December 30, 2013
ブログ回顧録(その5)~’10年後半~’11年2月


『今日の一枚』 サブスリーチャレンジが終わった直後の表情
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ブログ完結まで、あと1日
2010年シーズンは、私が最もサブスリーに近かった年でした。
例年なら夏の暑い時期は練習をほとんどオフにするところを、その年だけは追い詰めてやりました。
暑すぎるときはジムで筋トレなどをして、体を鍛えることのみに集中していました。
なので、秋風が吹き始めた9月後半あたり、私の体は絶好調だったと記憶しています。
9月に一本20kmのロードレースをこなすと、10月は初となるハセツネ70kに出場しました。
慣れない夜間走行とペース配分や不慣れなトレイルに苦しみ、また数回にわたるロストで思うようなレースではありませんでしたが、それでも14時間台でゴールできたのは良く走った方だと思います。

ハセツネの1週間後に四万十川のウルトラマラソンがありました。
かなり足にダメージはありましたが、60km近くまでは完全にサブ9ペース。
これは大記録になると、自分では気をよくしながら走っていたのですが、中間点のカヌーセンターエイドで気を抜いた瞬間に大きなこむら返り。
激しい痙攣で10分ぐらいは動くことができず、リタイアすら考えましたが、そこからはジョギング程度の走りで何とか完走。
それでも9時間41分と、余裕のサブ10で走れました。
そのことは本当に、よほど調子がよかったのでしょう。

更に3週連続となる翌週は、地元高松のロードレース。
アップダウンがきつい海沿いの半島を走るレースでしたが、これも自己ベストを大きく上回る49分台でのゴール。

サブスリーに向けて、順調に力をつけてきている実感がありました。


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3週連続のロードレースから1ヶ月後、シーズン最初のフルマラソンとなる福知山マラソンがありました。
季候もよく、福知山は比較的道幅の広い、ローカルな道を走る大会。
多少のアップダウンがあるものの、記録を狙って狙えないコースではありません。
なのでその日のテーマは1つ、自分の当時取り組んでいたフォームで走れているかどうかを確かめながら走ることだけに集中しました。
その走り方でどの程度効果があるのか、またフルマラソンのペースがどうだったのかを思い出すのを目的に、ました。
福知山は昨年も3時間15分で走れています。
もしかしたら相性もいいのかもしれません。
事実終盤、35kmがすぎても、誰にも抜かれそうな気がしないのです。
この頃、30km過ぎてからが強かった記憶があります。
なのでラップが落ちない。
それが記録が伸びてきた一番の要因だったように思います。
終盤、最後の1kmで登りをしっかり走りきれず、3時間10分切りはできませんでしたが、3時間10分の自己ベスト。
シーズン最初のレースだったので、自分では力を出し切るのではなく、ペースを確かめながら走ったイメージだったのですが、軽々と自己ベストが更新できたので、次のレースでは更に縮められるだろうという感覚はありました。

次のレースは5日後の瀬戸内海タートル。
公認大会ではありませんし、疲れもある、コースのアップダウンもあるので、記録を意識しなかったのですが、3時間21分でゴール。
調整とすればまずまずの走りです。

ただ、ここからも記録が回復することなく、どんどん下がっていきます。
1ヶ月ほどのちの加古川では、走り方のよってはサブスリー近く出るかもと思ったのですが、3時間29分。
後半伸びません。

・・・実は、シーズンに入って、少し緊張感がなくなってしまったのか、油断したのか、体重も5kgほど増えて58kg前後になりましたし、明らかに「油断」が見て取れるようになったのです。


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まずいとは思ったのですが、年末年始の飲食の機会が増えたことや、急に練習しなくなったことによって、体は一気にピークを下ってしまった感じでした。
明らかに調整がずれてしまいました。
それを取り戻すのに時間がない・・・というより、早くから長くがんばってきたのですが、調子が落ちるのは早かった。
2011年の2月に、勝負レースとなる『別府大分毎日マラソン』の前に、恒例の大阪ハーフに出場。
調整の遅れが露呈した形で、1時間30分ジャスト。
しかし泣いても笑っても、もうサブスリーチャレンジまで1週間しかありません。
走り込み不足で体重もオーバーしていますが、その状態で別府入り。
別府では知り合いの先生に色々案内してもらい、前日は地元の居酒屋で舌鼓。
本当は勝負レース前としてはよくなかったかもしれませんが、とりあえず本番を迎えます。

レース前、正直サブスリーは難しい体調だと感じていました。
なので極力序盤のペースを抑えるため、4:15のイーブンペースで様子を見ることにしました。
序盤はそれが功を奏した形で、15kmまでは1:03:37と、何とか8秒の貯金を作って粘っていました。
しかし16kmあたりから失速が始まり、ハーフ地点で1:30:43と、すでに半分の時間を過ぎてしまっています。
27kmぐらいになるとかなり苦しくなり、29km地点で立ち止まってパワージェルを注入。
しかし改善の兆しなくラップはどんどん下がり、3時間17分26秒という平凡な記録になりました。
何よりも、前半1:30:43、後半46:43と、前後半で16分もの時間の落差を作ってしまっては、いい記録は望めません。(→詳しくはこちらを参照)
そこから私は長い間、燃え尽き症候群に苦しめられました。
走る目標を見いだせないというか、モチベーションを作ることができないのです。
当時のブログにはどのように書いたか記憶にありませんが、あそこで潔くサブスリーをあきらめ、引退しておくべきでした。
人生の中で、そう何度もチャレンジできるようなものでもありませんし、おまけに年齢的なことももう限界だったと思うのです。
それを、まだできるかもしれないと思ってあきらめなかったのは、賛否両論ありますが、私は潔さに欠けたと思います。
サブスリーをあきらめ、次なるステージにこの時点で移るべきでした。
なのでこれ以降、今日に至る3年弱は、サブスリーを念頭に置きながらも、活動のフィールドを多岐に広げていくことになります。
今日の格言
『勝負レースの時期を間違えました』
最後まで読んでいただき、ありがとうございました

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