大阪市をなくして特別区を設ける、いわゆる「大阪都構想」の賛否を問う住民投票がこの週末(5月17日)に実施される。
冒頭で明らかにしておくが、私は、今回の住民投票を「大阪都構想住民投票」と表記する記事の書き方に、ずっと以前から違和感を覚えている。
堺市長選に敗北し、2014年1月の法定協議会で、賛成の決議を得ることができなかったことによって、事実上暗礁に乗り上げた形になっている「大阪都構想」の名前が、いまさらのように持ち出されることに、納得が行かないのだ。
もっとも、記事の本文をよく読むと、どの新聞記事も、このたびの住民投票が大阪市を「廃止」「解体」することへの賛否を問うものである旨を説明している。最後まで記事を読めば、誤解する余地はないのだろう。
が、見出しだけを取り上げると、各社とも「大阪都構想住民投票」という文言を使っている。
投票に赴く市民が、記事の本文を最後まで読む人間で占められているのなら問題は無いのだが、おそらくそういうことにはならない。市民の中には見出ししか読まない層が、必ずや一定数含まれている。と、その人たちは、「大阪都構想」への賛否を投票することになる。
これは、まずいのではなかろうか。
新聞やテレビ、ウェブを含めたメディアが「大阪都構想」という文言を見出しに使いたがる理由は、「大阪市を無くして特別区を設けることについての住民投票」という実態に即した表記が、見出しの言葉として冗長に過ぎるからなのだろう。
引き比べて「大阪都構想」は、これまで数年間、事ある毎に繰り返し見出しの中に登場した馴染み深い用語で、読者の認知度も高い。シンプルさとわかりやすさが見出しの生命である点を考えれば、この言葉を使って見出しを打つことが、読者にアピールする上で最も効果的だと考えた編集部の判断は理解できる。
が、「大阪都構想住民投票」というこのヘッドラインは、住民投票の内容を正確に反映していない。なんとなれば、大阪市を無くして特別区を設けたからといって、「大阪都」という自治体ができるかどうかは、今回の住民投票の結果からは、未知の領域だからだ。
スクラップ・アンド・ビルドの計画の先に「大阪都」を作るという構想が存在しているのは事実だ。しかしながら、今回の住民投票で決定されるのは、スクラップの部分(つまり「政令指定都市としての大阪市を廃止する」ということ)に限られている。その後に続くはずの「大阪都」の実現は、周辺諸都市や国との調整を考えれば、困難だと言わざるを得ない。
であれば、正確を期して「大阪市を無くして特別区を設けるための住民投票」と書くか、でなければ「大阪市廃止に関する住民投票」なり「大阪市解体住民投票」なり、より実態に近い見出しを案出するべきだったと思う。
この原稿で、私は、大阪都構想ないしは大阪市解体について本格的な分析をしようとは思っていない。
賛否について、個人的な主張を展開する気持ちも持っていない。
分析なり批評については、もともと私の力量に余る仕事だし、個人的な賛否に関して言うなら、余計なお世話だと思うからだ。
ここでは、部外者の感想を述べるつもりでいる。
この何年か、大阪都構想をめぐる議論を土俵の外から眺めながら、傍観者として感じたことをお知らせしたいということだ。
「口出し無用」
「外野は黙ってろ」
「オレたちの内輪の問題を、お気楽な立場の野次馬がネタ目的でいじくりまわすのは不愉快だ」
と、当事者である大阪市民のみなさんは、そう感じるかもしれない。
であれば、この先は読まなくてもかまわない。
私は、この原稿を、大阪の住民投票を注視する非大阪市民に向けて書くつもりでいる。
というのも、大阪でこれから起こることは、この先の地方自治の枠組みや住民自治のあり方のみならず、国政における与野党の合従連衡や、憲法改正をめぐる手続きの行方に少なからぬ影響をもたらす、政治的な実験だと考えるからだ。
結果次第では、この住民投票の余波は、大阪以外の日本中の地方政治を動かすことになるかもしれない。
のみならず、その波及効果は、憲法改正の是非を問う国民投票の結果にも及ぶはずだ。
大阪都構想をめぐる議論を眺めていて昔から不思議に感じるのは、議論の発端になった「二重行政」の問題とは別に、都構想を説明する手順の中で、必ず「東京」の特別区制度が引き合いに出されていることだ。
私の考えでは、大阪と東京の制度を比較してその繁栄と衰退を論じることは、それ自体、あまり意味のある議論ではない。
子供が考えてもわかることだが、東京が巨大都市として繁栄しているのは、東京が地域名として「都」という名称を採用しているからではない。また、その「都」の中に23個の「特別区」があるからでもない。
スポーツカーが速いのは、ハイパワーなエンジンを積んでいるからであって、その名前の末尾に「GT」とか「R」とかの称号がついているからではない。ハンドルが太径の革巻きだからでもない。当たり前の話だ。
自治体としての東京の財政基盤の強靭さは、基本的には、巨大企業の本社が集中していて、それらのビジネスや雇用する人々が大きな税収源になっていることによってもたらされている。
この点は、大阪が統治機構の制度を変えることで、東京に追いつけるような話とは思えない。
税収の問題もそうだが、そもそも東京の繁栄は、都の政治制度とは無縁だ。
特別区の現実については、現職の世田谷区長である保坂展人さんが、わかりやすい小論を書いている(こちら)。
これを読むと、東京の特別区が、実際に行政を担当している区長の目から見て、必ずしも扱いやすい枠組みではないことがよくわかる。特別区が、大阪市内の区とは様々な点で異なった行政単位であることは確かだし、東京23区の財政や経済規模が大阪市に比べてはるかに豊かであることも事実だ。
が、豊かな自治体の制度を真似れば、破綻しかけている自治体の財政や経済が豊かになると決まっているものではない。保坂さんの文章は、都構想を正面から批判するためのものではないが、区政の現実を、実際のデータを引きながら、丁寧に説明している点で、参考になると思う。
もうひとつ、「東京への一極集中を緩和し、東京、大阪の二都構想を実現するのは、国家的な課題」であるという説明が繰り返されている点にも疑問を感じる。
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