2012/01/11
05:48:59
(劣化ウラン)という言葉を初めて耳にしたのは、いつだったかはっきりと覚えていないけど、特に印象が強いのは、2003年3月の米軍によるイラク攻撃以来だ。
戦車を破壊する映像をテレビで見たような気がする。 戦車を破壊するということは、当時は、劣化ウランを爆弾のように考えていたが今思うと、それは違うことを理解している。
2003年当時街でイラク戦争に反対する団体からもらったパンフレットに劣化ウランでイラクの子供たちの間でガンや白血病が増えたかのように書かれていたことをうろ覚えしている。 この記事を、原稿用紙にボールペンで書いている途中に探したらあった、2003年当時もらったパンフレットが。
諸事情により、現物は公開しないけど、簡単に説明する。
1991年の湾岸戦争で劣化ウランが使われて以来、イラクの人々(特に子供たちが)と湾岸戦争帰還兵の間で、ガン・白血病・先天的欠損症などの病気が増加しています。
というようなことが書かれていた。
2003年当時の自分は、今よりも数段知識がなかったけど、広島・長崎の原爆と似たようなものだと考え、米軍はとんでもない奴らだ! と思っていた。
それから時は流れ、派遣の仕事で愛知県で寮生活をしていた2006年の初夏(5月だったと思う)人権擁護法反対について、ネットを巡っていたらあるサイトで当時19歳の男が人権擁護法に反対する記事を書いており、ついでに彼の他の記事を読んでみたら 劣化ウランは、健康に影響がない とまるで劣化ウラン弾使用を正当化するかのようなことを書いていた。 自分は、それを読んだ時劣化ウラン兵器使用を正当化するための言い訳にしか聞こえず腹が立ったけど、当時の自分には、反論の言葉が見つからなかった。
それからまたしばらくしてネット上で有名なあのきっこのブログで劣化ウラン弾を批判する記事が見つかり2007年当時の自分は、この程度のことでひとまず安心して下記の記事で紹介している2006年4月25日の日記、「劣化ウランの恐怖(今読もうとしたらリンク切れしていた。)」すら読まなかったことを反省している。
<広がり続ける劣化ウラン弾の被害
そして、また時は流れ昨年3月11日にあの東日本大震災が起こり、それに伴い福島第1原発が事故を起こした。 1年以上前からの当ブログ読者ならご存知のように、福島の原発事故以来当ブログでは、原発関連の記事が増え、何年も理解できなかったことが次々と理解できるようになってきた。
↑
それでも、難しい専門用語や大学数学の計算式は、まだまだ理解していないけど
この事故が起こる前は、μsv/hすら読めなかったし、ベクレルとシーベルトの意味すら分からなかった。
そして、原発推進派への怒りとともに、劣化ウラン使用を正当化する連中への怒りも蘇り、(まあ、劣化ウラン使用を正当化する連中はほぼ間違いなく原発推進派でもあるけど)
出典:http://www.atomin.go.jp/yougo/syosai.php?type=1&id=509
多分劣化ウラン正当化論もプルトニウムのアルファ線は、紙1枚で防げるから大したことがないというのに、似ているような気がして昨年の秋、内部被ばくに関する本も2冊購入した。
昨年発売された内部被爆の真実については、まだ途中までしか読んでいない。
まずは、まだ福島の原発の事故が起こる6年前に発売された(内部被爆の脅威)という著書を参考にしながら劣化ウランの悪影響について書いてみたいと思う。
(内部被爆の脅威143頁より参照開始 )
1950年代、アメリカのエネルギー省はたまり続ける、やっかいな劣化ウランを使って新しい兵器を作ることを思いついた。
◆劣化ウラン兵器の開発が始まったのが、1950年代
試作された劣化ウラン弾は戦闘機に搭載され、対空砲、地対地砲で射爆場に撃ち込む実験が続けられた。 その後、この射爆場の風下にあった町、ソコロでは流産、小児白血病、癌(ガン)などの障害時出産が増加し続けた。
この町ソコロの住人、ダマシオ・ロペスにこの異常現象の原因は射爆場にあるのではないかと考えたが、軍の機密に阻まれ、個人では調査することがかなわなかった。
そんなある晩、ロペスの家の庭に大量の書類がトラックで運ばれ、捨てられた。研究所をクビになった科学者が腹いせに自分が持っていた書類を全てロペスの家の庭に捨てたのである。 この捨てられた書類を読んだロペスは、劣化ウラン弾開発の全貌を理解した。
そして、自分たちの町で起きている異常事態の理由も理解したという。
その捨てられた書類で明らかになったのは、次のようなことだ。
劣化ウランを含有する兵器がテストされ始めたのは1950年代、ニューメキシコ鉱山技術研究所においてだった。 1972年にはニューメキシコ州立工科大学付属のエネルギー物質研究試験センターの屋外においてのテストが行われた。その場所は8000人が住むソコロの町から3㎞しか離れていない風上にあり、町の飲料水が供給される水源がある山でもあった。この小さな町ソコロで、ニュー・メキシコ全体で19例しかない水頭症の子供が1984年から88年にかけて3人も生まれている。
これは全く異常なことであり、劣化ウランの影響ではないかとロペスは考えている。現在ロペスは劣化ウラン弾の使用を禁止する条約を作るための活動を国際的に続けている。
私は1998年、イラクで開催された劣化ウラン弾に関するシンポジウムで、はじめて彼と出会い、これらの話を直接聞いた。
ウラン鉱山、様々な核施設、大気圏原爆実験、そして劣化ウランの製造、試験過程でもアメリカは放射能汚染を受けてきた。 湾岸戦争に従軍した60万人のうち、実際の戦闘で死亡したのは300人足らずだったが、帰還してからこれまでにすでに1万人が死亡し、20万人近くが湾岸戦争症候群を病んでいるという。いまや劣化ウラン弾を製造、研究、試射、貯蔵、廃棄等をする施設は全米55に及び、近隣の住民にも放射能汚染の被害をもたらしている。 アメリカの被ばく者は確実に増え続けている。
中途半端で申し訳ないが劣化ウランに関する記事を書いていると相当長くなるので、これから当ブログで劣化ウランに関する記事を書くときは、もっと細かく、分けて書くことにする。
ただ、この記事をブログに書く前に 著書、内部被曝の脅威を読みながら手書きボールペンで書いた記事を画像で公開したいと思う。
手書きで書くことにより少なくとも自分自身は、本の内容を理解できたが、他人に説明するのは、難しい。
やはり 作品を残すだけでなく他人に説明できるようになるためにも絵が上手くなりたい。
戦車を破壊する映像をテレビで見たような気がする。 戦車を破壊するということは、当時は、劣化ウランを爆弾のように考えていたが今思うと、それは違うことを理解している。
2003年当時街でイラク戦争に反対する団体からもらったパンフレットに劣化ウランでイラクの子供たちの間でガンや白血病が増えたかのように書かれていたことをうろ覚えしている。 この記事を、原稿用紙にボールペンで書いている途中に探したらあった、2003年当時もらったパンフレットが。
諸事情により、現物は公開しないけど、簡単に説明する。
1991年の湾岸戦争で劣化ウランが使われて以来、イラクの人々(特に子供たちが)と湾岸戦争帰還兵の間で、ガン・白血病・先天的欠損症などの病気が増加しています。
というようなことが書かれていた。
2003年当時の自分は、今よりも数段知識がなかったけど、広島・長崎の原爆と似たようなものだと考え、米軍はとんでもない奴らだ! と思っていた。
それから時は流れ、派遣の仕事で愛知県で寮生活をしていた2006年の初夏(5月だったと思う)人権擁護法反対について、ネットを巡っていたらあるサイトで当時19歳の男が人権擁護法に反対する記事を書いており、ついでに彼の他の記事を読んでみたら 劣化ウランは、健康に影響がない とまるで劣化ウラン弾使用を正当化するかのようなことを書いていた。 自分は、それを読んだ時劣化ウラン兵器使用を正当化するための言い訳にしか聞こえず腹が立ったけど、当時の自分には、反論の言葉が見つからなかった。
それからまたしばらくしてネット上で有名なあのきっこのブログで劣化ウラン弾を批判する記事が見つかり2007年当時の自分は、この程度のことでひとまず安心して下記の記事で紹介している2006年4月25日の日記、「劣化ウランの恐怖(今読もうとしたらリンク切れしていた。)」すら読まなかったことを反省している。
<広がり続ける劣化ウラン弾の被害
そして、また時は流れ昨年3月11日にあの東日本大震災が起こり、それに伴い福島第1原発が事故を起こした。 1年以上前からの当ブログ読者ならご存知のように、福島の原発事故以来当ブログでは、原発関連の記事が増え、何年も理解できなかったことが次々と理解できるようになってきた。
↑
それでも、難しい専門用語や大学数学の計算式は、まだまだ理解していないけど
この事故が起こる前は、μsv/hすら読めなかったし、ベクレルとシーベルトの意味すら分からなかった。
そして、原発推進派への怒りとともに、劣化ウラン使用を正当化する連中への怒りも蘇り、(まあ、劣化ウラン使用を正当化する連中はほぼ間違いなく原発推進派でもあるけど)
出典:http://www.atomin.go.jp/yougo/syosai.php?type=1&id=509
多分劣化ウラン正当化論もプルトニウムのアルファ線は、紙1枚で防げるから大したことがないというのに、似ているような気がして昨年の秋、内部被ばくに関する本も2冊購入した。
昨年発売された内部被爆の真実については、まだ途中までしか読んでいない。
まずは、まだ福島の原発の事故が起こる6年前に発売された(内部被爆の脅威)という著書を参考にしながら劣化ウランの悪影響について書いてみたいと思う。
(内部被爆の脅威143頁より参照開始 )
1950年代、アメリカのエネルギー省はたまり続ける、やっかいな劣化ウランを使って新しい兵器を作ることを思いついた。
◆劣化ウラン兵器の開発が始まったのが、1950年代
試作された劣化ウラン弾は戦闘機に搭載され、対空砲、地対地砲で射爆場に撃ち込む実験が続けられた。 その後、この射爆場の風下にあった町、ソコロでは流産、小児白血病、癌(ガン)などの障害時出産が増加し続けた。
この町ソコロの住人、ダマシオ・ロペスにこの異常現象の原因は射爆場にあるのではないかと考えたが、軍の機密に阻まれ、個人では調査することがかなわなかった。
そんなある晩、ロペスの家の庭に大量の書類がトラックで運ばれ、捨てられた。研究所をクビになった科学者が腹いせに自分が持っていた書類を全てロペスの家の庭に捨てたのである。 この捨てられた書類を読んだロペスは、劣化ウラン弾開発の全貌を理解した。
そして、自分たちの町で起きている異常事態の理由も理解したという。
その捨てられた書類で明らかになったのは、次のようなことだ。
劣化ウランを含有する兵器がテストされ始めたのは1950年代、ニューメキシコ鉱山技術研究所においてだった。 1972年にはニューメキシコ州立工科大学付属のエネルギー物質研究試験センターの屋外においてのテストが行われた。その場所は8000人が住むソコロの町から3㎞しか離れていない風上にあり、町の飲料水が供給される水源がある山でもあった。この小さな町ソコロで、ニュー・メキシコ全体で19例しかない水頭症の子供が1984年から88年にかけて3人も生まれている。
これは全く異常なことであり、劣化ウランの影響ではないかとロペスは考えている。現在ロペスは劣化ウラン弾の使用を禁止する条約を作るための活動を国際的に続けている。
私は1998年、イラクで開催された劣化ウラン弾に関するシンポジウムで、はじめて彼と出会い、これらの話を直接聞いた。
ウラン鉱山、様々な核施設、大気圏原爆実験、そして劣化ウランの製造、試験過程でもアメリカは放射能汚染を受けてきた。 湾岸戦争に従軍した60万人のうち、実際の戦闘で死亡したのは300人足らずだったが、帰還してからこれまでにすでに1万人が死亡し、20万人近くが湾岸戦争症候群を病んでいるという。いまや劣化ウラン弾を製造、研究、試射、貯蔵、廃棄等をする施設は全米55に及び、近隣の住民にも放射能汚染の被害をもたらしている。 アメリカの被ばく者は確実に増え続けている。
中途半端で申し訳ないが劣化ウランに関する記事を書いていると相当長くなるので、これから当ブログで劣化ウランに関する記事を書くときは、もっと細かく、分けて書くことにする。
ただ、この記事をブログに書く前に 著書、内部被曝の脅威を読みながら手書きボールペンで書いた記事を画像で公開したいと思う。
手書きで書くことにより少なくとも自分自身は、本の内容を理解できたが、他人に説明するのは、難しい。
やはり 作品を残すだけでなく他人に説明できるようになるためにも絵が上手くなりたい。
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