2025-07-27

権利問題を「かわいそう」にすり替えるな

権利運動をしている人々はその名の通り権利の話をしている。倫理的理由ヴィーガンをやっている人間は、「動物がかわいそう」ではなく「食肉は動物権利侵害している」が基本的な主張で、もちろんそれを理解してもらうためのレトリックとして「かわいそう」と語ることもあるだろうが、基本的な主張のライン感情ではなく、権利に関するロジック残酷さを回避する権利生得的に存在するとか、苦痛の表明は残酷さの存在を示すとか)をもとにした議論になっている。

マイノリティ人権についても同様で、かわいそうかどうかは問題にならない。言われているのはあくまで、マジョリティと同等の権利マイノリティにも認めるべきだということだ。一昔前の冷笑家は「かわいそうランキング」などと揶揄したが、かわいそうさは関係ないし、そもそもマイノリティからってかわいそうとは限らず、厚顔無恥マイノリティだっていくらでもいる。ただ、いずれにせよ彼らは権利制限されていて、それが不当だと言われているのだ。

キモくて金のないおっさんはかわいそう扱いされない」とかも同時期に言われていたが、馬鹿げている。かわいそうかどうかは関係ない。マジョリティおっさんは、現代日本提供される制度施設基本的に何の制限もなく利用でき、その点で権利侵害を受けていないか問題にならないだけだ。もちろん貧困病気のために権利侵害されるなら、それはリベラル運動カバーする範囲に収まるだろう。そしてそれが焦点なら、反リベラルレトリックとして掲げるのではなく、はっきりと何の権利制限されているのかを語り、ともに権利運動に加わるべきだ。

多様性否定する多様性も認めよ」?それも問題外だ。権利に関する議論において、「他者権利侵害する権利」なるものは認められない。他人意思無視して殴る権利などというもの人権に入っていないし、自由他人の所有物を盗む権利もないし、誹謗中傷プライバシー侵害権利もない。それらはそれ自体他者権利侵害からだ。多様性は、そもそもマイノリティ平等に生きる権利を確保するために掲げられているのであり、それを否定するというのはマイノリティ権利侵害になる。だから多様性否定する多様性」などという屁理屈ナンセンスだ。反DEIの人々がどれほど自分をかわいそうだと思っていても、そして仮に実際にかわいそうだとしても関係がない。

ついでながら、心理的不安や恐怖もそれが合理性を欠く実体のないものである限り関係がない。外国人が増えるのが怖かろうが、トランスジェンダー存在が怖かろうが、そしてその点でその恐怖の持ち主がどれだけかわいそうであろうが、それはその人自身解決するしかない精神的な問題であって、マイノリティマジョリティと等しい権利保障するという観点には影響しない。

奇妙なことだが、リベラル運動に携わる側は、基本的にはこの類のロジックで動いているはずだが、反リベラルはそれを「お気持ち」などと揶揄してきた。あれが怖い、これが怖い、肩身が狭くなった、気持ち悪いなどと、不安だなどと気持ちの話ばかりしているのはむしろリベラル側だろうに。

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