愛知県での最大の罵倒後は「たわけ」です。こどもであれば比較的に気軽に使う言葉でありますが、大人がこれを言われた場合の屈辱は言葉にできないものがあります。知能や人間関係や能力や人生やその他いろいろ個人にまつわるものをすべて否定されるぐらいのインパクトがあります。言われたらそれを覆すために人生をかけて反撃する必要があります。ときには殺人事件に発展します。
話は鎌倉時代にさかのぼります。北条家が制定した御成敗式目は平等な相続をするように定めていました。相続者が複数人いる場合は嫡子庶子などを考慮した上での平等な相続が実施されていました。つまり時代が進むと田畑が細分化されることになります。鎌倉時代の末期になると田畑の細分化が極限に達して武士農民が困窮化することになります。愚かなことに。このおろかな事象を愛知県民は「たわけ」というようになります。戦国時代を経て織豊時代には解決できなかったのですが江戸時代に長子相続になり解決されることにあります。
内務省の害悪についてはいろいろありますが「たわけ」の復活が一番大きいものです。内務省の策謀した第一次農地改革によって日本の「たわけ」は成し遂げられ日本は弱体化したのです。「あれ?農地改革ってGHQの指示で日本政府に押し付けられてものでしょ」と言っている人は朝日新聞などがばらまく捏造に騙されています。GHQのような貧弱な組織に農地改革のような大掛かりな作業はできません。これは内務省の社会主義にかぶれた改革派の奴らが戦前に建てられた昭和維新の一見のプランをGHQの虎の威を借りて成し遂げた政策です。これにより農地は日本国開闢以来の細分化することになりました。一見、これは民主化を成し遂げるものになるかと思われましたが経営能力がない零細農家が乱立することになり多くは困窮化することになりました。高度成長による社会構造の変革によりこれらは顕在化しなかったものの農政のいびつさはこのと木に端を発しているのです。
50ha以下の農家なんか成り立つはずがないんよ。50ha以下の農家についてはそれなりに保護しつつ、それ以上の農家が儲かるように政策を変えてく必要があるんだよ。50ha以下の農家は補助金をあたえて黙らせて、大規模農家が国際競争できるように支援するようにするしかない。
鎌倉時代の愛知県民が「たわけ」を最大に侮辱語といってた意味を令和のおれらは重く受け止めなきゃいけないんだ。