January 01, 2014
ブログ終了のお知らせ
ブログ村ランキングに参加中です
おやじランナーのランニング活動を応援してくださる方、
写真をワンクリック!お願いしますね
みなさんの激励・応援のおかげで、頑張ることができます
このブログは終了しました。
長い間ありがとうございました。
新シリーズ「フランク翔太の快走日記」を始めました
この写真をクリックするとブログを閲覧できます。
December 31, 2013
さよなら~サブスリーの夢
ブログ村ランキングに参加中です
『今日の一枚』 四万十川に寄せられた、仲間からの応援FAX
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、
写真をワンクリック!お願いしますね
みなさんの激励・応援のおかげで、頑張ることができます
いよいよこのブログを閉じる日がやってきました。
今年の年内までと決めていましたので、今日でおしまいです。
まだまだお伝えしなければならないことがたくさんあったのですが、このブログの中でお伝えすることはできませんでした。
何かの機会を見つけてお伝えできるチャンスがあればと思っています。
『サブスリーの夢』・・・それはまさに「夢」でした。
叶う夢もあるのですが、叶わない夢もその何倍もあるのでしょう。
私のサブスリー達成の夢は、かなわない方の夢だったのです。
何度も思い出すのは、ターゲットレースの設定を間違えたこと。
2010年の秋シーズン最初のレースとなった福知山マラソンでいきなりサブスリーを狙うべきだったのでしょうね。
それから2ヶ月半、体調とモチベーションを維持することがあまりに難しかったです。
ピークの作り所を間違えました。
それがすべてだったのでしょう。
もちろん、ピークを合わせて狙ったからといって、サブスリーが達成できたかどうかわかりません。
ですがあの福知山の日に、サブスリーを狙って走ればよかったのでしょうね。
そこだけ悔いが残ります。
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、ワンクリックお願いします。
ブログ村ランキングに参加中です
2011年2月の別府大分毎日マラソンでのサブスリーチャレンジ以降、私はもうサブスリーを目指すことができる状況にはなかったです。
なので色んな大会に出場して、自己ベストを更新できないどころか、どんどん記録が下がっていく自分を感じて走っていました。
今でこそ告白しますが、それは目標を持ったランナーにとって、苦痛以外の何ものでもありませんでした。
こんなはずじゃないと思いながら、レースのたびに悔しい思いをして帰ることばかりでした。
そういったこともあって、知らず知らずのうちに、私は「サブスリー」から目をそらすようになっていたのかもしれません。
サブスリーを目指した別大以降の参加レースは、次第にフルマラソンの数が少なくなってしまいました。
それでも2011年シーズンは7本、続く2012年には6本、そして2013年はついに3本にまで減りました。
一方でウルトラのレースや、ロングトレイルなどへの参加は増えるようになりました。
2011年にはしまなみ海道100kmや萩往還140kmのロングレースはもちろん、春秋のハセツネ、阿讃トレイル、おんたけウルトラトレイルなど、トレランレースの数が増えました。
更に2012年は、3年連続となる萩往還、140km春秋のハセツネに加えておんたけウルトラトレイルでは160kmに挑戦したり、何と言っても「UTMF」と「スパルタスロン」にチャレンジしたことは、想像もしていなかったことです。
また2013年は更にウルトラ化が進み、小豆島寒霞渓・えびすだいこく・飛騨高山・四万十川と、100kmを4本。
そしてハセツネとUTMF。
いつの間にか私は、サブスリーチャレンジャーから、ウルトラランナー、またはトレイルランナーに姿を変えていたのです。
それはサブスリーを達成することからの逃避に過ぎませんが、これほど行動のフィールドが変わった今となっては、とてもフルマラソンでの記録を目指す方向には戻れなくなってしまいました。
それ以上に、ランナーとして弱くなってしまいました。
実際、記録が下がるだけではなく、過酷なレースでは時間オーバーやリタイアが目立つようになりました。
そういった自分の状況を考え、あえて「引退」ということばを使って競技にケジメをつけることにしたのです。
それでも別大でのチャレンジ以降、新しいことにいくつもチャレンジしましたから、得たことも少なくなかったです。
特にUTMFとスパルタスロンでは、得難い経験ができたと思うのです。
2012年のUTMF。
私はまだまだ競技者としての意識を持っていた時期。
トレランの経験も積みながら、160kmのレースをギリギリの力で走り切ってやろうという野望もあったと記憶しています。
しかしきつかった。
40時間53分と、35時間切りを目標にしていたのですが、それはなしえなかった。
山を甘く見ていました。
そして今年のUTMF。
競技者として、すでに力量が下がってきていることを実感していた私。
「完走」だけを目標に、富士の周りを楽しく回りました。
多くの仲間とのふれあい。
鏑木さんや福田先生など、スタッフに支えられ、ものすごい数の応援の方々から声援を受けながらのゴール。
走った者でなければわからない感動がそこにありました。
また2012年のスパルタスロン。
ギリシャでの海外レース。
訳のわからないエントリーに始まり、航空券も自分で手配し、何とか競技に参加。
最高気温37℃、しかもカラカラの湿度の中で走る過酷なレース。
体中のミネラルが抜け、じっとしていても痙攣してしまうほどの厳しい状況。
246kmのうちわずか110kmでのリタイアとなりました。
実に悔しかった。
でも、そこまで到達した人が全体のわずか三分の一だと聞いて、いかに過酷だったかわかりました。
外国のランナーとのふれあいや、ギリシャのサポーターに支えられながらのレースは、今までに味わえなかった感覚でした。
またきっとリベンジに行かなければ。
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、ワンクリックお願いします。
ブログ村ランキングに参加中です
「サブスリーの夢」と銘打ってブログを書き続けて、今日でちょうど4年が経過しました。
長かったようで、あっという間でしたかねえ。
その間に、長男は高校を卒業し、大学の卒業を待つばかり、長女も中学・高校を卒業し、大学で学生生活を楽しんでいます。
次男は小学校へ入学し、もう高学年生になろうとしているし、次女は4月からの小学校を楽しみにしています。
子どもたちの成長した姿を見ると、短かったようですが、やはり4年というのはそれなりに長かったのかなと思うのです。
その間、このブログを通じて多くのランニング仲間と知り合うことができました。
ここ数年では、わざわざ大会で私を捜してくれて、「ブログ見てますよ」と声をかけてくださる方もいらっしゃる。
また、ブログで親しくなった方々と、さまざまな大会をご一緒するようにもなりました。
UTMF、スパルタスロン、来年のモンブランでのUTMBなど、遠い地域での大会を友に旅する仲間もできました。
マラソン大会ではなく、ただその地域に用事があって旅行に出かけたときに、お声をかけてお目にかかるようなお友達も増えました。
それに何より、このブログを通じて、私を応援してくださる多くのみなさんがいらっしゃることもわかりました。
普段はコメントのないこのブログ、私に何かあったとき、一斉にコメントが集まります。
ですから、コメントこそなくても、普段からいかに多くの方が見てくださっているのかがよくわかります。
また、スパルタスロンへ出かけるときには、私のブログランキングを上げるのを応援してくださり、ブログ村ランキングで当時ダントツの1位をずっと維持しておられた「ぱっきーさん」についで、2位に押し上げていただいたことがありました。
これもうれしいことでしたねえ。
こういった多くの方々との交流は、何にも代え難い、大きな財産です。
サブスリーは確かにできませんでした。
ですが私はランニングと、それを綴ったこのブログを通じて、それ以上に大きな何かを得たような気がしています。
すでに盛りを過ぎて、競技の一線を引くことになりましたが、今まで受けたみなさんからのご厚情にお返しをするために、年明けの明日から、「フランク翔太の快走日記」という、 新しいブログを立ち上げることにしました。
ここではマラソン、トレランなど、走ることに関するコラムや、さまざまな大会での経験を交えたガイドや裏情報、さらにはウエアやシューズ、ランニングウォッチやグッズなどの情報や使用感など、さまざまな記事を綴っていくことで、今までお世話になったランニングへの恩返しをするとともに、これからも「走る」ことに興味のあるみなさんと、つながっていきたいと思うのです。
もちろん、私自身の何でもない日常や、趣味の世界も時には触れながら・・・。
なのでこれからも、今まで通り、あるいは今まで以上に、多くのみなさんとつながりを持つことができれば幸いです。
このブログを閉じることは淋しいことでもあり、サブスリーというものに対して事実上の撤退宣言になりますが、新しいフィールドへ進みたいと思います。
今まで長い間、「そろばん教師」を支えていただき、ありがとうございました。
長年のご声援に、心からお礼を申し上げます。
そして新しいブログも、これまで通りお楽しみいただき、フランク翔太を応援してくださいますよう、お願い申し上げます。
ありがとうございました。
今後はこちらのブログをお願いします。
↑こちらをクリックしてみてください。
今日の格言
『別れは新しい出会いの始まり』
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
ブログランキングの応援お願いします
皆さんのワンクリックが力になります
よろしければこの写真をポチッとお願いします
【ブログ村ランキング】
おやじランナーの
サブスリー達成を
応援していただける
方は、『左の写真』を
ぜひ『ワンクリック』
ご協力お願いします。
December 30, 2013
ブログ回顧録(その5)~’10年後半~’11年2月
ブログ村ランキングに参加中です
『今日の一枚』 サブスリーチャレンジが終わった直後の表情
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、
写真をワンクリック!お願いしますね
みなさんの激励・応援のおかげで、頑張ることができます
ブログ完結まで、あと1日
2010年シーズンは、私が最もサブスリーに近かった年でした。
例年なら夏の暑い時期は練習をほとんどオフにするところを、その年だけは追い詰めてやりました。
暑すぎるときはジムで筋トレなどをして、体を鍛えることのみに集中していました。
なので、秋風が吹き始めた9月後半あたり、私の体は絶好調だったと記憶しています。
9月に一本20kmのロードレースをこなすと、10月は初となるハセツネ70kに出場しました。
慣れない夜間走行とペース配分や不慣れなトレイルに苦しみ、また数回にわたるロストで思うようなレースではありませんでしたが、それでも14時間台でゴールできたのは良く走った方だと思います。
ハセツネの1週間後に四万十川のウルトラマラソンがありました。
かなり足にダメージはありましたが、60km近くまでは完全にサブ9ペース。
これは大記録になると、自分では気をよくしながら走っていたのですが、中間点のカヌーセンターエイドで気を抜いた瞬間に大きなこむら返り。
激しい痙攣で10分ぐらいは動くことができず、リタイアすら考えましたが、そこからはジョギング程度の走りで何とか完走。
それでも9時間41分と、余裕のサブ10で走れました。
そのことは本当に、よほど調子がよかったのでしょう。
更に3週連続となる翌週は、地元高松のロードレース。
アップダウンがきつい海沿いの半島を走るレースでしたが、これも自己ベストを大きく上回る49分台でのゴール。
サブスリーに向けて、順調に力をつけてきている実感がありました。
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、ワンクリックお願いします。
ブログ村ランキングに参加中です
3週連続のロードレースから1ヶ月後、シーズン最初のフルマラソンとなる福知山マラソンがありました。
季候もよく、福知山は比較的道幅の広い、ローカルな道を走る大会。
多少のアップダウンがあるものの、記録を狙って狙えないコースではありません。
なのでその日のテーマは1つ、自分の当時取り組んでいたフォームで走れているかどうかを確かめながら走ることだけに集中しました。
その走り方でどの程度効果があるのか、またフルマラソンのペースがどうだったのかを思い出すのを目的に、ました。
福知山は昨年も3時間15分で走れています。
もしかしたら相性もいいのかもしれません。
事実終盤、35kmがすぎても、誰にも抜かれそうな気がしないのです。
この頃、30km過ぎてからが強かった記憶があります。
なのでラップが落ちない。
それが記録が伸びてきた一番の要因だったように思います。
終盤、最後の1kmで登りをしっかり走りきれず、3時間10分切りはできませんでしたが、3時間10分の自己ベスト。
シーズン最初のレースだったので、自分では力を出し切るのではなく、ペースを確かめながら走ったイメージだったのですが、軽々と自己ベストが更新できたので、次のレースでは更に縮められるだろうという感覚はありました。
次のレースは5日後の瀬戸内海タートル。
公認大会ではありませんし、疲れもある、コースのアップダウンもあるので、記録を意識しなかったのですが、3時間21分でゴール。
調整とすればまずまずの走りです。
ただ、ここからも記録が回復することなく、どんどん下がっていきます。
1ヶ月ほどのちの加古川では、走り方のよってはサブスリー近く出るかもと思ったのですが、3時間29分。
後半伸びません。
・・・実は、シーズンに入って、少し緊張感がなくなってしまったのか、油断したのか、体重も5kgほど増えて58kg前後になりましたし、明らかに「油断」が見て取れるようになったのです。
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、ワンクリックお願いします。
ブログ村ランキングに参加中です
まずいとは思ったのですが、年末年始の飲食の機会が増えたことや、急に練習しなくなったことによって、体は一気にピークを下ってしまった感じでした。
明らかに調整がずれてしまいました。
それを取り戻すのに時間がない・・・というより、早くから長くがんばってきたのですが、調子が落ちるのは早かった。
2011年の2月に、勝負レースとなる『別府大分毎日マラソン』の前に、恒例の大阪ハーフに出場。
調整の遅れが露呈した形で、1時間30分ジャスト。
しかし泣いても笑っても、もうサブスリーチャレンジまで1週間しかありません。
走り込み不足で体重もオーバーしていますが、その状態で別府入り。
別府では知り合いの先生に色々案内してもらい、前日は地元の居酒屋で舌鼓。
本当は勝負レース前としてはよくなかったかもしれませんが、とりあえず本番を迎えます。
レース前、正直サブスリーは難しい体調だと感じていました。
なので極力序盤のペースを抑えるため、4:15のイーブンペースで様子を見ることにしました。
序盤はそれが功を奏した形で、15kmまでは1:03:37と、何とか8秒の貯金を作って粘っていました。
しかし16kmあたりから失速が始まり、ハーフ地点で1:30:43と、すでに半分の時間を過ぎてしまっています。
27kmぐらいになるとかなり苦しくなり、29km地点で立ち止まってパワージェルを注入。
しかし改善の兆しなくラップはどんどん下がり、3時間17分26秒という平凡な記録になりました。
何よりも、前半1:30:43、後半46:43と、前後半で16分もの時間の落差を作ってしまっては、いい記録は望めません。(→詳しくはこちらを参照)
そこから私は長い間、燃え尽き症候群に苦しめられました。
走る目標を見いだせないというか、モチベーションを作ることができないのです。
当時のブログにはどのように書いたか記憶にありませんが、あそこで潔くサブスリーをあきらめ、引退しておくべきでした。
人生の中で、そう何度もチャレンジできるようなものでもありませんし、おまけに年齢的なことももう限界だったと思うのです。
それを、まだできるかもしれないと思ってあきらめなかったのは、賛否両論ありますが、私は潔さに欠けたと思います。
サブスリーをあきらめ、次なるステージにこの時点で移るべきでした。
なのでこれ以降、今日に至る3年弱は、サブスリーを念頭に置きながらも、活動のフィールドを多岐に広げていくことになります。
今日の格言
『勝負レースの時期を間違えました』
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
ブログランキングの応援お願いします
皆さんのワンクリックが力になります
よろしければこの写真をポチッとお願いします
【ブログ村ランキング】
おやじランナーの
サブスリー達成を
応援していただける
方は、『左の写真』を
ぜひ『ワンクリック』
ご協力お願いします。
December 29, 2013
ブログ回顧録(その4)~’10年前半
ブログ村ランキングに参加中です
『今日の一枚』 フル自己ベストの福知山にて
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、
写真をワンクリック!お願いしますね
みなさんの激励・応援のおかげで、頑張ることができます
ブログ完結まで、あと2日
2010年は自己ベストラッシュの年。
最初のレースは恒例となった大阪ハーフマラソンから。
1月末の大会まで、加古川から1ヶ月あまり休めましたから、故障の影響はほとんどありません。
初の90分切りとなる1時間28分でゴール。
かなりスピードが出せる実感を得ながら、1週間後に丸亀ハーフを迎えます。
大阪ハーフより更に記録を伸ばし、1時間26分台でのゴール。
私は1時間25分切りがサブスリーへの最低条件と思っていたので、もうサブスリー挑戦の条件は整ったと実感しました。
そこでこの年に勝負を賭けたのです。
この年の後半、秋冬シーズンでサブスリーを目指すと。
48歳になる年でした。
そこで一番に考えたのは、どのレースをターゲットにするか。
私が一番に考えたのは「東京マラソン」。
しかし、今回2月の東京マラソンは4回目にして初めて抽選から漏れました。
次回のレースも当選するかどうかわからない。
サブスリーを狙う以上は公認大会・・・しかもそれにふさわしい環境がいい。
東京がダメならどこに・・・?・・・と考えていたところで、60回を記念して別府大分が参加できることになりました。
サブ3.5が参加基準なら私も出られる。
この上ない舞台だと思いました。
もちろん東京マラソンが当選すれば、東京で狙う。
とにかく、サブスリーは目前で、どこでやり遂げるかだけを考える感じでした。
・・・それが甘かった・・・。
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、ワンクリックお願いします。
ブログ村ランキングに参加中です
一方でサブスリーに向けて取り組んだこともたくさんありました。
まずは「肉体改造」。
徹底的なダイエットと、食生活の改善。
それに筋トレのためにジム通い。
体重は53kg台まで絞り、引き締まった体になりました。
またそれまで独学で取り組んできた練習も、「クラブチーム」に入り、トップ選手と一緒に練習するとともに、専門のコーチによる指導を受けました。
それから持久力や走力アップのために、「ウルトラマラソン」や「トレランレース」にも出場機会を増やしました。
この年の出場レースは21本と、過去最多を数えました。
内訳はフル6本、ハーフ4本、ウルトラ4本、その他が7本。
その他の中には春秋のハセツネや富士登山が含まれています。
トレランに本格的に取り組み始めたのもこの頃です。
練習も量だけではなく質も考えました。
インターバルやペース走、LSDや坂道走など、メニューに工夫を入れ、時間もそれまでは1時間程度のジョギングだったのが、数時間取ってしっかり練習しました。
そんな1年でしたが、春先思わぬアクシデントに見舞われました。
慣れないトレランでのできごと、4月のハセツネ30kに初参加した私。
幾度となく足の痙攣・・・こむら返りに苦しみながら、ゴールを迎えようとしていたその時、足を溝に取られて大転倒。
かなりきつい捻挫で足を痛めました。
しばらく立てないほどの強烈な捻挫で、時間がたつと歩くには歩けますが、当面レースはおろか、走ることすらままならない状態になりました。(→詳しくはこちらを参照)
私は2週間後の津山加茂郷マラソンを棄権し、翌週のとくしまマラソンに恐る恐る参加しました。
完治しない状態でのペース走。
記録は3時間20分と平凡でしたが、42km走ったことで、だいぶん不安は解消され、翌週の萩往還に向かう決意をしました。
そして人生初の夜間走、萩往還。
参加したのは140kmの部でしたが、初めての夜間走に地図を見ながらのロングトレイル走。
ゾッとするようなレースでしたね。
結果は7位でしたが、数百人規模の大会でこんな順位でのゴールは初めての経験。
それ以降、どんなに苦しくても、この大会を7位で走り抜けたことが自信になっています。(→詳しくはこちらを参照)
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、ワンクリックお願いします。
ブログ村ランキングに参加中です
5月末にはえびすだいこく100km。
天候に恵まれ、気持ちよく快走。
それまでの自己ベストを1時間以上更新する、9時間17分でのゴール。
それでもまだまだ余裕があったのをおぼえています。(→詳しくはこちらを参照)
翌月のにちなんおろち100kmでは、アップダウンの激しい難コースで雨が降る悪天候の中、それでもサブ10でゴール。
ウルトラでもサブ10ではなく、サブ9が狙える走力は身についていました。
私の最終目標は、「大三冠」でした。
そのうちのウルトラのサブ10はあっさり決めてしまいました。
サブスリーも今年中には決めてしまうだろうと思っていました。
問題は「富士登山競走」の時間内完走。
私はこれが一番難しいだろうと思っていました。
なぜなら、練習できる環境にないからです。
富士登山は、マラソン、トレラン、登山の3つの要素が問われます。
マラソン・・・すなわちロードの部分はある程度自信がありますが、トレランや登山は全くの素人。
しかもコースは日本一の山、富士山が相手です。
そこで企てたのが、試走のための富士山日帰り弾丸ツアー。
山開き直後の7月最初の土曜日に合わせて、金曜日の夜に家を出て早朝に富士5合目までたどり着きました。
まだ肌寒い中、一気に山頂まで往復して、その足でまた高松まで運転して帰りました。
帰りは台風並みの大雨の中、眠気に負けそうなところをなんとか家に着きました。
0泊3日の、恐るべき弾丸ツアー。(→詳しくはこちらを参照)
しかしその成果むなしく、3週間後のレースでは酷暑に負け、20分ほど時間オーバーしてのゴールになってしまいました。
この年で大三冠はなくなりましたが、こんな経験を経ながらも着実に練習をこなし、レースのない8月も陸上競技場で過ごす時間が増え、翌年2月のサブスリーを目指して黙々と邁進していました。
私のサブスリーは確実だと思っていましたが、大きな誤算があったのです。
今日の格言
『サブスリー失敗は意外な理由でした』
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
ブログランキングの応援お願いします
皆さんのワンクリックが力になります
よろしければこの写真をポチッとお願いします
【ブログ村ランキング】
おやじランナーの
サブスリー達成を
応援していただける
方は、『左の写真』を
ぜひ『ワンクリック』
ご協力お願いします。
December 28, 2013
ブログ回顧録(その3)~’06年~’09年
ブログ村ランキングに参加中です
『今日の一枚』 2009年、3回目の東京マラソンにて
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、
写真をワンクリック!お願いしますね
みなさんの激励・応援のおかげで、頑張ることができます
ブログ完結まで、あと3日
2005年の秋シーズンから、私のレース参戦が積極的になります。
当時はハーフマラソンを中心に参加していました。
県外のレースに出るのも、もう当たり前になりつつありました。
兵庫県ではたくさん大会が開かれているので、明石大橋はよく渡りましたねえ。
2006年はそれに輪をかけて、積極的にレースに出るようになりました。
この年に参加したレースは、年間16本。
うちフルは5本、ハーフは8本、その他が3本。
まだまだ圧倒的にハーフが多い。
ですがハーフに出ながら確実に走力は上がっていきました。
2005年までは一度も1時間50分の壁を破れなかったのですが、2006年は1月の高槻ハーフで1時間47分、2月の丸亀ハーフで1時間42分と自己ベストを次々と大幅に更新し、3月の篠山マラソンでは、3時間44分で完走し、あっさりサブ4を達成。
職場の同僚たちについて行きかねていた走力は、いつの間にか追随を許さないほど引き離してしまいました。
勢いは止まることなく、5月のオリーブマラソンではハーフで初の100分切り。
ついに1時間30分台に突入。
しかしここまで勢いよく記録は上がってきましたが、さすがに記録的に壁に当たってきました。
ここからハーフの1時間30分切り、フルのサブ3.5の壁はかなり時間がかかりました。
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、ワンクリックお願いします。
ブログ村ランキングに参加中です
レースにはたくさん参加しました。
2007年シーズンも参加レースは14本。
第1回の東京マラソンに参加できたのも、私のマラソン熱に拍車をかけました。
初男東京マラソンは、雨の中大興奮のレースでした。
また、この年はしまなみ海道100kmウルトラマラソンにも参加し、ウルトラの世界にも足を踏み出しました。
それにしても半端ない過酷さに、しばらくは続いて参加することはできませんでした。
この年、丸亀ハーフで1時間34分と自己ベストは更新したものの、フルの最高は3時間40分で、自己ベストの更新はなりませんでした。
2008年シーズンはそういったこともあってか、ハーフの本数を初めてフルが上回りました。
フルは8本、ハーフが5本、それ以外が1本。
特に秋シーズンは、フルマラソンを毎週のように走りました。
11月23日の福知山から始まって、ちょうど一ヶ月後の加古川までの一ヶ月で5本走るという、無謀なことをしました。
福知山、瀬戸内海タートル、青島太平洋、防府読売、加古川と連続で、しかも防府読売から加古川まではわずか中1日。
まさにクレージーでした。
なので2月の東京マラソンで3時間31分を記録し、サブ3.5まであと一歩まできながら、秋シーズンでは記録が更新されることなどなく、3時間台の後半を低迷しますが、ここでレースを走り込んだことが後々生きてきます。
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、ワンクリックお願いします。
ブログ村ランキングに参加中です
2009年から、私のランニング熱は一層加速し、しばらく超えることのできなかった壁を打ち破ることができた年でもありました。
レースへの出走数も年間20本。
その内訳も、フル12本、ハーフ2本、ウルトラ3本、富士登山などその他3本。
年間フル12本はこの年が最多、本当に走りすぎましたね。
また秋には1ヶ月で5本という、ものすごいペースで出走したものですから、腸頸靱帯を痛め、一時期まともに走れない時期を経験しました。
また、スタミナをつけるためにウルトラに3本出走したのも新しい取り組み、一方で富士登山競走に初参加。
トレイルレースの入り口に立ったのもこの年でした。
記録の方は、2月の東京マラソンでは3時間35分と伸び悩みましたが、4月のとくしまマラソンで3時間29分と、初めてサブ3.5をクリア。
秋シーズンの2本目淀川市民で3時間25分、3本目の福知山で3時間15分と、見る見る記録を更新し、このシーズン中にサブスリーが見えてきそうな勢いでしたが、走りすぎがたたったのか、福知山の1週間後の瀬戸内タートルで腸頸靱帯を痛めて記録ダウン、2週間後の那覇マラソンでは終盤マッサージを受けないと走れない状態になり、3時間56分と大失速。
防府読売でも痛みを抑えきれず3時間34分。
3日後の加古川でやや持ち直し、3時間22分と、初めて故障らしき経験をしました。
終盤は記録的には残念なレースが続きましたが、それでもしっかりタイトなスケジュールをこなして完走し、川内勇輝ばりに週末毎にレースを走ることで練習に替えて自分を鍛えることに成功し、大きな自信になりました。
そして翌年の2010年。
私のランニング人生で一番充実した年を迎えることになるのです。
今日の格言
『熱意を持って取り組めば、必ず結果は伴う』
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
ブログランキングの応援お願いします
皆さんのワンクリックが力になります
よろしければこの写真をポチッとお願いします
【ブログ村ランキング】
おやじランナーの
サブスリー達成を
応援していただける
方は、『左の写真』を
ぜひ『ワンクリック』
ご協力お願いします。
December 27, 2013
ブログ回顧録(その2)~’05年
ブログ村ランキングに参加中です
『今日の一枚』 初めての大型マラソンとなった篠山
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、
写真をワンクリック!お願いしますね
みなさんの激励・応援のおかげで、頑張ることができます
ブログ完結まで、あと4日
初マラソンからおよそ1年。
2度目のフルマラソン大会に選んだのは、「篠山ABCマラソン」。
当時の私にとっては、初の遠征です。
今なら日帰りするのですが、当時は宿泊しました。
仲間と3人で前日に篠山入りし、前泊してからの出場となりました。
スタートは当然最後尾付近で、スタートラインをまたぐのに10分ほどかかる。
篠山マラソンは、制限時間がグロスで5時間10分と、市民ランナーにはやや厳しめの設定。
私はすでにスタートで10分のハンディがあるので、ちょうど5時間でゴールしなければならないわけです。
そこで私の立てた作戦は、序盤からある程度歩きを入れて、足を温存する方法。
どうせ後半は歩いてしまうので、序盤、まだ元気なうちから足に休養を与え、終盤までいくらか元気さを温存しようという作戦です。
計算上はキロ7分少々のイーブンで走れば完走は可能ですが、5km30分見当で走り5分歩くことにしました。
序盤、まだ元気があるうちに歩くのには勇気が必要でした。
走れるのに歩くというのは、なかなか誘惑に負けてしまいそうなもの。
それでも我慢しました。
しかしそれにしてもやはり足は疲れます。
25kmを過ぎて左折してからは、少しずつ登っているのですが、私の足にはものすごい傾斜に感じ、まともに走ることができなくなりました。
段々歩きが予定外に入ったり、立ち止まってストレッチをしたりと・・・。
足の痛みや内臓の疲労に苦しみながら、37km地点の関門が目の前に。
今でも覚えているのですが、そこで制限時間へのカウントダウンの大合唱が聞こえ始めるのです。
「10!9!8!7!・・・・」
やばいっ!!!
私は死んでいたはずの足を、死に物狂いで大きく振って、なんとか37km地点の関門交差点を転がるようにくぐりました。
そこからの5kmが意外に長いんですよ・・・。
最後の篠山城へ曲がったときには、残り時間が1分ほどしかありませんでした。
間に合うとか合わないとかではなく、とにかく必死でゴールに飛び込みました。
何とか最後の制限時間にも間に合い、5時間9分30秒の長い旅が終わりました。
残りわずか30秒でのゴール。
苦しかったんですが、その時の爽快感は相当でした。
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、ワンクリックお願いします。
ブログ村ランキングに参加中です
ギリギリとはいえ、制限時間のやや厳しい大会を走り切った自信は、計り知れないものがあります。
私は次へのチャレンジをするべく、目標となる大会を決めました。
そこから練習も重ね、フル以外の、特にハーフの大会に積極的に参加するようになりました。
丸亀ハーフはもちろんですが、篠山以降に4本のハーフマラソンを経験し、2時間程度でハーフは完走できるようになりました。
次は11月の「瀬戸内海タートルフルマラソン」に参加しました。
制限時間は5時間。
しかもバカにならないアップダウンが7つもあります。
私はその大会にある程度照準を合わせ、毎日5km走るようにはしていました。
またシューズも、安物のシューズから、マラソン選手が履いているような買い換えました。
瀬戸内海タートルは制限時間5時間。
コースのアップダウンを考えると、私には厳しいように思えました。
まあ行けるところまで・・・。
ある程度セーブしながらも、篠山の時よりも格段に速くなっていることがわかります。
ハーフの折り返し地点までは、むしろできすぎだったかもしれません。
折り返してもある程度元気だったので、少し油断してペースを上げてしまったのですが、後半の恐ろしさを知ったのはこの時でしょうか。
25kmあたりを過ぎると、とたんに足が止まります。
痛い、痙攣する、力が入らない・・・。
あえぎながら前を目指すのですが、何とか回復したときには走ったりします。
最後まで走り通すことができ、4時間39分という、自己ベストを30分も上回る快走ができたのです。
篠山マラソンでは約40分、今回のタートルで30分と、1時間あまりも記録を縮めた私は、マラソンの練習や大会で力試しをするのが好きになってきました。
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、ワンクリックお願いします。
ブログ村ランキングに参加中です
タートルからわずか1ヶ月後の12月。
加古川マラソンに出ることになりました。
疲労はすっかり抜け、むしろいい緊張感が漂うレースでした。
前日まで雪があった会場で、できるかどうかわからない状態だったのですが、何とか新雪もなかったので走れました。
下の写真のようにまだ、所々雪が残っています。
それにしても、温かい物を食べたかったなあ・・・。
やはり終盤はやや足に痛みが出るものの、適切なペースのランナーを目標にして、最後までついていく走りをしました。
30kmあたりまでは、サブ4ペースだったのですが、やはりスタミナのなさ・・・4時間8分39秒でのゴールでした。
サブ4はなりませんでしたが、ずいぶんいい走りができましたし、何よりもまたまた前回のタートルよりも、1ヶ月足らずで30分短縮できたわけです。
「練習は裏切らない」という言葉が当てはまる時期でしたね。
ちゃんと毎日走るようになってから、記録に関してもかなり伸びるようになってきました。
毎回30分以上、自己ベストを更新するという伸びっぷりに、私自身がはまっていくことを実感しながら、それでもどこまで自分を追い詰められるのだろうという好奇心にさらされ、ますますマラソンにのめりこんでいくことになるのです。
今日の格言
『遅いながらも成長に喜びを感じ始める』
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
ブログランキングの応援お願いします
皆さんのワンクリックが力になります
よろしければこの写真をポチッとお願いします
【ブログ村ランキング】
おやじランナーの
サブスリー達成を
応援していただける
方は、『左の写真』を
ぜひ『ワンクリック』
ご協力お願いします。
December 26, 2013
ブログ回顧録(その1)~’00~’04年
ブログ村ランキングに参加中です
『今日の一枚』 初めてのフルマラソンはここで・・・
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、
写真をワンクリック!お願いしますね
みなさんの激励・応援のおかげで、頑張ることができます
ブログ完結まで、あと5日
今年の暮れとともに終幕を迎えるこのブログですが、残る回数も今日が終わるとあと5回となりました。
サブスリーを目指したこのブログ、少し私のランニング人生そのものを振り返ってみたいのです。
マラソンを始めたきっかけは忘れもしない西暦2000年12月、ラジオ番組の企画で、「ホノルルマラソンを走る」というイベントに申込みをしたことでした。
大阪ABCラジオの人気番組、「おはようパーソナリティ道場洋三です」の番組企画で、道場さんとアシスタントの秋吉さんと一緒に、ホノルルマラソンにチャレンジするという企画に応募したのがきっかけ。
しかしその年のホノルルマラソンは幻になりました。
母親が持病の手術で入院することになり、あっさりキャンセルするハメに・・・。
そこでリベンジのためそのおよそ1年後の2002年の2月、地元の丸亀ハーフマラソンにエントリー。
当時の職場の同僚と一緒に、ハーフマラソンにチャレンジしたのが最初のトライとなりました。
丸亀ハーフマラソンを選んだのは、地元だったことや前年、金メダルを取った高橋尚子さんが再始動のレースとして走ったことを知っていたので、ぜひ出てみたいと思っただけです。
結果は完走するも、15km走るのがやっとで、そこからはほとんど這うようにゴールを目指したことをおぼえています。
作戦としては、制限時間いっぱいの5km30分ペースでの関門を、ギリギリ通過していくこと。
恐ろしいほど正確にキロ6分のラップを刻み、ギリギリ関門を通過していきました。
今思えば、けっこう厳しい関門時間だったように思いますよね。
でも2時間10分16秒でゴールしたのが、私の最初のレース記録となりました。
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、ワンクリックお願いします。
ブログ村ランキングに参加中です
このように今からおよそ12年前に初めて丸亀ハーフマラソンを走ったことが、私のマラソン人生の幕開けでした。
丸亀ハーフマラソンから2ヶ月足らずで私は新しい職場に異動になりました。
丸亀ハーフマラソンのコースにかかる坂出市に赴任するのです。
新任校ではなぜかマラソンを走る同僚がたくさんいました。
校長、教頭を始め、外国人講師や事務職員を含む10人ぐらいの先生たちが、以前から走っていたようです。
走り始めの私は誘われるがままに、仲間と合流。
どちらかといえば、シリアスなランニング仲間というよりは、親睦や懇親ムードの強い活動に参加するようになりました。
それでも当時の私は、ハーフマラソンを走るのがやっとの走力でしたから、彼らが遥か遠い存在でした。
まだちゃんとしたランニングシューズではなく、2000円ぐらいのトレーニングシューズで走っていたような私でしたから、とてもランナーとは言えるものではなかったです。
それでも一緒に走るのが楽しくて、小さな大会に出ては、何とか時間内に完走できることを目標にがんばっていました。
その後も丸亀ハーフには出場を続け、2時間切りができるようになりました。
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、ワンクリックお願いします。
ブログ村ランキングに参加中です
初めてのフルマラソンは、最初の丸亀ハーフから2年ちょっと経過して出場した、2004年4月の「津山加茂郷フルマラソン」。
岡山ののどかな田舎で行われるこの大会、景色は最高です。
ただつらいのは標高があること・・・したがって、急なアップダウンではないものの、地味な登り下りが結構長いので、初心者には厳しいコースです。
同僚2人のエスコートの元、制限時間6時間のレースをスタート。
序盤は何も考えずに自分のペースで走りました。
42.195kmというのがどれほどのものかわからない私は、その時々の体力を目一杯使って走っていきます。
当然エネルギーは枯渇し、足腰は痛みを覚え、疲労で動けなくなります。
あの2年前の丸亀ハーフ以来の、完全なハンガーノック状態に陥るのです。
30kmあたりだったと思うのですが、もう走れないと思ってあきらめかかったのですが、一緒に参加してくれた同僚2人が一緒に励ましながらついてくれるので、何とかそれに応えようと、あきらめずに歩いてでも前に進みました。
残り時間が刻々となくなっていく中、何とか最後の力を振り絞って迎えたゴール。
その初マラソンの記録は5時間47分。
ランニングを始めて2年あまり経過しての初マラソンにしては、今考えるとお粗末な数字です。
それでも私は支ええてくれた同僚のおかげで、大きな壁を乗り越えたような気がしたのです。
私が本格的に走ることに力を入れ始めたのは、このあたりからだったと思います。
今日の格言
『振り返れば何と力がなかったのだろう・・・』
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
ブログランキングの応援お願いします
皆さんのワンクリックが力になります
よろしければこの写真をポチッとお願いします
【ブログ村ランキング】
おやじランナーの
サブスリー達成を
応援していただける
方は、『左の写真』を
ぜひ『ワンクリック』
ご協力お願いします。
December 25, 2013
ブログ懐古・・・サブスリーはできなかったけど・・・
ブログ村ランキングに参加中です
『今日の一枚』 この頃は服装も気合い入っていた・・・
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、
写真をワンクリック!お願いしますね
みなさんの激励・応援のおかげで、頑張ることができます
ブログ完結まで、あと6日
今日から冬休み、とはいえ、仕事が休みというわけではありません。
課外の授業はあるし、保護者懇談会はあるし、むしろいつもよりもしっかり働いています。
それでも、いつもより早めに3時過ぎには学校をでることができ、天気も良かったので走ろうかとも思いましたが、何となく時間を浪費してしまって気がつけばすっかり暗くなってしまっていました。
今夜は小学校PTAの男性役員の忘年会。
いや、わずか4人の飲み会ですが、同じ地域の親として、けっこう深い話で盛り上がるんですよ・・・これが。
6時半に始まって、気がつけば11時半にもなっています。
家に帰ったときにはすでに12時がこようとしていました。
それにしても、すっかり年の瀬ですねえ。
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、ワンクリックお願いします。
ブログ村ランキングに参加中です
一方で、私のブログも、そろそろ残り回数が少なくなってきました。
「サブスリーの夢」
それはまさに夢でしたねえ。
私の知り合いで、兵庫県小野市のサブスリーを目指すランナーさんがやっていたブログに刺激を受けて始めたブログ。
目標はひたすら、「サブスリー」でした。
当たり前のことですが、本当にサブスリーを目指していましたね。
私の場合、決してマラソンを始めたのが早かったわけではないし、その気になったのも40代の後半だったので、実際厳しかったですねえ。
でもそれがよかったと、今になって思うのです。
簡単にできてしまうような目標なら、それは「夢」ではありません。
私の場合は本当に夢のままで終わってしまいましたが、それは手の届かない夢ではありませんでした。
あと10分の所まで追い詰めた。
タイミングさえ合えば・・・作戦さえ間違えなければ・・・もしかしたらできたかもしれなかったことがあります。
そのわずかな差を埋めるべく、何年もがんばってきましたが、この年になってあきらめることを決断してしまったのです。
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、ワンクリックお願いします。
ブログ村ランキングに参加中です
人によっては、「まだできる」とか、「しばらく休んで再度チャレンジしたら」とか言ってくださる方がいます。
それはありがたいことです。
私を励ましてくださることが身にしみてうれしい。
ですが一方で、それに応えられない苦しさ・・・というより重圧も感じながら、お言葉を受け取っています。
もうできない。
それは自分が一番よくわかっています。
でも今思えば、手が届きそうで結局できなかった方が、自分にとってはよかったのかな。
もし達成してしまっていたら、そのあとどうなっていたんだろう。
急に燃え尽き症候群というか、やり遂げて目標をなくしてしまって、ランニングがつまらなくなってしまっていたかもしれません。
一番楽しかったのは、やはり走るたびに速くなっていた頃は、レベルがどうであろうととにかく楽しかったです。
3時間半を切り始めた頃が一番楽しかったのかなあ。
充実感もあったし、徐々に市民ランナーから市民アスリートに成長していく感覚がありましたからねえ。
3時間10分台で走れるようになった頃は、やはり私のピークだったのでしょう。
42km走るペースを、ほぼ自分でコントロールできていましたからね。
あとは自分の力をもう5%~10%アップすれば、確実にサブスリーで走れる!・・・というところまできていましたが。
できなかったことを悔やむより、もう少しでできそうなところまでいったことを、今となっては懐かしく思うのです。
今日の格言
『サブスリーは難しいものですね』
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
ブログランキングの応援お願いします
皆さんのワンクリックが力になります
よろしければこの写真をポチッとお願いします
【ブログ村ランキング】
おやじランナーの
サブスリー達成を
応援していただける
方は、『左の写真』を
ぜひ『ワンクリック』
ご協力お願いします。
December 24, 2013
みなさんのお宅もイヴですよね
ブログ村ランキングに参加中です
『今日の一枚』 我が家のクリスマスケーキ・・・
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、
写真をワンクリック!お願いしますね
みなさんの激励・応援のおかげで、頑張ることができます
ブログ完結まで、あと7日
クリスマスイブだというのに、仕事帰りが遅くなりました。
校舎を閉める鍵当番が当たってしまいました。
学級懇談もあって、返しがいつもより遅め・・・。
とはいっても、家に帰りついたのは7時半。
民間にお勤めの方に比べたら、まだ幸せなのかもしれません。
すでにパーティーは始まっていましたが、何とか間に合うことができました。
今年もケンタッキーにチーズフォンデュ。
我が家はケンタッキーを一年に一度しか食べませんが、それでも必ずイブにはケンタッキーを注文して食べることにしています。
それに家庭用のチーズフォンデュセットで、地味に楽しみました。
イチゴのクリスマスケーキは、いつものルーブで予約したもの。
酸味のあるイチゴにまろやかな生クリームがマッチして、絶妙なハーモニー。
今年も外しませんでした。
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、ワンクリックお願いします。
ブログ村ランキングに参加中です
「格差」が問題になっている今日、このように平凡ですが幸せにクリスマスの時を家族で過ごせることは、むしろ贅沢なのではないかと思うのです。
何かの理由で家族みんなが揃わなかったり、温かい時間を過ごすことができない人は少なくないはずです。
そう思うと、毎年同じような時間をこうして何年も過ごせることに感謝しなければならないと思います。
そうそう、あのUTMFの主宰者の1人である福田六花先生もご結婚されたのですね。
facebookで知りました。
今まで独身だったとは知らなかったので少々驚きましたが、よかったですね。
よき伴侶を得られて、益々ご活躍されることと思います。
本当におめでとうございます!
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、ワンクリックお願いします。
ブログ村ランキングに参加中です
今年もあと残すところ1週間となりました。
そしてこのブログも、あと1週間で完結することになります。
いくつかの完走記が途中になってしまっていることは承知しています。
何とかこのブログの中でとは思っていたのですが、すべては難しいようです。
たまっているのが、四万十川ウルトラ100km、関スパ、奈良マラソン、加古川マラソン・・・かな?
ずいぶんたまってしまっています。
物理的に完走記を書き遂げることが残り1週間では無理になりました。
なのでどこかの機会でまた懐古しながらお伝えできればと思っています。
残り7日・・・感慨は深いです。
今日の格言
『家人のプレゼントはLINEのキャラクター付箋』
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
ブログランキングの応援お願いします
皆さんのワンクリックが力になります
よろしければこの写真をポチッとお願いします
【ブログ村ランキング】
おやじランナーの
サブスリー達成を
応援していただける
方は、『左の写真』を
ぜひ『ワンクリック』
ご協力お願いします。
December 23, 2013
加古川マラソン速報
ブログ村ランキングに参加中です
『今日の一枚』 加古川みなもロードはいい天気でした
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、
写真をワンクリック!お願いしますね
みなさんの激励・応援のおかげで、頑張ることができます
朝、4時半起き。
久しぶりに起きるのがきつかったですが、そういえば以前はよくこんな時間に起きて、しかも高速料金が千円だったこともあって、自分で運転して関西方面にレースに向かっていたもんですよ。
そう思えば、レースのたびに毎週のようによくこんなことをやってたもんだと、ちょっと前の自分に感心すらする私です。
加古川の大会はほぼ年中行事。
昨年こそ、うっかりしてエントリー締め切りを過ぎてしまいましたが、今回で8回目の出走。
色々思い出もありますよ。
コースは平坦で、距離表示もしっかりありますので(所々怪しいところもありますが・・・)、記録を狙いやすいはずなんですが、あまり好記録には恵まれませんでした。
11月から12月にかけて、以前はフルマラソンのラッシュでしたので、おそらく最後のレースとなる加古川の頃には、累積疲労もたまっていたのでしょうね。
3時間10分台の走りはなかったような気がします。
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、ワンクリックお願いします。
ブログ村ランキングに参加中です
さて、今日のレース、目標は「奈良マラソン超え」。
あの無様な奈良マラソンの失速レースから特に調整をしたわけではないですが、自分の衰えを把握しましたので、レースの組み立てというか構成を頭で描き、そのプランに基づいて走ってみることにしました。
目標は4時間前後という漠然としたもの。
4時間切りを目標にしないのは、「記録を求めない」と宣言しているからです。
ただ、心がけたのは、1kmのラップを5:30あたりで刻むこと。
しかしそれすらペース走をしていないので、感覚がわからない。
奈良マラソンの時に、足の血液の流れが極端におかしくなったような感覚を覚え、全く途中から走ることがままならなくなりましたが、なるべく足を温存するために、とにかく何人に抜かれようが、自分の足が壊れないように、大事に走りました。
30km直前まではほぼイメージ通りの走り。
4時間が目標なので早いはずがないんです。
ですが、自分の描いたとおりの走りができていることに、とても満足感を味わいながら走っていたのですが、30kmを目の前にした29km地点で突然、足が終わりました。
まるで時限爆弾が爆発したかのように・・・。
ゆっくり走っているので、スタミナはさほど問題はありません。
息も上がっていないし、汗すらほとんどかいていません。
5:30前後のジョギングを刻んできただけですから。
そんなペースであるにもかかわらず、29kmでアウト。
あとは単に完走するためのあがきでしかありませんでした。
何とか完走はしましたが、結果は4時間22分という残念な結果。
ずっとサブ4はできるだろうというラップできていただけに、「30kmの壁」とは違いますが、足が言うことをきかなくなったのはつらかったです。
おやじランナーのサブスリー達成を応援してくださる方、ワンクリックお願いします。
ブログ村ランキングに参加中です
今の私はここまで。
確かに奈良マラソンからは20分近く記録を縮めましたが、一体どのレベルで・・・?・・・っていう話ですよ。
まあ、走歴12年のベテランがブログで綴るにはあまりにも恥ずかしいお話しで。
少なくともランニングブログを続けるなら、もうちょっとマシに走れないと。
競うことはしなくても、レースに参加する以上、人にお話ができるレベルにはないと、レースへのエントリーすら後ろめたさがつきまといます。
私もさすがにレースそのものに出なくなれば、ブログそのものを続けることすらできなくなりますからね。
ブログがつづれる程度には鍛えておかないと。
次の新しいブログの構想、いくつかありますけど、まだまとまってはいません。
それは競わなくなってからの私のランニング活動がどのように変わっていくのかが、今のところ定まっていないから。
ですができれば年明けから新シリーズをスタートしたい。
時間がないなあ・・・。
今夜もそんなことを考えながら、寝床につきましょうか・・・。
今日の格言
『足が退化してしまっていますねえ・・・』
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
ブログランキングの応援お願いします
皆さんのワンクリックが力になります
よろしければこの写真をポチッとお願いします
【ブログ村ランキング】
おやじランナーの
サブスリー達成を
応援していただける
方は、『左の写真』を
ぜひ『ワンクリック』
ご協力お願いします。