2025-12-02

東武日光線改悪で、栃木市暮らしは崩れ始めている ──市民の声を置き去りにしたダイヤ改正本質とは

私は栃木市に住んで十数年。

通勤・通学、買い物、遊び、何をするにも東武日光線生活の一部だった。

からこそ、ここ数年の“改悪ダイヤ”の連続には、怒りと落胆しかない。

2013年:減車の衝撃「なんで4両に減らすんだ」

まず最初の衝撃は、南栗橋ローカルの6両→4両への減車。

朝の通勤通学時間帯はただでさえ混むのに、車両が減ったらどうなるかは誰でも分かる話だ。

なのに、実際にやってしまった。

座れないどころか、身動きできないことも増えた。

「何のためのダイヤ改正なんだ」と市民の間で話題になったのを覚えている。

2017年南栗橋完全分断・快速廃止という“大打撃”

そして2017年

これが 栃木市にとどめを刺した本当の改悪だと私は思っている。

浅草までの直通がほぼ絶望

乗り換え必須

しか快速廃止

栃木駅から東京方面へ行く利便性は、

一夜にして数十年前レベルまで後退した。

昔、職場の後輩が「日光線は便利で羨ましい」と言ってくれたことがある。

いまのダイヤを見たら、そんな言葉は二度と出てこないだろう。

2018年~:20400型導入「新車なのにローカル線扱い」

20400型が入ると聞いたとき

「ようやく快適な車両になるのかな」と少しだけ期待した。

しかし、フタを開ければ実質中古更新車。

乗り心地も雰囲気も、都会の幹線を走る“主力”とはほど遠い。

「ああ、本気で日光線ローカル化したいんだな」

と痛感した瞬間だった。

2023年快速廃止の代わりが“値上げ特急リバティ”だけ

快速廃止されても、まだ“何かしらの代替”が来ると期待していた。

だが実際は、

「代わりは特急です。料金払ってください」

という、利用者置き去りの一言

通勤・通学に特急料金なんて払えるわけがない。

市民生活をまったく理解していないと言われても仕方がないだろう。

さらに近年の特急料金値上げが追い打ちをかけ、

「便利だった路線」が完全に「お金を払わないと速く移動できない路線」になってしまった。

栃木市の住みやすさは“鉄道劣化”とともに下がった

東武日光線は、栃木市における大事ライフラインだ。

その質の低下は、街の価値にも直結する。

直通性低下で東京が遠くなった

乗り換え増加で高齢者学生が不便に

車両減少で朝の混雑悪化

特急偏重生活コスト

「使いにくい路線」という印象の定着

これだけの負担押し付けられて、

「住みやすい街」と胸を張って言えるだろうか。

かつて栃木市は、

都心にも出やすく、落ち着いて暮らせる町”と評価されていた。

だが今は、

「なんでこんなに不便になったの?」

転入者が驚くレベルだ。

東武栃木市民の生活をどう見ているのか

私たちは贅沢を言っているわけではない。

昔のように直通を増やしてほしい

快速のような速達列車がほしい

追加料金を払わなくても便利に移動できる路線であってほしい

ただそれだけだ。

それなのに、返ってきたのは

減便・減車・分断・値上げ。

これでは、「栃木市生活水準を下げたいのか」と言われても仕方がない。

市民の声を無視した合理化は、街を衰退させる

鉄道会社は「利用者減」を理由にするかもしれない。

しかしその“利用者減”は、

利便性を下げ続けた結果ではないのか?

鉄道が不便になれば、みんな車に乗る。

それを「やっぱり利用者が減った」と言うのは、

まり無責任だ。

街の将来を担う公共交通を、

短期的なコストだけで判断するべきではない。

■ 結び:栃木市民の願いはただ一つ

「昔のように、安心して使える日光線に戻してほしい。」

この声を、もう一度真剣に受け止めてほしい。

市民毎日を支えるのは、豪華な特急ではない。

普通に、誰もが使える“便利な鉄道”だ。

栃木市が再び住みやすい街として輝けるかどうかは、

日光線未来にかかっている。

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