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ネット言論規制を誘発する愚かな行為
Dox様、はじめまして。
ちょちょんまげと申します。
お記事を拝読して、基本的に共有する危機感は私も同じなのですが、少々違和感を持ちましたのでコメントさせていただきます。
>かつて自由と人権を重視した人たちは、「冗談で権力者に対して死ねなどと悪口を言っても、逮捕される時代」を恐れて「凶暴罪」に反対したものだが、
こちらで言われている「冗談」は権力側に向いています。
しかし、引用なさった新聞記事はともに市民→市民の方向を向いた「冗談」です(「爆笑問題」の太田さんは有名人かもしれませんが、権力者とは言えないでしょう)
私が憂慮するのは、こういう行為が「自分で自分の首をしめる」結果になっていることです。
今回のDox様のお記事はブログを通じて権力によるネット言論規制の動きに対して警鐘を鳴らされていることと、「市民どうしのチクリ合い」への批判であると読みました。
しかし、市民→市民への提言としては、それ以前にもう一段階あると思うのです。
それは市民に対して「自らの首を締める」ような行為を市民がいましめること、です。
Dox様のお記事及び、コメントでは「小女子」氏を擁護しているように私は感じたのですが(誤読でしたらご指摘ください)、私は「逮捕」そのものには極めて不快、かつ、危険なものとは思いますが、「小女子」氏の行為はやはり極めて愚かだったと考えます。
ネットで予告して実際に犯罪を行った例は残念ながらあるわけです。
そして、「小女子」を焼き殺すと名指しで書かれた学校当局が緊張するのは当たり前であり(学校からの通報だったのかどうかは知りませんが)、緊張しなければ無責任、と、さえ言えると思います。
また「小女子」を「こうなご」と読める人は、現代においてマジョリティだとは思えませんし、ご紹介のリンクを読んでいる人が(日本人全体からすれば)多数だとも思えません。
推測にすぎませんが、「小女子」氏は恐らくDox様ご指摘の通りアイデアをパクってきて、スリルを楽しみたかったのか、「残念でした。こうなごでーす」と言いたかったのか、のようなレベルであったのではないかと思います。
残念なのは、そのようなレベルの行為のせいで「ネット言論」の自由度が狭められ、かつ包囲網を広げるための口実にされていることが明らかだということです。
私の知る限り、「言論の自由の規制」はほとんどの場合、Dox様のおっしゃる「良識人」が支持する例を口実として始まっていると思います。(性表現に対する規制もそのうちでしょう)
言いたいことは、「良識人が支持したくなるような言論規制を誘発しうる、市民→市民のベクトルの、低レベルな言説は慎むべきだ」ということは、「市民⇔市民」の間で常に確認されるべきことではないか、ということです。
「小女子」のような「受け狙い」の愚かな行為はやはり市民から批判されるべきで(私の言っている文脈でです。念のため)、おそらくは、今回のような行為を賞賛あるいは、認めるような言説があるから、「受けたい」連中が後を絶たない、ということもあるのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、規制を誘発することだけで終わる以外になんの意味もない権力に対する挑発的な行為に一体なんの意味があるというのでしょう。
その行為が権力サイドに向かった言説ならともかく、市民に対する殺害予告や、「ひっかけ狙い」の挑発行為のせいでネットの自由度が下がる、などということは、私はごめんこうむります。
相手は、プロです。
様々な手練手管を使って言論統制をしてくることは、歴史が証明していると考えます。
「自ら檻に入る国民性」は私に言わせれば、市民側の意識、知識、認識の低さが結果的に招くものだと考えます。(最終的には保身のために自ら檻に入るのではないでしょうか)
当初はDox様のブログにコメントしようと考えていたのですが、長くなってしまって失礼かと思いましたので、こちらでエントリーにいたしました。
ちょちょんまげと申します。
お記事を拝読して、基本的に共有する危機感は私も同じなのですが、少々違和感を持ちましたのでコメントさせていただきます。
>かつて自由と人権を重視した人たちは、「冗談で権力者に対して死ねなどと悪口を言っても、逮捕される時代」を恐れて「凶暴罪」に反対したものだが、
こちらで言われている「冗談」は権力側に向いています。
しかし、引用なさった新聞記事はともに市民→市民の方向を向いた「冗談」です(「爆笑問題」の太田さんは有名人かもしれませんが、権力者とは言えないでしょう)
私が憂慮するのは、こういう行為が「自分で自分の首をしめる」結果になっていることです。
今回のDox様のお記事はブログを通じて権力によるネット言論規制の動きに対して警鐘を鳴らされていることと、「市民どうしのチクリ合い」への批判であると読みました。
しかし、市民→市民への提言としては、それ以前にもう一段階あると思うのです。
それは市民に対して「自らの首を締める」ような行為を市民がいましめること、です。
Dox様のお記事及び、コメントでは「小女子」氏を擁護しているように私は感じたのですが(誤読でしたらご指摘ください)、私は「逮捕」そのものには極めて不快、かつ、危険なものとは思いますが、「小女子」氏の行為はやはり極めて愚かだったと考えます。
ネットで予告して実際に犯罪を行った例は残念ながらあるわけです。
そして、「小女子」を焼き殺すと名指しで書かれた学校当局が緊張するのは当たり前であり(学校からの通報だったのかどうかは知りませんが)、緊張しなければ無責任、と、さえ言えると思います。
また「小女子」を「こうなご」と読める人は、現代においてマジョリティだとは思えませんし、ご紹介のリンクを読んでいる人が(日本人全体からすれば)多数だとも思えません。
推測にすぎませんが、「小女子」氏は恐らくDox様ご指摘の通りアイデアをパクってきて、スリルを楽しみたかったのか、「残念でした。こうなごでーす」と言いたかったのか、のようなレベルであったのではないかと思います。
残念なのは、そのようなレベルの行為のせいで「ネット言論」の自由度が狭められ、かつ包囲網を広げるための口実にされていることが明らかだということです。
私の知る限り、「言論の自由の規制」はほとんどの場合、Dox様のおっしゃる「良識人」が支持する例を口実として始まっていると思います。(性表現に対する規制もそのうちでしょう)
言いたいことは、「良識人が支持したくなるような言論規制を誘発しうる、市民→市民のベクトルの、低レベルな言説は慎むべきだ」ということは、「市民⇔市民」の間で常に確認されるべきことではないか、ということです。
「小女子」のような「受け狙い」の愚かな行為はやはり市民から批判されるべきで(私の言っている文脈でです。念のため)、おそらくは、今回のような行為を賞賛あるいは、認めるような言説があるから、「受けたい」連中が後を絶たない、ということもあるのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、規制を誘発することだけで終わる以外になんの意味もない権力に対する挑発的な行為に一体なんの意味があるというのでしょう。
その行為が権力サイドに向かった言説ならともかく、市民に対する殺害予告や、「ひっかけ狙い」の挑発行為のせいでネットの自由度が下がる、などということは、私はごめんこうむります。
相手は、プロです。
様々な手練手管を使って言論統制をしてくることは、歴史が証明していると考えます。
「自ら檻に入る国民性」は私に言わせれば、市民側の意識、知識、認識の低さが結果的に招くものだと考えます。(最終的には保身のために自ら檻に入るのではないでしょうか)
当初はDox様のブログにコメントしようと考えていたのですが、長くなってしまって失礼かと思いましたので、こちらでエントリーにいたしました。
「ハラスメント」後記
「ハラスメント」エントリーのコメント欄もそろそろ終わりになったように見えますので、私の「ハラスメント」エントリーについての自分の感想をまとめてみたいと思います。
まず、当該エントリを立ち上げたあと、なぜか、私が多くを学んだある論者の口調で、私の頭に常に響いてきたのは、(問いかけそのものが実際にあったわけじゃありません。私の脳内にかってに響いてきただけ、と、言うより自分で作りあげただけ、です)
「おみゃーさんは、自分が正義、だと規定しているのじゃにゃーか?」と云う問いかけであり、そして私は「規定していにゃぁ。私は価値中立で告発したけだ」と、自分で答えたがっている。
でも、声は何度も響いてくる、
「おみゃーさんは、自分が正義、だと規定しているのじゃにゃーか?」
またある方から、
>基本的には、第三者が対抗言論を用意する必要はありません。批判するまでもなく、結論は出ています。(引用者注:今回の場合は、ということです)
>本当に第三者が言論を挙げるべきなのは、「絨毯爆撃」している人にも一理ある場合、だと私は思います。
(引用者注:頂戴した全文の文脈から、この一文に対する私の理解は、〔上記のような結論がでているのだから〕「不当行為」を追い詰めるのでなく、あくまでその言論内容についてのみ(しかも一理ある時に限り)、第三者が声を挙げる意味があるのだ、と、云うことです)
を含む内容のご意見を頂戴し、やはり考えさせられるところが多かった。
本当は今ここに書いているようなことは、無用なことなのか、とも思います。
あくまで、「怒りまくって告発しただけ」で通しちゃっても済むことなのかも知れません。
でも、恐らく賢明な方は見抜いているだろうし、自分でも少々気持ちが悪いので、自問自答して行き着いたところを書いておきます。
1. 私が「暴力とも取れるいやがらせ」だと認識して、「行為そのもの」に本当に怒ったのは事実である。
2.ですが、怒りの中には、「騒動の片側」としての心情も含まれていたことは認めざるをえない。
3.もし、「自分がいるサイド(あくまで私の認識で)」の誰かが同様な事を行ったとしたら、「心情的に難しい」かも知れないが、やはり批難/批判をしたであろうことは、自分で信じたい。
4.かのブログ主の行為が「暴力的な嫌がらせである」、という認識は変わらない。
5.「自分が正義であると規定している」については、残念ながらはっきり「違う」とは言い切れない。一般的な常識(だと、私が思うところ)を盾にして、「糾弾」する行為は、自分が常識(=正義)であると規定していると外部に認識されても止むを得ない、と思う。
というわけで、あのエントリーを挙げてから、少々自己嫌悪な毎日ではありました。
ですが、実に多くの方から貴重なご意見や、気がつかなかった見方を頂戴して、私としては大変に意義、そして意味のあるエントリーとなりました。
あらいさんへのコメントで「多士済々で、オールスター戦みたいだ」という少々不謹慎なコメントを残してしまいましたが、実感として皆様が残してくださったご意見や対話、議論はブログ主として本当にありがたいものでした。(極めてまれであるであろう、「あらいさんギャグ」も残りましたし)
かのブログの行為そのものについては、上記引用させていただいた方のおっしゃる通り、
>批判するまでもなく、結論は出ています。
が正しかったと思う。
ですが、普段「対話」や「言論の自由」を標榜する方たちの中からもっと批判が噴出していても良かったのじゃないか、という思いもやはり捨て切れません。
確かに、あのブログに口を出すのは恐ろしい。批判することに躊躇してしまうことも理解できる。
実際に恐ろしいことをしていたのですから。
そんな中で、akikoさん一人が直接的に止めに入った。
今になって、私は自分がakikoさんに正当な評価を下していなかったことに気がつきました。
確かにakikoさんの止め方は「自分の評判のために止めてください」という、私が気に入る内容のものではなかった。
ですが、やはり、止めたakikoさんは少なくとも私の10万倍ぐらいは立派であった、と、今になって思います。
あらためて、akikoさんにお詫びを申し上げるとともに、深い敬意を表明させていただきます。
そして、コメントを下さった全ての皆様に心よりの感謝を表明いたします。
ちょちょんまげ拝
PS「水伝」がらみについては、次のエントリーにしたいと思います。
まず、当該エントリを立ち上げたあと、なぜか、私が多くを学んだある論者の口調で、私の頭に常に響いてきたのは、(問いかけそのものが実際にあったわけじゃありません。私の脳内にかってに響いてきただけ、と、言うより自分で作りあげただけ、です)
「おみゃーさんは、自分が正義、だと規定しているのじゃにゃーか?」と云う問いかけであり、そして私は「規定していにゃぁ。私は価値中立で告発したけだ」と、自分で答えたがっている。
でも、声は何度も響いてくる、
「おみゃーさんは、自分が正義、だと規定しているのじゃにゃーか?」
またある方から、
>基本的には、第三者が対抗言論を用意する必要はありません。批判するまでもなく、結論は出ています。(引用者注:今回の場合は、ということです)
>本当に第三者が言論を挙げるべきなのは、「絨毯爆撃」している人にも一理ある場合、だと私は思います。
(引用者注:頂戴した全文の文脈から、この一文に対する私の理解は、〔上記のような結論がでているのだから〕「不当行為」を追い詰めるのでなく、あくまでその言論内容についてのみ(しかも一理ある時に限り)、第三者が声を挙げる意味があるのだ、と、云うことです)
を含む内容のご意見を頂戴し、やはり考えさせられるところが多かった。
本当は今ここに書いているようなことは、無用なことなのか、とも思います。
あくまで、「怒りまくって告発しただけ」で通しちゃっても済むことなのかも知れません。
でも、恐らく賢明な方は見抜いているだろうし、自分でも少々気持ちが悪いので、自問自答して行き着いたところを書いておきます。
1. 私が「暴力とも取れるいやがらせ」だと認識して、「行為そのもの」に本当に怒ったのは事実である。
2.ですが、怒りの中には、「騒動の片側」としての心情も含まれていたことは認めざるをえない。
3.もし、「自分がいるサイド(あくまで私の認識で)」の誰かが同様な事を行ったとしたら、「心情的に難しい」かも知れないが、やはり批難/批判をしたであろうことは、自分で信じたい。
4.かのブログ主の行為が「暴力的な嫌がらせである」、という認識は変わらない。
5.「自分が正義であると規定している」については、残念ながらはっきり「違う」とは言い切れない。一般的な常識(だと、私が思うところ)を盾にして、「糾弾」する行為は、自分が常識(=正義)であると規定していると外部に認識されても止むを得ない、と思う。
というわけで、あのエントリーを挙げてから、少々自己嫌悪な毎日ではありました。
ですが、実に多くの方から貴重なご意見や、気がつかなかった見方を頂戴して、私としては大変に意義、そして意味のあるエントリーとなりました。
あらいさんへのコメントで「多士済々で、オールスター戦みたいだ」という少々不謹慎なコメントを残してしまいましたが、実感として皆様が残してくださったご意見や対話、議論はブログ主として本当にありがたいものでした。(極めてまれであるであろう、「あらいさんギャグ」も残りましたし)
かのブログの行為そのものについては、上記引用させていただいた方のおっしゃる通り、
>批判するまでもなく、結論は出ています。
が正しかったと思う。
ですが、普段「対話」や「言論の自由」を標榜する方たちの中からもっと批判が噴出していても良かったのじゃないか、という思いもやはり捨て切れません。
確かに、あのブログに口を出すのは恐ろしい。批判することに躊躇してしまうことも理解できる。
実際に恐ろしいことをしていたのですから。
そんな中で、akikoさん一人が直接的に止めに入った。
今になって、私は自分がakikoさんに正当な評価を下していなかったことに気がつきました。
確かにakikoさんの止め方は「自分の評判のために止めてください」という、私が気に入る内容のものではなかった。
ですが、やはり、止めたakikoさんは少なくとも私の10万倍ぐらいは立派であった、と、今になって思います。
あらためて、akikoさんにお詫びを申し上げるとともに、深い敬意を表明させていただきます。
そして、コメントを下さった全ての皆様に心よりの感謝を表明いたします。
ちょちょんまげ拝
PS「水伝」がらみについては、次のエントリーにしたいと思います。
akikoさんに長いお返事
コメント欄がいっぱいになってきたこともあり、新エントリーにいたしました。
akikoさん
真摯なお返事ありがとうございます。
akikoさんのお立場を考えると、書くことにつらいところのある一文だったかと、かってに想像しております。
まずは、akikoさんの勇気に敬意を表します。
そしてまた、私の強い調子の過去のお返事につきご容赦ください。
私も誠意を持って(って自分のことを言うのは不恰好なことですけど)お返事を書いてみたいと思います。
>私はただ、何故彼があのような行為に及んだのか考えずに批判し断罪しても、お互いに不満が残るだけで何の解決にもならないと思うだけです。
私としては、「言い合いそのもの」についてあまり口をだしたいとは思いません。ケンカの仲裁というのはほとんど余計に油を注いでしまうことが多いですし。
しかし、あまりにも矛盾してたり、論理としておかしい、とか思ったときにはつい横から口を出したくなってしまう性格ではあるのですが。(そして、その口の出し方が常にフェアーかどうかと問われれば、そうでないかも知れません)
ただ、「言い合いそのもの」について「何故彼があのような行為に及んだのか考えずに批判し断罪しても、お互いに不満が残るだけで何の解決にもならないと思うだけです。」はおっしゃる通りだと思うのですけれども、今回については「一線を越えた」と判断しました。で、越えちゃったらもう越えちゃった方が「その行為」については「一方的に断罪される」になってしまうと考えます。
「ハラスメント」のエントリーそのものは、今回の「絨毯爆撃」そのものを批判するものでありますから、いわゆる「騒動」全体について述べたものでなく、述べるつもりもありませんでした。
もし、例えば反らんきーの誰かが暴力を振るったとしたら、やはり批判したと思います。
>ぶいっちゃんは大勢の人間に突然名指しで批判されたし
ぶいっちゃん氏のブログエントリーにつき「突然」指摘したのはたんぽぽさんお一人です。
以後の「大勢の人間」の「批判」はがぶいっちゃん氏の上記に対する対応(極めて幼い対応であった、と、私は思っています)、そして「らんきー」周囲にいた人たちの反応(幼い対応を支持したり、エスカレートさせたりするようなもの)の仕方に対するものですから「突然」ではないし、「名指し」もまた当然です。
水葉さんの一件については、私はよく把握していないので、コメントを控えます。
>そのように見えたかもしれませんが粘着はしていませんし、「…」にも深い意味はありません。あの一文は感情的になって付け加えてしまった部分ですし、実際はたいして問題とも思っていません。不快な気分にさせてしまったことはお詫びします。
わかりました。了解です。
>出来れば事態を収束させる方向で考えて頂けると有難いです。
ここが難しいところですね。どのような収束を迎えれば大団円なのか、と。
ここからは、少々話がずれますが(全く無関連ではないですが)、私は「ぶいっちゃん氏」という方を信用することも、氏に敬意を払う事も、いまのところ出来ません。
氏が向き合うべきところを理解して、今回のakikoさんのような一文を書くことができたなら、話はだいぶ変わってくるのではないでしょうか。
ブログで美しい言葉を連ねて人気ブロガーとなった氏の現在が美しい、とは、私には感じられないのです。(むろん、私のかってな感じ方にすぎないのですけど)
そして、私としてakikoさんに一番わかっていただきたいのは、政治や社会を語るときに「(どんなことであれ)科学的にどうか、などはどうでも良い」と言い放つ人間は「エネルギー問題(原子力発電の是非を含む)」、「環境問題」、「食料問題」、「人口問題」等の、ほぼ純粋に「科学的」な課題、そして我々の明日に直接的に結びついている課題については、やはり語る資格がない、ということです。
その事実を単に「バカはだまってろ」と受け取ってしまって「バカのレッテルを甘受してしまう」のは、単なる敗北に過ぎないと思うのです。(これは、上記ケースだけでなく、「勉強不足一般」に言えることだと思うんです)
残念ながらこの世は、「やさしさ」や「庶民感覚」だけでは立ち行かないのです。(誤解なさらないでいただきたいのは、それらが重要でない、などと言っていません。)
えらそうなことを言っていますが、私も「単なる一バカ」にすぎません。
でも「バカのレッテル貼られたまま」でいるのは、なんともくやしいじゃないですか。
あらためて、akikoさんの勇気あるコメントに深い敬意を払うとともに、ぜひ「ぶいっちゃん氏」がakikoさんのコメントからなにかを学んでくれたら、と、思わずにいられません。
「事態を収束」させ得るのは、もしかしたら、彼だけなのかも知れません。
akikoさん
真摯なお返事ありがとうございます。
akikoさんのお立場を考えると、書くことにつらいところのある一文だったかと、かってに想像しております。
まずは、akikoさんの勇気に敬意を表します。
そしてまた、私の強い調子の過去のお返事につきご容赦ください。
私も誠意を持って(って自分のことを言うのは不恰好なことですけど)お返事を書いてみたいと思います。
>私はただ、何故彼があのような行為に及んだのか考えずに批判し断罪しても、お互いに不満が残るだけで何の解決にもならないと思うだけです。
私としては、「言い合いそのもの」についてあまり口をだしたいとは思いません。ケンカの仲裁というのはほとんど余計に油を注いでしまうことが多いですし。
しかし、あまりにも矛盾してたり、論理としておかしい、とか思ったときにはつい横から口を出したくなってしまう性格ではあるのですが。(そして、その口の出し方が常にフェアーかどうかと問われれば、そうでないかも知れません)
ただ、「言い合いそのもの」について「何故彼があのような行為に及んだのか考えずに批判し断罪しても、お互いに不満が残るだけで何の解決にもならないと思うだけです。」はおっしゃる通りだと思うのですけれども、今回については「一線を越えた」と判断しました。で、越えちゃったらもう越えちゃった方が「その行為」については「一方的に断罪される」になってしまうと考えます。
「ハラスメント」のエントリーそのものは、今回の「絨毯爆撃」そのものを批判するものでありますから、いわゆる「騒動」全体について述べたものでなく、述べるつもりもありませんでした。
もし、例えば反らんきーの誰かが暴力を振るったとしたら、やはり批判したと思います。
>ぶいっちゃんは大勢の人間に突然名指しで批判されたし
ぶいっちゃん氏のブログエントリーにつき「突然」指摘したのはたんぽぽさんお一人です。
以後の「大勢の人間」の「批判」はがぶいっちゃん氏の上記に対する対応(極めて幼い対応であった、と、私は思っています)、そして「らんきー」周囲にいた人たちの反応(幼い対応を支持したり、エスカレートさせたりするようなもの)の仕方に対するものですから「突然」ではないし、「名指し」もまた当然です。
水葉さんの一件については、私はよく把握していないので、コメントを控えます。
>そのように見えたかもしれませんが粘着はしていませんし、「…」にも深い意味はありません。あの一文は感情的になって付け加えてしまった部分ですし、実際はたいして問題とも思っていません。不快な気分にさせてしまったことはお詫びします。
わかりました。了解です。
>出来れば事態を収束させる方向で考えて頂けると有難いです。
ここが難しいところですね。どのような収束を迎えれば大団円なのか、と。
ここからは、少々話がずれますが(全く無関連ではないですが)、私は「ぶいっちゃん氏」という方を信用することも、氏に敬意を払う事も、いまのところ出来ません。
氏が向き合うべきところを理解して、今回のakikoさんのような一文を書くことができたなら、話はだいぶ変わってくるのではないでしょうか。
ブログで美しい言葉を連ねて人気ブロガーとなった氏の現在が美しい、とは、私には感じられないのです。(むろん、私のかってな感じ方にすぎないのですけど)
そして、私としてakikoさんに一番わかっていただきたいのは、政治や社会を語るときに「(どんなことであれ)科学的にどうか、などはどうでも良い」と言い放つ人間は「エネルギー問題(原子力発電の是非を含む)」、「環境問題」、「食料問題」、「人口問題」等の、ほぼ純粋に「科学的」な課題、そして我々の明日に直接的に結びついている課題については、やはり語る資格がない、ということです。
その事実を単に「バカはだまってろ」と受け取ってしまって「バカのレッテルを甘受してしまう」のは、単なる敗北に過ぎないと思うのです。(これは、上記ケースだけでなく、「勉強不足一般」に言えることだと思うんです)
残念ながらこの世は、「やさしさ」や「庶民感覚」だけでは立ち行かないのです。(誤解なさらないでいただきたいのは、それらが重要でない、などと言っていません。)
えらそうなことを言っていますが、私も「単なる一バカ」にすぎません。
でも「バカのレッテル貼られたまま」でいるのは、なんともくやしいじゃないですか。
あらためて、akikoさんの勇気あるコメントに深い敬意を払うとともに、ぜひ「ぶいっちゃん氏」がakikoさんのコメントからなにかを学んでくれたら、と、思わずにいられません。
「事態を収束」させ得るのは、もしかしたら、彼だけなのかも知れません。
ハラスメント(追記1、2あり)(追記3:7/8/08)
トラックバックさせていただいた皆様、こういうの見てどう思われます?
http://anarchist.seesaa.net/article/101785725.html
(絨毯爆撃だそうです)
http://taraxacum.seesaa.net/
(トラックバック欄を見てください)
(7月3日現在です。)
だから、俺は頭が悪いやつが嫌いなんですよ。
回答しないと下品に散々揶揄してから「絨毯爆撃」ってか。
これでも、「取り方は人それぞれと考えてあげよう」とか、「相手を理解してあげよう」とか「愛を持ってあたれ」とか、ですかね?
これは、「ニセ科学批判の文脈」からははるかに遠いところから起きていることとはいえ、これでも「名誉に拘泥せず」ですか?
なぜ、そばにいる「共感派」はなにも言わないんだ?
これって、「たんぽぽ氏の批判の仕方がどうのこうの」って文句つけるのが空しくなるような行為じゃないのか?
これがハラスメントじゃないというのなら、あたしにゃもうようわからん。
で、俺がこういうエントリーをあげたりすると、「レッドカーペット」か?
追記: 八日ほど自宅をあけ、戻ってきてから発見したことなので、情報として遅くて申し訳ありません。
aliceさんに頂いたコメントを拝読して再確認したところ、「爆撃」そのものは止めたようですが、その後にも極めて下品なエントリーをあげているようです。
一応止めた人(止めただけ!)がいたようですが、上記記事の内容を変更する必要は感じておりません。
追記2:(7/4/08)
akiko様にコメントをお返ししていて思いました。
もし、たんぽぽ氏がどこかのブログに例え「一日だけ」でも同様な行為を行ったとしたら、どんなことが起きるのだろうと。
今回の行為に対する反響の比ではないのではないか、と。
「バージニア工科大学銃乱射事件」で韓国人が犯人と発表された時の2chの大喜び、大賑わいを思わず思い浮かべてしまいました。
追記3:(7/8/08)
まず、皆様にお詫びを申し上げます。
MEDAMAさんの疑問からわかったことですが、
私は本エントリーの「ハラスメント」につき、「モラル・ハラスメント」の意味合いでその言葉を使用しておりました。
以下、ウィキペディアより引用:
-----------------------------
モラルハラスメント(moral harassment)とは精神的な暴力、嫌がらせのこと。モラ
ハラと略すこともある。
-------------------------------------
引用ここまで。
本来の「ハラスメント」は「嫌がらせ」の意味合いしかないようで、私の使い方は本来意味から拡張しすぎた意味で使用していたようです。
全く、私の無知のなすところ、深くお詫びを申し上げます。
私の脳内、そして表題の「ハラスメント」には、明らかに「今回の行為は暴力的である」と云うニュアンスがありましたので、今回「ハラスメントである」で合意してくださった方がもし、本来の意味である「嫌がらせ」の意味合いのみで合意をくださったとしたら、私の認識とは「温度差」があるということになり、「本意でない」方もいらっしゃることと思います。
そういう皆様にあらためてお詫びを申し上げるとともに、「暴力的である、と、までの認識は無く、あくまで、「嫌がらせ」のレベルである」、と、云う本来の合意地点を明らかになさりたい方はぜひその旨のお書き込みを、伏してお願いいたしたく思います。
誠に勝手なお願い、かつ、皆様の貴重なお時間を無駄にしたこと、穴があったら入りたい心境です。
よろしくお願い申し上げます。
また、下の方のMEDAMAさんあての私の返答も合わせて読んでくださいましたら、幸いに存じます。
http://anarchist.seesaa.net/article/101785725.html
(絨毯爆撃だそうです)
http://taraxacum.seesaa.net/
(トラックバック欄を見てください)
(7月3日現在です。)
だから、俺は頭が悪いやつが嫌いなんですよ。
回答しないと下品に散々揶揄してから「絨毯爆撃」ってか。
これでも、「取り方は人それぞれと考えてあげよう」とか、「相手を理解してあげよう」とか「愛を持ってあたれ」とか、ですかね?
これは、「ニセ科学批判の文脈」からははるかに遠いところから起きていることとはいえ、これでも「名誉に拘泥せず」ですか?
なぜ、そばにいる「共感派」はなにも言わないんだ?
これって、「たんぽぽ氏の批判の仕方がどうのこうの」って文句つけるのが空しくなるような行為じゃないのか?
これがハラスメントじゃないというのなら、あたしにゃもうようわからん。
で、俺がこういうエントリーをあげたりすると、「レッドカーペット」か?
追記: 八日ほど自宅をあけ、戻ってきてから発見したことなので、情報として遅くて申し訳ありません。
aliceさんに頂いたコメントを拝読して再確認したところ、「爆撃」そのものは止めたようですが、その後にも極めて下品なエントリーをあげているようです。
一応止めた人(止めただけ!)がいたようですが、上記記事の内容を変更する必要は感じておりません。
追記2:(7/4/08)
akiko様にコメントをお返ししていて思いました。
もし、たんぽぽ氏がどこかのブログに例え「一日だけ」でも同様な行為を行ったとしたら、どんなことが起きるのだろうと。
今回の行為に対する反響の比ではないのではないか、と。
「バージニア工科大学銃乱射事件」で韓国人が犯人と発表された時の2chの大喜び、大賑わいを思わず思い浮かべてしまいました。
追記3:(7/8/08)
まず、皆様にお詫びを申し上げます。
MEDAMAさんの疑問からわかったことですが、
私は本エントリーの「ハラスメント」につき、「モラル・ハラスメント」の意味合いでその言葉を使用しておりました。
以下、ウィキペディアより引用:
-----------------------------
モラルハラスメント(moral harassment)とは精神的な暴力、嫌がらせのこと。モラ
ハラと略すこともある。
-------------------------------------
引用ここまで。
本来の「ハラスメント」は「嫌がらせ」の意味合いしかないようで、私の使い方は本来意味から拡張しすぎた意味で使用していたようです。
全く、私の無知のなすところ、深くお詫びを申し上げます。
私の脳内、そして表題の「ハラスメント」には、明らかに「今回の行為は暴力的である」と云うニュアンスがありましたので、今回「ハラスメントである」で合意してくださった方がもし、本来の意味である「嫌がらせ」の意味合いのみで合意をくださったとしたら、私の認識とは「温度差」があるということになり、「本意でない」方もいらっしゃることと思います。
そういう皆様にあらためてお詫びを申し上げるとともに、「暴力的である、と、までの認識は無く、あくまで、「嫌がらせ」のレベルである」、と、云う本来の合意地点を明らかになさりたい方はぜひその旨のお書き込みを、伏してお願いいたしたく思います。
誠に勝手なお願い、かつ、皆様の貴重なお時間を無駄にしたこと、穴があったら入りたい心境です。
よろしくお願い申し上げます。
また、下の方のMEDAMAさんあての私の返答も合わせて読んでくださいましたら、幸いに存じます。
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