図説・戦国合戦図屏風―決定版 (歴史群像シリーズ)
高橋 修
学研
屏風図は当時の風俗を知るのに必須の資料。とはいえこれそのものが写実的に正しいという話ではなく、この風俗を書き上げた画家さんたちの集団の想定という方向からも学術研究がなされている . . . 本文を読む
前田利家と徳川家康の和議は、余命いくばくもない老境に入った利家が和を求めていた、と見えなくもないドラマ仕立てになっていることが多い。その一方で、見舞いに来た家康に心を許していないエピソードとして抜き身の太刀を布団の下に忍ばせていた、などともいわれる。しかし、結局のところ、1598年当時において、反家康同盟の主役たり得る人物だったのは利家なわけで、その利家が家康に下る意味は小さくない。さらに、現実問 . . . 本文を読む
極める・日本の美と心 京都の名刹 14 高台寺・清水寺 [DVD]
株式会社アスク
←尾張組の前田利家
ドラマではないが、『極める・日本の美と心 京都の名刹 14 高台寺・清水寺』の中では、
「秀吉亡き後、豊臣家は淀君をあおぐ近江系の文官派と、ねねを慕う尾張系の武官派に真っ二つに割れた」
と、一説には、とか、という説 . . . 本文を読む
地図で読み解く 戦国合戦の真実
小和田 哲男,小和田 哲男
小学館
監修は、小和田哲男 先生。合戦の場所の現在を歩いて作った地図が中心の本。合戦の場所、経過など図版も盛りだくさん。古戦場跡を中心に旅行したい人にはもってこい。そんな昔の痕跡が今わか . . . 本文を読む
■冒頭解説 家康の子どもたちの解説。家康には生涯に16人の子どもがあった。関ヶ原に至る道筋を語るドラマの進行時点である慶長4年までに生れたのは12人。これらの子どもたちを写真(俳優さんの)付きで紹介。
石田三成(江守徹)は佐和山で蟄居している。親族および家臣たちは雌伏して時を待てばいいという。なにしろこの時徳川家康58歳、三成40歳。時は三成に見方している。家康は、大勢の側室たち、子どもたち . . . 本文を読む
■冒頭解説豊臣秀吉は8月に亡くなった。しかし、交戦中の朝鮮に悟られぬよう喪を秘すこと数ヶ月、秀吉公の葬儀が行われた形跡はない。「つらつら思んみるに、太閤没後の権勢を巡り政局にわかに険悪となり」葬儀どころではなくなったのであろう by 光圀@葵三代水戸勉学所。
秀吉没後、抜きん出て大きな存在である徳川家康+武断派と石田三成、淀殿をはじめとする豊臣家関係者グループは反目を続けている。石田三成(江守徹 . . . 本文を読む
天災と復興の日本史
外川淳
東洋経済新報社
主要な災害、天長出羽地震、鎌倉地震、天正地震、慶長伏見地震等々の、災害の規模の科学的な記述ではなく、その後の政策とその取り組みの話。というより、しかしながら、歴史まめ知識みたいな記述で、本としての外見とのギャップに戸惑った。ただ、メジャーな地震がまとまっているという点は評価。 文献の出典等もないし、 . . . 本文を読む
幕末の「京都大地震」も克明に 高僧の日記、京都の寺で発見http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120124/dst12012414450020-n1.htm
日記は同派の27世門主、華園摂信(はなぞの・せっしん、本寂上人)が、数え年11歳だった文政元(1818)年から、70歳で亡くなる直前の明治10(1877)年まで、天気や食事、京の出来事をほぼ毎日欠かさず . . . 本文を読む
皇室を「王家」 適切なの? NHK大河「平清盛」に疑問の声http://sankei.jp.msn.com/life/news/120124/art12012411250003-n1.htm「平清盛」物語そのものというより、その周辺の問題だが、一部で、皇室のご先祖様たちをなんと呼ぶべきなのかという問題がかまびすしいのは知っていたが、同番組の時代考証担当のセンセからの正式の(?)コメントが出たようだ . . . 本文を読む
平家物語が話題になっているので、つい思い出して記録。
日本の国寶 至寶
http://www.vortex-int.co.jp/shop/324.html
このシリーズは本当に素晴らしい。なんといっても、
監修:独立行政法人 東京国立博物館 京都国立博物館/奈良国立博物館
という代物なので、資料的価値がめちゃめちゃ高い。
しかし、どうや . . . 本文を読む
天下人の時代―16~17世紀の京都
朝尾直弘・田端泰子 編
平凡社
2000年に京都橘女子大学で行われた公開セミナーを筆記、編集した本。全部面白かった。 朝尾直弘先生の「天下人と京都」は、とても深いテーマ。締めくくりだけを取り出すのはお行儀がいいことではないけど、
「京都へ京都へと天下人が、戦国大名が集まってきたのは官位だけの問題ではあり . . . 本文を読む
関ヶ原合戦 家康の戦略と幕藩体制 (講談社学術文庫)
笠谷 和比古
講談社
関ヶ原の合戦を豊臣から徳川への体制変更の頂点、すなわちこの合戦によって天下人が変わったといったドラマチックな見方をするのではなく、合戦の前からあった潜在的な対立の上に合戦があり、合戦の後の複雑な駆け引きの後に徳川幕藩体制ができていったとする。考えてみれば当然かもしれない。 . . . 本文を読む
新年なのでまた新しい大河ドラマが始まったようだが、昨日見逃したのでどんなものか見ていない。見ていないが、NHKをつけると番組宣伝がやかましく次は平清盛だとまくしてたていたので、そうらしいとは知っている。番宣を見るに、なにかこう、ドラマチックな青年の主張風の清盛になるらしい感じだったが、平氏と武田氏は最後が悲しくならないわけにはいかないので、青年はどうなっていくのだろうかとあまり期待してないのだが、 . . . 本文を読む
慶長3(1598)8月 秀吉没
慶長3(1598)10月 朝鮮半島からの撤収決定。加藤清正、小西行長、島津義弘ら11月末帰国。
慶長4(1599)1月 奉行ら、家康の諸大名間の私婚の禁違反を咎める。
慶長4(1599)2月 前田利家、三成らと家康、誓紙を交わして和睦。
慶長4(1599)3月 前田利家没
慶長4(1599)3月 豊臣七将の三成の大阪屋敷襲撃事件。三成は佐和山に蟄居、五 . . . 本文を読む