Operación Ogro [スペイン映画]
ETAによるカレロ・ブランコ首相暗殺事件(1973年)を実行犯グループの視点で描いた作品。今回は映画そのものの話よりは、関連事項のメモをしておきます。
‘鬼作戦’という名で計画実行されたカレロブランコ首相暗殺事件についてはこれまでにもちょっと書いたことがあります。
『El Lobo [スペイン映画]: Cabina』
『La pelota vasca. La piel contra la piedra [スペイン映画]: Cabina』
ETAについては下記の作品でも触れました:
『GAL [スペイン映画]: Cabina』
『Entre las Piernas / スカートの奥で [スペイン映画]: Cabina』
『スペイン現代史』 第11章 スペインの社会問題 より
●ETAの前身EKINの出現
フランコ独裁体制下の1953年、バスク民族主義の活動家とPNV(バスク民族党、1894年結成の青年達は、同党の穏健路線に満足できず、独裁体制打倒のために闘うバスク愛国戦線としての組織EKIN((我らと共に行動を)を結成し、……略……後に結成されるETAの前身となるものである。しかし、EKINは、フランコ体制下で剥奪されたバスクの自治権の復権を目指す勢力とバスク地方の独立を目指す勢力との間で内部対立が深まり、フランコ体制による激しい弾圧が続いたので、1957年には解散を余儀なくされた。
●ETAの出現
弾圧を免れたEKINの構成員やバスク地方の若い学生たちは、フランス・バスク地方において、1959年、バスク民族解放のための革命グループETAを結成した。ETAは、マルクス・レーニン主義をイデオロギーに掲げ、バスク地方(スペイン側4県とフランス側3県)の国家からの分離独立をめざし、戦術としてのテロ活動を否定しなかった。
映画『Operacion Ogro』では、ちょうどこのEKINの解散とETAの結成のあいだ、1958年なのかなあと思われる頃が描かれています。学校でバスク語をしゃべったということで教師から体罰を受ける児童の様子など。
「おまえたちはスペイン人だ。ここはスペインの学校だ」といってピシリピシリと児童の手のひらを棒で叩いていく教師に対し、子供たちが「バスク人です」「バスク人です」と口答えし続ける。このシーンは『La pelota vasca. La piel contra la piedra [スペイン映画]: Cabina』で観たことがある。
主人公のチャビたちは子供の頃から夜間に警察の威嚇発砲をかいくぐって“レジスタンス”の落書きをして歩くなど、バスク人としての抵抗の精神を強く示していくのです。そうこうするうち、聖職者であるジョセバ先生は本格的に闘争の生活に入るため学校を去る決意を子供たちに明かします。(挨拶のことばはコメント欄に⇒)
これらがちょうど1958年のこととして描かれています。
ここから15年跳んで1973年に舞台が移ります。ジョセバのもとに集まったメンバーで、ルイス・カレロ・ブランコを暗殺するのか拉致誘拐して交渉の人質とするのかを投票で決めています。
このシーンにもありますが、当初は誘拐するつもりでETAは動き始めたんだね。(チャビ―――青年となっている―――は最初っからずっと暗殺派。「ルイス・カレロ・ブランコを暗殺することは僕たちの正義じゃないですか、奴はフランコの後継者なんですよ、奴こそがフランコ独裁主義をまとめあげてしまう人物なんでしょうが、奴がいる限り独裁体制は維持されてしまうんですよ!」と強く主張していた。)
再び『スペイン現代史』、さっきのつづきを読んでまとめると、フランコ独裁体制がバスクに加える弾圧があんまりにも酷いから、バスクの人々もだんだんとETAへの理解・共感を抱き、“暗黙の支持”を与えるようになったって。それでETAは1968年8月のサン・セバスティアン警察署長の暗殺をはじめとして軍人、警察官、政府要人を標的としたテロ行為を繰り広げ、次々に逮捕者を出しつつもどんどん強大化していった、と。
そして、
ETAの活動は、1973年、カレロ・ブランコ首相の暗殺で頂点に達した。フランコの右腕として独裁体制を存続させるために腐心していたカレロ首相の暗殺は、……略……独裁体制の崩壊につながった。
この頃にETAが政治闘争派と武力闘争派に内部分裂したということも『スペイン現代史』に書いてあります。その辺は『El Lobo [スペイン映画]: Cabina』にも描写があったと思う。内部抗争で武闘派が穏健派を処刑しちゃったりしてた。
こんな風に歴史の授業の副読本でも読むように淡々と進む作品なので、《映画》としては面白いんだかなんだかよくわからないです。現代史ものというと、どうしてもこうなってしまうのかな?
でも、《副読本》としては面白いと思うんだよ。
・ETAの中での武闘派がバスクの人々の意識からはもちろん、ETAの中ですら浮いた存在になっていく感じ
・「マドリードのタクシー運転手の半分はフランコ体制の密偵みたいなもんだ」というセリフ。(スペインの友人がこないだ「スペインのタクシー運転手は《右派》、もーね、全員だよ!」と言い切っていたのを思い出してしまう)
・当時同じように弾圧されていた労働運動の様子(ストライキとスト破り)
・ETAは労働運動で弾圧される人たちにシンパシーを覚えていたかもしれないけど、さあその逆はどうだったんだい?と。(「企業家の誘拐、爆弾、警官暗殺、君らのやってることって俺には意味があると思えないんだ」とピシャリと言われてしまったり)
・ETAの人間が射殺された時のバスクの普通の市民があげる抗議の声(と、それをもう抑えられそうにない警察側の動揺)
・アメリカ(CIA)はカレロ・ブランコ暗殺の企てを知っていながら知らんぷりをして決行に至らせたんじゃないかという説があるけど、この作品でもそれらしきセリフをETAメンバーのルケが言う。(「アメリカ大使館もすぐそばにあって、これだけ悪臭と騒音をまいているというのに、誰も疑わないなんておかしいじゃないか、俺たちがカレロを殺した方がいいって思ってる人間がいるんじゃないのか」)
……などなどが描かれています。“描かれています”より“書かれています”っていう印象なんだよ、どうも、この作品。
暗殺の場所はここかな。クラウディオ・コエリョ通りとマルドナド通りの交わる辺り。なんか看板があるよね、AlmiranteなんたらCarreroなんたらって。車が吹っ飛ぶんだ。
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ETAのメンバーが入居していたのはクラウディオ・コエリョ通り104番地。ここの地下から車道に向かってトンネルを掘った。
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Comments
ジョセバ先生が教壇を去る日に決意のほどを児童に明かす。だいたいこんな内容:
Hoy no os hablaré del reino de Dios, sino de un país de esta tierra. Un país que no existe y que sin embargo es el nuestro, un país oprimido durante siglos y ahora aplastado por la brutalidad del fascismo. Hoy nos prohíben hasta el derecho de pronunciar su nombre en nuestra lengua: EUSKADI, país de los vascos, palabra dulce como la más dulce palabra, madre, tierra, alma... ¿quiere esto decir que euskadi está muerto, acabado? No, no es verdad. Hay muchos hombres que nunca han dejado de luchar contra la opresión y que todavía hoy, continuan luchando en la sombra. Mañana voy a su encuentro. No debería decírselo a nadie pero tengo confianza en vosotros, no solo porque os conozco a todos uno por uno, sino sobre todo porque sois vascos.
He intentado durante mucho tiempo pensar solo en Dios, pero ellos continuan torturando y matando, y a mí me es imposible vivir mi tranquila vida de sacerdote. Ahora debo deciros adios. Mañana ya no tendré esta clase ni este hábito. Ya he pedido perdón a Dios. A vosotros os pido que receis por todos nosotros, por esta tierra, por la libertad.
Posted by: Reine | Tuesday, August 09, 2011 13:14
Operación Ogro (1979) - IMDb
直訳: 鬼作戦
監督: Gillo Pontecorvo
原作: Julen Aguirre "Operacion Ogro"
脚本: Giorgio Arlorio Ugo Pirro Gillo Pontecorvo
どういうイデオロギーのページかよくわかんないからあんまりこの手の作品ではめったやたらとWEBを参照したくないんだけども、とりあえずこちら(Los asesinos del Almirante Carrero Blanco.)を見ながらキャストを紹介していこうと思う。
出演:
Gian Maria Volonté ... Izarra イサーラ:
この作戦でマドリードに送り込まれた実行部隊のリーダー。上記のページのPedro Ignacio Pérez Beotegui. «Wilson»なのかな。(ちなみに、この“Wilson”は『El Lobo』では“Nelson”という名で描かれていた人だよね?)
José Sacristán ホセ・サクリスタン ... Iker イケル:
上記のページによれば、José Ignacio Abaitúa Gómeza. «Marquín»。彫刻家と称してアパートを借りる係。そのアパートの地下から道路に向かってぐんぐん掘り進んだ。
上記のページだと実際には部屋を「購入した」係(Javier María Larreategui Cuadra. «Atxulo»)がまずいて、その後で「彫刻家」が入室したとある。映画では、部屋は購入したのではなくて賃貸として描かれている。
Eusebio Poncela エウセビオ・ポンセラ ... Txabi チャビ:
上のページで言う「青い作業服を着てケーブルの工事を装った」人物とすると、José Miguel Beñarán Ordeñana. «Argala»なのかな。
Saverio Marconi ... Luque ルケ:
「俺たちに暗殺を決行させちゃった方が都合がいい輩がいるんじゃないのか」と疑うこの人のセリフが興味深い。
Ángela Molina ... Amaiur アマイュール: チャビの妻。女児あり。チャビを追ってマドリードに来て作戦には参加しているけれども、チャビといっしょに暮らすことは適わない。
Georges Staquet ... El Albañil 建設労働者:
スト破りの連中にストに加わるよう説得を試みるが、そこで警察に逮捕されそうになる。それをチャビがついつい救出してしまう。
Féodor Atkine ... José María Uriarte (Yoseba) ホセ・マリア・ウリアルテ(=ジョセバ先生):
Ana Torrent アナ・トレント ... Niña vasca イサーラたちがバルでひそひそ喋っている時に話しかけてきたバスク出身の少女。
Posted by: Reine | Tuesday, August 09, 2011 21:46
1973年2月: ジョセバ先生が決を採る。多数決でカレロ・ブランコ誘拐に決定
↓
1973年6月: カレロ:ブランコ、首相に任命。
ここまではETAの作戦はあくまでも誘拐だったのだね。少なくともこの映画では。チャビだけは最初っから暗殺派。
チャビの主張はこう:
「カレロ・ブランコを誘拐して、投獄されている同志150人の返還を要求、そりゃあそれもいいだろう。返してもらう、と。で?仲間を返してもらってどうするんだ?カレロ・ブランコをみすみす帰らせてやるわけか?これからも俺たちを殺し続け拷問し続けるであろう男を?」。
だから暗殺してしまおうというチャビだが上層部の決定は「誘拐」だった。
でも、いよいよ首相に任命されちゃった時に事情が決定的に変わる。それまではボディーガードを一人くらいしかつけてなかったカレロ・ブランコだが、首相になってしまっては5人くらいつくことになっちゃったから。「これじゃあ誘拐は無理だ…」と落胆するETAメンバーたち。
そして、1973年11月23日、ETAの会議で、カレロ・ブランコ暗殺に満場一致で決定した、それで作戦を変更して、「彫刻家」を装ってアパートに入り、コツンコツンガツンガツン彫り始めたんじゃなくて掘り始めた、という描かれ方。
( ちょっとこの辺の流れ、現実もこうだったのかは確かめてないので)
Posted by: Reine | Tuesday, August 09, 2011 22:01
冒頭、テロップで説明。
Esta pelicula fué oficialmente seleccionda para la Clausura del Festival de Venecia.
Declarada de "Especial Calidad" por la Direccion General de Cinematografia.
Premio "David Dontello”
Libremente inspirada en el libro "Operacion Ogro" de Julen Aguirre.(←だから“原作”というほど“原作”でもないのかもね)
語句メモ
・canjear: 1. tr. En la diplomacia, la milicia y el comercio, hacer canje.
・esquirol: 2. adj. despect. Dicho de un trabajador: Que no se adhiere a una huelga. U. t. c. s.
Posted by: Reine | Thursday, August 11, 2011 21:46
ウェブから
El asesinato de Carrero Blanco
・爆発でカレロ・ブランコの乗った車は20メートル以上もの高さまで舞い上がった(←そのシーンがジャケ写です; そのシーンが『Pelota vasca……』にも挿入されていたと思う)
・使用された爆発物は“goma-2”というものだそう。
Goma-2 - Wikipedia, la enciclopedia libreGoma-2 - Wikipedia, la enciclopedia libre
・MAXAM - MAXAM, new websiteという会社が扱っている爆発物で、鉱山などで使用される。ETAが80年代90年代にテロ活動で多く使用した。
のページに戻って…:
カレロ・ブランコ暗殺実行部隊はフランスに潜伏した。当時のフランスはこれを匿った。←っていうようなことは、前に『El lobo』か『GAL』で書いたと思う。
La Comunidad » El blog de un Topillo » El asesinato de Carrero Blanco
・爆弾で吹き飛ばされた車は5~6階建ての建物を飛び越えて内側のパティオに落ちた。
・カレロ=ブランコの暗殺後に臨時で首相を務めたカルロス・アリアス・ナバーロが怪しいんじゃないかと囁かれたり、アメリカというかCIAはやっぱりこの暗殺計画を知ってただろうと思われていたりとか。あくまでも噂だが、とある。
・アメリカ大使館はほんの1ブロックくらいしか離れていなかったというのに、どうしてこれだけの大々的な“爆弾設置工事”を見逃すことができようか、という見方がある。
Posted by: Reine | Friday, August 12, 2011 09:04
『鬼作戦』の著者はテロリスト?
B: 再現ドラマといってもかなりフィクションが含まれています。デリケートで厄介なテーマ、しかもETAの目線ですから。
A: 製作年1979年を考えるとね。フランコ総統死去から4年足らずです。このブログでは少し異例なことですが、“Operacion Ogro”(1974)の著者エバ・フォレスト(※後述)から始めましょう。この本が書かれなければ本作は存在しなかったはずですから。
B: 以前「 El Lobo 」でも簡単に触れましたが、Julen Aguirreはペンネーム、刊行時は獄中だったので実名が使用できなかったということでした。
A: 決行前から書き始めているのは「序文」で明らかです。9月13日にマドリードのロランド・カフェ爆破事件の計画に関わったことで、1974年9月に逮捕されています。12人死亡、71人負傷という大事件でした。彼女は「鬼作戦」の計画犯の一人でもあり、実行前にビスカヤ県(県都ビルバオ)の‘ある場所’でコマンドたちと接触していたことも序文に書いています。ですからカビナさんが詳しく説明されたテロの準備経過の内容は知り得ていたわけです。1977年6月の恩赦で出獄しました。
B: では、映画が製作されていた時は出所していた。
A: ただ一貫して武装闘争に対する共感は隠さなかったから、映画化にはスペインの監督は二の足を踏みますよ。あの時代に犯人の側から事件を公然と描くことは危険でした。軍事独裁政に対する武装闘争の必要性を認める人にも、また民主化の必要性を感じる人にとっても厳しいミッションでした。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
※Eva Forest:
1928年バルセロナ生れ、作家、フェミニスト、活動家、生涯人権擁護に尽力する。無政府主義のカタルーニャの家庭で育つ。内戦勃発の1936年に画家であった父親と死別するまで家庭で教育を受ける。バルセロナ戦線が激しくなると、スイスの援助で設立された養護施設に収容される。子供たちをロシアに避難させようと移送中のトラックから母親によって危うく救出される(多くの孤児が養子として送られた)。戦後はバルセロナの精神病院で働き、1948年正式に医学を学ぶためマドリードへ、1955年戯曲家アルフォンソ・サストレと出会い結婚、二男一女の母。(Reine注: Sastre & Forest)
1956年、夫がフランコ独裁政権に反対するマドリード大学紛争に加担した廉で逮捕される。保釈金を払って仮出所中に夫婦でパリに逃亡、1962年帰国。アストゥリアスの鉱山ストライキを支持するデモに参加して逮捕、罰金の支払いを拒絶して赤ん坊だった娘を連れて収監される。2007年フエンテラビアで死去、享年79歳。
ETAとの接点は、軍事裁判で16人のETA活動家が死刑判決を受けた1970年。マドリードでバスク連帯委員会を設立して、恩赦のための国際的な抗議運動を始める。映画製作の1979年にはバスクのフエンテラビアに移住、1981年急進バタスナ党の上院議員に選出された。
☆本作は1974年にフランスで刊行、1975年ニューヨークで英語版 “Operation Ogro: The Execution of Admiral Luis Carrero Blanco” として刊行される。1975年の獄中記“Diario y cartas desde la carcel”はパリで出版、“From a Spanish Jail”のタイトルでペンギンブックにも入り欧州ではベストセラーになった。1976年“Testimonios de lucha y resistencia”もパリで刊行された。
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B: 著者はバスク人ではないんですね。母語を否定された人間という意味ではバスクと同じです。
A: 内戦が残した傷痕、ETA問題の複雑さを理解するうえで著者の経歴を辿るのは重要です。
Posted by: アリ・ババ39 | Thursday, September 01, 2011 19:27
スペイン現代史のミステリー
B: ジッロ・ポンテコルヴォについても「El Lobo」で触れましたが、本作はヴェネチア国際映画祭のコンペに出品され、同年のイタリアのアカデミー賞といわれるドナテッロ賞を受賞しました。
A: 興行的には政治的すぎて失敗だったようです。1919年ピサ生れのユダヤ系イタリア人、ピサ大学で化学の学位をとった(2006年死去)。1941年に共産党に入党、終戦までレジスタンス運動のリーダーだった。しかし1956年ソ連軍のハンガリー侵攻に失望して脱党しています。これだけで分かるように軸足は左です。映画界に入るきっかけはロッセリーニの『戦火のかなた』だった由。日本ではヴェネチア金獅子賞受賞作『アルジェの戦い』(1966)が公開され、DVDも発売されて有名です。
B: 事実関係も正確なウラが取れていない段階で、バスクの政治状況の複雑さを熟知していない寡作な外国人監督に任せていいのか、当時から危険な賭けと危惧されていたとか。
A: しかし、知りすぎていたら怖くて撮れません。当時からCIA協力説は囁かれていた。アメリカ大統領はニクソンでした。ということは国務長官はキッシンジャーだったわけで、彼はカレロ・ブランコ首相とも会談しています。ニクソン=キッシンジャーのコンビは、世界中を飛び回って画策するのが好きでした。
B: アメリカ大使館は爆破のあったクラウディオ・コエリョ通りの1ブロック西にあった。
A: 何週間にも渡ってトンネルを掘り続けていたときの騒音、掘り出した土の処分、ガス管を壊してしまって臭いが数日間続いたなどがあったのに、何の情報も寄せられなかったなんて信じられないというわけです。
B: 映画でもルケに「俺たちがカレロを殺したほうがいいと思っている人間がいるんじゃないのか」と言わせている。そう考える人間は大勢いたわけです。
A: 実行犯は暗殺にも逃亡にも成功しますが、早くも翌々日の「ABC」紙には容疑者6名の名前が写真入りでデカデカと報道された。
B: 手際がいい。「エル・パイス」や「エル・ムンド」は存在せず、創刊がフランコ没後なのは「 GAL 」で詳しく触れました。
A: 脚本がどの程度原作に忠実か「序文」しか読んでないので憶測ですが、著者もCIAの件は知っていたんじゃないか。決行前にCIAとETAが会合をもったとも、ソ連のKGBが資金援助をしたとも言われています。著者は将来、警察によって粉飾された文書が出回らないよう記録を残すと述べています。
B: スペイン社会は体制派VS反体制派のように単純に二分されていたのではない。
A: 軍隊、教会、新ファランヘ党、オプス・デイ等々の思惑、石油ショックによる観光客の激減もふくめてカオス状態だった。「スペイン現代史のミステリー」と称される鬼作戦の謎は、未だに全面的に解明されておりません。
B: ETAは休戦を宣言しておりますが解散したわけではなく、条件闘争をしながら存続しています。
A: 刑期中の活動家10人は、分離政策としてそれぞれ別の刑務所に収監され互いに接触できず、家族も面会できません。バスク自治州の刑務所に移送すること、家族の面会を許可することが解散の第1条件です。暗殺テロが始まってから40年間の犠牲者は850人以上に達する、簡単にはいきません。
Posted by: アリ・ババ39 | Thursday, September 01, 2011 19:30
首班ウィルソンは生き延びた!
B: ストーリーはシンプルです。国外の観客にも理解できるようコマンドたちの過酷な子供時代もフラッシュバックされている。
A: スペイン人のなかにはこれを不満に思うひとが多い、ステレオタイプの描き方だとね。イタリアでは興行的に失敗であっても、当然ながらスペインでは話題になった。観客は歴史事実として最初から最後がどうなるか知っているのに引き込まれたとね。歴史を書き換えた暗殺事件だったことは確かです。
B: 「鬼作戦」の首班“ウィルソン”は、今世紀まで生き伸びていたんですね。
A: ペドロ・イグナシオ・ペレス・ベオテギPedro Ignacio Perez Beotegiが本名、1948年ビトリア生れですから作戦当時は25歳だった。映画では“イサーラ”、イタリアのジアン・マリア・ヴォロンテが扮した。
B: 映画ではもっと年上に見えました。以前触れた「El Lobo」では、チェマ(=ロボ)がテレビ・ニュースで初めて「鬼作戦」を知るシーンがありました。
A: その後、責任ある地位についたロボの情報提供によって、1975年7月30日にバルセロナで、ウィルソン以下ETA中枢部の幹部たちが一網打尽になった。逮捕されるまではETAの本部に潜んで指揮をとっていた。著者と同じに1977年の恩赦が適用されノルウェーに国外追放となった。
B: 渾名ウィルソンの由来は何ですか。
A: イギリスに居たことがあるからでしょうが、当時の労働党ウィルソン党首に因んでいるかもしれません。1965年(16歳)に複数の強盗事件に関与して逮捕され、同年イギリスに渡っている。ロンドンに居を定めて教育を受けたようです。1969年(21歳)暮れ、スペイン大使館放火未遂事件容疑で逮捕、1年の禁固刑を受けている。出所後イギリスから国外追放となり、1971年8月にビトリアに戻った。
B: それから鬼作戦が具体化していく過程はカビナさんに詳しい。
A: ノルウェーから帰国後はETAとは袂を分かち、紆余曲折のすえ左翼バスク愛国主義者党をたちあげ政治家になった。立候補したが下院議員にはなれなかったようです。2008年3月に長い闘病のすえ亡くなりました。
Posted by: アリ・ババ39 | Thursday, September 01, 2011 19:31
B: エウセビオ・ポンセラが扮した“チャビ”は結婚してましたが、実はまだ独身だった。
A: Jose Miguel Benaran Ordenanaが本名、渾名の“Argala”はバスク語で‘痩せっぽ’という意味だそうです。しかし当時の渾名はフェルナンド、その前はイニャーキだった。1949年ビスカヤ県アリゴリアガの生れ、反フランコ派の家庭でバスク語を使用していた。マルクス・レーニン主義者であったが、後ETAに加入する。当時は学生で24歳。1970年からビスカヤ銀行強盗、誘拐事件等に関わっている。電気工としての技術が買われて参加するのは映画どおり、ポンセラの演技は評価された。
B: 映画ではアンヘラ・モリーナ扮するアマイュールと‘前倒し結婚’して娘もいたことになってたが、実際の結婚は何時ですか。
A: 1976年10月、フランスのYeu島で仲間のアスン・アラナと結婚、スペイン国境沿いのアングレット(ビスケー湾に面した町)で所帯をもった。1978年12月21日、Batallon Basco Espanolの手で車の下に仕掛けられた爆弾テロにより同地で死亡した。例の序文によると、著者が執筆前に密会した実行犯の一人にチャビの名があります。
B: つまり鬼作戦のちょうど5年後を狙われたんですね。自動車爆弾テロのスパイラル時代。
Posted by: アリ・ババ39 | Thursday, September 01, 2011 19:37
B: トンネル掘りのスペシャリストの“イケル”にはホセ・サクリスタンが扮した。
A: Jose Ignacio Abaitua Gomezaが本名、“Marquin”が渾名、映画はイケル。1950年ビスカヤ県ゲルニカ生れ、当時は23歳の鉱山学の学生。トンネル掘り、ダイナマイトのスペシャリスト。映画では、クラウディオ・コエリョ通りの地下室は借りたことになっているが、実際は6人の容疑者の一人Javier Maria Larreategui Cuadra “Atxulo”が購入した。
B: 彫刻家だから彫ってる(掘ってる)音が響くかも知れない、と大家に煙幕を張る。彼が地下トンネルに設置したダイナマイトの量は、記録によればGoma-2を100㎏だった。
A: 爆破後フランスに逃亡、1977年の恩赦が適用され、ボルドー大学で鉱山学、社会学を学び直している。1984年10月に長い亡命生活から帰国できた。内務省発表によると、元ETAメンバーの社会復帰を促す一環として法的社会的審問を受けずにすんだ最初のケースだったという。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
B: 先ほどの“Atxulo”は、映画には出てこなかった。
A: 1946年ビルバオ生れの27歳、1971~72年にかけて複数のテロに関わっていて顔が割れていたのか購入に訪れただけのようです。他にも爆破テロに必要なダイナマイトやライトバンを盗んだり、資金調達のために現金輸送車を襲ったりした活動家たちは映画では省略されていますね。
Posted by: アリ・ババ39 | Thursday, September 01, 2011 19:39
人間は「言語」で思考する
B: 映画の出来不出来とか、事実が正確でないとか以前に、現在この映画を見た観客が説得されるかどうか疑問。
A: フランコ末期のある断面を切り取った‘目で見る歴史’の≪副読本≫ではあるね。
B: 暴力と武器を使ってでも自分たちの理想を勝ち取る是非は置くとして、アクセルを踏み続けて暴走していた時代ということが伝わってくる。
A: バスク語を禁じたことは、母語を捨て「敵語」を使って思考せよ、ということです。スペイン統一のためとはいえ、これは暴力に値すること。
B: ナボコフが母語を捨て亡命したアメリカの言語で『ロリータ』を書いたのとは訳が違う。
Posted by: アリ・ババ39 | Thursday, September 01, 2011 19:40
A: 爆破の瞬間の映像は、小型の模型を作ってのエミリオ・ルイス・デル・リオの特撮です。
B: 車が空中に舞い上がって6階建てのビルの屋根を通りこして裏側の2階屋根部分のパティオというか3階のバルコニーに落ちた。
A: カビナさんの「5~6階」というのは6階部分が屋根裏部屋になっていて、データによって5階も6階もある。数え方の違いでどちらも正しいという意味ですね。道路の穴は10m×7mというから凄い。
B: 実写を見ると、水道管が破裂したのか直ぐ水が湧き出して大きい水溜りができていた。
A: だから最初、車は水没していると思われた。しかし屋根を見上げると壁面が壊れていて、20mも吹き飛んだことが分かった。さすがに遺体は骨折だらけで修復が大変だったということです。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
B: 第8回ラテンビートにアレックス・デ・ラ・イグレシアの“Balada triste de Trampeta”が“The Last Circus”の英題で上映されます。舞台となる一つが1973年です。
。
A: 2010年1月に新作がアナウンスされたときは、ブランコ首相役も決まっていた。撮影もクラウディオ・コエリョ通りから始まったんですが、途中で脚本が変更になったのか消えてしまった。代わりにフランコが登場するらしい。
B: 不謹慎かもしれませんが、監督が爆破の瞬間映像をどう解釈して料理したかに興味があります。
A: 三角関係のラブ・ストーリーといっても、デ・ラ・イグレシア流のブラック・コメディ。「マルティナの住む街」のバッチ役やフリアン役のお馴染みさん、「トレンテ4」のダメ刑事も顔を揃えています。
Posted by: アリ・ババ39 | Thursday, September 01, 2011 19:41