より良いものにしたくて、時間をかけて考えた提案だった。でも、それがどうも良くなかったらしい。
「楽しさ」という言葉を使ったのが特にダメだった。「今は楽しさがない」というニュアンスに取られて、現状を否定していると受け取られたらしい。いや、そんなつもりは全くないのに。
そして、追い打ちをかけるように「楽しさのある会社ってことで、〇〇ってのがあるけど知ってる?教えてあげるね」と言われたのが、もう本当に腹立たしかった。
馬鹿にされていると感じた。
もしかして、結局私のことを否定したいという結論が先にあって、叩けるところを探して叩いただけなんじゃないか?そう思えて仕方なかった。
この出来事があってから、「許せない」 という気持ちでいっぱいになったし、正直、もうあの人たちとは話したくない。
今後どんなことがあっても、そこにいた人たちへの恨みはずっと残るだろうと思っている。
私が今、ここまで憤りを感じているのは、いくつか理由がある。
結果として、この件で強く感じたのは、相手や、ひいては業界自体への強い不信感だ。
私の建設的な意図が正しく理解されずに、「現状を否定している」と一方的に解釈されたことに対する強い憤りが消えない。
「この人たちとなら、もっと良い世界を作れるかもしれない」という期待を抱いていた。
「現状改善の意欲や前向きさ」といった私が持つ価値観を、彼らは全く理解していないし、もしかしたら私自身のことを根本的に信用ならないと思われているのではないか、とさえ感じている。
そして、最終的に今一番強く感じているのは、「強い孤立感」 だ。
こんなに偉い人たちが、これほどまでに否定してくるということは、もしかしたら私はみんなに嫌われているのではないか。
あんなに反発され、批判されると、やはり「自分は一人だ」という孤立感を強く感じずにはいられなかった。
私はショックで、様々な気持ちが一気に押し寄せた。本当に、いろいろな感情が湧き上がってきた。
「自分は軽んじられている」
この「軽んじられている」という感覚は、「虚無」 とも言い換えられると思った。
自分の存在や努力が、意味のないもののように感じられる、あの底なしの虚しさ。
ふと、この「虚無」という言葉や感覚を、最近どこかで目にしたような気がした。
その時、自分はそれをどう見ていただろうか?
もしかして、私も無意識のうちに、誰かを虚無に突き落とすような加害者として、その場に立ってしまってはいなかっただろうか?
今回の経験は、私自身のあり方、特に他人への接し方や、物事の伝え方について、深く気をつけなければならないと痛感させた。
もちろん、私には誰かを虚無にするつもりは全くない。
でも、今回の件で、否定の仕方次第では、相手を虚無につなげてしまうのだと、身をもって知った。
今回の経験は私の今までのふるまいや起こしてきたことが全てつながり、大きな学びとして刻まれた。
今までの自分が当然だと思ってきたことが、それを実践してきたことがとても恥ずかしさが込み上げてくる。
そして、この学びを文章に残すべきだと、強く感じた。
今後は誰かの意図や思いを一方的に解釈せず、対話を大切にしていくことが必要だと考えている。
結局のところ、全ての人へ感謝の年を捧げたい。
そして、これまで私が傷つけてきた人へ、少しでも返していきたいと強く願うばかりであった。