いい加減日本人は、現代の日本社会に「女性の社会進出」を本尊とし「女性への理解を推進せよ」という経典を信奉する『宗教』が蔓延しているということに気が付くべきだ。
「女性のため」という文脈で語られれば、どんなにデタラメなことでも議論は封殺され、絶対正義としてまかり通る。異論を挟むことすら許されない、思考停止した社会になりつつあるということだ。
誤解のないように言っておくが、女性の社会進出や、誰もが自己実現できる社会を目指すこと自体は素晴らしい。大賛成だ。人間は誰だって、自分のなりたい姿になって幸せになるべきだと思う。 だが、それはあくまで「最終目標」の話であって、今やるべきことは、そこに至るための具体的なプロセスを議論することのはずだ。それなのに、今の社会は「女性のためになりそうなら、問題点についての議論はすべきでない」という狂った論理で、理性的な批判を完全に無視している。
その象徴とも言えるのが、最近話題の生理痛体験マシンだ。 月経に伴う痛みを男性にも理解させ、女性への配慮を推し進めるという目的のもとに、男性の腹部に低周波マッサージ機のような器具を張り付け、生理痛に似た痛みを電気によって与えるというものである。男性が月経の苦痛を理解することは、女性が生理の痛みを訴えることへの心理的ハードルが下がったり、生理を男性が口にすることはタブーであるというような風潮を打破することが期待できるため、合理的な取り組みであるといえるが、しかしこれを肯定することは「合理的な理由をもってすれば人に不本意な苦痛を与えても良い」というのが許されることになってしまうのではないか?
生理痛の痛みを完全に再現できるよう訓練した人間を用意して、そいつに男の腹をパンチさせることと、何が違うのか?パンチは駄目で、電撃が許される理由が、どこにあろうか?暴力と非暴力の線引きというのは、外傷が残るか残らないかの違いではないはずだ。たとえ拳で人を殴らなくても、精神的に苦痛を与えたり、不当に自由を奪うことは、暴力に値するというのが現代的な考え方ではないのか。電撃であろうが殴打であろうが、それを求めていないものに苦痛を与えるということは、立派な暴力行為であり、非人道的な行為だ。「パンチは野蛮な暴力で、電気なら文明的な配慮」。 そんな馬鹿な理屈が通ってたまるか。
しかしこれが一企業や大学によって取り上げられてしまっているのは、やはり上にも述べたように、「女性への理解」という文脈で語られているからに他ならない。この異常事態こそが、日本が「女性への理解」という文脈に酔いしれ、正常な判断力を失っている何よりの証拠だろう。