2009年のノーベル平和賞を、バラク・オバマ米大統領に授与すると発表。
ノーベル賞委員会は授賞理由として、外交と人びとの協調を押し進めたオバマ大統領の努力を挙げ、プラハ演説に始まる『核なき世界』への取り組みをたたえた。
現職の米大統領のノーベル平和賞受賞の初回は、セオドア・ルーズベルトが1906年に日本とロシアの戦争終結の為の講和条約締結に尽力した功績により授与されている。
二回目は第一次世界大戦後の1919年に十四カ条の平和原則を掲げて国際連盟を提唱したウッドロー・ウィルソンが受賞したが、肝心の米国自身は国際連盟にアメリカ議会の反対で参加できなかった。
ウィルソンの『理想』は国内の誰もが協力しなかったので、理想は残念ながらことごとく成功しなかった。
今回、ウィルソン以来90年ぶりの受賞だが、健康保険改革で『密入国者まで助けてやるのか』というネガティブキャンペーンが結構利いて、支持率が50%台にまで低下したアメリカ国内の反応が芳しくない。
また国際社会からも、現実に『イラク』と『アフガニスタン』という二つの戦争を指揮している軍最高司令官(戦時大統領)の受賞には『早すぎるノーベル平和賞』として異議が唱えられている。
確かに現オバマ政権は、イラクからの撤兵は表明したが未だ実現していないし、アフガニスタンへにいたっては撤兵どころか米軍戦闘部隊を増派している厳しい現実がある。
『アメリカ大統領として初めて核使用の道義的責任に言及したオバマ』
どれ程難しいことでも二番手はある意味気楽かも知れないが、『誰もやらなかった』事を最初に成すことは非常に困難です。
核廃絶は、『言っただけで、まだ何もしていない』との意見も在るが、実際に核兵器を2回も使用したアメリカの現職大統領として『核使用の道義的責任』や『核廃絶』は今まで誰一人も発言していない。
オバマは今まで誰にも出来なかった『プラハ演説』を成し遂げたと、それだけでも歴史的偉業である。
今回は素直にノーベル賞(平和賞)受賞を祝福したいと思います。
そういう意味で誰一人も先例が無い南北会談を成し遂げた近大中はやはり『歴史的偉業』で、5億ドルの裏工作があろうが無かろうがノーベル平和賞の値打ちがある。
佐藤栄作のインチキ非核三原則も裏の(最初からの)対米密約が無く非核三原則が本物であったなら・・・・十分に値打ちがあったのだが残念というか、お粗末というか。
『オバマのナガサキ訪問の実現』
オバマの訪日時の(護憲平和勢力の)広島訪問を望む話ですが、これは世界最初の被爆地ヒロシマではなく、この場合には今の現状では世界最後の被爆地であるナガサキが相応しいのではないでしょうか。?
オバマのプラハ核廃絶演説の骨子は、ナガサキの次の3度目の核の悲劇を人類(アメリカ政府)が何とか防がなくてはならない、との考え方から出ていると思います。
それなら最初のヒロシマより最後の被爆地ナガサキが相応しいでしょう。
プラハ演説では、発言の場所にも大きな意味があります。
あの演説がアメリカ国内なら支持より反発が酷過ぎて下手をすると発言撤回に追い込まれたかも知れませんし、東西冷戦の相手国だったモスクワなら矢張り国内から『アメリカの軍事的優位を売り渡す売国奴』などとネオコンや宗教右派からの攻撃は免れない。
チェコのプラハという東西の大国の戦車に蹂躙された場所からの発信なので、『プラハ演説』に対して最初に現地で大きな支持と共感を集める事に成功している。
『戦争の大儀』
第二次世界大戦で『民主主義の為に戦ったアメリカ』、『正義のアメリカ』という『アメリカの戦争の大儀』を守りたいアメリカ人は大勢いるし、この神話で多種多様な移民国家アメリカの国内が一つにまとまっている側面がある。
アメリカ国内では、日本への原爆投下で100万人の米兵の命を救ったとのメードイン・アメリカの神話(迷信)が今でも生きているのでしょう。
怖い話ですが『正義のアメリカ』の神話を作るための必須アイテムが『100万人の米兵の命』なのです。
この神話は、沖縄戦で一万人以上の米兵が死んだ事を単純に日本全土に適応すれば自動的にこの数字が出てきます。
この計算だとアメリカ兵は100万人死ぬなら、沖縄では4人に一人(日本側20万人)が死んだので本土の人口8000万人の四分の一、日本人の2000万人が死ぬ計算です。
この計算を認めるか認めないかが、原爆神話を認めるか認めないかになる。
この原爆神話は、日本人の一人として認めてはいけないし、全人類の為にも世界の平和の為にも認めてはいけないと思います。
ハーグ陸戦規定を厳格に解釈して、戦争の勝敗にかかわらず原爆投下や都市住民に対する無差別殺戮は『戦争犯罪』としないと本当の正義はかなえられません。
『ソ連軍参戦の意味』
日本が戦争の負けを認めて狂気の一億玉砕戦術を放棄してボツダム宣言を受諾して無条件降伏した動機は8月6日の広島、9日の長崎へのアメリカの原爆投下ではなく、8月9日未明のソ連軍参戦であろう。
ニコライ2世とその家族6人がソ連革命政府に銃殺されたのは1918年で、1945年当時は歴史上の過ぎ去った『遠い過去』の出来事ではなく、たった27年前のごく最近の事件(記憶)であった。
ロマノフ王朝の最後を知っていれば日本国首相が誰であれ(ソ連軍侵攻で)アメリカにすぐさま無条件降伏したくなる。(ソ連だけには降服したくない)
この事実をアメリカは一番良く知っていた。
それでわざわざルーズベルトは日本の千島列島をソ連に引き渡すことなどを条件にヤルタ歓談でソ連のスターリンに大幅に譲歩してドイツ降服3ヶ月以内の対日参戦を約束させている。
因みにドイツの降服はソ連軍侵攻の3ヶ月前の5月8日であり『独降服3ヶ月以内の対日参戦』との米ソ密約の期限ぎりぎりの最終日であったのです。
(アメリカなど西側はフランスでアイゼンハワー連合国軍司令官にドイツ国防軍ヨードル作戦部長が降服した5月8日がドイツ降服の日だが東欧では解釈が違う。
ドイツの首都ベルリンでソ連赤軍のジューコフ元帥にドイツ国防軍ヴィルヘルム・カイテル陸海空三軍最高司令官が無条件降伏した5月9日をソ連などは対独戦勝記念日としている)
『究極(絶対)の正義の胡散臭さ』
正義不正義は絶対的なものではなく、あくまでも相対的ですが第二次世界大戦では日本ドイツイタリア等枢軸国側では無く、連合国側(アメリカ)に『正義』はあった。
しかし、だからといってアメリカ軍の行動の全部が『正義』であった事にはならないが、ところがアメリカ人には『自分は絶対正義である』と思いたがる困った傾向がある。
第二次世界大戦時のアメリカの不正義の最たるものは原爆投下に尽きると思いますが、アメリカがこの事に気付かないと世界の平和は危機に曝される。
01年に始めたブッシュのアフガン戦争の最初の作戦名は『無限の正義』「Operation Infinite Justice」だったが、余りに対イスラムの宗教的な作戦名だったので不朽の自由作戦(Operation Enduring Freedom)に変えた経緯がある。
今度のオバマのノーベル平和賞ですが全くサプライズではなく既定の路線というか順当な選択であると思います。
何故なら前回のアメリカ(元)大統領の受賞者はカーターですが、彼は報復戦争にアメリカ歴代大統領の中では一番慎重だった。
カーターが受賞した日付はブッシュが戦争を始めた翌年の02年で、この事は偶然ではなくノルウェーの議会によって意識的に選ばれたのでしょう。
軍部は国民に「新型爆弾」とごまかしていたが、原爆であることは知っていた。それをあまり重視しなかったのは、爆撃で国民が死ぬのはやむを得ないという人命軽視と、放射能の影響など、まだ分かつていなかったこともあります。
それに比べ不可侵条約を頼りに弱体化していた関東軍が役に立たないことを知ったショックは大きかったでしょう。
分割占領まで考えたかどうかはわかりません。
官僚特有の優柔不断で無責任な態度ですが、『軍』とは究極の官僚組織でもあったので官僚組織の悪いところを全て持っていた。
太平洋戦争とは日本の軍官僚の元々持っていた悪い面が極端な形で表に現れた事象で、最初から誰もアメリカと戦って勝てるとは思っていないが誰一人『駄目だから止めよう』と言い出せない。
ドイツの様に積極的に戦争をしていたものは一人としておらず、対米開戦を天皇に上奏した東条英機は途中で感極まって泣き出す始末。
勝てる見込みが無いので真珠湾を攻撃した海軍も戦争をしたくなかった。天皇も戦争をしたくなかった。
日本では誰一人対米戦争をしたくて、戦争を初めていない。
だらだらと、なんとなくその時の世間の雰囲気のような時流に流されて戦争を始めてしまったので、とことん負け戦でもやっぱり誰一人も『戦争を止めよう』とはいえない。
ところが幾らなんでも、長引く負け戦で流石に暢気な国内の日本人の間にも厭戦気分は充満しつつあった。
しかし『原爆投下で日本の戦意をなくし敗戦』とのアメリカの原爆神話とは正反対(真っ赤な嘘)で、被爆直後に爆心地に入った人たちは、原爆投下の余りの惨状を見て、今までの厭戦気分は吹き飛び(民間人に)『こんな残酷な事をするアメリカ(敵)は許せない』と思い徹底抗戦(一億玉砕)と誓ったそうです。
原爆投下で100万人の米兵(2000万人の日本人)を救ったとのアメリカの原爆神話は、全くの出鱈目ですが、今でもこの神話は生きていて、『敵に恐怖を与えて戦意を挫く』作戦はイラクやアフガニスタンやパレスチナで繰り返されているのです。
しかし、やられた方は日本と同じで『戦意を挫く』とは正反対に『こんな残酷な事をするアメリカ(イスラエル)は絶対に許せない』となる。
今世界は皆さん御存知のように、この『原爆神話』悪影響のおかげで、イラクやアフガニスタンやパレスチナでは紛争は静まるどころか深刻になるばかりです。
何故この『原爆神話』が出来たのかの謎ですが、直接要因はアメリカ自身の戦争犯罪(非戦闘員の大量殺戮)の隠蔽である事は間違いないでしょうが、それ以上にソ連軍参戦の意味を隠蔽したい日米双方の思惑があった。
日本側としては、『ソ連軍が参戦したから降服した』とは口が裂けてもいえません。
それで、間違っているのは重々承知だがアメリカの作った原爆神話に日本が異議を唱えない。
『異議を唱えない』どころか、仕舞いには久間防衛大臣のように『原爆投下はしょうがない』などの対米迎合(男めかけ)発言などが自民党から出てくる様になる。
今でもこの間違った『戦争終結のために役立った核兵器』という神話が生き延びて要る証拠でしょう。