」として広がっており、いわゆる「合衆国エスタブリッシュメント」がチョムスキーなども指摘しているように、こういう性格を持つことは間違いの無いところかも知れませんし、民衆にもそういう連中がいることを私も否定するつもりはありません。
しかし、
>現実のアメリカ合衆国は、建国以来、たくさんの移民を
受け入れていますし、領土内で産まれるだけで、
親の国籍に無関係に、国籍が取れる国でもあります。
アメリカ合衆国は、さまざまな人たちに対して開かれている、
共存の社会という側面もあるわけです。
も大いに事実であり、独特の「懐の深い文化」は、それはそれとして存在するわけです。
愚樵氏がそれをわかっていないとは思わないのですが、「就任演説」という性格や、国内外の大問題を抱える新大統領として、国内から大きな反発が予想されるような内容の演説はし難いというところもあるでしょうから、彼の不満は無いものネダリに近いように思いました。
>「演説に失望」のかたは、ほかの側面があるのをぜんぜん見ないで、
自分が認知しているイメージだけで、読んでいるのかもしれないです。
アメリカに対して、「あるがまま」を見ていないどころか、
「ゆがんで小さいフレーム」で見ているのでしょう...
それで大統領演説の主旨を、変に曲解までするんじゃないかな...?
結局、「知的フレームを壊せ!」と言っていながら、御自分の「ゆがんで小さいフレーム」で見える世界に酔っていらっしゃるのではないでしょうかね。
Re: たんぽぽさん
>私の言いたいことはすべてたんぽぽさんがおっしゃってくれているようです。
どうもありがとうございます。
お誉めにあずかり恐縮です。
(事前に、コメント内容を練っていたので、よかったのかも。)
愚樵氏のような、政治スタンスの人たちの、「アメリカ観」が
どういうものなのか、偏りかたもふくめて、ちょっとわかってきました。
>結局、「知的フレームを壊せ!」と言っていながら、
>御自分の「ゆがんで小さいフレーム」で見える世界に
>酔っていらっしゃるのではないでしょうかね。
よくあることですね。(苦笑)
既存の見解にとらわれない斬新な切り口で、独自の視点をしめしたつもりで、
じつは、ひどく偏った認識だったりするってね...
(だから、だれも言わないことなんだけど...)
「Think positive」とか、アメリカのことを、
たいして知らなくても、オバマ演説の内容を理解するだけなら、
どうってことないと思うんだけど...
あきらかに、おかしな読解をしていると思うのに、
コメント欄にいらっしゃる「お仲間」たちが、
だれも指摘しないのも、すごいかもしれないです。
愚樵氏のアメリカ観は、「お仲間」たちにとっても、
耳障りがいいので、そのままあたまの中に入ってしまうのかな?
これが彼らの、いわゆる「共感」なんでしょうけれど...
どうもありがとうございます。
お誉めにあずかり恐縮です。
(事前に、コメント内容を練っていたので、よかったのかも。)
愚樵氏のような、政治スタンスの人たちの、「アメリカ観」が
どういうものなのか、偏りかたもふくめて、ちょっとわかってきました。
>結局、「知的フレームを壊せ!」と言っていながら、
>御自分の「ゆがんで小さいフレーム」で見える世界に
>酔っていらっしゃるのではないでしょうかね。
よくあることですね。(苦笑)
既存の見解にとらわれない斬新な切り口で、独自の視点をしめしたつもりで、
じつは、ひどく偏った認識だったりするってね...
(だから、だれも言わないことなんだけど...)
「Think positive」とか、アメリカのことを、
たいして知らなくても、オバマ演説の内容を理解するだけなら、
どうってことないと思うんだけど...
あきらかに、おかしな読解をしていると思うのに、
コメント欄にいらっしゃる「お仲間」たちが、
だれも指摘しないのも、すごいかもしれないです。
愚樵氏のアメリカ観は、「お仲間」たちにとっても、
耳障りがいいので、そのままあたまの中に入ってしまうのかな?
これが彼らの、いわゆる「共感」なんでしょうけれど...
ごぶさたしてます。
ちょちょんまげさん
ごぶさたしております。
トラックバックを送ろうとしたのですが、通らないのでコメントにて失礼。
愚樵氏とアキラ氏を卑怯者と公言するエントリーを挙げたのでお知らせします。
「投げかけられた問いかけは、いまも、そこにありつづける。」
http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51469037.html
最近、私は昨年起こった「騒動」の本質は、はじめから「いじめ」だったと考えるようになりました。その界隈で顔の効く人物が「気にくわない」と認定した相手を取り囲んで「おまえ、態度悪いんだよ」「嫌われているのまだ、気づかないの?」と侮辱する。
そして「騒動」がエスカレートしたのは、その人物が、どんなにいじめても泣かなかったので、いじめる側がパニックを起こしたということでした。そして、彼等の「いじめメソッド」が通用しなかったことが「いじめをやめる」という方向には向かわず、ついには「侮辱のみ」を目的としたブログの乱立、という醜悪な事態を呼び込むことになります。
「気にくわない相手を取り囲んで侮辱する」とは。
たとえば、
http://ameblo.jp/dox/entry-10111610284.html#cbox
で繰り広げられたようなことです。
まともな根拠もなく「ビョーキの人」呼ばわりされた人物が、釈明を求めて現れたのを、集団で侮辱する。そこで使われている「人格攻撃」の言葉の醜悪さに、私は言葉を失います。
今回愚樵氏のブログで行われていることは、まったく、その再現にほかなりません。
http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-217.html#comment-top
論旨不鮮明でいかようにも解釈できる言葉を投げかけ、その返事に対して、「中学生程度の読解力」がない「出来の悪い生徒」というような言葉で侮辱する。それにかぶせてギャラリーが「そうだ、そうだ」とはやし立てる。
こんな風景を見るのは、もうたくさんです。
その一方で、愚樵氏は、相手から投げられた、たった2点の問いかけに対して「その質問自体が存在した」ことすらを無視しつづけている。
なんという卑怯な人物でしょうか?
なんという卑怯な人々でしょうか?
(文章はほとんど同じで、意味もほとんど一緒です)
ごぶさたしております。
トラックバックを送ろうとしたのですが、通らないのでコメントにて失礼。
愚樵氏とアキラ氏を卑怯者と公言するエントリーを挙げたのでお知らせします。
「投げかけられた問いかけは、いまも、そこにありつづける。」
http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51469037.html
最近、私は昨年起こった「騒動」の本質は、はじめから「いじめ」だったと考えるようになりました。その界隈で顔の効く人物が「気にくわない」と認定した相手を取り囲んで「おまえ、態度悪いんだよ」「嫌われているのまだ、気づかないの?」と侮辱する。
そして「騒動」がエスカレートしたのは、その人物が、どんなにいじめても泣かなかったので、いじめる側がパニックを起こしたということでした。そして、彼等の「いじめメソッド」が通用しなかったことが「いじめをやめる」という方向には向かわず、ついには「侮辱のみ」を目的としたブログの乱立、という醜悪な事態を呼び込むことになります。
「気にくわない相手を取り囲んで侮辱する」とは。
たとえば、
http://ameblo.jp/dox/entry-10111610284.html#cbox
で繰り広げられたようなことです。
まともな根拠もなく「ビョーキの人」呼ばわりされた人物が、釈明を求めて現れたのを、集団で侮辱する。そこで使われている「人格攻撃」の言葉の醜悪さに、私は言葉を失います。
今回愚樵氏のブログで行われていることは、まったく、その再現にほかなりません。
http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-217.html#comment-top
論旨不鮮明でいかようにも解釈できる言葉を投げかけ、その返事に対して、「中学生程度の読解力」がない「出来の悪い生徒」というような言葉で侮辱する。それにかぶせてギャラリーが「そうだ、そうだ」とはやし立てる。
こんな風景を見るのは、もうたくさんです。
その一方で、愚樵氏は、相手から投げられた、たった2点の問いかけに対して「その質問自体が存在した」ことすらを無視しつづけている。
なんという卑怯な人物でしょうか?
なんという卑怯な人々でしょうか?
(文章はほとんど同じで、意味もほとんど一緒です)
ja e w ckさん
ご無沙汰しております。
コメントとトラバありがとうございました。
愚樵氏には私からエントリを挙げるつもりでいたのですが、彼のエントリのペースが速く、それがまたイチイチ私の気に障るので、突っ込み所が拡散してしまって困っていたところに、今回の氏のコメント欄での話しになってしまいました。
つくづくタイミングが悪かったです。
とりあえず、がんばってエントリを一本挙げますので、よろしく。
コメントとトラバありがとうございました。
愚樵氏には私からエントリを挙げるつもりでいたのですが、彼のエントリのペースが速く、それがまたイチイチ私の気に障るので、突っ込み所が拡散してしまって困っていたところに、今回の氏のコメント欄での話しになってしまいました。
つくづくタイミングが悪かったです。
とりあえず、がんばってエントリを一本挙げますので、よろしく。
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
Comment Form
Trackback
オバマ大統領就任演説
もうずいぶん前ですが、日本時間で1月21日(現地時間で20日)、 アメリカ合衆国大統領、バラク・オバマ氏の就任演説がありました。 毎日新聞が、演説を日本語に訳したものを、載せています。 「(1)恐れでなく希望を選んだ」 「(2)立ち上がり、再建しよう」 「(3)...
| HOME |
機長さんならびに乗組員&乗客&周辺のフェリー等々、GJ!
>「アメリカ人はとにかく“Freedom !”じゃないですか。」
“ありのまま”のアメリカ人を識るためには邪魔なフレームですね。 このフレームを組み上げるために 『切り落とした「もの」』 にぜひ近づいて欲しいものですが、とりあえず私は、アメリカの食べ物は不味い、という世の誤ったイメージと戦います!
ま、ピーマンが食べられない味覚三歳児にはわからないだろうと思いますが..