これはある意味で正論だと思う。だが、それでも語らざるを得ない現実がある。
自分は選挙にほとんど行かない。国政も地方選もスルーしてきた。
行ったのは大阪都構想の住民投票ぐらいだ。つまり、年単位で“見送って”いる。
ヤフコメで世論を俯瞰し、Xで炎上の火元を追い、政党の戦略や支持率の動向はかなり見ている方だと思う。
なのに、投票はしない。
これがどういう構造に支えられているのか、今回はそこを掘ってみたい。
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まず投票とは行為としてどういうものか。ざっくりこう分けられる。
① 候補者を選ぶ
② 投票所を調べる
③ 投票日を確保する
④ 実際に出向く
⑤ 投票する
表面的にはシンプルだが、実際はこの一つひとつが「地味にめんどくさい」。
特に②「投票所を調べる」と③「投票日を空ける」あたりで離脱する人は多いと思う。
・案内ハガキを紛失した
・日曜に予定が入った(というか優先順位が低い)
この程度の“微差”が、意外と大きな脱落要因になっている。
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3. 投票しないのは「怠惰」ではなく「最適化」だと思っている
むしろ、**“自分の生活を最適化した結果の判断”**として、それなりに合理的だと思っている。
なぜなら、こう考えているからだ:
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この「掛け算の期待値」が低すぎる限り、行動にはつながらない。
だからこそ、投票に行ったことのある大阪都構想だけは例外だった。
あれは、自分の住んでいる自治体そのものの構造が変わる話だった。
「これはスルーしたら、後で後悔するかもしれない」
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SNSやはてな界隈でも、政局にはやたら詳しいのに、投票には行かない人は多い。
情報を集め、批評し、ときに拡散もするが、実際の制度設計には関わらない。
この振る舞いは、民主主義の根幹から見れば“共犯的”とも言える。
いまの政治構造を補強してしまっているのは、紛れもない事実だ。
投票しない選択は、たしかに一票を投じたことと同じくらい重い“行動”である。
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5. じゃあ何があれば、投票するのか?
これは明確だ。
そのどれかが満たされれば、行くと思う。
逆に言えば、それがない限りは行かない。
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6. 投票を「生活の最適化行動」として見る人間の存在も、許されるべきでは?
そういう層が「行動しないことで政治に加担してる」という矛盾を認識しながら生きている。
それをただ「政治無関心」と切って捨てるのは、ちょっと雑やと思う。
社会が変わるときって、たいていこういう「普段は動かない層」が動いた瞬間から始まる。
だから、その起点は残しておきたいし、そういう人間が情報を発信する余地も残しておきたい。
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投票はしてない。でも、見てる。
正解だと思うよ どうやっても勝ちが決まってる選挙だったり、 カスしかいなくて選択肢がない選挙なんて行く必要がない
そんな君には投票に行って白票を投じるという行為をお勧めする 無投票は政治に無関心などとしか判断されないが、白票は白票で票数がカウントされる まあ無効票のため誤字などと一緒...
色々書いてるけど、お金をかけない馬券予想とか、株や仮想通貨の疑似トレードとかと一緒で 投票する気がないのに政治について考えているときと、投票を前提として政治を考えている...
投票するのに大金がかかるわけじゃないし比喩がおかしいだろ
実際に行動する前提での判断と、どうせ何も起きないと考えている前提での判断は異なることがあるよって話をしてるんだけどわからなかったか
そりゃおかしいんだからわからないって
行動したやつの判断や行動がエアプよりも説得力を持つって理屈もわかんないのかなあ 政治に興味あるって言ってるけど少なくとも選挙に行ってるやつよりは判断根拠が希薄で何言って...
まず選挙に行くのはお前を説得するためじゃないんで…
投票はしてない。でも、見てる。 その“ねじれたまなざし”からしか書けない政治の話もあると思う。 説得力欲しいって言ってんじゃん……
めちゃくちゃAIやん **これくらいは消さないと**