故郷とは何か・・・・田舎と都会

2007-08-03 23:12:03 | 居住環境
 [註記追加8月4日9.25AM]

 「ふるさと納税制度」なるものが検討される由。
 そしてまた、もうじき盂蘭盆。「ふるさと」がとかく話題にのぼる季節。そして、必ずどこからか、「うさぎおいしかのやま、こぶなつりしかのかわ・・・」、あるいは「さらばふるさと、さらばふるさと、ふるさとさらば・・・」「こころざしをはたして、いつのひにかかえらん・・・」などという唄も聞こえてくる季節。

 「ふるさと」という言葉を聞くたびに、思い浮かぶ書物がある。というより、その書物にあった一つの気になる論説。
 それは1994年に第一刷が刊行された「岩波講座 日本通史 第18巻 近代3」所載の岩本由輝氏(東北学院大学)が書かれた『故郷・離郷・異郷』という標題の論説。長い論説なので、要約は結構難しい。そこで、要所を原文から転載する形で紹介させていただく。

 この論説の中に、『農村から都市への人口流出』という一章がある。そこでは、「都市」と「農村」の関係について、これらの「ふるさとをうたう」唄の誕生を通じて論じている。これは全文を転載する。都市と農村、あるいは「いわゆる中央」と「いわゆる地方」との関係について考える原点に触れていると思うからである。
 


 故郷といっても別に決まった概念があるわけではない。離郷した人間がそれぞれの境遇からさまざまな故郷のイメージをつくり出す。
 ひたすら懐かしい故郷もあったであろうし、悲しく思わなければならない故郷もあった。いつでも喜んで迎えてくれる人たちのいる故郷もあったろうし、帰りたくても帰ることのできない故郷もあった。しかし、いずれにせよそれぞれの有するイメージが増幅されるなかで、あたかも万人に共通するような故郷ができあがる。それは幻想であったかもしれないが、そのような幻想を生み出していったものとして、いわゆる小学唱歌の故郷を唄った歌を挙げることができるのではなかろうか。義務教育の課程で、児童たちは故郷の地で、将来、離郷するしないにかかわらず、故郷の歌を唄い、歌詞を記憶することになるのである。

 近代を迎え、農村から都市への人口流出が盛んになるが、その流れは二〇世紀を迎える前後において急になる。小学唱歌として故郷の歌がとりあげられるようになるのは、そのような時代的背景があってのことであり、その歌詞にみられる情景に共感を抱く人たちが増えてくるのである。
 一八八八年(明治二一)刊行の『明治唱歌(一)』に載った大和田建樹(おおわだ・たけき)作詞の「故郷の空」は、その最も早いものの一つであろう。そこでは、「故郷の空」「故郷の野辺(のべ)」「わが父母(ちちはは)」「わが兄弟(はらから)」がスコットランド民謡“Comin' Through the Rye”の曲を編曲したものにあわせて唄われるのである。
 そして、一九〇七年(明治四〇)刊行の『中学教育唱歌集』には犬童球渓(いんどう・きゅうけい)の「旅愁」と「故郷の廃家」が載る。前者ではオードウェイ作曲の“Dreaming of Home and Mother”の曲にあわせて「恋しやふるさと、なつかし父母(ちちはは)、夢じにたどるは、故郷(さと)の家路(いえじ)」と唄われ、後者ではヘイス作曲の“My dear old Sunny Home”の曲にあわせて離郷後久しいのちに訪れた故郷で、「あれたる我家(わがいえ)」をみ、「さびしき故郷(ふるさと)」を実感することが唄われている。
 また一九一三年(大正三)刊行の『新作唱歌(五)』に載った吉丸一昌(よしまる・かずまさ)の「故郷を離るる歌」では、ドイツ民謡の曲にあわせて、「さらば故郷(ふるさと)、さらば故郷、故郷さらば」と離郷が唄いあげられる。
 そして、この離郷の歌を承けるような形で、一九一四年(大正三)刊行の『尋常小学唱歌(六)』所載の高野辰之(たかの・たつゆき)作詞・岡野貞一作曲の「故郷」では、「故郷(ふるさと)」の山川を唄い、「父母(ちちはは)」や「友がき」の健康を気遣ったあと、「こころざしをはたして、いつの日にか帰らん」と帰郷を誓うことになっている。
  注 歌詞等は、堀内敬三・井上武士編『日本唱歌集』岩波文庫 一九五八年

 これらの小学校唱歌に描かれている故郷は農村である。あるいは田舎といってもよいが、そこにはもちろん山村も漁村も含まれる。そして離郷する先は具体的には歌詞には現われないが、都市・都会である。つまり、農村が故郷で、都市は異郷ということが前提になっている。都市が故郷で、農村が異郷である人もいるし、都市から都市へ、農村から農村への移動もあるわけであるが、それではさまにならないようである。また、事実としても農村から都市への人口流出が最も多かったのである。
 柳田(注 柳田國男)は、「日本の都市が、もと農民の従兄弟に由って、作られた」として、日本では近代以前から都市はつねに農村から出てきた人によって形成されてきたことを強調し、それが近代以降になってさらに強まってきたことを明らかにする(『都市と農村』朝日新聞社一九二九年)。

 農村から都市への人口流出という形で離郷を促進したものに鉄道の開通がある。新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)は、その結果として生ずる「人口の都会に漸殖(ぜんしょく)して田舎に漸減する事実の影響は単に農業にのみ止まらで(とどまらで)、全国の経済的生活にも種々の関係を醸成す」といっている(『農業本論』 裳華書房一八九八年)。そして、横井時敬(よこい・ときとし)は農村から都市への人口流出を「都会熱」と名づけ、「宛も(あたかも)一種の伝染の病」とみなし、農村を滅亡させる原因になると警鐘を鳴らし、健康・健全な田舎から不健康・不健全な都会に出ることを堕落ときめつける(『田舎に於ける都会熱并に之れが予防策』一九〇一年「大日本農会報」)。

 これに対して、柳田は「元来人口の都会集注、即ち今時田舎の若者が都会へ出たがる傾きは、人類発展の理法」であり、「心理上経済上極めて自然なる趨勢である」といって横井の主張を批判し、「此の(かくの)如き人口の移動」は「田舎に余って居る労力を都会に供給し、都会に余って居る資本を田舎に持って行」くという「経済政策の極意」を「不十分ながら天然に為し遂げる」ものであると評価するが、そこには柳田が都会に出てきた「田舎の若者」の多くは「或年まで働い」て「相応に金が溜まれば乃ち(すなわち)田舎に帰る」と考えていたことを反映している(『田舎対都会の問題』一九〇六年 大日本農会第百四回小集講演)。
 小学唱歌「故郷」の「こころざしをはたして、いつの日にか帰らん」というのがこれにあてはまるものであろうが、果たして実態はどうであったろうか。(この章了)


 柳田の論調は、最近の政府の言を聞いているみたいだ。

 先日の新聞に象徴的な記事があった。
 ネットカフェで寝泊りしている若者に、今度の選挙で投票する?と訊ねたら、投票したいのはやまやまだが、選挙権は故郷にある。選挙の為に帰る金があれば、ここで1週間暮せる、だから帰れない、という答が返ってきたという。

 この記事を読んですぐさま思い出したのが、星野哲郎作詞の「帰れないんだよ」という歌。ちあき・なおみの歌唱で有名。
 その中に「・・・秋田へ帰る汽車賃が あればひと月 生きられる だからよ だからよ 帰れないんだよ・・」という一節がある。

 戦後直後の「集団就職」にしても、皆が皆、故郷に錦を飾ったのだろうか。柳田の望みは、現実ではないのである。
 大体、田舎の労力は「余って居る」のだろうか。

 そして、折しも、派遣大手に業務停止命令。まるで、先の介護大手のそれのコピーのようだ。この事態は、コンプライアンスの厳守、なんてもので修復できるものではあるまい。こういう企業形態の存在を含め、事態の真因が追究されてしかるべきだろう。

 註 山谷などには、「手配師」と呼ばれる人集めがいた。
   人を職場に送り込み、その給料の上前をはねる《商売》。
   これを、規制緩和の名の下に「合法化」したのが「派遣業」ではないか。
   上前を利益とするところは、派遣会社は手配師と何も変りはない。
   だとしたら、いかに利益を上げるか、に走るのもまた当然。
   コンプライアンスの厳守などと言ってごまかしてはなるまい。
   コンプライアンスを厳守していれば、
   モラルを外れたことでもよい、という論理がまかり通る。
   

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